第29話 先生と呼んで
「おはよう。具合はどう?」
レオナルトが目を覚ますと、ゆるい笑顔が視界に入った。リーベがこちらを覗きこんでいる。
上体を起こす。そこは医務室のベッドの上だった。陽光が窓際から差しこみ、室内を明るく照らしている。
ぼんやりとした頭で周囲を見渡す。ベッド脇のテーブルには、山のようにプレゼントが積まれていた。
「それ、お見舞いの品だよ。君ってすごいね。あれだけ悪い噂が回っていたのに……それでも、こうやって、君のことを信じてくれる人もいる」
見舞い品は、差出人も内容も様々だった。
レオナルトは「甘い物が苦手」と公言しているので、多くはしょっぱい系の菓子だ。どれもメモが付けられていて、「早く元気になってね」「レオ様がいない世界なんて!(以下略)」。
クリフォードからのメモは「レオの帰り、待ってるからね」と可愛らしい装飾付きで、アルバートからは「今は寝ろ!」と威勢のいい文字で書かれている。
1つだけ、メモなしの包みもあった。中身は手作りのパウンドケーキだ。チョコレートが混ぜこまれていて、見るからに甘そうな代物だった。レオナルトは「グレンか。嫌がらせかよ」と、目を細める。
リーベに向き直り、気になっていたことを尋ねた。
「ラサルはどうなった?」
「それが僕が追いついた時には、転んで、頭打って、気絶しててさ。様子もおかしくて、このまま教師を続けるのは難しいだろうってことで、退職したよ」
「……写真は?」
「全部燃やしたよ。そして、これを君に」
リーベが1枚の紙を差し出す。
それはカミーユの遺書だった。だが、記憶にあるものより大きい。
2つの紙片がテープで繋ぎ合わせてあった。
「これ……」
「あの文章。もしかしたら途中で切れてるんじゃないかと思って、探してみたらあったんだ。続きがね」
レオナルトはその紙を受けとる。
意を決して、内容に目を通した。
『今後のために、このメモを残しておこうと思います。レオナルトくんと、グレンくんが原因で、僕は命を絶つのではありません。彼ら2人について、よくない噂が流れているのを聞きました。本当の原因についてはここには書けませんが、彼らに余計な疑いがかからないよう、ここに記しておきます。彼らは僕の友人であり、いつでも僕を助けてくれました。彼らは僕にとって英雄のような人です。彼らに向けられる疑心が正しく晴れることを祈っています。
カミーユ・フィレール』
レオナルトは何度もその文に目を通した。次第にその視界がぼやけていく。
目頭が熱い。指先が震える。
「馬鹿野郎……。人のこと、気にしている場合じゃないだろ……」
後悔と悲しみがない混ぜになって、苦しくなる。
(英雄、か……)
その言葉に、あの日の光景が浮かび上がった。
『すごい! やっぱりレオナルトくんはすごいね』
リブレキャリア校の入学式が終わったあと。
レオナルトはカミーユに声をかけられた。孤児院を去ってからというもの、久しぶりの再会だったので、互いに懐かしんだ。
カミーユはレオナルトが聖剣と契約を結んだことを知り、自分のことのように喜んでいた。
『レオナルトくんも、グレンくんも、孤児院にいた時からみんなのことを守ってくれた。あそこにいた子供たちにとって、君たちは英雄だったんだよ。だから、僕は信じるよ。レオナルトくんならもっとたくさんの人を守ってくれる、本当の英雄に……勇者テオドールのような人になれるって。信じるよ』
その時のことを思い出すと、今の自分が途方もなく情けなく思えてくる。聖剣の起動すらまともにできない無能さが憎らしかった。
「先生……。どうしたらいい」
レオナルトは聖剣を手の中に握りしめる。
「俺は、もっとこいつを上手く使えるようになりたい。そうしないとだめなんだ。あいつの信頼に応えるためにも」
リーベは呆気にとられた顔をしている。「僕の耳、大丈夫?」とばかりに固まっていた。
「何だよ」
「あ、ごめん。ちょっと驚いてた。君が僕のこと『先生』とか呼ぶから……」
「ああ、そうか。あんた、そう呼ばれたくないんだったな」
「うーん?」
リーベはぴんとこない顔で首を傾げている。
「何か、どうでもよくなっちゃったかも。好きに呼んでくれていいよ」
「じゃあ、リーベ先生」
「それで、聖剣の使い方だったね。とりあえず、それ、星光石が合ってないから、一度借りてもいい? 知り合いに頼んで、付け替えてもらう」
「わかった」
「後は、練習あるのみってところかな。星光石を付け替えたからといって、すぐに問題が解決するとは思わないこと。君さえよければ僕が特別授業ってことで、放課後に教えるよ」
「うん。お願いします」
「僕の授業を受けるからには、約束してくれる? 校内ではケンカはなし、暴力もなし。あと、お腹を蹴ったこと、エリアスくんには謝ること」
リーベは柔らかな笑みで話を続ける。
「君がクリフォードくんのためにやったことでも、先に手を出したら君の負けだよ? 『友人のため』という暴力が正当化されるなら、その理由で報復を受けても文句は言えないし、終わりがなくなっちゃうでしょ?」
レオナルトはふてくされた表情で黙りこんだ。やがて、こくりと頷くと、
「わかった。俺がやりすぎた。あんたを蹴り飛ばしたことも。……すみませんでした」
リーベは面食らった顔をしている。レオナルトをじっと見つめた。「この子、大丈夫?」と心配するような視線で。
「何だよ」
「何でそんなに素直なの⁉ どっかぶつけた?」
「は? そりゃ……あんたは俺のことを助けてくれたし。信頼できる」
「そっちが素だったの!?」
「珍獣を見る目をすんなっ」
リーベは気をとり直したように、
「そうそう。慣れるまでは、聖剣を使うとマナ欠乏症に陥ると思うけど。ちゃんと僕が補充して治してあげるから、安心して授業を受けてね」
「あんた、何者なんだ? マナを補充できるなんて……」
「ちょっと特殊体質でね。僕、生まれつきマナを体内で生成できるんだ」
「それって、三英雄の1人と同じじゃねーか」
「ええっと……」
「ま、三英雄とあんたみたいなへぼ教師じゃ、似ても似つかねえけど」
「あ、調子戻ってきた。君はそうやって、憎まれ口叩いている方がそれらしいよ」
「は?」
睨み付けると、彼はむしろ歓迎するようにほほ笑む。
居心地が悪くなって、レオナルトは視線を逸らした。
「ところで、あんたの持つマナを俺に渡すってどうやるんだ?」
「口づて、だけど」
「はあ!?」
リーベがあっさり言った言葉に、レオナルトは驚愕した。
ファブリスを追い払った後、気を失う寸前、何か柔らかいものが唇に触れた気がした。
(あ、あれ、夢じゃなかったのか!?)
てっきり、テオドールとリュディヴェーヌの出会いを夢で見ていたので、そちらの感覚だと思っていた。
リーベと、唇を交えた……?
認識すると同時に、レオナルトはすさまじい羞恥心に襲われた。カーッと頬が熱くなっていく。
――これは、誰も知らない若き勇者様の秘密。親友のグレンすら知らないことだったのだが。
今まで、特定の誰かと交際をしたことは疎か、初キスすら未経験であったことなど……。
(い、言えない……。絶対に、誰にも知られたくはないっ)
羞恥とプライドの狭間で、レオナルトは目を回しそうになる。
そこに追い打ちをかけてきたのは、呑気な新任教師で、
「特別授業は毎日するからね」
「まいにちっ!?」
レオナルトはびくりと反応してから、ハッとして、「それくらい何でもないけど?」という態度を頑張ってとり繕った。実際は真っ赤になっているので、まったくとり繕えていないのだが。
そして、『自分はあくまで平気だけど!』というスタンスで、
「あんたは嫌じゃないのかよ」
「え? 何が?」
「だから……マナを毎日、俺に補給するってことだろ」
「大丈夫、僕はそれくらいなら倒れたりしないから」
「そっちじゃねえ! あんたは、授業のために俺とキスできるのかって、聞いてるんだよ!」
「キス……? ちがうよ?」
リーベは呑気な表情で首をひねっている。
「僕が言ってるのは、マナ補給の話だよ?」
レオナルトは衝撃を受けた。
――こんなに鈍い大人が、この世に存在するはずがねえ!
(いや、そうでもないか? 何だか、この感じ……)
こういう男を前にも見たことがあるな、と思えば、夢の中での話だった。
リュディヴェーヌも同じくらいの鈍感さだった。更に彼と同じ体質を持っているというし、
(まさか、本当はリュディヴェーヌ……)
思いかけてから、レオナルトは首を振った。
(……なわけないか。伝説の英雄だぞ、リュディヴェーヌ・ルースは……)
マナ生成体質の者は確かに珍しいが、まったくいないわけではない。一般人の中にも稀に存在するのだ。もちろん、古代魔術を行使できるほど力の強い者といえば、リュディヴェーヌの名が上がるが……。
リーベの能天気そうな顔をレオナルトは見る。
こんな何をやらせてもヘマをするようなどんくさい男が、古代魔術を使うところなんて、想像もつかなかった。
すると、一気に力が抜けてきて、
「あれ? レオ、どうしたの? あ、レオって呼んじゃった……呼びやすいし、君の友達がそう呼んでたから……んっ!?」
レオナルトは身を乗り出して、リーベの口をふさぐ。
そして、周囲から『問題児』だと警戒をされるだけにふさわしい、とびきり悪い顔で笑うのだった。
「マナ補給ってこうするんだろ? キスと何がちがうんだ?」
「え」
リーベは呆気にとられた様子で固まっている。その横をすり抜け、ベッドから降りた。
レオナルトはブレザーをばさりと肩にかけると、半身だけ振り返り、
「……レオでいい。先生」
硬直するリーベを残して、医務室を後にした。
その後、壁を隔てて、2人は同時に赤面する。
(何であんなことしたんだ……?)
レオナルトは後悔と羞恥に悶え、
「え、あれ? あ、そっか……これってキスか……」
リーベはぼんやりとした顔のまま、口を押さえていた。
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