第3話 異界の洋館

 和風の洋館というのは、語の意味としておかしい。

 だが、ヨウが抱いた”メレウト”の印象はそれであった。

 がっしりした石造りで、いかにも頑丈そうな館で、長い廊下はひんやりと涼しく、窓も重い金属の雨戸が着いている。

 だが、調度品や装飾品は、ヨウにはよくわからない昔風のものも多かったが、和風のしつらえになっていた。

 明治頃に日本で初めて作られた西洋風の館は、こんな感じだったんだろうかと、高校生のヨウは考え込む。だが、ヨウは、日本史などの成績は悪くはないが、教科書以上の事に興味を持った事がないので、ぼんやりとそんな印象を抱いたに過ぎなかった。詳しい訳ではない。


 その、和風なのか洋風なのかわからない、古めかしい館の廊下を、土足のままずっと歩いて行くと、階段に出た。曲線美に富んだ凝った装飾のついている階段を登って二回に行き、さらに長い廊下を渡って、ヨウは、レンに、一つの部屋の前に連れてこられた。


「Ladyの部屋だ」

「レイディ?」

「この館の主人だ。尊い方なので、くれぐれも無礼な振る舞いはするな」


 そこで初めてヨウは、Ladyとは淑女、女主人という意味かと気がついて、とりあえずは頷いた。

 知らない館とはいえ、そこの主人に、これから公園の場所を教えてくれと言うのに、失礼千万な行動を取る必要は無い。

 言われるがままに、頷くと、レンも、一つうなずき返して、彼を連れて部屋の中に入った。


 部屋の中は、やはり、何年前かわからないほど昔風--一言で言うとレトロな設えで、今が令和何年か忘れてしまいそうだった。


「Lady、新入りの者が来ました」


 部屋の扉を開けた正面に窓があり、その手前に書き物机が置いてある。その椅子に、やはり何とも言えない衣装を着た女性が座り込み、何ごとか机の上のノートに書き付けていた。


「新入り……?」

 眠たげな様子でLadyと呼ばれた女性は振り返ってきた。

 ぞっとするような美貌の女だった。


 何歳なのか、一目ではわからない。

 だが、そのぬめるように白い皮膚と長い黒髪が、どことなく美形のひな人形を思わせた。着ているものも、艶やかな着物で、ヨウにはよく種類もわからなかったが、凄く印象の良い上品さを感じさせるものであった。


 ヨウは、Ladyと呼ばれる女性の前で固まってしまった。

 着物を日常的に着こなす女性など、ヨウの周りにはいなかった。


「どこで拾ったの、レン

 Ladyは、一瞬、ヨウのブレザー姿に目をとめた後、隣のレンを振り返った。

 まるで雑種の子犬を運び込まれて、どうしますか? と聞かれた時に困ってしまった親のような態度だと思った。


 尤も、これだけ広い館なのだから、拾った子犬の一匹や二匹、人手さえあれば育てられるのだろうが。


「庭の北東の桜の下に倒れてました」

「桜の下」


 Ladyの視線が、ヨウの前に戻った。Ladyの黒い瞳が、ヨウの顔を凝視している。


「あ、すみません……俺は、吾田アガタといって、近所の高校の生徒なんですが、道に迷ってしまって。ここは、どこですか?」

 恐らく同じ町内だろうという思い込みで、ヨウはLadyに尋ねた。

 だが、同じ町内に、こんな巨大な城のような洋館はあっただろうか?


「ここは、どこでもない」

 Ladyはあっさりとした調子で答えた。


「それから、お前は、高校の生徒と言ったが、高校には戻れない。道に迷ったらしいが、元の家には帰られない。これを最初に言っておく」


「……え?」


 何を言われたのか意味がわからない。

 だが続けて、Ladyが言った。


「この迷いの森に囲まれた館からは、誰も出られない。我々は囚われ人だ。この数百年間、迷いの森の外に脱出できた者はいない。皆、逃げようとした者は死んだ」

「……え?」

 ますます意味がわからなくなるヨウ


「わからんか。そうだろうな。お前はもう、この館から出る事は出来ないし、現実世界に帰る事は出来ないと言ったのだ。どうしても、出かけたければ、愛を知れ」



「……愛?」

 新しい電波が現れたのかと……本当にそう思った。

 電波を刺激すると、ろくなことにはならないだろう。ヨウは、ぽかんとした顔のまま、ただ、Ladyと呼ばれた美しい女が、話は終わったとばかりに、こちらに背を向けたのを見つめていた。


「Lady、彼の名は?」

 また、訳のわからないことを、レンが言った。

 そういえば、ヨウは、誰も彼の名前や身の上を気にしない事に気がついた。

 何かの犯罪に巻き込まれたのかもしれないが、それにしては、ヨウ自身に対して興味が薄すぎる。彼の身の上などは、全て調査済みなのだろうか?


 なんだかやばい事になってきたとは、勘づいている。

 それもあって、ヨウは黙り込んだ。


(俺の名前は吾田アガタヨウ。……アガタ、ヨウ)

 そんなことを考え込みながら。


「名前、そうだな」

 Ladyは窓の外をちらりと見やったあとで、ヨウの方を振り返った。


「桜の下から出てきたようだから、桜。お前、これから館の中では、桜と名乗れ」


「……桜」

 念のために、ヨウはこう言った。

「俺は、男ですけど。それに、自分の名前もありますが」


「見ればわかる。お前の名は、出来るだけ隠しておけ。自分の身が可愛いならな。ここは、現実世界とは違う。自分の名前は、自分で守れ」

「……」

 何がなんだかわからないが、電波だという事だけはよくわかった。

 全く、話が通じない。


「俺の名前--」

「こだわるな。お前は今日から桜だ」

 レンがそう言って、軽く「桜」の肩に手を置いた。

 なれなれしいと思ったが、相手が電波……何をするかわからない連中だと思ったヨウは、ただ曖昧に頷くにとどめた。

 電波というか、キ印は、刺激しないに限ると思ったのだ。


レン、その坊やに部屋を与えろ。桜の見える部屋がいいな」

 Ladyが、何ごとか考え込む仕草でそう言った。


「桜、お前はこの館で、一週間は客人として扱われる。その後は、館で暮らす一人として、役割を与えられる。仕事は真面目にやるように」

「し、仕事!?」

 ヨウは、高校生……高校二年生である。

 その自分が、何故、この館に一週間以上も滞在して、働かされるハメになるのか?


 さっぱり意味がわからなかった。


 だが、その電波女の忠実な部下であるらしい、電波男が肩に手を置いて離れないため、その場はやはり、曖昧に頷いてやり過ごした。

 いよいよ話がおかしくなってきた。


 この電波達は何が目的だ。


 何で彼の名前が「桜」という女名前になったのかもわからないが、何で自分が公園からこの館に拉致されたのかもわからない。彼にしてみれば、拉致である。


(まさか俺の親の事を……いや、そんなことを知っていたからといって……いや、身代金か何かか……金が目的か?)

 ヨウは室内の凝った調度品を見回して、嘆いた。

(とても、金に困っているように見えない。それなら、何なんだ? この電波達の目的は!!)


 暴れようかと思ったが、2対1だし、キ印は何を武器にするかわからない。ここは、隙を見てこっそり抜け出そうと思い、電波達の前では無表情でやり過ごす事にした。

 ヨウは、かつてない苛立ちと緊張を感じながら、レンと呼ばれた男とともに、Ladyの部屋を出た。



「夕飯には呼ぶ、それまでここで待っているように」

 レン言われて、ヨウは、「桜の見える部屋」に通された。

 それは、二階の六畳間程度の部屋で、生活に必要な調度品は全てそろっているようだった。


 窓の方に近づくと、先ほどの北東の桜とは違う、桜並木が階下に見えた。

 繚乱と花開く桜が、夕暮れの光を浴びながらたたずんでいる。

 ここがどこなのかはわからないが、既に、紫色の闇が忍び寄る時間帯である事は確かだ。


(あのレンって呼ばれている男は……何者だろう。それ以前に、館の女主人が妖しすぎる……どうやって、ここを抜け出すか……)


 ここがどこなのかわからないが、ヨウの家は午後七時が門限だ。それを破ればまた面倒くさい事になる。

 父親は、ヨウに親切だった試しはない。


 彼は、高校に学生鞄を置きっぱなしにして、近所の公園に抜け出していた。スマホは机の中だ。

 とりあえず、時刻を確かめるために、部屋の中の時計を探す。


 壁時計を見れば、18:00前。


 19;00までに自分の家に帰らなければ、今度は父にどんな折檻をされるかわからない。不安に駆られたヨウは、そっと、与えられた部屋の外に出て、玄関の方角を探し始めた。あるいは、電話。


 今時は、家に備え付けの電話がない家庭も多いが、これだけ巨大ないかめしい館となると、電話の一台ぐらいありそうな気がする。それで、実家か、友達に救援を求めればいい。


 そういうわけで、ヨウは、既に元来た道はよくわからなくなっていたが、電話か出口を求めて廊下を歩き回り始めた。


「……誰?」

 そのとき、背後から話しかけられ、ヨウは飛び上がらんばかりに驚いた。

 振り返ると、通り過ぎた廊下の横のドアから、体を半分だけ見せている男がいる。

 心臓をバクバクさせながら観察すると、彼もまた着物だった。

 着物の下にシャツを着て、それこそ、戦前の書生のようなスタイルをしている。眼鏡をかけて長目の髪をシンプルに一つに束ねている。そのせいか、わりあい常識的で賢そうに見えた。


「誰って、その、俺は……」

 桜と名乗れと言われた事を思い出し、ヨウは柄にもなく口ごもった。

 それに、相手が誰かわからあない。本名を名乗って、また、電波の相手だったらどうしよう。


レンが、さっき、新入りが来たって言っていたけど、君か?」

「……そうです」

 新入りじゃないんだが、と言うような事を言うのはやめておいた。


「もうすぐ夕飯の時間だけど、どこにいくところ? あ、ひょっとして、トイレの場所がわからない?」

「えっと……」

 書生姿の青年は、ドアのところから出てきて、親しげにヨウに話しかけてきた。

 どうやら新入りと思って、親切に世話を焼こうとしているらしい。本当にそんな態度だ。


「あ、はい。電話、ありませんか?」


「……電話?」

 書生姿の青年は、困惑の表情となった。

 それを見て、ヨウは色々な事を考えた。この青年はもしかして、電波じゃないかもしれないが、電波に脅されてここにいるのではないかとか、親しみやすそうにしているが、結局電波なのかもしれないとか、電話があったら困る何かの理由があるだろうと、色々色々、瞬間的に想像した。


 だが、そのヨウの全ての予測を裏切って、書生姿の青年はこう言った。


「君は、何時代の人?」




「……は?」


「電話を発明したのはエジソンとベルだけど、電話が、日本に広まって以降の時代の人なんだね?」

「……」

「だよね。日本語を流ちょうに喋っているもんね。だけど、たまに、日本語を喋られる異人さんもいるから……一応、聞くけど、電話があるのが普通の時代の日本からこっちに来たんだね? それぐらいの情報なら、交換してもいいんだよ」

「……」

「いや、もちろん、プライバシーとか個人主義とか色々あるんだけど。電話が普通に家庭にある時代って言ったら……昭和かなあ? 昭和は長かったよね。君、昭和?」


「令和ですけど……」

 やっとのことで、ヨウはそう答えた。

 レンもLadyも立派な電波だったが、この書生青年はその遙か上を行く極上の電波に見えた。だが電波は、にこにこと、そりゃあもう親切ごかしの笑顔で、ヨウの方に接近してくる。


 ヨウは、大声を立てて逃げようかと思ったが、大声を聞きつけて出てくる人間がまた電波だった場合を考えて、引きつり笑いを浮かべながら、とにかく黙って頷いた。


「ごめんねえ。この館って、あ、この館、メレウトっていうんだけど、電話はないんだよ。僕はあってもいいと思うんだけど。Ladyの趣味で。あ、ほら、Ladyって、南北朝時代の人だからー」

「……はい?」

「あ、聞いてなかった? Ladyって南北朝時代の女性なんだよね。そうだね、すると、令和の君と、年齢差は少なく見積もっても630歳かー」

「……………………」

 もう何も言えないヨウだった。


 南北朝?

 年の差630歳?

 一体、何の話だ。

 南北朝時代で電話がどうしたって?


「南北朝時代の人だから、呪術や妖術には凄く強いんだけど、かわりに機械に弱くてね。僕は、電話があったほうが、行商人とかにも連絡取りやすくていいと思うんだけど、Ladyは電話もだめなんだよ。他にも、色々と便利な道具が令和だったらあふれてるだろ? だけどLadyや、牡丹やレンが認めないとメレウトの中に入れられないんだよねー」


「…………」

「あ、牡丹とかにはまだ会ってない?」

「あ、はあ……」

 牡丹って、誰だ。

 確かに、それはあった。


「牡丹は優しくていい人だけど、礼儀正しくしてね。南北朝時代ほどじゃないだろうけど、年上は目上ってタイプだから。だから、Ladyとかには行儀よくしないとダメだよ」


「……630歳年上は、確かに目上ですね……」

 他に突っ込みようもなくて、ヨウはそう相づちをかえした。あんまり黙っていると、それはそれで刺激するかと思ったのだ。

 電波だ。凄い電波だ。

 だが、確かに、電話はないらしい。欲しいのは電波じゃなくて電話なのに!!


「そうだよー。牡丹も、えーと、令和から計算すると、何歳だ。確か、明徳の和約の頃の人間って話だからー」

 満面の笑みで、書生は、見知らぬ牡丹という人間の事をこう言った。


「627歳は年上かな。でもいい人だから、仲良くしてあげてね!」


 630歳年上と、627歳年上と、どう違うんだろうか。

 だが、やはり、女性にとっては三歳差は違うんだろうか?

 627歳……。


 牡丹という名前からして女性だろうと思って、ヨウは取り扱いは慎重にしようと思った……。600歳越えても、オンナはオンナ。1歳でも若く見られたいのかもしれない……。

電波なんだろうな……。


「はい……」

 相手が返事を待っている空気だったので、ヨウはやむを得ずそう答えた。

 すると、書生は嬉しそうに笑って、ヨウの隣に立った。


「あ、言い忘れたけど、僕の名前は百合ユリ。通称だけどね。百合ユリって呼び捨てにしてくれていいよ」

「……何歳差なんですか?」

 相手は電波だと思いながらも、話を合わせて、ヨウはそう聞いてみた。


「うん。そうだね」

 少し考えてから百合ユリと名乗る青年はこう言った。


「110歳ぐらいかな?」

 真顔で彼はそう言った。


(俺がしたいのは110番であって、お前の年齢詐称を聞きたい訳じゃないんだが、と突っかかったら、電波が暴れるんだろうな……)

 そろそろヨウはそんな考えに至ったのであった。

 とりあえず、目の前の百合ユリは、書生姿な事もあるためか、多めに見積もっても二十代後半、少なく見積もって二十代前半に見えた。

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