机「イタッ」

裏道昇

机「イタッ」

 僕は頭がおかしくなったのだろうか。それとも、耳か? 後者ならありがたい。

「でさ、教頭の奴、かつらを忘れてやがんの!」

 僕たちの高校の教室、窓際の席に座る聡が大声を上げる。休み時間の生徒たちは慌しく動き回っている。僕は隣で俯き、上の空で答えた。

「それは、馬鹿だな……」

「そうなんだよ! 誰も言えねえだろ! かつら忘れてますよ、なんて」

 そう言って聡は机をバンバンと二回叩いた。

『イタッイタッ』

 机がそれに合わせて二回叫んだ。

 これが、僕に自分の正気を疑わせる。

『なぜ私を殴るのだ? 今の話の流れからすると、教頭を殴るべきだろう!』

 そう、僕の隣の席、聡の机が喋っているのだ!

 他の机はもちろん、他の物だって喋ったりしていない。症状は今朝、学校に来てからである。それまでは机が喋ることなんてなかった。ちなみに、他の人には聞こえないみたいだ。

「そして、教頭がマイクの前で何て言ったと思う?」

「さ、さあ」

「最近忘れ物が増えてます、だぞ!」

『ははは、間抜けな教頭だ』

「……そうか。教頭も年だな」

 聞きながら聡は机に肘を置いた。

『やめろやめろやめなさい! エルボーをやめなさい!』

「エルボーじゃねえよ、頬杖だよ」

 つい、言ってしまった。

「? どうした、拓也」

「なんでもない」

『君、私の言葉が聞こえているのか? 聞こえているなら助けてくれ。肘が私の顔面に当たっているのだ』

 無視した。

『頼むから……。君たちだって、全体重を乗せた肘で圧迫されたら痛いだろう! 机だって一緒さ。老朽化で弱っているのに……』

 机はとうとう泣き出した。いや、涙とか出てないけど。

 まあ、仕方ないな。

「……あ、あのさ。机に肘を置くのはやめた方がいいと思う」

「なんだよ突然。まあ、行儀良くはないけどさ」

「そうだ、しないほうがいい」

 聡は不思議そうに肘をどけた。

『ありがとう、この恩は忘れないよ。大丈夫、机は必ず恩を返すんだ』

 どうやってだよ。いや、落ち着け。無視が最善だ。

「しかし、数学面倒だなー」

 聡は机に顔を乗せた。

『……き、気持ち悪い! 頬ずりとかやめて。生暖かいから! そしてそういう趣味ないから! 女の子とか好きだから!』

「あー、おい、顔を乗せるのも行儀悪いぞ」

 頭痛を感じながらも言わざるを得なかった。とにかくうるさい。

「今日はやけに礼儀正しいな」

「ああ、今日だけだ。明日も同じなら帰る」

 しぶしぶといった様子で聡は顔を起こした。

『ありがとう、ありがとう。彼は居眠りが多くて大変なんだ。……よだれとか』

「あれ?」

「どうかしたか」

 聡が突然慌てだした。鞄を持ち上げ、机に乗せる。

『ええ!? 重い重い! まさか拷問か!?』

 たかが鞄だろう。人間が持てるものを持てなくてどうするんだ?

 聡は数学のノートを取り出すと、

「やっぱ宿題出てた。忘れたわ」

「ああ、そういや出てたな」

 僕は数日前に終わらせていたからすっかり安心して記憶から抜けていた。

「拓也はやってきた?」

「まあな」

『いい加減、鞄をどけてはくれないか? どけてから話せばいいだろう? どけてから宿題を見せればいいだろう? ああ、砕けそうだ……』

「宿題見せてくれよ、頼む!」

「まず鞄を下ろせ。話はそれからだ」

 このままだと頭がおかしくなりそうだった。

 言われた通り、聡は鞄を下ろしてくれた。頼みごとをする立場はわきまえているのだろう。

『良かった。このまま一生を終えるかと思ったよ』

「じゃあ、貸し一つで見せてやるよ」

「分かった。必ず返すからな」

『美しい友情だな。私もかつて、椅子と深い友情で……』

「あ、ああ」

「そうだ! 利子代わりと言っちゃあなんだが、机に誓約書を書いておいてやろう。友情の証だ」

 聡が筆箱からシャーペンを取り出す。

『ま、待ってくれ。それを私に突き刺すと言うのか……!? 0・5ミリで、引っ掻き回すのか!? そんな苦行を! 私に、ああ、やめて……!』

 聡が芯を机に近づける。やはり、止めずにはいられなかった。

 しかし、友情の証と言っている以上、やめろとは言いにくい。どうしたものか……。

「い、いや……そんなシャーペンで書いてもすぐ消えちゃうだろ? 僕たちの友情はそんな軽いものじゃないはずだ!」

 勢いで口を開いたが、なんか良い感じに弁が立ったぞ。

「あー、言われてみればそうだな。そんな簡単に消えるものじゃないよな」

『おお、ありがとう! 助かった! 命の恩人だ!』

 聡がシャーペンをしまう。

 机はやかましく礼を言い続ける。うざいことこの上ない。


 聡はコンパスを取り出した。


「これなら消えないだろ?」

『ちょ、待て。そんなの……やめ、死……』

 僕は耳を塞いだ。

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