第3話 夏休み

 夏休みがやって来た。あの日約束をした後、教室を出た後からは何事もなく普通通りに帰宅した。新しい友人と、初めて遊ぶ約束をしたことはすごく楽しみだ。ただずっと取り乱した彼の様子や顔が脳裏に引っかかっていた。あれきり古郷に関する噂は欠片も聞こえてこない。普通噂というものは、一度誰かが口にした時点で止まらない物である。あの二人もどこから聞きつけたのか知らないが、人伝いなのは間違いないはずなのに。

 今回集まったのは、例のごとく裕二、弘道、古郷、僕の四人だ。後から古郷に「四人で集まるんだよな?」と聞いたらしばらくした後「いいよ」と返事が来た。...もしかして本当は僕と二人きりの予定だったのかも、と少し考えたが、せっかくの機会なので遠慮なく呼ぶことにした。


「裕二きたぞ」

「遅くなってごめん...!」

「いいよ待ってないし、その間にアイス食べてたし!」

「は?!なにそれ!」


遅れてきた裕二をよそに、僕ら三人はアイスをほおばりながら日陰に避難していた。今日は僕の家に泊まる予定だ。プールやら海やら、他にも夏ならではのイベントをすべきとも考えたが、僕らはみんな人のたくさんいる場所が好きではない。前から母さんには「友達を連れてきなさい」と言われていたから、今回はいい機会だ。

 僕の自宅へ着くと、真っ先に母さんが出迎えた。全員でぞろぞろと僕の部屋に着くと、母さんが一階からお菓子や飲み物を持ってきてほしいと言って、なぜか僕と古郷が部屋で待っていることになった。あれ以来二人きりになる機会がなかったからか、少しだけ緊張を覚える。すると、古郷の方から口を開いた。


「神楽君、ごめん、俺のせいで気まずい雰囲気に...」

「いや逆にそれでも今日来てくれてほんとありがとう、噂なくなったみたいだし二人も知らないみたいだから!」

「二人...仲いいですもんね、中学からでしたっけ」

「そう!中学の時からずーっと三人でいてさ、だから何か忘れた出来事があっても、誰かが思い出すんだよ(笑)」


古郷から二人について聞いてくれたことが嬉しくて、笑いながらぺらぺらと話していると、当の本人に反応がないことに気が付いた。勢いあまりすぎたか、と考えてはっと顔をあげた。すると古郷は、少しだけ物寂しそうな顔をしていた。ただ目線だけはぎらぎらと僕を見ていた。...確かにやきもちを焼かせるような言い方をしてしまったけど


「あとこれ、落ちてましたよ」

「ありが...!」


僕は瞬時に渡されたそれを奪い取った。受け取ったのではない。奪い取ったのだ。

 それは、睡眠薬だった。誰にも知られたくないものだ。誰にも。あのことがあった後も、僕はこうして普通通り生活できている。そのはずだけれど、時折眠れないのだ。天井を見続けてしまう夜があって、でもずっと周囲に心配かけまいと隠してきたのだ。失敗した。どうしよう、どうしようと考えていると古郷は言った。


「神楽君は、それがないとだめになると思って、今必死に奪い返したんですよね」

「俺も、同じようにこれがなければいけない、ていうものがあるんです」

「!」

「今嬉しそうな顔しましたね、神楽君。安心しますよね、仲間がいるって。俺は、その安心感がないと嫌なんです。」

「安心感、?」

「具体的には、こういうものです。神楽君後ろ向いてください」


僕は言われた通り古郷に背中を向けた。すると、部屋の照明から伸びた古郷の影が、僕に覆いかぶさった。あの噂を聞いてしまった日と同じ光景になる。背中側から、古郷の熱気が伝わってくる。少し暖かい息遣いと、心音まで聞こえてきそうだ。なんだか僕までつられて体温が上がってくるのを感じる。何だろうか、この妙な高揚感は。


「俺は人肌が恋しいんです。ものすごく。最近はずっと、人に協力してもらってどうにか眠ってました。」

「...僕は薬でどうにかしてるけど、人肌でも眠れるものなのかな」

「でも最近は控えてて、睡眠時間かけらもないです」

「え、なんで」

「ある人に心を奪われてしまって。その人以外の子とは寝たくないんです」


そういえば夏休みに入って少しして会った古郷は、以前より顔が瘦せていたかもしれない。もしかしたらその前からかもしれないのに、気づいてやれなかった。僕に何か...


「心配しなくて大丈夫ですよ、何とか代替案もありますし」

「無理しちゃだめだ、古郷、僕ならなんでもするから」


僕みたいに、我慢して、我慢していって。代わりになるものを探してだめで傷ついて...そんなのは僕だけでいい。


「でも大丈ぶ」

「僕と、ソフレになってくれませんか」


そう言って振り返り、古郷の目をまっすぐ見ようとした。その時、あるものが見えてしまった。というより、ある状態を目にしてしまった。驚いて顔を上げる。


「なんでおま勃って」

「だから後ろ向いてもらってたのに...」


上がった体温が、さらに急上昇して僕の中で心臓の音が聞こえる。でも気持ち悪いという感情はなくて、ただ困惑してしまった。心を奪われた人以前に、僕に反応するってことはそれだけ疲労がたまってるってことなのか...


「やめますか?」


でも、やっぱり、やっぱりこの目にはかなわない。

無理だ。


「やめない」


何の意地を張っているのか、僕自身わからなくなっていた。

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