第17話 これが〝朝チュン〟? いや、違うか。

「――っえ!? 9時!?」


 結衣がキッチンに立つ間、ふと時計に目を向けた僕は思わず大きな声を上げてしてまった。


「そだよ〜。だって、私が起きた時にはもう8時半過ぎちゃってたからね〜。早々に学校行くの諦めちゃったよ。 大丈夫、大丈夫!一日くらい学校サボったって死にはしないから!」


 こちらへ背を向けながら結衣はあっけらかんとした口調でそう言った。

 ジュー、という音がする。作っているのは目玉焼きだろうか?なんて思いながらも、それはさて置いて、


 曰く、一日くらい学校をサボったって死ぬわけではない――まぁ、確かにそれはそう。


 だが、転校してきて早々に無断欠席とは度胸が座っている。

 僕の方はどちらかといえば生真面目な性格であるゆえ〝サボる〟という行為に馴染みが無く、何だかモヤモヤと罪悪感のようなものを感じている。

 

「そんな顔してないで。ほら、出来たよ!一緒に食べよ?」


「うん。ありがとう」


 結衣に促され、僕は食卓につく。


 卓上に並んだのは洋風の朝食。

 ハムエッグ、トースト、野菜サラダ、アイスコーヒーだ。


「もしかして、和食派だったかな?」


「どちらかと言えば洋食派、かな?」

 

「本当?なら良かった」


「……うん。いただきます」


 手を合わせ、ハムエッグから食べ始める僕を、結衣は微笑んで見届けると自らも手を合わせ「いただきます」と食べ始めた。


 窓から差し込める心地よい朝日を浴びながら、正面には美少女。そして、手元にはその美少女が作った朝食が並び、一緒に食べる。

 なんて幸せな朝なのだろう。まるで〝朝チュン〟……違うか。

 そんなくだらない事を考えながらトーストに齧り付く。

 そこへキラキラとした笑顔の結衣がこう切り出してきた。


「ねぇ。今日、この後どこ行こっか?」


「……へ?」


 無論、帰るつもりでいた僕にとって、結衣のこの言葉はあまりに予想外で、思わず変な声が出てしまった。


「せっかく天気も良いんだし、どっか行こうよ!」


 え?ちょっと待って?これはアレか?もしかして……


「学校サボってデートとか、私達、まるで恋人同士みたいだね!」


 そう言われて急激に顔が熱くなるのを感じたが、


「……あ、ごめん。今のは無し!さすがに勢いに任せて言い過ぎちゃった!(てへ)」


 更に続いた発言により、その熱はサッと消えた。


 まったく。てへ、じゃないよ。

 もう少しで心臓が飛び出るところだったよ。人の気も知らないで。


 僕は思う。

 何せ結衣ほどの女の子だ。

 きっと、僕みたいないたいけな男子を揶揄うなんて造作もないのだろうと。

 むしろ、いたいけにたじろぐ反応を見て、面白がる節が少なからずあるのだろうと、そう思っている。


 ――『ほら、私みたいな美少女にこんな事言われて嬉しいでしょ? ん? ん?』と、言った感じに。

 実際結衣は可愛いし、モテるし、そもそもアイドルだし。〝日本一可愛い女の子〟だし。


 当然、それなりの男性経験もあるのだろうと、そう思っている。


 一縷の可能性として、行き過ぎた僕の偏見という説も無くはないが。

 でもやっぱり結衣ほどの美少女だ。きっと周りの男達(イケメン俳優とか)が放ってはおかなかったはずだ。

 故に男性経験がゼロ……という事はないはずだ。


 うん。我ながらなんとバチ当たりで愚かな事を考えているのだろうか。


 ……とは言いつつも……少し探ってみる事に。


「……デートかぁ。きっと結衣は今まで沢山デートしてしてきたんだろうなぁ。もちろん彼氏も居ただろうし、ていうか今現在も彼氏いたりして?」


 なるべく平然とした態度で、明るく、さも当たり前かのような言い回しでそう言うと、結衣が怒った。

 そりゃもう、普段温厚な結衣からは想像も出来ない程に、もの凄く怒られた。


「ひどい!」「最低!」「信じらんない!」「私の事そんな風に思ってたの!?」などなど……。相当キツく罵倒された後は、ひとつ溜息を挟んで今度は説教モードへと移行する。


「――あのね、奏君。いい? 女の子にそんな事言ったら駄目だから」


「……はい」


 現在僕は正座の体勢で説教を受けている。


「私の事、ヤ◯マンか何かだと思ってたの?」


「……いえ。決してそういうわけでは……。ですが、〝日本一可愛い女の子〟ともなれば……それ相応の――」


「無いから」


 と、僕が言い終える前に結衣は否定の言葉が食い気味に遮ぎった。そしてその後を「言っとくけど、私は……」と続け、でもここで何故かその後を恥ずかしそうに頬を赤くし、どこか言いにくそうな様子を見せ、「よし!」という何か意気込むような謎の呟きを挟んでようやく続きの言葉を紡ぎ出した。

 どこか開き直ったかのような、吐き出すような、勢いある口調で、


「――私はまだ……処◯だからっ!」


 と、言い放った。


「……へ? 処◯?」


 結衣の口から出たその単語に僕は唖然。

 

 まさか、未経験だったとは……。


「……何?その意外そうな顔は」


「いえ、すいません!」


 結衣の態度は変わらずの説教モード継続中。但し、目は泳ぎ、顔は見る見る赤味を増し、今はもう茹でダコのように真っ赤っかだ。おそらく今しがた口にした衝撃発言が相当恥ずかしいのだろう。

 それを必死に隠して説教を続けようとする所がまた愛らしい。


「あのね、奏君。私は今日まで男の子を家に上げた事も、逆に男の子の部屋へ行った事も、もちろんラブホテルへ行った事も無いの」


「はい……へ?……て、事は……」


 次々と明らかになってゆく新事実の中に聞き逃せない部分を見つけ、まさかと思う。すると直後、


「――私、男の子を部屋にあげたのは奏君が初めてだからっ!」


 結衣の口調は更に勢いをつけ、その〝まさか〟が放たれた。


「……そう、なんだ……」


 こんな時、何と返せばいいのか分からない。

 ボキャブラリー貧民の僕は端的な返答に留まるしかなく、すると当然、気まずい空気が流れ始める。


「……うん。そうなの……。だから私、ビッチじゃないから。……勘違いしないでよね」


 視線を逸らし、ボソリと結衣は言う。少し怒ってる?いや、まぁ、怒ってはいるんだろうけど……。

 顔を隠すようにそっぽを向くのでその表情の色は窺えない。


「……はい。大変、失礼致しました……」


 とりあえず謝る。ここは謝る一手。それしか手は存在しない。


「……うん、よろしい。 では、奏君は今日、私の言う事を聞く。それでいい?」


 結衣はそう言いながらも依然としてそっぽを向いたまま、それから何故か食卓の上を人差し指で小さくグルグルと円を描くような仕草をしている。

 とにかく落ち着かない様子だ。

 それを横目に僕はとりあえず、


「はい、何なりとお申し付け下さい」


 と、そう返事すると結衣はどこか言いにくそうに、


「……今日は一日、私に付き合って……」


 と、続けた。


「付き合うって……?」


「……だから! 私と一緒に出掛けないか?って言ってるんだよっ!……そしたら、私の事をビッチだって思ってた事も許してあげる……これでどう?」


 勘の悪い僕へ少し苛立ったような物言いで言った後、でも最後にかけては声のトーンは落ち、そして最後のところで窺うようにチラ見してくる。

 うん。めっちゃ可愛い。

 尚、現在も人差し指のグルグル仕草は継続中だ。


 てゆうか、

 そんな交渉材料に使わなくとも、僕からしてみれば結衣からのその申し出を断る理由は皆無だ。むしろ願ってもない幸福。

 そしてそもそもこのケース、普通本来なら、立場が逆だと思う。

 

 僕のような陰キャ育ちが……いや、この際もう〝陰キャ〟じゃなくてもいい。

 世の男誰でもいい――〝イケメン俳優〟でもいい。


 そんなイケメン俳優が、結衣という〝日本一可愛い女の子〟へデートを申し込む。が、玉砕。じゃ役不足。

 では今度は〝人気No.1俳優〟が土下座して頼み込んでみる。ここでようやくオッケーが貰えるかどうか、といったところだろう。

 そんなヒエラルキーの頂点に君臨するような超が付くほどの高嶺の花が、何が悲しくて僕のような冴えない男にデート(?)を申し込んでくる?あり得ない。……明日、世界でも滅ぶつもりか?

 ――いや、待て。結衣の申し出の中に〝デート〟という単語は含まれていない。なので、デートと判断するのは早計か。


 ――判断が早い!これだから陰キャは困る。

 

 ……ただ、同世代の男女が二人っきりで一緒に出掛ける……これをデートと呼ばずして何と呼ぶか、少なくとも僕はその代用語を知らないが、だがしかし〝デート〟だとは思わない。

 とにかく、……うん、よし。コレで行こう。


「……うん。わかった……」

 

 そう答えると結衣は、人差し指グルグルをやめた手で即座に握り拳を作り、


「よっしゃーっ!!」


 まるで使徒殲滅時のミサ◯さんバリのガッツポーズで歓喜の雄叫びを上げたのを見て、僕は本格的に結衣がどんな女の子なのかを見失うのだった。


「…………(よく分かんない、この子)」


――――――――――――――――――――


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