第3話 これは夢かな?
突如として聞こえてきた鈴音のような声に振り向くと、そこにはたった今まで思いを馳せていた佐々木結衣が左隣りのベランダからこちらへ微笑みを向けていた。
一般人とは一線を画す美貌に圧倒され、思わず全身に緊張が走り背筋が伸びる。
「――さ、佐々木さんッ?!」
「ふふ、結衣でいいよ。それにしても驚いたなぁ。まさかクラスメイトがお隣さんだなんて。しかも学校でも隣りの席だしね」
ふふふ、と口元を手で覆い、目を細めて笑うその姿は、心なしか嬉しそうにも……いえ。ごめんなさい。何でもありません。今のはたぶん……いや、絶対!僕の気のせいです。
「……す、すいません」
思わず謝ってしまった。
その謝罪の主旨はもちろん、たった今引き起こしそうになってしまった素敵な勘違い――と、もう一つ。
こんな陰キャでちっぽけな僕が、学校でも家までも、まるで彼女に付き纏うかのような距離感で存在してしまうその事実そのものに対して。
きっと、彼女からしてみても僕みたいな陰キャに常に隣りに居られては迷惑なはずだと、僕はそう思っているのだが――
「え?何で謝るの?」
と、当の本人は僕の犯すその罪深さなど全く意に介さない様子で不思議そうに小首を傾げている。
「いや。なんか申し訳なくて……」
「なにが? 一体、何に対して謝ってるの?」
本当に意味が分からないといった様子だ。
「なんで、って言われても困るんだけど……」
「ふーん。なんかよく分かんないけどさ。折角の隣り同士!これから仲良くしよ? ね?」
こうして会話している事さえ畏れ多いのに、彼女は心の距離をぐっと縮めてくるかのような無邪気で親しみのある笑顔を讃え、そう口にした。
お世辞だと分かっていても、あの佐々木結衣に仲良くして欲しいと言われれば、否が応でも鼓動が跳ねる。
「う、うん……」
こんな凄い人とお近づきになれるなんて……恐るべし隣人特権……。
なんて考えながらもやはり緊張と
「う〜ん。もっと普通に接して欲しいな」
と、彼女は無邪気な笑顔から一転、困ったように唸ると、そんな言葉を口にした。
たぶん僕の彼女へ対するぎこちない態度の事を言っているのだろうが、でもそれは仕方のない事だと言いたい。
「……佐々木さんみたいな凄い人を目の前にして平常心なんて無理だよ。僕みたいな陰キャは特にこういう時、どう立ち振る舞えばいいか分からないんだよ……」
どうしても強く働いてしまう引け目から自然と消え入るような声となり、遂には言葉が途切れる。
そんな僕へ「……うわ〜、卑屈〜。これはなかなか大変だなぁ〜」と、げんなりとした顔で彼女は言うと、その直後、今度はふわっと表情を穏やかに綻ばせ、
「でも
と、言いながらベランダフェンスの方へと半身を預け、視線を夜の景色の方へと向けた。
絶対に社交辞令のはずなのに、どこか嘘に感じ取れないその仕草。(まぁ、勘違いだろうけど)
そして、いつの間にか呼び名が『吉本君』から『奏君』へ移行している事への違和感。
転校初日で会話もろくに交わしていないにも関わらず、さらには自己紹介すらしていない中で何故、僕の下の名前を知っているのだろうか?
「何で……」
『僕の名前を?』と疑問を投げ掛けようにも、
「――というわけだから、よろしくね!」
と、彼女の言葉の方が寸分早く、こちらを振り向き、天使のような笑みを作って見せた。
その親しみの籠った可愛すぎる笑顔は、たった今僕が抱いた疑念を霧散させる程の威力を持っていた。
ただただ見惚れ、言葉を失う僕へ、彼女はさらに続ける。
「……とは言いつつも……まぁ、そうだよね。緊張するよね。 無理もないかぁー。だって私って結構、可愛いもんね!(てへぺろ)」
と、言葉の前半部分は「うんうん」と頷くように言い、最後のところではニコっと悪戯的な笑みを作ると自信満々にそう言い放った。
まさかの自画自賛か。と思ったが、よく見ると彼女の浮かべたその悪戯的笑みはどこかぎこちなく、微かに羞恥心のようなものが窺えた。
おそらくは僕から掛けられる畏敬の念を彼女なりに何とか和らげようと気を効かせた冗談のつもりで言ったのだろう。
でも、僕はこういう時に気の効いた返しが出来る程のボキャブラリーも、ユーモアセンスも無い。
陰キャの僕はただただ困惑するしかなく、どう返そうか言葉に詰まっている間に、段々空気は重くなっていく。
「……って、アレ?ちょっとぉ……?!奏君っ!?ここ、ツッコむとこ!」
「……え? あぁ、ごめん……」
「冗談だからね?!間違っても私、自分で自分の事を素で可愛いだなんて言う痛い女じゃないからね!?誤解しないでね!? やだもう、なんか変な汗かいちゃったし……」
必死な弁解の後、佐々木結衣は苦笑しながら「あつーい」と、Tシャツの胸の辺りを摘んでパタパタと胸元を扇ぐ仕草をしている。
「いや、でも、ほら……佐々木さんが可愛いのは事実だから……」
と、なんとかフォローの言葉を絞り出すと「まぁ、それはそうなんだけど」と清々しい程の全肯定が返ってきた。
まぁ、事実これだけ可愛いのだから謙遜するのも逆に変か。
容姿良く生まれると、その辺の立ち回りとか難しいんだろうな……と、自分には無縁の悩みを憐んでいると、
佐々木結衣は表情をスッと真剣なものへと切り替え、僕の方をじっと見つめてきた。
(……え?何?)
「……でもね、奏君。それはちょっとだけ違うんだよ?私は可愛かったんじゃなくて、
と、何故か疑問形で構成されたその言葉の意味を僕は全く理解出来ていない。
でも唯一今の言葉の中で分かった事がある。それは、
――『私は可愛いかったんじゃなくて、可愛くなったんだよ?』の部分。
という事は……それはつまり、
「それってもしかして、整――」
『整形』と、言いかけたところで僕は慌てて口を閉じた。
つい思った事をそのまま口に出してしまうのは僕の悪い癖だ。
佐々木結衣がジト目で睨んでくる。
「え? もしかして今、整形?って……言いかけなかった?」
僕はその言葉にぶるん、ぶるんと首を振る。
そんな僕の反応に彼女は、怒ったように一瞬だけ頬をプクッと膨らませたが、そこから一転、「ふふふ」と吹き出すような笑みを零すと、
「バレバレだし!!奏君、めっちゃ分かり易い!!浮気とか絶対出来なさそうだね!」
――失礼な!!僕だって浮気の一つや二つ……嘘です。ごめんなさい。
そんなどうでもいい事を考えている間に佐々木結衣の笑顔は一転、今度は何とも可愛いらしい膨れ顔で、
「……それにしても整形かぁ……ひどくない?」
と、流れかけていた先程の僕の失言について再度舞い戻った。
ただ、この情緒豊かで可愛らしい表情変化を見てつくづく思う。
この顔に整形した医師は間違いなく世界最高の名医だと……。
「――いや、でも違うから」
「え?」
「まぁ、確かに、アイドルに整形疑惑は付き物だけど……転校初日の女の子にそれ言うかな?」
やれやれと肩を竦める佐々木結衣。そんな彼女へしつこくも再度問う。
「違うの?」
「だから、違うって!」
今度はさすがに語気強め。
そこまで言うのなら違うのだろう。
ほぼ確定していた〝美容整形説〟が崩れる。
とはいえ今の時代、美容整形はもはや珍しくないし、仮に彼女の美貌が美容整形によるものだったとしても僕は特に何を思う事も無かった。
むしろ、『なるほど。世界最高技術による美容整形か。どうりで可愛い
でもその逆、佐々木結衣のこの可愛さは天性によるものだと聞いた今は『そうだよな!そもそもこの〝可愛さ〟を人の手で作れるわけがない!まさしく神が作った最高傑作だ!』と、自分で自分の思い起こした〝美容整形説〟を180度覆すのだった。
「ねぇ、奏君?こっち見てよ」
「え?」
言われて彼女の顔を見るとその表情は真剣なものになっていた。
「整形に見える?」
「いや……」
僕が整形と言った事。もしかして、怒ってる?
「私の目を見て?」
僕は恐々としながらも、言われるがまま彼女の瞳へと焦点を集中させる。
その褐色の瞳は心なしか潤んでいてキラキラと輝き、息を飲む程に美しい。
その瞳は真っ直ぐにこちらを見つめ、焦点が重なり合い、まるで彼女の意識そのものが伝わってくるような、そんな感覚さえ覚える。
たぶんだけど、怒っているわけじゃ……なさそうな?気がする。
でも実際には彼女の今の感情を読み解く事はできない。
ただ、女子とここまで視線を合わせる事に慣れていない僕の心内は相当騒がしい。
心臓がバクバクと脈打ち、何かに――いや、〝佐々木結衣〟という魅力に溺れていく。奪われていく……。
ゆえに、防衛本能とばかりに再び視線を逸らしそうになる。が――
「逸らさないで」
彼女は逃がしてくれない。
画面越しに見てきた彼女からはまったく想像できないSっ気に、驚愕と動揺が入り混じる。
「……うん」
先程の『整形疑惑』の贖罪の意を込めて、言われた通り改めて視線を彼女の瞳へと集中させると、その口がゆっくりと開く。
「あの頃と変わらない、穏やかで優しい目……。でも、あの頃みたいなキラキラは無くなっちゃってる。卑屈で臆病。自分の事が嫌いで苦しんでるような目。どうして?奏君……君は自分が思っているよりもずっと素敵な男の子なんだよ?」
その声音はこれまでの弾んだものから一転、トーンを落とし、まるで独り言でも呟くかのような響きで伝わる。
「――え?」
しかし、その言葉の意味はまったくもって理解不能。
「――残念。こんなに見つめ合ってもまだ君は私に気付いてくれないんだ? まぁ、そうだよね……覚えてないよね……私の事なんか」
と、そう口にした彼女は凝視を止めると自嘲した。
とりあえず、整形を疑った事に関しては怒っていないようだが、僕の事を知っているかのような口ぶりが気になる。
おそらく人違いか何かだろうとは思いつつも、一応掘り下げてみる事に。
「……あの、もしかして佐々木さんは僕の事を……知ってる……って事?」
「うん。知ってるよ。すごく前から」
「それって本当に僕の事? 多分だけど僕じゃない誰かの事を僕だと勘違いしてるんじゃない?」
「ううん。間違いなく君だよ?吉本奏君――君が覚えていないだけで私達はずっと前に出会ってるんだよ?」
まぁ確かに。僕の下の名前を知っていたわけだし、彼女の言う通り、僕が忘れているだけで本当に面識があるのかもしれない。
しかし、一体いつ、どこで、どんな共通点があって……?
「知りたい?」
彼女にそう聞かれ、僕はコクリと即時首を縦に動かす。
すると彼女は、人差し指を口元に当てて「うーん……なんか、こうも平然と覚えてないって言われるのも悔しいっていうか、簡単に教えたくないっていうか――うーん。どうしよっかなぁ……」と、ムスっとした表情で思案するポーズを取ると、その直後「あ、そうだ!」と何かを閃いたらしく、その後をこう続けた。
「それじゃあ、私の事〝佐々木さん〟じゃなくて〝結衣〟って呼んだら教えてあげるよ」
と、悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう告げた。
突如として浮上した、あの〝佐々木結衣〟と僕との繋がり説。
そんな夢のような荒唐無稽な話の真相を知りたい一心で即座に試みるも、
「……ゆ、……ッ!」
ただでさえ女子に免疫の無い僕にはやはり相当難易度が高かったらしく、いくら本人から了承を得ていたとしてもそう容易く口に出来やしない。
「……はい。不合格ー。残念!またの挑戦をお待ちしておりまーす! じゃあね〜」と、彼女は揶揄うような笑みを浮かべながら手を振り、部屋の中へと帰っていった。
佐々木結衣が居なくなったベランダで一人、我に返る。
「……今のは、一体コレは何だったんだ?……夢か?……あぁ、そうだ。これはきっと夢だな……」
文字通り夢のような展開。そう、まるでラブコメのようだ。
「こんなファンタジーな事が現実にあってたまるか」
誰かが言っていた。
ラブコメはファンタジーだと。
現実世界を舞台にしたファンタジー。
まさにその通りだと思う。ファンタジー……即ち、現実ではあり得ない事。
それが自分の身に起きた今、この現象を今自分が夢を見ているせいだと結論付ける。
「……とりあえず、寝るか……」
寝て起きたらきっと現実に戻っている事だろう。そう思いながら僕は寝床に入るのだった。
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