第17話 戦いの末路
『赤毛のマンティコア』に相対するロウギ。
拳を構え、戦う姿勢を見せる。
しかし『赤毛のマンティコア』は赤い相貌でこちらを睨むだけで、すぐに襲いかかってくる様子はない。
この状況で介入してきた新たな敵を前に、出方を窺っているというところか。ヒヒの頭を持つだけに冷静で、高い知能を有している。
しかしたとえ言葉が通じたところで説得は不可能だろう。
対等ではないからだ。
ならば力ずくでわからせるしかない。両者の格というものを。
大地を踏みしめる。
深く呼吸し、全身を巡る『氣』の存在を意識。
大地の奔流を地についた両脚から取り込み、氣と共に全身へと行き渡らせる。
――【地剋万象】
ロウギの意識は、大地と一体になるが如く境地へと至った。
「キイイイイイイイイイァァァァァ!」
そこでいよいよ先に動いたのは『赤毛のマンティコア』だった。
雄たけびをあげならロウギへと突進する。
しかしロウギは迫りくるその巨体を前に――ガシィッ!
真正面から受け止めた。
自身の数倍の質量を持つマンティコアの加速を完全に殺し、なおもその両脚は大地に深く根を張る大樹のようにビクともしない。
「グウウ……」
ロウギは敵に組みついていた手を離し、右拳を強く握る。
「ガアアアア!」
そしてマンティコアの頭部へと叩きこんだ。
「キアアアアアアア!」
「グオオオオオオオオオオオオ!」
悲鳴をあげるマンティコアに向けて、二撃、三撃と続けざまに拳を打つ。
反撃の爪がロウギの肩を裂くが構わない。
勢いのままに拳を何度も何度も何度も何度も叩きこみ、
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
渾身の力を込めた一撃がヒヒの顔面を激しく打ち上げた。
マンティコアの巨体がぶわりと宙を舞う。
並んだテントをなぎ倒しながら吹き飛び――ゴオオオオウッ!
崖のようになった岩肌へと叩きつけた。
「な……なんなんだあいつ!」
「オークだと! あのマンティコアを相手に……嘘だろ!?」
荒れ果てたキャンプ地、その端々から冒険者の声が響く。
しかしロウギの意識がそれらを拾うことはない。
(今ので二順……いや、三順か)
ズキンと、頭に痛みが走った。
ロウギはそれを無視して深く呼吸を整え、冷静に標的を見据える。
土砂が煙のように舞う暗闇に、赤い瞳が禍々しく揺れていた。
(……やはり、この程度で倒れる相手ではないか)
四肢をのそのそ這わせ、『赤毛のマンティコア』がその全身を現す。
怒りを示すように赤い体毛が逆立ち――サソリの尾の先端がギラリと光る!
しかし構わずロウギは突貫した。
サソリの尾からトゲが発射されるもそれを真正面から浴びながら強引に突破、
「ガアアッ!」
勢いと体重を乗せた一撃を打ちこむ。
(これで四順……だが!)
ズキン。
頭痛がさらに激しくなる。
痛みに意識が飛びそうになる。
それでも手は止めない。
「ガアアアアアアア!」
左右の拳を振り、ただひたすらに殴る。
内に湧き上がる暴力性に任せ、己の魂ごと叩きつける勢いで殴りつける。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「キア……アアアアアアッ!」
マンティコアも爪や尾を駆使した反撃を繰り返す。その度にオークの体を裂き、肉をえぐる。しかしそれでもオークは一切怯まない。それどころか拳を振るう度に勢いを増すかのように、次々とマンティコアの全身を殴り、嬲っていく。
「あ……あああ……」
その悪夢のような光景を前に、見る者はただ戦慄した。
怪我を惜しまず反撃をものともせず、咆哮をあげながら拳だけでマンティコアの巨体をひたすらに打ち続けるオークの姿は、マンティコアをも凌駕する化物に他ならなかった。
「………………グ……、」
そこで急にオークの動きが鈍る。
拳を構えたまま足を止め、ぐらりと全身を前へと傾ける。
度重なるダメージと、全身を巡る毒による限界がきたのだ。
しかし『赤毛のマンティコア』も動かなかった。
殴られ続けたことによるダメージ――ではない。
恐怖だ。
ヒヒの顔を歪め、シシのような全身を小動物のように震わせている。
「ガアアアア………」
それでもオークは衰えぬ闘争心のままに一歩、また一歩と。
重い体を引きずりながらも、確実に『赤毛のマンティコア』へと向かっていく。
「もう、いい……よ……」
そんなオークの前に立ったのは、一人の小さな少女の姿だった。
自身より遙かに大きいオークの体にひしっと抱きついて。
優しさと悲しみに揺れる声を伝える。
「マンティコアさん、こわがってる、から……」
誰もが戦慄し、マンティコアですら恐怖させた化物を。
まるで慈しむかのように、小さい体で包み込みながら。
「もう、大丈夫、だから……オークさんも、もう、やめよう……?」
エコはオークへと囁き続けた。
「……グウウ」
オークは――ロウギはとうとう力なく膝を折り、エコの傍に体を沈める。
(俺は……)
そこでいよいよ気付く。
今の自分は、一体何をしようとしていたのか。
五順あたりから先の記憶がない。
わずかに戻った意識を周りに向け、状況の把握に努めようとする。
そして――
「おーおー、こんなところにいやがったかマンティコア野郎」
ロウギが最初に拾ったのは、そんな無粋極まりない声だった。
「あはは! ザコい冒険者らがいっぱいやられてる! 痛そー」
「あん? 角付きのオークまでいるじゃねェか……なにしてんだ、あいつ」
無精鬚の剣士。筋肉質の大男。緑髪の女。
ぞろぞろと姿を見せたのは、山道でも遭遇した『ヘルズベア』の三人。
――いや、四人。
「確かに、この状況は想定外かもしれないね」
そこには黒いジャケットと白いマントの少年の姿もあった。
「まあいい。『赤毛のマンティコア』をやるぞ」
「おお、頼んだぜデュラン! 現代の勇者様!」
デュランと呼ばれた少年は悠然とマンティコアの正面に立つと、漆黒の鞘から剣を抜き放つ。
月明かりを受け、銀に輝く刀身。
柄には翼を模したような装飾があり、翡翠色の石がはめ込まれている。
デュランは剣を夜空に向けて高く掲げると、静かに口を開く。
「【凶風】よ。僕に力を貸せ」
少年の言葉に応えるように翡翠色の石が光る。
すると――風が吹いた。
最初は周囲の木々をざわざわ揺らすだけだったそれは、徐々に勢いを増してゆく。ゴオオオオという轟音を立て始め、やがて吹き荒れる暴風へと変わった。
「ぐわああああ~」
「ぎゃあっ!」
マンティコアにやられていた冒険者達が風に煽られ、吹き飛ばされていく。ついでに「ふぎゃあ!」最初に飛ばされた緑髪の女に巻き込まれる形で「おいおい!」「うおォ!」と『ヘルズベア』の三人組も絡まり合って転がっていく。
(ぐ……)
暴風に晒されているのはロウギも同じだ。飛ばされる瞬間、咄嗟に近くにいたエコを抱きかかえた。
大木に背中を打ちつけつつも、どうにかエコだけは守り切る。
(剣が風を起こしたのか……なんだ、あの力は)
吹き飛ばされたことでデュランから離れる形となったロウギ。「エコ様!」と慌てて駆け付けてきたクーリャと共に、デュランの方へと目を向ける。
デュランの前では、ただ『赤毛のマンティコア』だけがその場から動かずにいた。
違う。正確には動けないのだ。
必死にもがこうとしているが、まるで何かに縫い止められたかのように動けない。
その正体は、やはり風だった。強い風が周りからマンティコアを中心にして集まり、まるで竜巻のようになってその巨体を暴力的に抑えつけている。
「おとなしくしなよ」
デュランが剣を薙ぐ。
マンティコアの右足が千切れ飛び、鮮血と共に風に巻き上げられていった。
「キアアアアア!」
痛みに叫ぶマンティコア。
動きを封じられつつも抵抗を試みる。
長いサソリの尾だけをどうにか動かし、デュランの視界の外から棘を放った。
しかしデュランはそれに目を向けることもなく体を動かして回避、また軽く剣を振るうと今度はサソリの尾が舞った。地面に落ちた尾がビチビチと跳ねる。
「元気だね。まだまだ弱らせる必要があるかな」
デュランはサソリの尾をギリギリと靴底で踏みつけながら呟いた。
その光景を前にしたエコが「あ」と口を開き、体を起こす。
「や、やめ――」
「駄目!」
何かを叫びかけたエコの口を塞ぎ、体を抑えつけたのはクーリャだった。
「駄目。本当に駄目なの。あいつらだけは! おとなしくしてエコ様。お願いだから……」
デュランがまた剣を振るう。
刃は届いていないにもかかわらず、マンティコアの肉をざっくりと裂いた。それは風の斬撃だった。剣が振るわれる度にマンティコアの肩を、背中を、目を、足を、額を、次々と切り裂いていく。鮮血がマンティコアを縛る竜巻を赤く染め上げていく。
「キ……ア……ァァ…………」
やがてデュランが剣を止めると、竜巻が治まる。無残にあちこちが切り裂かれたマンティコアの巨体が、ごとりと力なく横たわった。
「安心しろよ。お前のその魂、無駄にはしないからさ」
そう口にするデュランの懐から取り出されたのは、純白の結晶。
マンティコアの全身が淡く光ったかと思うと、いくつもの光の粒子へと解けて純白の結晶へと吸い込まれていく。
光が闇に消える頃、『赤毛のマンティコア』はその姿を完全に消失させていた。
「さすが『光翼の征剣』サマ! まさに現代の勇者だな!」
「えげつねェほどの力……まったく、恐れ入るぜ」
「かっこいい~! しびれる~」
そんな声をあげながら『ヘルズベア』の三人がデュランの元へと戻ってくる。
すると周りの冒険者達も「『光翼の征剣』だと?」「あの少年が……」驚きと戸惑いの言葉を漏らし、やがて「わああああ!」と歓喜の声をあげた。それは『赤毛のマンティコア』を倒し、自分達を救った英雄を称えるものだった。
「……あれが冒険者の頂点だよ」
クーリャが小さく言う。
「最上位である九つ星冒険者のさらに上。現代の勇者として持て囃される、英雄の中の英雄。『
「…………」
歓声がロウギの頭をぎんぎんと不快に響かせる。
英雄の登場に湧き上がる光景を最後に、今度こそロウギの意識は途絶えた。
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