第16話 私、ついに誘惑に負ける?!
[結衣視点]
目覚めるとそこはフローリングの床だった。
陽光と全身に軋むような痛みを感じながら私はゆっくりと上体を起こす。
すぐ側には将棋盤があって、盤上の様子は対局中のまま止まっていた。
そして私は更にその奥――将棋盤を挟んだ対面側へと視線を滑らせると、そこにはすやすやと眠る可愛らしい寝顔を晒した奏君の姿があった。
――何故奏君がここに?!と、一瞬ドクンと、心臓が跳ねたが、
――『……んー。じゃあ……もう一局、やる?』
――『うん!やろう!……でさ、いっそもう――朝まで……とかは……さすがに……だよね?』
そんな昨夜のやり取りを思い出して、ようやく状況を理解する。
「そっか。私達、寝ちゃったんだ……」
深夜の対局中、少しだけ眠気を覚えた瞬間があった。そこから後の記憶は無く、長い夜はいつの間にか過ぎ去っていた。
窓の外に目を向ける。
本来なら心地良いはずの朝の日差しが、今日は何だか虚しく感じる。
とりあえず状況を理解したところで私は再び奏君の寝顔に視線を戻す。
「ふふ、可愛い……。これが見れただけでも御の字、かな」
自然と表情が綻ぶのを感じながら、私はのそのそと四つん這いで動き出す。目指す先は奏君の側だ。
――ん?
自身の身から何かがずり落ちたのに気付いて手に取ると、それは男物のシャツジャケットだった。――つまり、奏君が羽織っていた上着である。
「……まったく。こんな、女の子がされて嬉しい事が自然と出来るくせに、どこが陰キャよ」
ふふ、と再び微笑むと、私は奏君のその上着を丁寧に畳んでそれを奏君の近くに置いた。
それから、ベッドの上に敷かれている日頃私が寝る際に使用しているタオルケットを手に取り、それを奏君の身体に掛けた。
……ただ、奏君の上着。
畳む前に……
依然として奏君はすやすやと眠っている。
「ふふふ……今、君はどんな夢を見てるのかな?」
そう呟きながら私は奏君の前髪を
「……ちゃんと準備してたのに……この、意気地無し……私の覚悟、返してよ」
ムスッとそんな本音を口から零すと、その埋め合せとばかりに顔を近づけ、奏君のすーすーと寝息をたてる薄紅色の唇を見つめる。
奏君と深夜を共にするという大イベントを寝落ちという失態で逃してしまった今――転んでもただでは起きない!
そんな執念のような想いが湧き上がる。
鼓動がトクトクと、大きく加速していくのが分かった。
――もう、やっちゃいなよ。
黒い私が囁いた。
――ダメだよ。こんな不意を突くような形。ファーストキスだよ?こんな形で済ますなんて絶対に後から後悔する事になるよ?
白い私が語気強めに咎めた。
再度黒い私が囁く。
――不意を突かれる方が悪いんだよ。こんなチャンスはもう二度と来ない。それに、そろそろもう限界なんでしょ?耐えられないんでしょ?目の前の誘惑に。
実はこの攻防戦は昨夜もあった事だ。そう、それは奏君が鼻血を出して気絶した時の事。
その時もこうやって悶々としながら奏君の寝顔を見つめていた。
――さぁ!今度こそやっちゃいなよ!欲望のままに!!大丈夫、バレなきゃいいんだから!!
と、トドメと言わんばかりに黒い私が言い放った。
「……うん……バレなきゃいい。……そう、だよね……もう、ダメ。 我慢できない……」
そして、私は堕落した。
バクバクと、己の爆音と化した心音を聞きながら、鼻息荒く、私は欲望のままに顔を奏君の顔に近づけてゆく。(私の鼻息が奏君の顔に……)
……あと少し……あと、もう少し……、鼻息を抑えようにも逆に荒くなっていく。(お願い。起きないで……あと少しだから……!)そしていよいよ目を閉じようとした、その時だった。
「――あ(やばい)」
「え……?」
[奏視点]
何やら生暖かい風と気配に目を覚ますと、眼前に天使がいた。
否、厳密には人間だ。
但し、元アイドルにして〝日本一可愛い女の子〟と名高い彼女の――佐々木結衣の美貌が目覚め一番に眼前ゼロ距離にあれば驚くなと言う方がどうかしている。
――近っ!!
そのあまりの至近距離に思わず仰け反った僕に対して結衣は、
「おはよう、奏君」
「お、おはよう……」
まるで何事も無かったかようないつもの微笑みを浮かべ、挨拶を口にした。一方の僕は動揺の色を隠せない。(当たり前だ)
「ごめんねー、起きてすぐに他人の顔が間近にあったらびっくりするよね?……いや、でも何度も呼び掛けても起きないからさぁ……生きてるかなぁー……と、思って――さっ!!」
「あぁ、そうだったんだ」
少し辿々しい口調がきになるが、ともあれ、目を覚ます直前に感じたあの生暖かい風はと思い返すと、あれはもしや結衣の吐息だったのだろうか……?そう思うと少しドキッとする。
「じゃ、朝ご飯にしよー!」
と、そう元気な声を上げた結衣はスクッと立ち上がるとキッチンの方へと向かった。
ふと気付く、僕の体には掛けられていた大きめのタオルケット。
おそらく彼女が掛けてくれたのだろうと、そのさりげない優しさがじんわりと心に響いたのだった。
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