第16話 『赤毛のマンティコア』

 その夜、冒険者の集まるキャンプ地をマンティコアが襲撃した。

 月明かりがそのシルエットを闇に浮かび上がらせる。


 シシのような四足の体躯。

 ヒヒに似た顔。

 サソリの如き尾。

 コウモリを思わせる翼。


 様々な生物が入り交じる混沌とした姿は、見る者にそれが常識の範疇を超えた正真正銘のモンスターであることを否が応でも想起させる。

 返り血を浴びたかのような赤い体毛こそが『赤毛のマンティコア』と呼ばれる所以か。冒険者数名をまとめて丸のみにできそうなくらいの巨体や、鋼鉄すらもたやすく引き千切ることのできそうな鋭い爪牙も含め、その全てが獰猛な肉食獣特有の生々しさを孕んでいる。


「出現場所はもっと西の方だったはずじゃ……どうしてここに」


 冒険者達の心情については、誰かが漏らした一言が全てを物語っていた。

 それもそのはず。『赤毛のマンティコア』の存在が確認された場所は、同じエビシラ山脈でもここより遙か西にある一帯だ。

 いくら討伐を目的に集まったとはいえ、実際の戦闘を想定していたのはまだまだ先の話。アンティコアの様子を探りながら集団でキャンプ地ごと移動するつもりだったのだろう。ようは戦うための心の備えがまだできていない。


「くっ……だが、これはチャンスだ!」

「やってやるぜええええ!」


 しかし、そこは腐っても冒険者だ。

 マンティコアほどの大物ではなくとも、数々のモンスターを討伐してきただけの自信がある。しかもここは冒険者の集まるキャンプ地のさ中。圧倒的な数的優位にあるという条件も、彼らの心理的な負担を軽くした。


 むしろ高額な懸賞金のかかった標的が目の前にいる。

 その事実へと気持ちを切り替えることができた者から、我先にと『赤毛のマンティコア』へと向かっていった。


「くたばれ化物!」


 いくつもの剣や槍が『赤毛のマンティコア』に向けて振り下ろされる。

 しかし肉が想像以上に固いのか、その刃は思うように進まない。マンティコアの巨体にとってはカスリ傷にもならない。一方、マンティコアが横薙ぎに振るう爪は冒険者達の纏う金属製の鎧すらも紙クズのように簡単に切り裂き、「ぎゃああっ!」鮮血をまき散らしていく。


「この距離なら外さねえぜ!」

「焼き尽くしてやる! 【火焔爪フレイムクロウ】!」


 遠距離から放たれた攻撃も同様だった。

 矢はマンティコアの肉体に刺さることなく弾かれ、魔力で構成された炎の斬撃も体毛をわずかに焦がすのみ。結果、ただ獰猛な獣の注意を引くだけとなり、「ひいいい!」哀れにも次なる獲物として血の海に沈められていく。



 ●●●



 ロウギ達はその凄絶な光景を遠巻きに見ていた。


「ああ、もう! やっぱ役立たずばっかじゃん! そりゃあ出現場所から離れた安全圏でのんびりキャンプ張ってるような連中に期待なんて、これっぽっちもしてなかったけどさ!」


 状況を見ていち早く動いたのはクーリャだった。

 寝起き状態からすぐに覚醒し、散らばった荷物を慌ててバッグに詰め込んでいく。


「とっとと逃げよう。マンティコアなんか、あたし達にはどうでもいいんだし!」


 まだ目をこするエコを抱き上げ、「ほら、あんたはエコ様持って!」と強引にロウギの胸元へと押しつける。


「…………」

「ってこら! なにボーっとしてるの!」


 げしっ。

 クーリャが苛立たしげにロウギを蹴る。

 ひとまずロウギは言われるがままにエコを肩に抱え直し、バッグを背負った。


「……あの、まんてぃこあさん」


 抱きかかえられたエコが、ぽつりと何かを漏らす。顔がロウギの後ろを向く形になっているエコには、キャンプ地の様子が見えているらしい。


「つらそう……痛がってる、よ……」

「…………?」


 ロウギは暗がりに目を凝らし、マンティコアの姿を確認する。

 確かに、体のあちこちに痛々しい傷跡があった。しかしそのほとんどが、このキャンプ地でつけられたものではないだろう。


 同じく懸賞金をかけられ、冒険者に狙われ続けてきたロウギにはわかる。

 冒険者との戦いが繰り返される毎日。

 肉体は傷付き、その度に精神もすり減らされていく。

 山の反対側で発見されたはずの『赤毛のマンティコア』が今この場所にいるのも、結局は冒険者に狙われ追いやられた結果に違いない。


 だからこそ――ロウギには自業自得としか思えなかった。

 無残にも返り討ちにあった冒険者達が夥しい量の血を流して倒れていることも。

 まだ武器を構えた数名が恐怖の表情で体を震わせていることも。



 ●●●



「駄目だ。勝てねえ……」


 冒険者の誰かがそう口にしたのが最後だった。

 キャンプ地に張り巡らされていた緊張の糸がぼつんと切れ、恐怖が一瞬にして伝染していく。


「わああああああ!」

「こ、殺される! 助けてくれええええ!」


 散り散りになって逃げる冒険者達。

 誰もが理解したのだ。

 モンスターを狩ることを日常とする冒険者も、より強大なモンスターの前では捕食されるだけの弱者でしかないということを。


 しかし『赤毛のマンティコア』は止まらない。


「キアアアアアアアア!」


 キャンプ地に降り立って初めてあげる雄たけびが、大気を寒々しく震わせる。

 その意味は怒りか、あるいは狩りを始める喜びか。


 手近な獲物へと赤い眼を向け、疾走を始める。

 追う者と追われる者が逆転する阿鼻叫喚のさ中。


 ――-まだ『赤毛のマンティコア』へと立ち向かう二つの影があった。


「準備はいいかしら?」

「ヌウウ」


 小さい少女と、その傍らに立つウシの頭部を持つ大柄なシルエット。


「今日を締めるにはちょうどいい相手よ。倒してみせなさい」


 ユザリアとジュリアスだった。

 ジュリアスが背負っていたバトルハンマーを手にする。

 そしてユザリアは後方でぶつぶつと何かを呟きながら、教鞭を杖のように振るった。


「【蔓よ、縛れバインドウィップ】」


 ユザリアがそう口にすると同時、キャンプ地を取り囲む木々や植物からいくつもの蔓が延びる。それは束になって太さを増しながら、一気に『赤毛のマンティコア』へと向かった。

 同時にジュリアスも走る。

 魔術で強化された蔦が四方からマンティコアへと迫るタイミングで接近、


「ヌモオオ!」


 バトルハンマーを力任せに振るう。

 ズゴウという鈍い音と共に、マンティコアの巨体を大きく揺らした。


「キアアアアアアッ!」


 直後にマンティコアからの反撃の爪がきらめくも、それをダンスを舞うかのような足取りで回避、流れるような動作で横やりからまたバトルハンマーを打つ。


 幾重にも迫る蔓の妨害もあり、ジュリアスは『赤毛のマンティコア』を相手に互角以上の立ち回りを見せていた。爪や牙による攻撃を武器で防ぎ、時には華麗なステップで完全回避する。冷静な動きで相手を翻弄しながら、バトルハンマーによる一撃を確実に叩きこんでいく。


 一方で、ユザリアの操る蔓は敵の全身を少しずつ絡め取っていた。

 やがて数十を超す蔓の束が、マンティコアの動きを徐々に封じ始める。

 ユザリアがまた何かをぶつぶつ呟き、囁くように告げる。


「【花よ、眠りへと誘えスリープフォール】」


 マンティコアを縛る蔓からいくつもの花弁が生まれ、一斉に花開く。

 雪のようにひらひらと黄色い粒子が舞い降りた。マンティコアの体に触れると溶けるように消え、逃れようともがいていた全身の力を失わせていく。


 その正体は、標的を眠りと誘う魔力の花粉。

 やがてマンティコアのヒヒの顔がゆっくりと瞼を落とし、その巨体をうつ伏せに沈めた。眠りに落ちるように――その動きを止めた。


 ●●●



「す、すごい。さすがミノタウロス……あとユザリアも」


 クーリャが関心したように言う。

 逃げることも忘れ、思わずユザリアとジュリアスの戦いに見入っていたのだ。


調教師テイマーって、ただモンスターを扱うだけじゃなくて自分も冒険者としての何らかのスキルを持ってる場合がほとんどなんだって。ユザリアって子の場合は『術師』で、操る魔術の属性は『木』。まだ小さいのに……あの子、本当にすごい!」

「…………」


 ロウギもまた、険しい表情のまま戦場を見つめていた。

 後方に控えていたユザリアが歩いていく。マンティコアの様子を確認するためか、あるいは戦いを終えたジュリアスを労うためか。


 しかしジュリアスは武器の構えを一切解いていない。

 当然だ。あいつはわかっている。


 ロウギは言った。



 巨体を沈ませるマンティコアの背後でサソリの尾が蠢く。

 先端がギラリと怪しく光り、無数の棘が放たれた。


 ――悠々と歩くユザリアに向かって。


 しかしその前に、ジュリアスが躍り出る。

 ザクザクザクッとヤリのような数本の棘がジュリアスへと突き刺さった。


「キエエエエエエエエエエ!」


 叫びをあげるマンティコア。

 沈めていた体を大きく起こし、蔓による拘束をブチブチブチと強引に引き千切る。

 すぐにジュリアスがバトルハンマーを構えて突っ込むが、今度は簡単に弾かれてしまう。動きが明らかに鈍くなっている。棘によるダメージだけではない。毒だ。棘に含まれていた猛毒が、ミノタウロスの自由を奪っている。


 のそ、のそ、とマンティコアがゆっくりと四肢を動かして進む。

 抵抗する力を失った獲物へと向かって。


「あ……そ、そんな……」


 悲痛な声を漏らすクーリャ。

 つい先ほどまでマンティコアを押していたはずが、一瞬で形勢が逆転してしまった。その状況の変化に頭が追い付かないのだろう。


「…………」


 ロウギは抱えていたエコを地面に置く。


「お、オークさん……?」

「ちょっと、あなた……まさか」

「おまえたちはここにいろ」


 クーリャの耳元で小さくそれだけを伝え、ロウギはキャンプ地へと駆けた。

 二人を連れて逃げる、という選択肢は最初からなかった。そんなに甘い相手ではない。ここにいるエコとクーリャの存在もあの獣には気付かれているだろう。この場で仕留めなければ、山を降りる前に全員が食い殺されるだけだ。


 マンティコアへの距離をぐんぐん縮めていく。

 うずくまるジュリアス。

 それを今度はユザリアが小さい体を張って庇おうとしている――一瞬が命取りだ。


「ガアアアアアア!」


 ロウギは咆哮と共にマンティコアへと突撃した。

 勢いのままにブンッと振るわれた右拳は、後ろに飛んでかわされる。

 しかしそれも想定内。

 咆哮をあげたのも、あくまで敵の注意をこちらへと引きつけるため。


『赤毛のマンティコア』の前に、次はロウギが相対する。


「……ヌウウ(助かりました)」


 ゆっくりと体を起こしながらそう伝えてきたのはジュリアスだ。

 ユザリアは呆気にとられた表情でロウギを見上げている。


「ヌモ、ヌモヌモオ、ヌモオヌモヌモ(ここは私が食い止めます。貴殿はどうか、ユザリア様を連れて逃げてください)」


 ジュリアスはまだ戦う意思を失っていなかった。

 ここからでも彼が本当に命を燃やせばそれも成し得るのかもしれない。

 助けは無用だったのかもしれない。


 しかし先ほどといい、命を張って主だけは守ろうとする精神。

 出会って間もないが、やはり戦士として通じるところがある。死なせたくはない。

 ならば、こちらも戦士としての流儀を貫くべきところだろう。


「グウ、グウグウウ(オークのような危険種に大事な主を託すな。お前が守れ)」


 最初から逃げるつもりなど毛頭ない。

 今の自分は、戦うためにここにいる。


「グウ、グウウ(やつは俺が倒す)」

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