第19話 泡沫の夢

 戦いの始まりは覚えている。

 それは確かに一つの出会いからだった。


「ロウギくんだねこんにちは」

「何だお前は」

「人呼んで魔王」

「……は?」


 百ほどの同朋が住まう集落。

 その入口にある岩場でいつも通り見張りをしていた時のこと。


 そいつはいきなり現れたかと思えば、人を食ったかのような態度で声をかけてきた。

 顔を知らず、明らかに同朋とは違う空気を放つ者の来訪に、当時の自分が警戒をあらわにしたのは当然だろう。


 ましてや、その者の首筋から頬にかけて刻まれた黒い茨のような紋様と、灰がかった色素の薄い髪。それはとある種族の証に他ならなかった。


「聞いているぞ。魔族が他の種族を仲間に引き入れ、人間たちを滅ぼし尽くそうとしているとな。お前たちはこの世界を支配するつもりなのか?」


 しかし相手はニタニタと子どもじみた笑みを浮かべながら、


「君たち『鬼人』は東方の島国の人間を全て喰らい尽くし、新たなゴハンを求めてこの大陸を訪れたんだってね。人間っておいしいの?」

「ふざけるな。人間など喰らうはずがないだろう」

「それは僕達も一緒だってば」


 魔王を名乗る者はやれやれと首を振る。


「この世界を支配だなんて、そんな意味のないことはしないよ」

「なに……?」

「けどね。わかりやすい悪に仕立て上げられた僕達は、いずれ本当に滅ぼされてしまうかもしれない。人間の大半は愚かしいウンコだが、それ故に厄介だ」


 魔王は続ける。


「聖翼教のアホ共に煽られる形で人間の国々は五大国を中心に結束しつつある。それに妖花人の女王――『星喰い』が地脈から詠んだ史実によると、そう遠くない未来に『勇者』なる存在が人間の希望となり、やがて僕達にとって大きな脅威となるらしい。もはや戦いは避けられないだろう」


 色素の薄い瞳が、淀みなくこちらを見つめる。


「僕達と一緒に戦わないかい?」

「何故だ」

「決まってる。生き残るためだよ。人間が我々を滅ぼし尽くそうとしているのなら、我々も結束して備えた方がアンシンだろう? 違う?」


 理屈は理解できる。

 かくいう『鬼人』も人間により数を減らされ、こんな地にまで追いやられてしまったのだ。人間共の脅威。鬼人という種の存亡の危機。いずれも身に染みている。

 だが。


「魔族……いや、『魔王』。お前は信用できるのか?」

「どうだろう。今のところ『妖精』と『妖花人』は仲間になってくれたよ。他も誘ってはいるけど『エルフ』は無駄にプライド高いからガン無視、『獣人』は数が多すぎて無理ゲー。あとは『死人』は人間寄りだから扱いがビミョーで魔族の中でも見解が分かれてるし『竜人』は純粋に怖くてまだ声かけらんない」


 信用を疑われているにも関わらず、魔王はあっけらかんと言う。

 その口ぶりからしても成果は今一つらしい。


「それで俺達が次の標的になったわけか」

「うん。だから鬼人のエラい人と話がしたいんだ。会わせてくれないかな?」

「……俺は誰もここを通す気はない」

「そうか。鬼人のみんなを仲間に引き入れるには、どうやらまず門番である君の信用を得ないといけないようだね?」


 有無を言わせぬ拒絶を示すロウギ。

 それをものともせず、どこか楽しげに笑う魔王。

 二人の間に剣呑な空気が生まれ、無言の膠着状態が続く。


 それを破ったのは幼い声だった。


「おーい。おおーい」


 駆け寄って来たのは二人の幼い少女だ。


「ロウギー。ロウギー。ごたんだよーごはん」

「ふふっ。ロウギ様。昼餉の時間も忘れるなんて、一人で何を考えていたのかしら?」


 白い着物と紫の着物。

 いずれもその額には、同朋の証である角が生えていた。

 白い着物の少女が見知らぬ訪問者を指差して言う。


「んー? 一人じゃないよ? このひと、だれー?」

「お前達は何も心配することは無い」


 ロウギはそう前置きすると、毅然とした口調で返す。


「リジュ。向こうへ行っていろ。俺もすぐに行く」

「うぇー……?」


 白い着物の少女がぽけーっとロウギを見上げる。

 そしてふるふる首を振りながら、


「やだー。わしはロウギの指図だけは受けないゆえ!」

「おい」


 リジュと呼ばれた少女がババッと戦闘態勢をとる。

 ロウギに向けて突き出した手をクイクイと挑発的に揺らす。


「言うことを聞かせたくば、二十順以内にわしを倒してみよー。それが武人の流儀であるがゆえ! さあ、かかってこい。さあっ! さあっ!」

「……セリナ、リジュを連れて先にいっててくれ」

「わかりました」


 ロウギの呆れた声に、紫の着物の少女はこくりと頷く。

 そして幼いながらも妖艶な笑みを湛えながら。


「まさかあのロウギ様が昼間から見知らぬ方と逢引をされてらっしゃるとは。ふふっ。確かにこれはリジュには見せられないですものね?」

「アイビキ……? そうか。今日の昼餉は肉団子か」

「ええ。今日はかの『はんばーぐ』に挑戦しました。重厚な味わいとまろやかな触感をもたらすべく厳選したウシとブタの合い挽き肉を用いて……ってその合い挽きじゃなくてぇ!」


 先ほどの妖艶な雰囲気は見る影もなく、ぜえぜえ息を吐く紫の着物の少女。

 そして見知らぬ訪問者にちらっと目を向けると。


「まあ、私達は何も心配していませんよ」


 何かを察するような怜悧な色を瞳に浮かべた。


「ロウギ様が守ってくださるおかげで、私達は今日も平和に暮らせるのです」

「おー! テンカムソーでシジョーサイキョーなんだけが、ロウギのトリエだからな!」


 そう言い残し、二人の幼い少女が去っていく。

 訪問者はそれを見送りながらニタニタと笑っていた。


「へえー。可愛い子たちだったね」

「無様なところを見られてしまったな」

「なにが? とても慕われているようじゃないか」

「ふん」


 いずれにせよ、偶然にも現れた二人の存在がまたロウギの決意を強くした。


「そういうことだ。悪いがお前達に構っている余裕はない」

「えっ。なに。そういうことってどういうこと?」

「鬼人の角は奴らにとって価値があるらしくてな。力のない女子供が狙われている。俺はここを守らないといけない」

「知ってるよ。そんな君達だからこそ、一緒に戦いたいんだけどね?」


 魔王を名乗る者は、そう言って頬を綻ばせる。

 思わず心を許してしまいそうになる、子どもみたいな表情で。


「でもいいことを聞いたよ。言うことを聞かせたくば二十順以内に倒す。それが鬼人の戦士の流儀なんだって?」

「それがどうした」


 魔王は「一順ってカードゲームで言うところの一ターンだよね」「うん、この路線ならイケそう」などブツブツ呟いたかと思えば、顔をあげて勝気な笑みを刻んだ。


「二十順以内に君を倒す。それができたらここを通してもらうね」

「いいのか。俺は鬼人で最強の戦士だぞ」

「へええ……? この魔王を前にがどれほどのものを見せてくれるか楽しみだよ」

「……なるほどな。くだらない問答を交わすよりは、お前のことを試せそうだ」



 ――そして二十順後。


「むり、むり」


 地面に突っ伏してぜえぜえ呼吸を荒げる魔王がそこにいた。


「というかこっちは極大殲滅級の魔術をガンガンぶっ放してるんだからさ! 君もガンガン攻撃してきなよ! 『氣』だか何だか知らないけど防御力にバフかけまくって自然回復なんかまでしてさ! 君ほどの戦士にそこまで守りに徹せられたら、何ターンかけても倒せるわけないじゃないか!」

「知らん。約束だ。帰れ」

「ぐう……わ、わかった。今日のところは帰るよ……」


 魔王は力なくうなだれると、やけに素直な言葉を口にした。

 しかし簡単に引き下がる気もないらしく。


「ね、ね。またチャレンジしに来てもいい?」

「……そうだな。ここを通す気はないが、お前が来ることまでは止めようがない」


 ロウギの返答は、しかし完全な拒絶を意味するものではなかった。

 魔王との二十順が、鬼人の戦士の心を少しだけ変えたのかもしれない。

 ロウギの言葉を受けた魔王はニンマリと笑った。


「よし。今度は仲間を連れてこよう。一人だと戦略性もクソもないからね」

「好きにしろ」



 ――そして一月後。


「ということでまた来たよ。仲間も一緒にね」


 宣言通りまた現れた魔王。

 同じく宣言通り、今回は仲間を引き連れていた。

 その数は三人。魔王が得意げに言う。


「紹介しよう。まずは【災禍狂宴】こと妖精のメルチェくん。六つの属性魔術を同時に操る天才だ。次に【星喰い】こと妖花人のエンハーブ。世界中に根を張って無限の成長と増殖を繰り返す化物。そして【惨姫】ことエルフのイセス。剣を極めながらも快楽に負けて精霊に心と体を差し出したクソビッチ」


 ようは『妖精』と『妖花人』と『エルフ』それぞれを束ねる王だった。

 その力は一人一人が『魔族』の王である『魔王』に匹敵するという。

 さすがのロウギも引いた。


「……おい。さすがにこれはどうなんだ」

「さあ、二回目のチャレンジだ。でもこっちは四人いることだし、二十順じゃなく四で割って五順にしておくのがフェアかな?」

「四人がかりで挑んでくるのがフェアなのか」

「うるさい! そこまで言うならじっくり二十順かけていたぶってやるから覚悟しろ! 泣いて謝ったところでそれも一順にしかカウントしてあげないからな!」


 魔王を含む四人が臨戦態勢をとる。

 四対一という理不尽な展開。魔王はともかく他の三人まで乗り気なのは意味が解らないが、やるしかないのだろう。


「いいだろう。全力でかかってこい! ただし今回は俺も反撃させてもらうがな」


 言いながら、ロウギは巨大な金砕棒を手に取った。

 その長さは十八尺と、自身の身長をも優に越す武器だ。名は『玄耀』という。


「へえ。それがかつての君の相棒である『無双の矛』の獲物か。鬼人最強を名乗るとは傲慢かと思えば、同志より引き継いだ意思故の信念というわけだ?」

「くだらん問答はいい。いくぞ!」


 そこから始まったのは、言葉で表せないほどの激闘だった。

 たったの二十順。

 しかしロウギにとってはこれまでの戦いの中で最も心の踊る二十順だった。


 戦いを経て改めて知らされる。

 魔王の率いる魔族が何のために戦っているのかを。

 他の種族達が、何のために魔王の元に集まろうとしているのかを。


 そして。


「よし! 『鬼人』をゲットしたぞ。脳筋勢の中だと『鬼人』が一番チョロそうだったからね! 正直いけると思ってた! 残る脳筋勢もこのまま一気にいこう!」

「馬鹿にしてるのか?」


 しかし『鬼人』という種族の判断に、一介の戦士が異を唱えられるはずもない。

 なによりロウギ自身、志を一つにする価値があると思ってしまっていた。


「大した戦力にならんぞ。東からここに逃れた同胞はせいぜい百程度。しかも大半は戦闘の出来ない女子供だ」

「その分、鬼人の戦士は武を極めた一騎当千のツワモノ揃いと聞く。さっき身をもって知らされたばかりだからね。むしろ心強いよ!」


 全てはこの世界を生き抜くため。同じ種族の仲間を守るため。

 その決意こそが戦いの始まりであり。

 戦士であるロウギにとっては、それが全てだった。



 ●●●



 目を覚ます。

 そこは深い森の中だった。


 未だに夢を見ることがある。

 鬼人の戦士としての過去。かつての戦いの日々のこと。


(そうか。戻ってきたんだったな)


 一人で彷徨い続けた果てに辿り着いたのが『ラグローの森』。

 ここでまた二人の少女と出会い、森を出たのはいつだったか。しかし今はその少女の姿も既になく、これもまた泡沫の夢でしかなかったのだろう。


 命ある限り悪夢は続く。

 今日もまた、オークとしての一日が始まる。

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