第18話 静かな朝の別れ

 ゼペルの町にある宿屋、そのとある一室。

 二つあるベッドの一つにはオークが横たわっていた。

 もう一つのベッドに腰かけてそれを見下ろすのは、薄い寝間着姿のクーリャだ。

 

 ――あの後。


 キャンプ地にいた行商人達があの場にいた全員を馬車で送ってくれたこともあり、クーリャ達はなんとか無事にゼペルまで戻ってくることができた。あとは検問にいた顔見知りの衛兵に協力していただき、なんとかオークを町の中に入れると共に、ある宿屋まで運びこむことができたのだ。


 マンティコアの襲撃。その後にあった色々なこと。

 それは半日近く経った今でも、クーリャの脳とか心に深く刻まれている。そのせいか、疲れているはずなのに目が冴えに冴えていて、全く眠れる気がしない。


 そしてロウギもまた、ベッドの上で瞳を閉ざしている。

 ボロボロだった全身の怪我や毒はクーリャの魔術でほぼ癒されているにも関わらず、まるで魂が抜けたように動かないのだ。


「ねえ」


 クーリャはぼそりと声をかける。


「……安心して。エコ様はとっくに寝てるから」


 クーリャが腰掛けるベッドでは、エコが布団にくるまって寝息を立てている。

 しばらく待つと、やがてオークはゆっくりと目を開いた。虚ろな瞳でぼんやりと天井を見上げている。


「やっぱり起きてた。まったく、意識があるんなら反応しなよ。さっきまで心配したエコ様がずっとあんたに声かけてたの、わかってたでしょ……ああ、もう、別にいいんだけどさ」


 クーリャは面倒くさそうに頭をかくと、ロウギを真っすぐに見た。


「とりあえず、先にお礼言っとかないとね」

「……お礼?」

「エコ様を……みんなを守ってくれて、ありがと。オークのくせにマンティコアを圧倒できるくらい強いのは相変わらず意味わかんないけど、それについては本当に感謝してる」

「…………」

「さて、余計な時間くっちゃった。てか、エビシラ山脈を超えるはずが結局ゼペルに戻って来てるし。少し休んだら、すぐにでもここを出ないとね」


 ふわあ、とクーリャは大きく背伸びをする。

 裾が持ち上がってわずかに見えたおなかをササッと慌てて隠しながら。


「……あなたも、一緒に来てくれるんでしょ」


 町の外はすでに明るい。しかし宿の外からはたまにトリの鳴き声が聞こえるくらいで、住人達による喧噪は届いてこない。町が起きるにはまだ早い、そんな静かな時間のようだ。


「マンティコアと戦っていた時の俺はどうだった」

「え、なに急に」


 ロウギからようやく発せられた、まともな言葉。

 クーリャは突然のことに戸惑う。昨日の戦いのことなら、確かに色んな感想がある。しかしそれを上手く表現する言葉が見つかるかは別の問題だ。


 ロウギも答えを求めていたわけではなかったのだろう。

 少し間を置くと、やがて勝手に語り出した。


「俺の故郷での、戦いにおける考えのようなものでな。自分と相手が互いに一度ずつ攻撃するまでの間を便宜上『一順』と数えることがある。もちろん戦いはそれほど単純なものではないし同時に多数を相手取る場合もある。あくまで一つの目安だ」

「……は? はあ」

「今の俺の場合、二順までならば特に問題はない。しかし三順あたりから頭痛が始まり、五順を過ぎれば理性をほとんど失ってしまうようだ」

「え、えっと……」


 いきなり饒舌になったかと思えば、よくわからない解説が始まった。一順って。なにそれ。王都とかで流行ってるカードゲームでいうところの「一ターン」というやつだろうか。

 いや、それよりも。


「頭痛? どういうこと? もしかして、そういう病気とか」

「忘れたのか。俺が危険種のオークであることを」

「……それは」


 もちろん忘れてはいない。

 このオーク、普段はオークの姿をとりながらも何故かヒトとしての理性を持っている。しかし確か一定の条件下でその理性は失われ、オークとしての衝動に呑まれるのだった。


 それはまさにオークと言うべきか、若い女を見ると欲情して暴走するというもので。

 実際に、それらしい反応も何度か見た。


「破壊衝動。戦闘における興奮状態に入ると、それは発現する」

「戦いでも、若い女の人を見た時みたいな暴走をしちゃうってこと?」

「ああ。マンティコアを五順で倒しきれなかった俺はその衝動に呑まれ、暴走した。衝動のままに目に映ったあらゆる生物を破壊するだけの存在へと成り果てていた。マンティコアを倒すまで手を止めることはなかっただろうし、その後も俺は止まらなかった。他の手近な獲物へと標的を変え、攻撃を続けていたはずだ」


 確かに、思い当たるところは何度かあった。

 それはロックハンターの群れを相手にオークとミノタウロスが共闘した時のこと。全ての敵を倒したにも関わらず、オークは何故か味方であるミノタウロスに襲い掛かっていた。その前、グレイブグラブを追い払った後も頭をおさえ、少し様子がおかしかった。


「なんか、戦いを避けてるんじゃないかとは思ったけどさ……」


 このオークと最初に出会った時は冒険者から逃げ回っていたし、東エビシラ山道でモンスター追い払うように頼んだ時も、何故かためらっているようだった。

 マンティコアにも負けないくらい、ムチャクチャ強いはずなのに。


「最初はこれほどではなかったんだがな。オークに変えられてから十年、どうやら衝動は時を経るにつれ強くなっているらしい。いずれ俺の理性は完全に消え、完全なオークへと堕ちることだろう。そうなれば、戦闘では暴走し町では女を襲うだけの、正真正銘の危険種だ」

「……」

「あの時、理性を取り戻せたのはただの奇跡でしかない。俺は……俺を止めようとしたエコを撃つところだった」

「そっか。ずっと、そのことを気にしてたんだね」


 怪我や毒を治されて、気を失っていたわけでもないロウギがずっと動かなかった理由。ようは自分を責め続けていたのだ。

 オークとしての暴走。一方でロウギとして残された自我が、それを許さない。


「だから俺はもう、お前たちと共に行くことはできない」

「そっか……そっかあ」


 クーリャはどこか投げやりに口を開く。


「エコ様、悲しむだろうなあ」

「世話になったな」

「ううん。こちらこそ。……付き合わせちゃって、ごめんね」


 それが最後に交わした言葉だった。


 エコが目を覚ました時、ベッドの上にオークの姿は既に無く。

 逃げちゃった。

 クーリャは、ただそう伝えた。



 ●●●



 ゼペルのとあるオープンテラス式のカフェにて。


「おっしゃあ! これで星六つ目!」

「上級冒険者まであと一つかァ。そう考えるとすげェよな!」

「懸賞金もたくさん貰えたよ! なに買おう! なに買おう!」


 朝も早い長閑な空間に、騒がしい声が響き渡った。

 何人かいた客が思わず顔をしかめるが、『ヘルズベア』を名乗る三人の冒険者がそんなことを気にするはずもない。喧しく声をあげながら一つのテーブルに向かっていく。


 そこには白いマントを纏う少年がおり、朝食のサンドイッチを手にしていた。

 三人は少年と同じテーブルの空いた席へどかどかっと腰を下ろし、リーダー格である無精鬚の男、アンガスが口を開いた。


「なあ。本当に良かったのか、デュラン君よ」

「なにがだい?」


 デュランと呼ばれた少年は、サンドイッチを口に運びながら小さく笑う。


「『赤毛のマンティコア』討伐を、俺達の手柄にしちまうことだよ」


 先ほど『ヘルズベア』の三人は、ゼペルにある冒険者ギルドへとマンティコアの千切れた足と尻尾を持ち込んでいた。それでもってギルドは『赤毛のマンティコア』の討伐を正式に確認。その実績は、証拠となる体の一部を提示した三人のものとなった。


「別に構わないさ。そもそも僕に星は必要ないからね」

「さっすがあ! 最高位の冒険者サマは言うことが違うよねえ」


 マンティコアを実際にねじ伏せた少年は、まさにその肩書に恥じない強さを見せた。三人は各々それを賞賛しながら、通りがかったウエイトレスに料理の注文をする。朝っぱらから肉料理を頼む者もいるが、大量の懸賞金が手に入ったので金額を気にする必要もない。

 ミュッセがテーブルに突っ伏しながら言う。


「そういえばマンティコア、なんかヘンな石に吸いとられてたよね。なにあれ?」

「あんたの起こした風の力も、同じ石によるものなんだってなァ。ええと、なんつったっけか」

「『魔煌石』。君たちも話くらいは聞いたことがあるだろう」


 ミュッセとレイターからの疑問に、デュランは答えた。


「モンスターを霊的に分解して生かしたまま封印し、必要に応じてその力だけを引き出す。とは言っても、詳しい原理までは僕も知らないんだけどね」

「デュランの剣についてた石にも、何らかのモンスターが封じられてるわけか」

「風を操るモンスターってとこか? さぞかし大物なんだろうなァ」

「いいなーいいなー。なんかかっこよさげだし」


 興味深そうに反応する三人。

 デュランは水で喉を潤すと、そんな三人に向けてさらりと言う。


「よかったら使ってみるかい?」


 デュランは三人の注目を受けながら、懐から黒い巾着袋を取り出す。

 中に入っていたのは、三つの指輪だった。

 それぞれに淡い色彩を放つ小さな石がつけられている。


「なにこれ。キレイ」

「まさかこれも『魔煌石』ってやつか?」


 デュランは指輪の石を指先でコツンと叩きながら、


「ああ。もっとも、見ての通り通常のものより小さいからね。封じられているモンスターも、僕が扱うものやマンティコアほど強力なものじゃない」

「これをアタシたちに? アタシたちにも、あんな力が使えるの?」

「『光翼の征剣クラウソラス』サマだけ特権じゃなかったのかよ?」


 アンガスの皮肉めいた言葉に、デュランは苦笑する。


「僕達にしか与えられていないのは、別にその力を独占するためじゃない。強力であるが故に危険を伴うからだ。けど今は研究も進んで、量産も視野に入れ始めたみたいでね。その実験なんかも、僕達に仕事として与えられているんだよ」

「へえ、実験ねえ。で、俺達はその手頃な実験台ってわけか?」

「話が早くて助かるよ」


 アンガスの言葉にまたデュランは肩を竦める。


「マンティコア討伐を君達とおこなったのは、あくまで成り行きでね。僕にはこのゼペルで別の果たすべき使命がある。今度はそれを君達にも手伝って欲しいんだ」

「使命……?」


 その少年らしいあどけない笑みに底知れない何かを感じつつも、


「まあ、なんでもやらせてもらうぜ」


『ヘルズベア』のリーダーはニタリと笑い、当然のようにそう返した。


 相手はまだ少年とはいえ、冒険者協会の頂点に君臨する『光翼の征剣』の一人。

 一万を超す冒険者の中でも十人程度しかいないとされ、単独でAランクのモンスターすら相手にできるほどの強さを誇る。現代の勇者として扱われ、その影響力はある意味で一国の王すらも凌ぐとさえ言われている。


「それで? 『光翼の征剣』サマの抱える使命ってのはなんなんだ?」


 そんな『光翼の征剣』との重要なコネクション。

 冒険者の端くれとして、逃す手はない。


「このゼペルに、ギルドの一つがあるらしいけどさ」


 たとえその先に何が待ち受けていようとも。


調教師テイマー。モンスターと共に在ろうとする彼らのこと、君たちはどう思う?」


 ――正義は我にあり、というやつだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る