第29話 【不落の門】
「不落の門だと……っ!? なんなんだこいつは!」
再び振るわれるデュランの剣。
ロウギもまた拳で応戦する。
しかし傷ついたロウギの体は先ほどより重く、一方でデュランの動きはさらに速さを増していた。その動きを目で捉えることはできても、体の方が追い付かない。ただ一方的に、ロウギの肉体に裂傷が刻まれていく。
――ズギン!
さらなる頭痛がロウギを襲う。
前の冒険者を倒す時間も含めると、とうに五順は過ぎている。
(問題ない。あと二順で仕留める)
しかしロウギは止まらなかった。
剣と風が生み出す二重の斬撃を受けながらも強引にデュランへと接近。
――ドオオオォッ!!
その一足は大地を激しく震わせた。
――【地剋万象《破岳》】。
氣を纏う衝撃が地面を放射状に伝い、デュランの足元を大きく揺るがす。
「な……ぐっ!?」
衝撃に耐えきれずがくんと膝をつくデュラン。
そこに今度こそロウギの拳が迫る。
「くっ!」
それでもデュランは必死の表情で剣を振るう。
正面に暴風のカタマリを生み出す。
ロウギには届かない。しかしこれはロウギを撃退するためのものではなく、足を奪われたデュラン自身を後方へと弾くためのものだった。
――ブオン!
ロウギの拳が虚しく空を切る。
そしてデュランは即座に黒鞘から剣を抜き放ち――スシャッ!
鮮血と共に舞い上がったのは、切断されたロウギの左腕だった。
「ハハハハハ! 残念だったなあ!」
デュランが哄笑をあげる。
起死回生の一撃が、今度こそ『角付きのオーク』に致命傷を与えるに至った。
剣を振り切った姿勢のまま勝利を確信し――ぐしゃり。
「……えげっ?」
しかし愉悦に歪んでいたデュランの顔面を捉えたのは。
「げ……が…………」
左腕を切断されてなおも止まらなかったオークの右拳だった。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「がおおおっ、ががあああっ!?」
咆哮と共に右拳を思いっきり振り下ろす。
デュランの全身はゴギュッと地面に叩きつけられ、スザッザッズサァッ!
全身をスピンさせながら何度も跳ね上がり、頭から地面に激突した。
「あ……があ…………?」
デュランは仰向けに倒れたまま虚空を見上げる。
一瞬の事態に理解が追いつかないかのように。
「腕を切られれば俺が怯むとでも思ったか」
そこにロウギの声が降り注ぐ。
「どうして首をはねようとしない。モンスターを相手に遊んでいるつもりか?」
「ひぐっ……」
デュランは必死に身を起こす。
そして全身のダメージを確認。拳を受けた鼻や口内からは血が溢れているが、動けない程ではない。常に纏われているフレスベルグの風が衝撃を和らげてくれた。剣も手放すことなく、まだ右手に握られたままだ。
一方、ロウギの方は満身創痍だった。
体のあちこちに決して浅くは無い傷が刻まれ、肘から先を断たれた左腕からは今もぼたぼたと尋常ではない量の血を流している。
それでもオークは一切の怯みを見せることもなく。
人の言葉でデュランへと告げた。
「俺は危険種だ。これからゼペルに住む人間共を皆殺しにする。英雄を名乗るならこの俺に止めて見せろ」
「な……」
オークから発せられた言葉にデュランは硬直する。
それは瀕死のモンスターからとは思えないほどの殺意と気迫に満ちていた。
「どうした。お前にできるのは弱者をいたぶることだけか? あの幼い少女はお前に立ち向かってみせたぞ。自分にとって大事なものを守るためにな」
「ぐ……う……」
デュランは顔を落とし、悲痛な声を零す。
命の危険。己の弱さ。
様々なものを噛みしめるかのように。
そして少しの間のあと。
ガバッと体を起こしたデュランには何らかの覚悟があった。
必死の形相で『角付きのオーク』へと駆ける。
「オークごときが! この僕を舐めるなァァァァ!」
「その意気やよし」
ロウギは満足げに頷く。
そして右一つとなった拳を強く握り締め、
「だが弱い」
迫るデュランをズゴッと殴った。
「がああああっ!?」
ドウッ!
ビュウゥゥゥゥーーーーーーーーーズシャッ!
デュランは地面と並行に吹き飛び、石壁に激突する。
壁に背中を埋め、力なくうなだれる。
「勇者は遙か高みにある。せいぜい励むんだな」
オークから紡がれる最後の言葉。
しかしそれは意識を失うデュランに聞こえるはずもなかった。
●●●
「すごい! すごいよキミ!」
そんな声をあげてロウギの元に走ってきたのはパニーだった。
冒険者の最上位である『
その衝撃的な光景を前に、パニーは子どもみたいにはしゃいでいる。
「キミのおかげでみんな助かったんだよ! 本当に本当にありがとお!」
「…………」
しかしオークからの反応はない。
顔をうつむかせ、膝をついたままピクリとも動かない。
「あわわわわあ! まっ、まっ、まだ生きてるよね!? すぐにでも手当してあげなきゃだけど、どうしたら!」
「パニーさん!」
「……あ、ユザリアちゃん! そっちも終わったんだねえ!」
慌てふためくパニーの元に、ユザリアとジュリアスが駆けつけてくる。
その向こうでは剣士と弓使いの冒険者が並んで目を回している。言うまでもなくこの二人がやったのだろう。さすがは我がゼペル期待の新米
ユザリアは傷付いたオークを見るなり、すぐに冷静な判断を下す。
「確かイモガキと一緒にいた平らなお姉さんが、回復の魔術を使えたはずです。ジュリアス! このオークをすぐに運んで……ジュリアス?」
主からの命を受けたミノタウロスは、しかし別の場所に目を向けていた。
広い訓練場の中央。
そこに落ちているのは『光翼の征剣』の少年が持っていた銀色の剣。
――柄に嵌められた翡翠色の石に亀裂が走っている。
ざわ……、と。
生ぬるい風が吹いた気がした。
やがてそれは、目に見えて黒い風へと変わる。
翡翠色の石に刻まれていた亀裂がピシッ、ピシピシと広がっていき――パリンッ。
とうとう音をたてて砕ける。
刹那――
「ピィエエエエエエェエエエエエエェェェエエエェェェェェェェーーーーー!」
耳を劈くような高い声が響く。
絶大な暴力を孕む激しい風が吹き荒れる。
「くうっ!?」
パニーはとっさに伏せて耐えた。
しかし訓練場のあちこちにいる気を失った調教師やモンスター達が吹き飛ばされ、巻き上げられ、次々と壁や地面へと叩きつけられていく。
暴風がおさまると、パニーは顔を上げる。
そこに姿を見せていたのは――巨大な鳥だった。
くすんだ白の翼は禍々しい威容を放ち、太陽の光を遮って訓練場を覆うほどの大きな影を落とす。弓なりに曲がる鉤爪と琥珀の眼は猛禽類の凶暴性を静かに湛え、上空から獲物を品定めするようにこちらを見下ろしている。
「あれは……」
封じていたという石の崩壊による出現。
羽ばたきが起こす風はまさに伝承の通り――間違いない。
「【凶風】フレスベルグ!? ど、どうして!」
「ヌモオオオオ!」
巨大なモンスターを前に一早く動いたのはジュリアスだった。
主の指示を待つまでもなくバトルハンマーを構えてフレスベルグに向けて跳躍、
「ビュィイイイ……」
しかしフレスベルグの嘴が低い呻りをあげると、その眼前に風が生み出される。
それは小さな刃が幾重にも渦巻く烈風だった。
「ヌモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
風の刃がジュリアスの全身をズタズタに切り裂く。
どろりとした鮮血に糸を引かせ、ジュリアスはぼとりと地面に落ちた。
「ジュリアス!」
慌てて立ち上がるとするユザリア。
しかしその手と足は何故か少女の小さい体を支えることができない。
地に顔を伏せたまま、がたがたと体を震わせる。
「これは……力が、入らない……?」
それは隣にいるパニーも同じだった。
開いた手を絶望的な目で見下ろしながら呟く。
「やっぱりだ……魔術も使えない……!」
魔力をかき消す何らかの力が働いている。
それはデュランが生み出した黒い風と同様の現象だ。
今はその黒い風が訓練場を覆い尽くすほどの規模で巻き起こされており、中心にいるフレスベルグへと集まっているように見える。
フレスベルグは魂を喰らい、天上に運ぶという伝承がある。
数年ぶりの食事に歓喜し、失われていた力を蓄えているとでもいうのか。
だとしたら――力を取り戻した果てに待っているのは。
「くそう……っ!」
パニーはダンと地面を叩く。
「なにが魔煌石だ! 偉そうに言ってた割に、全然制御できてないじゃないか!」
そもそも人間に制御できるはずがなかったのだ。
この世界の理を超越する力を持つことから『異界種』と呼ばれ、モンスターとしてのランクはAより上のS。その力は単体で国家を破壊させるレベルとされている。もし完全な復活を遂げれば、ゼペルの町どころかヘイルラントという国そのものが滅ぼされかねない。
いや、それよりもまず。
この場にいる瀕死の仲間達が今度こそ本当に死んでしまう。
そう考えるも、パニーは起き上がることすらできない。
動ける者は誰もいない。まるで時間が止まったかのような空間のさ中、しかし確実に絶望への秒読みを刻んでゆく神のごとき巨鳥を見上げることしかできない。
「グウウウ」
――ただ一人を除いて。
「えっ……」
パニーの目に映ったのは、瀕死のオークが立ち上がる姿だった。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
先ほどまで沈黙していた隻腕のオークが、咆哮と共にフレスベルグへと襲いかかってゆく。フレスベルグは当然のようにオークの接近へと反応、ジュリアスを引き裂いたものと同様の渦巻く風の刃を生み出す。
しかしオークはそれを高く跳躍して回避、
「ガアアアアア!」
「ビイイイィィ!?」
その勢いのままにフレスベルグの顔面をゴボウッ! と右拳で殴りつけた。
フレスベルグはくすんだ白い翼を広げて暴れるが、オークは喰らいついた獲物を逃がさない。右腕だけで組みつき、そのままフレスベルグへと頭突きを叩き込む。続けて右拳を振るい、何度も殴りつける。反撃の鉤爪がオークの肩を抉るが、それでもオークは止まらない。
「グオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
夥しい量の鮮血をまき散らしながら、ただひたすらに全身全霊の暴力を叩き続けた。
一方、ユザリアはその光景を一体のオークが『赤毛のマンティコア』と戦っていた時のものと重ねていた。
あの時もオークは理性を失ったかのように、ひたすらに獲物を攻撃し続けていた。その姿には誰もが息を呑み、恐怖すら覚えさせられたものだった。
しかし――今の状況は、あの時と決定的に違う。
相手は『異界種』と称されるほどの化物だ。
対するオークは前の戦いのダメージを引きずり既に満身創痍。
強引に押し切れるわけがない。
確実に、先に絶命する。
(……貴方のオークが、必死になって戦っているのよ)
それでも構わず一人で立ち向かうその背中は、恐怖を感じさせるよりも、むしろ。
ユザリアにはとても悲しいものに映った。
(こんな時に何してるのよ、あのイモガキ!)
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