第22話 クソみたいに平和な世界
こうしてゼペルの町へと足を踏み入れたのは、十日ほど前だったか。
町に入ってすぐにある広場。広大な湖の周りに立ち並ぶ数々の露店。往来する多くの住人。
たとえ視界がなくとも、その空気や喧騒から十分に当時と同じ光景を重ねることができる。
「ええと。本当に大丈夫なの?」
「なにがだ」
「いや、だから……あたしが引っ張ったりしなくても」
流されるまま町に入ることになってしまったロウギだが、視界を遮るためのストールやクーリャの誘導については不要であると返した。ただ無駄に目立ってしまうだけだからだ。
代わりにロウギは、ただ目を閉じることで視界をふさいでいる。
無論、それだと何も見えなくなってしまうわけだが、
「問題ない。音や氣の流れでわかる」
周りの状況を把握するには、なにも視覚に頼る必要はないのだ。
「前回もこうしていれば女を見ることもなかったのだがな。不覚だった」
「氣って……あの東方秘伝の胡散臭いやつ?」
「胡散臭くはない。むしろ目に映るものよりも確かだぞ」
「あ、そう……いや、いいんだけどね。そういうノリわかんないし。腕組んで歩くとかなんかアホっぽいし。本気で全く反応されないのもなんかイラッとくるし……!」
何やら苛立たしげにぶつくさ言っているクーリャ。その意味はわからなかったが、遠ざかる足音と気配からクーリャが歩く速度を上げたことはわかった。
「勇者祭だったか。祭はまだ続いているようだな」
「うん。魔王を倒した勇者とその仲間達が、五大国の一つにして世界の中心とか言われる『アルブレア』に帰還したのが、十年前の今頃らしいんだよね」
クーリャはどこか他人事のような口調で言う。
「それを記念する勇者祭を毎年この時期に行うことで当時のことを思い出して、みんなで祝福して、そして十年経った今でもこうやって平和が続いてる。まあ、今日もこの世界はクソみたいに平和でなによりってカンジだね」
町に訪れた者を迎えるかのような広場は、今日も活気に満ちていた。
手を繋いで歩く親子。楽しそうに騒ぐ若者の集団。声を張りあげる商人。ベンチに並んで寄り添う年老いた夫婦。ここにはたくさんの人がいて、その誰もが幸せそうにしている。
ラグローの森にはない、生きた人の光というものがある。
これが十年前の戦いの末に生まれた――平和な世界。
かつての脅威である『魔王』は勇者に討ち滅ぼされ、今も蔓延るモンスターは冒険者が刈り尽くす。人々の平和を脅かすものは、この世界にはない。
「あたしたちが散り散りになった仲間を探してるっていうのは、前に話したよね」
隣を歩くクーリャが唐突にそんなことを言う。
「じゃあその仲間である魔族が、今の世界でどんな扱いを受けてるか知ってる?」
「いや」
「全員に懸賞金がかけられてるみたいだよ」
懸賞金。
自身である『角付きのオーク』や『赤毛のマンティコア』がそうであったように、通常それはモンスターにかけられるものだ。
「そりゃあこの世界を支配してた魔王の仲間だもん。野放しにはできないでしょ。懸賞金は最低でも一人5,000ゴルくらいかな。そんなに高くは無いけど、懸賞金のかかった強いモンスターと違って見つけさえすれば捕まえるのは比較的カンタンだからさ。血眼になって探してる冒険者もいるよ。ほら、あいつらってラクして儲けるのが大好きだから」
「…………」
まともな扱いをされていないであろうことは、なんとなく察しがついていた。
そうでもなければ若い娘がたった二人で旅をして、他の何に頼るでもなくオークなどを仲間にしようとはしないはずだ。
「まあ、それでも魔族はまだマシな方かもね。見た目が普通のヒトとほとんど変わらないおかげでこうやって堂々と町中を歩けるし、あたしなんか聖翼教の学院に堂々と通えてたんだから」
魔族の身体的特徴と言えば、色素の薄い髪と、体の一部に刻まれる紋様。
しかし髪の色は出自の違いで説明できるし、紋様についても背中や胸元など人目に触れにくいところに刻まれている場合が多いのだという。
「他の種族の方が大変だと思うよ。ほら、『獣人』なんか見た目ですぐわかっちゃうし。魔族みたいに狙われる心配はないけど、人権とかは無いに等しいから結局物乞いか奴隷でしか生きていけないんだよね……あっ、あれ見てよ」
クーリャがロウギの顔を両手で挟んで、ぐぐっとある方向へと向ける。
「目、開けても大丈夫だよ……子ども相手だと欲情とかはしないんでしょ?」
言われた通り、ロウギはゆっくりと目を開く。
クーリャが何のことを言っているのかはすぐに理解した。
目の前にあるのは一つの露店。取り扱っている商品の数は少なく、透明の瓶が五本ほど並んでいるだけ。
瓶の中には生きた子どもが入っていた。
瓶の中に収まるほど小さく、背中に半透明の羽根を持つそれは。
「『妖精』だよ。レアだからってことで、瓶詰めにされて高値で取引されてる」
色とりどりの奇麗な服装で飾られた、小人のような妖精達。
その表情は様々だった。絶望の涙を流す者。諦めて塞ぎこむ者。せめて持ち主に気に入られようと歪な笑顔を張りつかせる者。高級そうな服を着た小太りの男が、それを物色するようにニヤニヤと見下ろしている。
「成人になれば瓶に入らないから、売れ残りは処分されるか別の使い方をされるみたいだけどね」
「……他の種族はどうなった」
魔族。獣人。妖精。いずれも魔王軍に属していた種族。
そして、ロウギもまたその種族のうちの一つだった。
「鬼人については?」
「……似たようなものだよ」
ロウギの素性を知るクーリャは瞳を伏せ、言いにくそうに言った。
「大人の鬼人の角は冒険者が使う武器の上質な素材の一つだし……小さい子どもの鬼人の角は、金持ちの装飾品として人気みたいだね」
「そうか」
少し離れた場所から「獣人バトルしようぜ!」という子どもの声がしたので、ロウギはそこに目を向ける。子ども達の視線を浴びながら、獣の耳と尾を持つ『獣人』の大人二人が殴り合いをしていた。
手持ちの『獣人』を戦わせている子ども達はきゃっきゃとはしゃぎ、町で繰り広げられるちょっとした余興を酒を片手に楽しむ冒険者の目が主への反目を許さない。獣人達の顔と拳は血に塗れ、しかし同朋を攻撃する手は緩めない。二人の流す涙の意味は痛みか屈辱か、あるいは仲間を殴る悲しみか。誰にもわからない。
ロウギは開いていた目を再び閉じる。
クーリャは少し間を置いてから、「はあ」と息を吐いてまた歩き始めた。
「勇者が魔王を倒して平和になったなんていうけどさ。ニンゲン以外の種族が差別されて迫害されて、モンスターだって冒険者に必要以上に殺されて。むしろ昔より殺伐とした世界になっちゃってると思うんだけどなあ」
「…………」
「魔王の支配だって、どっかのアホな国が魔族を理不尽に虐殺とかしなければ始まらなかったかもしれないのにね。魔族以外の種族も元々が今と似たような扱いを受けていたから、魔族についてニンゲン達に抵抗しただけだし」
二人は広場を抜け、宿や酒場などが立ち並ぶ通りへと入る。
ここを左に行けば
「勇者は今、何をしている」
「え? ああ、なんか行方不明なんだって」
「……どういうことだ」
「わからないの。それぞれの故郷に帰っていた五人の仲間ともども、全く同じ日に忽然と姿を消したらしいんだ」
いまいち要領を得ない情報だが、その真偽はわからない。
少なくともクーリャが学園で学ぶような歴史には、その事実が記されていないということか。
「そして今から三年前にあいつらが……『
「『光翼の征剣』……」
それはロウギにとって馴染みの無い言葉だが、数日前に思わぬ邂逅を果たした。
彼は冒険者達からも英雄のように称えられていた。
「『光翼の征剣』は行方不明になった勇者の末裔を名乗り、世界の平和を維持するためのシステムとして『冒険者協会』をつくった。モンスターの討伐を積極的に謳い始めたのも、魔族に懸賞金がかけられるようになったのも、あいつらが現れてからのことだった」
「その時、お前達は何をしていた」
「生き残ってた魔族はいくつかのグループに分かれて、素性を隠しながら別々の場所で静かに過ごしてたよ。あたしとエコ様が他の仲間と一緒にいたのはヘイルラントの最南端にある『海都リヌレ』ってところ。でも魔族がいることがバレちゃったんだろうね……そこにも『光翼の征剣』の一人が現れて」
クーリャは少し考えるような間を空けてから、
「それで……まあ、色々あったんだけどさ。あたしは仲間からエコ様を託されて、どうにか逃げ延びたの。それが、だいたい二ヶ月くらい前」
「エコは何者なんだ」
「なんか十年前に倒された魔王の子って言われてるよ」
「なっ! 魔王の子……だと?」
「いや、本当かは知らないよ。別にどっちでもいいし」
ロウギは驚きを見せるが、クーリャはあっさりそれを流す。
しかし続く言葉には、わずかに悲しげな色が含まれている気がした。
「……エコ様はどうかわからないけどさ。少なくともあたしは仲間をやられたことの復讐みたいなのは考えてないよ。普通に生きれたらいいし、あたし達を逃がしてくれた仲間も、それを望んでくれてる。だから」
そこで前を歩いていたクーリャが足を止める。
クーリャの視線と意識がこちらに向くのを感じとり、ロウギもまた足を止める。
「エコ様には調教師になって欲しいんだ。魔族なんかがこの世界で生きていくためには何かしらの肩書があった方が都合がいいだろうし、モンスターを仲間にできるっていうのもイザというとき心強いでしょ。ほら、あたしたちって正義の味方の冒険者様を頼れないからさ」
「……なるほどな」
「そうだ。あなた、なんかオークに変身できるんでしょ。モンスター役もできるってことだよね。エコ様のパートナーやってよ」
「忘れたのか。俺は……いや」
ロウギは真面目な口調で言う。
「一つ忠告しておく。調教師はやめておけ。あの子には向いていない」
「えっ、なんで?」
「モンスターを恐れることを知らないからだ。いずれモンスターに殺されるぞ」
ゴーンゴーンという重厚な音が遠くから聞こえてくる。
『聖翼教』の教会が鐘を鳴らして町の人たちに時間を報せているのだ。
時は誰にも等しく刻まれる。命ある限り朝は訪れる。平和な世界は、こうしていつまでも回り続ける。まるでそのことを象徴しているかのように。
音が止んだ時、ロウギの言葉に対してクーリャは疲れたような声で言った。
「ほんとそれ」
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