第30話 凶風に立ち向かえ!

 エコが目を開くと、そこは石造りの小さな部屋の中だった。

 寝かされていたのは固いベッドの上。

 近くにある大きな窓からは外が見えた。訓練場。先ほど調教師テイマーとモンスター達が戦っていたところだ。ここはその訓練場に隣接した部屋らしい。


 そして今の訓練場で繰り広げられている光景は――


「なんか封印されてたモンスターが復活しちゃったっぽいんだよね」


 隣から声がかかる。クーリャだった。

 その言葉の通り、訓練場では巨大なワシのようなモンスターが白くくすんだ翼を広げ、激しい風を巻き起こしていた。大きさはエビシラ山脈で遭遇したマンティコアよりも少し大きいくらいだが、しかしそれ以上の得体の知れない迫力がある。


 そして、その巨大なモンスターに単身で立ち向かっている背中は。


「……お、オークさん……!」

「エコ様を助けにきてくれたんだよ」


 クーリャが落ち着いた声で言う。


「あのクソみたいな冒険者達も、あいつがぶっ倒してくれたんだから」

「あ……あ……」


 エコは窓の外をじっと見る。

 目を見開き、震えるように声を漏らす。


「すごい怪我……う、腕も片方しかない……! このままだと、死んじゃう、よ……! なのに、どうして……」

「……多分、マンティコアの時とおんなじ。暴走しちゃってる」

「うあ、あ、あああっ!」


 エコが言葉にならない声で叫ぶ。

 勢いのままにベッドから転がり落ちる。

 ぐらりと揺れる頭と体。まだ目覚めたばかりで力が入らない。


 しかしそれが命を懸けてでも果たすべき使命であるかのように、エコは杖で体を支えるようにして立ち上がった。

 ふらふらとした足取りで、部屋を出ようとする。


「なにしてんの?」


 しかし、その前に立ち塞がるのはクーリャだった。

 エコへと厳しい口調で告げる。


「まさかあのオークのところに行くつもり? いつもいつも、いい加減にしなよ」

「くー……」


 エコが泣きそうな顔でクーリャを見上げる。

 クーリャは続ける。


「エコ様が行ったところで、どうなるっていうの? エコ様にできることはない。オークはそのうち倒れる。他の調教師やモンスター達も助からない。ゼペルの町がどうなるかは、あのトリの気分次第かな。とにかく何も変わらないの」

「…………」


 エコは顔をうつむかせる。

 無力を噛みしめるように、杖を握る手はかたかたと震えていた。


「だから行かせない。あたしを恨むんなら恨めばいいよ。エコ様を無事にルーンクレストにいる仲間の元に送り届けること……それが今のあたしの、全てだから」

「……えこには」

「えっ」


 しかしクーリャの耳は、消え入りそうに小さい声を拾う。


「えこには……やらないといけないことが、ある、の……」


 うつむかせていた顔を起こす。

 瞳は涙で揺れている。

 たどたどしくも、必死に言葉が紡がれる。


「調教師のみんなは……えこにやさしくしてくれた……色々なことを、教えてくれた、よ……。でも、エコは……まだありがとうって、言えてない……」


 エコは「それにっ」と続けて言葉を絞り出す。


「……オークさんにも、もう一度、会いたい……! 言わないといけないことが、たくさんあるの……だから、だから……!」


 エコはぼたぼたと涙を流していた。

 それでもクーリャを見上げる瞳には、確かな強い意思が込められている。


「いかせて、くー」

「……エコ様」


 クーリャは思う。

 普段から気が弱く、感情を見せようとしないエコがここまで強く何かを主張したことがあっただろうか。

 けど、は体を張って自分たちの逃げる道を切り開いてくれた。それを無駄にするわけにはいかない。エコの無事を最優先にする。それが自分の使命だ。これだけは揺るがない。揺るがせるわけにはいかない。


 ――それなのに。


「…………ああ、もう、ほんとに。仕方ないなあ」


 クーリャの口からため息と共に吐き出されたのは、そんな言葉だった。

 その頬はわずかに緩み、言葉とは裏腹にどこか嬉しげだ。

 まるで心のどこかでその言葉を待っていたかのように。


「くー……?」

「でもねエコ様」


 とはいえ、エコの無謀を許すわけではない。

 エコよりも大人な自分は、極めて現実的なことを言わないわけにはいかない。


「実際、行ってどうすんの?」

「え……あ……」

「あたしたちが何したところであのでっかいトリを倒せるハズがないし、あの激しい戦いの中に入ってオークを止めるなんてこともできっこないと思うけど」

「う……そ、そこも……なんとかする、から……」


 涙目で主張するエコ。

 クーリャは呆れ気味に言う。


「無理だって。だからさ」

「くー?」

「あのでっかいトリを倒すのはこのままオークに任せよう」


 化物を止められるのは、結局化物だけ。

 だったら。


「そんで、あたし達はそれを全力でサポートするの!」

「オークさんを、さぽーと……」


 エコはクーリャの言葉を繰り返す。

 そして――不思議とそれはすぐにイメージすることができた。

 何故なら、この場所で彼らがしていたことをずっと見てきたから。


「なんか……調教師みたい、だね……!」



 ●●●



「ガアアアアアアアアアアア」

「ピュエエエエエエエエエエ!」


 オークとフレスベルグの全身が激しく何度もぶつかり合う。

 黒い風に力を奪われた調教師達は地に倒れ伏し、しかしそれでも両者の激しい戦いから目を離すことができない。常識を超越する化物同士の戦いは、皮肉にも瀕死の調教師達の目を釘付けにし、失いかけたはずの意識を覚醒させ続けている。


 くすんだ白の翼が巻き起こす突風に煽られながらもオークが突進、フレスベルグの巨体に肉薄し右拳をぶつける。至近距離から放たれる風の刃はオークの肉体をたやすく裂くが、それでもオークは退かない。夥しい量の血をこぼしながら片腕で必死に食らいつく。


 その姿はあまりに痛々しく、見る者の心すらも痛ませる。

 どちらが優勢かなど火を見るよりも明らかだった。


 フレスベルグは翼を大きくはためかせ、上空へ逃れようとする。

 それを察したオークは再びフレスベルグへと突進した。しかし巨鳥に届くより前にがくりと膝をつく。ハアハアと肩を大きく震わせ、動きを止めてしまう。さすがにもう限界なのだと、見る者をそう悟らせる程に疲弊していた。


「ビュイイイイ……」


 寒々しい金切り声が大気を震わせる。

 上空からオークへと鋭い目を向けるフレルベルグの前に、肉眼ではっきりと確認できるほどの巨大な風の刃が生み出された。


「グ……グウゥ…………!」


 オークは力なくそれを見上げるが、もう動くことは叶わない。

 最期を告げるかのように残酷に、苦痛から解放するかのような優しさで。

 風の刃がオークへと振り下ろされる――



「【奈落の絶対障壁アビスウォール】!」


 ズフォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオウ!


 しかし地面より突如として生まれた黒い泥のようなものが巨大な壁を形成、オークに届く直前にそれを防いだ。

 まだ意識を保っていた数名の調教師が目を疑い、またある者がその存在に気付く。


 杖を支えにして立つ、ローブを纏った幼い少女。

 その隣では、銀髪の少女が黒い風を受けて震えるように肩を抱いていた。


「うう……確かにこれはキツい。早く終わらせたいところだね」


 クーリャは苦笑交じりにそう漏らすと、フレイルを目の前に掲げる。

 そして静かに言葉を繋いだ。


「慈愛の天使よ。天命に抗いて無様に傷つきなおも足掻かんとする一寸の虫ケラ共に、幾許かの憐憫と魂の救済を」


 フレイルの先端から光の波紋が広がる。


「【殉教者の暁鐘ヘブンスベル】」


 それは純白の輝きとなり、周囲を優しく包み込んだ。「これは……」「傷が消えた?」「ロイドお! 無事だったんだな!」あちこちに倒れていた調教師やモンスター達の傷をみるみる癒していき、沈んでいた意識に活力を灯す。


 クーリャが扱うことのできる中で最大の広域超回復魔術。

 その代償は魔族が宿す莫大な魔力、その全てだ。


「……どうせ奪われちゃうんなら、奪われる前に全部使いきっちゃえってね」


 クーリャが冗談ぽくこぼす。

 そういうわけなので、オークのついでに周りの連中もまとめて回復してやった。魔術の範囲を広げたせいでさすがに全快には程遠いしマトモに動ける状態じゃないだろうけど、まああとは放置してても自然に死なない程度には回復しただろう。


「ガアアアアー!」


 暴走したオークが早速というか、またフレスベルグに特攻をかけている。暴風の中を強引に突破して跳躍。巨大な鳥の顔面を殴る。鉤爪や風の刃の反撃を受けても、なにも感じてないのかヤセ我慢しているのか、とにかく構わずフレスベルグを殴る。


 他のモンスターや調教師と同じく瀕死に毛が生えた程度にしか回復していないはずだ。それでも後先考えることなく全力で戦おうとするのは暴走したオークくらいだろう。しかしフレスベルグを倒すには、こいつに懸けるしかない。


「がんばれ~……」


 ぱたん。

 適当なエールを最後に、クーリャは前のめりに倒れた。

 できることは全てやった。もう一歩も動けない。


「ということでエコ様。あと、お願い」


 エコはこくりと頷き、杖を地面にずぶりと沈める。

 破れたローブからのぞく背中には、魔族の証である茨の紋様がびっしりと刻まれている。魔力を奪わんとする黒い風に抗うように、紋様が赤く赤く輝きを放つ。


 奈落より生まれる黒い泥。それは魔族が宿す無尽蔵の魔力に応えるように次々と生まれ幾重にも積み重なり、時間と共に塊は質量を増していく。


「ピュエエエエエエ!」

「グウ……ウウウ…………!」


 一方、オークとフレスベルグの仮初の均衡はあっさりと崩れていく。

 敵はやはり強大で、それに立ち向かうオークも本来なら戦える状態ではない。


 そんなオークを見るのはつらい。それでもエコは動こうとはしない。

 その理由は、クーリャが事前にエコへと課していた


 フレスベルグの周囲には常に嵐のような風が吹き荒れている。その強大な風の障壁の前には、普通の【奈落の泥団子アビスボール】を放ったところで通用するはずもない。

 ありったけの魔力をぶつけないといけないし、そのためは相応の時間が必要だ。


 でも、だからといって、このままでは。



「トール君、ふっか~つ!」

「ぷぎぷぎ~っ♪」



 そこに嵐すらも吹き飛ばさんとするような明るい声が響く。

 仲良く同時に立ち上がったのはパニーとモプリンだった。


「いつまで寝ているの!? 今日のあなたは0点どころかマイナスよ!?」

「ヌモウヌモウ!(おっしゃるとおりの役立たずです!)


 そして別の場所ではユザリアとミノタウロスも起き上がろうとしている。

 それだけではない。「俺だってまだ戦えるぞ!」「ブオオオオ!」「よし、俺達も行くぞ!」「ゼペルは俺達の数少ない居場所!」「グルルルル……!」「絶対に! 絶対に守りきって見せる!」「パニーちゃーん!」「うおおおおおおおお!」


 クーリャが全ての魔力を注いでこの場にいる調教師とモンスターを回復したのは、あくまで命を救うため。

 それでも、少しだけ期待していたのだ。

 まだ戦う力と意思を残し、フレスベルグに立ち向かう者がいることを。


「ガアアアアア!」

「ビイイイイイイイ!?」


 暴走するオークの戦意もまだ損なわれていない。先頭に立ち、フレスベルグへと捨て身の攻撃を繰り返している。

 誰もが限界で、フレスベルグを前に長く戦えない。


 だからこそ――このまま一気に畳みかけるしかない。

 エコはまた魔力を高めることに集中する。

 調教師みたいに、オークをサポートするために。

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