第2話 マヨイガ

 吾田アガタヨウが、隠れ家の住民に発見されたのは、昨日の事だった。


 微風にそよぐ花の下、桜の大樹にもたれかかったまま、ヨウは完全に眠りに落ちていた。時を忘れた眠り。

 桜の花が舞い散り、雪のようにヨウの体を覆い尽くしていく。それにも気づかずに、ヨウはこんこんと眠り続けた。


 そうしているうちに--時空が、ズレこんだ。

 そんな馬鹿な事があるだろうか。


 だが、本当に、桜の大樹だけは変わらぬままに、ヨウは、全く違う時空に滑り込んでしまったのである。


 はらはらとしどけなく舞い散る桜の下で。




 時空を越え、異界と呼ばれる次元に滑り落ちても、ヨウは眠り続けていた。

 桜の大樹に抱かれて。


 そこは全く見知らぬ森の中にある、広大な庭を供えた壮麗な屋敷の一角であったが、桜の大樹は学校の近所の公園のものと寸分たがわぬまま、雨のように花弁を降らすままだった。


 その大樹の根元に眠りこけているヨウに最初に気づいたのは、やはり屋敷の人間だった。


 その名を、レン

 それは、屋敷の主人がつけた通称であり、元の名前が何であったか、本人以外知らないと言われている。


 レン--。隻眼の男。

 忍びである彼は、屋敷を森や周辺の外敵から守る役割を持っている。そのため、定期的に屋敷全体の巡回をするのが彼の日常であった。


 その日も、うららかな光の降り注ぐ午後、庭を何気なく歩いていて、気配を察知し、桜の大樹のそばに向かったのだ。


「……」

 そして、そこに、気持ちよさそうな寝息を立てながら、寝転がっている少年を発見した。


 黒髪。

 浅黒い皮膚。

 黒いブレザーの制服。


 何の変哲も無い、十代の少年に見えた。

 だが、レンの卓抜した視力は、彼の頬に気がついていた。

 血色のいい健康そうな顔立ち。その頬が、日の光を受けて、うっすらと白い痕を見せている。


(傷痕……?)


 レンは、少年のそばに膝をつくと、彼の短い黒髪と、顔に降りかかっている桜の花びらに触れ、そっと払い落としてやった。


「ん……?」


 レンの白い掌が、彼の頬をかすめたとき、その濃い睫毛が震えた。少年はうっすらと目を開き、眉を困惑の形にゆがめ、目の前の男を見つめた。


「……なん、だ?」

 少年は、自分を身近から見下ろし、観察している和装の男に尋ねた。

「誰だ、あんた」


「俺が聞きたい」

 レンはやや呆れたようにそう聞き返した。


「お前は誰だ。何故ここにいる?」

 そう言われて、少年--吾田アガタヨウは、驚いたようだった。レンがわずかに身を離したので、彼は元気よく跳ね起きた。

 それからヨウは、そのだだっ広い庭と、館全体を見渡した。


 唖然としているのが、レンにもわかった。


 そこには、巨大なそびえ立つ城と言っていいほどの洋館があり、その前に、延々と季節の花々が咲き乱れ、整備された菜園のある庭が広がり、その向こうには、迷いの森と呼ばれる脱出不可能の暗雲のように垂れ込める森がある。


 その光景を、どうやら少年は見た事がなかったらしい。

 ぽかんと口を開けて、館と、庭と、その向こうの森を見比べている。


「ここは、どこだ?」

「メレウト」

 レンは、館の主が名付けた館の名前を口にした。


「メレ……何?」

「お前はどこから来た?」


 口ごもっている少年に、レンはテキパキと聞いた。


「どこって……公園」

「公園?」


 レンはもう一度尋ねた。

 すると、ヨウは、公園の名前を言った。日本、北海道の片隅にある町の、学校の近所にある大きな公園。そこにあった桜の木の下に寝ていただけだと。


「眠っていただけなんだ」

 自分でも信じられないように、呆然として力の抜けた口調で、ヨウはそう言った。言うしか無かった。実際に、そうだったのだから。


「異邦人か」

 レンはそう呟くように言った。

 さらに言った。

「またか……」


「異邦人って、俺のことか?」

 ヨウレンにそう尋ねた。訳がわからないならわからないに、考えたらしい。何で、学校の近所の公園で居眠りをしていただけで、こんな妙な時空にはまりこんでしまったのか。


 すると、レンは、肩をすくめてこう答えた。


「お前は、日本から来たと言ったが、ここは日本であって日本ではない」

「……何?」

「ここはどこの国にも属さない。反対に言えば、どこの国でもある。地球上のどこにも属さないし、地球のどこにでもあると言える、そんな場所だ。そしてこの時空は、本来は閉じられている」


「…………電波?」

 思わずヨウはそう言ってしまった。何の話か全然わからなかった。


「電波、とはどういう意味かわからんが。お前はそういう、異常な異次元の中に紛れ込んでしまったんだ。もう、元の世界に帰られないと思え」



「元の世界に帰られない……?」


 ヨウはその言葉を繰り返した。彼にとって、電波話はどうでもよかったが、「元の世界に帰られない」には即座に反応した。


 ヨウは桜の大樹を見上げた。それから、立ち上がって、桜の大樹の周りをぐるりと歩いた。

それから、館を見て、庭を見て、空を見上げた。

 抜けるように青い空には、雲がいくつかフワフワと、風にながれて揺らめいていた。


「…………」

 公園にあった桜の木。

 間違いなく、その桜の木である。

 見間違いとは、思えない。


 だが、その桜の木の周りの風景が違う。……というよりも、情景が違う。環境が違う。

 一体何があったのか、わからない。


 自分が眠っている間に拉致されたのなら、話はまだわかるが。何故、どっしりと地面に根を下ろした桜の木が、そこにあるのか。


「なんだ、これは……」

 何度目かに呆然として、ヨウは、桜の木と抜けるような青空を見上げて、呟いた。


「だから言っただろう。お前は異邦人だと」

「異邦人……?」

 それをそのままの意味に受け取れば、自分は、「ここ」では外国の人間という事になる。


「ここは、どこだ!?」

 今更のように、ヨウは怒鳴った。レンにつかみかからんばかりの勢いで。


「だから、言っただろう」

 レンは、また一つ溜息をついて言った。

「ここは、日本であり、日本ではない、異界だ。あえていうなら、マヨイガ」



「マヨイガ……?」

 何がなんだかわからない。聞いた事のない単語を聞いて、ヨウはますます混乱する。

 そのまま、続けて、レンは言った。


「来てしまった者は仕方が無い。Ladyに会わせてやろう。くれぐれも無礼のないようにしろ」

 そう言って、レンは、くるりとヨウの方に背中を向けて、歩き出した。どうやら壮麗な洋館の方に向かっているようだ。


「??」

 ヨウがその場に立ち尽くしていると、レンは、立ち止まって振り返った。


「何をしている。着いてこい」

「着いてこいって、あんた、なんなんだよ!」

 訳がわからなくて、ヨウはそう怒鳴り返した。


「ここがどこだか知りたくないのか?」

 レンは思わず笑ってそう言った。

 それから、言った。


「そこにいても、メシは出ないぞ」

「…………」

 どうしようもなくて、ヨウは、レンの後をついて、館に向かった。

 メシのことはどうでもいいが、元の公園に帰らなくてはならない。元いた公園の位置がわからないのだから、その場所を聞きに、館の中に入っていったのだった。

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