第28話 闇夜に揺らめく英雄の影
闇夜を縫うようにして、ファブリスは駆けていた。
彼の思考を支配するのは焦燥感だ。
(ああ、奪えなかった。レルクリアから聖剣を……)
ファブリスは帝国の諜報員だった。
彼の任務はレオナルトを落ちこぼれにすること。そのために教師としてこの学校にもぐりこみ、『魔器実戦』の担当を務めていたのだ。
ファブリスの計画はすべてうまくいっていた。聖剣に適さない星光石を埋めこみ、レオナルトがマナ欠乏症を起こしていることにも気付いていた。素知らぬフリをして、『レオナルトが聖剣を起動できないのは、彼自身に問題があるのだ』と周囲に吹きこんだ。更にはレオナルトの悪評を流すことで、信頼を損なわせた。
アーチボルトをそそのかしたのもファブリスだ。彼は小心者なところがあったから、本来ならあんな思いきったことができるはずはない。
『こんなチャンスは、もう二度と訪れませんよ。それに、何も不安に思うことはありません。罪はすべてローレンスに被せましょう。そのための布石も打ってあります』
ファブリスは事前に噂を流していた。トビのやっていた恐喝をレオナルトにすり替えることで、彼が以前からカミーユを脅していたかのように思わせたのだ。
計画は順調だった。ファブリスの工作が功を奏し、レオナルトは教師陣にも政府にも見捨てらた。後は彼を殺して、聖剣を奪いとるだけだった。あと一歩というところだったのに……。
なぜ今になって、レオナルトが聖剣の起動に成功したのか!?
今の聖剣に付けられた星光石では、絶対に起動は成功しない。無理に起動しようとすれば、マナを吸われて死ぬ。
レオナルトがどうやって、あれを起動したのかはわからない。だが、そんなことはもはや、どうでもいいとファブリスは思っていた。
(今は逃げるしかない。このレルクリアから)
ひとまずは身を隠して、朝になったら運行船にもぐりこむ。そして、この浮島から脱出しよう。ファブリスは算段を付けながら、林を駆ける。
――その時。
声は突然、響いた。
「レオナルトくんは1つ勘違いしていたようだけど」
「な、何だ!?」
ファブリスはぎょっとして立ち止まる。
「あなたの所持していた魔人兵は、諜報用に作られた物。そのため、人に擬態する能力を備えている。とはいえ、それは誰にでも化けられるというものじゃない」
「誰だ! どこにいる!?」
声の主を探して、左右に視線を走らせた。森の中は宵闇が澱のように沈殿していて、どこに誰が潜んでいるのか判別できない。
しかし、何かがいる。本能が鋭く鳴らした警笛でファブリスはそれを悟っていた。
身の毛がよだつような気配だった。まるで獰猛な怪物と対峙した時のような――いや、それよりも更に恐ろしい存在だ。
ファブリスは冷や汗を流し始める。
「目鼻立ちをいくつかのパターンから選択して、顔を作れるという機能だからね。さて、僕は感心したよ。ラサル先生」
その時、彼は悟った。
上だ! その声は上方から降ってくるのだ。視線を上げる。そして、ファブリスは絶句した。
星光石のきらめきを背後に携えながら――1人の青年が、空中に浮かんでいる。
「あなたは僕に初めて会った時、内心でとても驚いていたはずだ。『魔人兵が完璧に化けられる顔の人間が実在していたのか』と」
「貴様は、バルテ!? どうなって……、なぜ浮いている!?」
リーベは夜空に腰かけるようにして、こちらを見下ろしている。どんなマジックだ? と、ファブリスは辺りに視線を巡らせた。
「その答えを教えてあげるよ。あなたの持っていた魔人兵も、このメガネにこめられた魔術式も、原理は同じなんだ。だって、魔導の技術を確立したのは僕らだから」
彼がメガネに触れる。重力に逆らい、それはふわりと浮き上がった。
その下から覗いた相貌に、ファブリスは度肝を抜かれた。
「まさか……そんな……死んだはずでは……っ」
その顔には覚えがある。
レルクリアで知らぬ者はいないだろう。
空に漂う長い銀髪。澄んだ色をした碧眼。繊細な輪郭。知的さと無垢さを兼ねそろえた双眸。
実物は写真で見るものよりも美しかった。
「英雄リュディヴェーヌ・ルース!?」
ファブリスの言葉を受けて、彼は悠然と笑う。
「そう呼ばれたこともある。僕は長生きだから。今までいろいろな称号を授かったよ。魔術師、発明家、英雄……そして、リブレキャリア校の教師」
愕然と彼の顔を見つめる。それからファブリスはハッとする。
――もう少しで、信じてしまうところだった。
冷静に考えてみれば、こんなことありえるはずがないのだ。リーベ・バルテの正体が、あの有名な英雄であるなんて、そんな荒唐無稽な話。
「は、ははは、悪ふざけはよせ! からくりがあるんだろう? そんなはずがない! 貴様が……あの愚鈍で低能な、バルテの正体が、こんな……っ」
「ラサル先生は、人を格付けすることが好きなんだね。それなら、僕もあなたの価値を定めてあげよう」
闇夜に浮かぶ英雄は、まとう雰囲気を変えた。組んでいた脚を下ろして、空中で直立する。
碧眼の奥で、何かの感情が弾けている。それが焼き付くような怒りであることに気付いて、ファブリスは身震いした。
動けない。喉の奥がひりついて、声も出せない。
ファブリスは本能で感じていた。
――私はとんでもない怪物を、怒らせてしまった。
怒気の強さに圧倒され、怖くてたまらないのに、その美しさに同時に魅了され、目を離せずにいる。
ファブリスは戦慄しながら、彼に見とれ続けた。
リュディヴェーヌが、掌を返す。
「あなたよりもずっと。友人同士、思いやりを持っていたあの子のたちの方が、人として格上だよ」
雷光が膨れ上がり、飛び散る。
その様もひどく美しい情景を作り出す一片を担っていて、ファブリスは息を呑みこんだ。
彼は最後まで――闇夜に浮かぶ英雄の姿に、見とれ続けていた。
◇
意識を失ったファブリスの傍らに、リュディヴェーヌは降り立った。
指揮をするように指を振る。
ファブリスの懐から数枚の紙とカメラが飛び出してきた。その写真に写った光景を一瞥し、彼は眉を寄せた。
ぱちん、と指を鳴らす。写真とカメラに火がついて、燃え上がる。
「君の友人からの、願いだよ」
そうささやいて、リュディヴェーヌは手を伸ばす。
1枚の紙がひらひらと降りてくる。
それはカミーユが書いたものとされる遺書だ。
内容に目を通して、リュディヴェーヌは目を見張った。
「これって……まさか?」
青年の周囲を火の玉が囲っている。闇夜の中で赤々と燃え上がる。暗い過去を燃やし尽くすように、ともし火が美しく揺らめいていた。
リュディヴェーヌは何かに気付いた表情で、遺書を見つめる。
◇
ぼやけた思考の中で、レオナルトは考えていた。
(そういえば……テオドールは何であんなに、リュディヴェーヌに惚れこんでたのか)
その問いに答えるように、声は降ってきた。
「まったく、余計なことをしてくれたね」
意識が切り替わる。
レオナルトにとっては慣れた感覚で、すぐに理解した。これはまた、あの夢の中にいるのだと。
テオドールは床の上に倒れていた。古びた天井を見上げている。どこか広い空間にいるらしい。遠くに見える天井は、現代の建築様式とはちがう物で造られているらしい。見たこともない紋様が規則的に刻まれていた。
「君のせいだよ。死に損なった」
降ってきたのは、冷ややかな声だった。
同時にテオドールの視界には、1人の青年が映る。リュディヴェーヌだ。宙に浮かび、険しい表情で腕を組んでいた。
テオドールはひどく弱っているようだった。マナ欠乏症を起こしている。彼の手には聖剣が握られている。剣の形を失い、リングに戻っていた。
テオドールはかすれた声で尋ねた。
「……死にたかったのか……?」
「そうだよ。君が余計なおせっかいさえしなければ、僕はあのまま望みを叶えられたというのに」
リュディヴェーヌはそう言って、目を伏せる。
その瞳には影が映っている。見ているだけで心が締め付けられるような、哀傷の色だ。
彼が口にしていることは真実らしい。と、テオドールは考えていた。
彼が望んでいた死を、自分が阻んでしまったということも。
テオドールは乾いた声で笑った。
「……はは、……」
「なに? 何で笑っているの?」
「それなら、よかった……と思ってさ」
リュディヴェーヌは冷ややかな瞳で、テオドールを見下ろしている。
本気で腹を立てている様子だった。素っ気ない声で告げる。
「代わりに君は死ぬけどね。マナ欠乏症で。君の持っているそれ、何? さっきは剣になってた。それにマナを吸いとられていたみたいだけど」
「さあ……?」
テオドールは力なく笑みを返す。
「教えてやりたいけど、俺、このまま死んじゃうみたいだからさ……」
「ちょっと……。人の自殺を阻止して、謎の物体を見せつけて僕の興味を惹きつけておいて、自分は死ぬなんて……勝手すぎない?」
「……そうかもな……?」
テオドールは一心にリュディヴェーヌを見上げる。
こんな状況下で、彼は話相手に見とれているのだった。
冷たそうで、すべてを諦めたような目付きをしていて……そして、どこか寂しそうに見える面持ち。
テオドールはそのすべてに目を奪われていた。
「じゃあ、勝手ついでにさ……俺の今の望みも聞いてくれよ」
「助けてほしいって?」
「ちがう」
テオドールはリュディヴェーヌを見つめて、口を開く。優しげな声で告げた。
「何があったのかは知らないけど……死ぬなんて、言わないでほしいんだ」
「……何も知らないくせに」
彼は氷のように冷たい目付きに変わった。
「僕に関わらないで」
「それでもさ……。俺、思うんだけど、あんた…………」
そこで視界が途絶えた。テオドールの意識が沈んでいく。
リュディヴェーヌが焦ったように、
「え? 話の続きは?」
ゆっくりと近付いてくる気配。
そして、呆れたようなため息が続いた。
「本当に、勝手すぎるね。いいよ。僕のマナ、あげる。起きたら話の続きと、君が持っている不思議な剣の秘密、教えてね」
唇に何か柔らかなものが押し当てられる。
(ああ、そうか)
それは夢の中で同化しすぎた影響なのだろう。思いと感情がテオドールのものと交じり合う。
それを思ったのは、自分なのか、それとも前の勇者なのか。
わからないままに、レオナルトは心中で独白していた。
(“俺”は、初めから、リュディヴェーヌのことが……)
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