第三話
数週間経って、良い成績の模試が返却された。ただ1人、教室の席で成績表を見ながらほくそ笑んだ。誇らしい気持ちをどうにか堪えて別に当然、いつも通りの点数ですよ、というフリをした。
ふと、ハナはあるアイデアを思いついて予備校をばっくれた。ばっくれるということをしたことがないから憧れを抱いていたのかもしれない。春季講習という最悪の響きから、あのビルの一室の籠った教室の空気からどうしても逃れたかった。
イケないことをした日には海に行くしか考えられない。幼いキリストもこうやって海に行っただろうか。日向に咲いた春色の花が阿呆面をこちらに向けていた。湾曲する海岸線をずっと進めばこの一片通りの日常から逃げられるのかな、と僅かな可能性に期待を馳せて歩く。ダラダラとやりたくない勉強をやるより、やらないといけないという危機感を持ってやった方がはかどるというのを免罪符にして今日だけは学生らしくサボることにした。それでも明日からまた予備校に通うのは、自分には勉強しかないって分かっているから。勉強なんていう誰にでも簡単にできるものを得意としている自分が時折恥ずかしくなる。ハナはもっと、特別なことが得意な人がよかったのだ。メジャーリーガーやアイドルやコックさんのような、リプレイスされない人になりたかった。
「バーカ」
自分に放った言葉がアスファルトから反射してやはり自分に戻ってくる。馬鹿馬鹿しさの中で笑う。寂しさを味わいながら歩くこの行為に何の意味があるのか、あと1週間歩いたって1ヶ月歩いたって分からないだろう。有線イヤホンから流れてくるラジオには下らない相談が寄せられていて本当に興味ないな、とクスッと笑えるほど。気づけば勉強も恋愛も部活も、制汗剤の匂いも寄り道のマックも楽しめないまま大人になろうとしていた。これは危ないことかもしれないな。この先、変に青春を取り戻そうとして痛い大人になったら嫌だなと危惧した。
寄せては返すを繰り返すだけの波を見る。連れ去って欲しい気持ちは置いてきぼりのくせに、ただ塩っ気の強い風が髪の毛を心地の悪いウエット感に仕上げる。海はあまり好きじゃない。海にいると自分が可哀想に感じるからだ。あぁ、やっぱり来なければよかった。予備校に大人しく行けばよかったのだ。腕時計を見ようとして袖を捲った。そこには腕時計がなかった。時計を見ると今何限だとか考えてしまうから見るのをやめようとカバンに仕舞ったことを忘れていた。カバンから取り出すと、その時計の秒針は18:10あたりで止まっていた。それはかなり嘘っぽい本当で、唖然とする。
「帰れってことかな」
捉えようによっては今日は何も良いことが無い1日だった。
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