第12話 少女とミノタウロス

 山道を北に向かってひたすら進む一行。

 朝早くからゼペルを発ったが、太陽はもう真上とも言える位置に差し掛かっている。エコは歩きながら「へう……」と気のない声を漏らし、クーリャも暑くなってきたのか制服の裾をバタバタさせて中に風を送り込んでいる。

 二人にもさすがに疲れが見え始めているようだ。


「エコ様、疲れたらオークにおんぶしてもらいなよ」

「だいじょうぶ……オークさんも、戦ってつかれてる……し」

「こいつは平気だと思うけど。でもこのオークがいなかったら、さすがにここを突破するのは無理だったかもね。『グレイブグラブ』なんか想像よりデカくて固そうで、あたしとエコ様じゃ逃げるしかなかっただろうし……」

「うん……オークさん、ありがとう……」


 エコがまたオークの頭を撫でてくる。

 むずがゆい。それでも、なすがままにされているロウギだったが――


(……なんだ?)


 そこで遠くからの音を拾った。

 低い獣のような呻き声。そして、ギンという鈍器同士をぶつけ合うような音。

 少し進むとその原因は判明した。


 三体の武装したモンスターが、別の一体のモンスターを囲んでいる。

 囲まれているのはウシのような頭部を持つ亜人種モンスター――ミノタウロス。

 そしてミノタウロスの後ろでは、高貴そうな黒衣をまとう少女が腕を組んでいた。

 いずれも見覚えがある。


「ゼペルの調教師テイマーギルドにいたコンビだね。確かガキンチョがユザリアで、ミノタウロスの方がジュリアスって名前だっけ」

「……むう」


 気に入らないことでもあるのか、エコはむすっとしている。

 何かを察したらしいクーリャがエコの頭をぽんと叩き、ここから少女とミノタウロスの様子をうかがうことにした。


 ジュリアスを囲む三体は、石製の武装をしたコボルト種。クーリャの前情報によるところの『ロックハンター』だ。三体が石の棍棒で一斉にジュリアスへと攻撃を仕掛けている。

 ジュリアスはその巨体に見合う巨大なT字型のバトルハンマーを構えて迎え撃つが――その戦い方は見た目に反して『華麗』の一言に尽きた。


 ロックハンターの攻撃を後ろに軽く飛んで避けては、軽い足運びでステップを刻む。相手は三人がかりで棍棒を振り回すが、ジュリアスにはカスりもしない。踊るような動きで相手を翻弄しながらも、しかし生まれた敵の隙は逃さない。カウンターのように打ち放たれるハンマーはロックハンターを確実に捉えていく。


 ミノタウロスが動きを止める頃、三体全てのロックハンターは倒れ伏していた。

 それを最後まで見届けた黒髪の少女――ユザリアが、ツカツカとジュリアスに歩み寄る。その小さい手には、教鞭のようなのある短い棒を持っている。


「肩のところ、血が出てるわ。相手の攻撃が軽く掠めていたようね?」


 ユザリアは教鞭を手元でピシピシさせたかと思うと、


 ――ピッシャァァァン!


 ミノタウロスの背中へと一切の躊躇なく打ちつけた。


「グモウッ!?」


 ジュリアスから苦しげな悲鳴があがる。


「どうして怪我しているのかを聞いているの! これじゃあまるで野生の獣同士が戦った後みたいじゃない!」


 ピシィッ! ピシィッ!

 腕を左右に振り、繰り返し教鞭を打ち下ろすユザリア。


「格下を相手に戦闘で圧倒できるのは当たり前でしょう! 私を守る騎士を名乗りたいのなら、コボルトの三体くらい傷の一つすら負わずダンスを踊るかのような優雅さで返り討ちにしてみせなさい! 恥を知れ! このクズ! クズ! クズ!」


 ピシィッ! ピシィッ! ピッシィィィィッ!


「グモッ! グモッ! グモォォォッ!」


 肉を打つ生々しい音と、ミノタウロスの悲痛な叫びが響く。

 その一方的かつ凄惨な光景は、まるで拷問のようだ。


「な、なにをしている、の……!」


 それを見かねて声をあげたのはエコだった。

 クーリャの元から離れてユザリアの方へと駆けていく。クーリャが「エコ様!?」と驚いた声をあげる。


「ひどいことしちゃだめ、だよ……! そのウシさん、いっしょうけんめい戦ってくれたのに……!」

「貴方達は」


 ユザリアの教鞭を持つ手がピタリと止まる。

 しかしそれもほんの一瞬のこと。


「ふん」


 ピシィッと。

 教鞭がまたミノタウロスの背中へと振り下ろされた。


「貴方には関係ないでしょ? これは躾よ。ほら、ジュリアスも喜んでいるわ」

「グモオッ! グモッ! グモッ!」

「痛がってる……! かわいそう、だよ……」


 必死に止めようとするエコ。しかしユザリアは澄ました顔でビシビシと、ジュリアスを嬲る手を止める様子は無い。


「あのガキンチョ、容赦ないわね……」


 それを見ていたクーリャも「うへえ」と表情を引き攣らせたりしているが。

 同じモンスターの性質を持ち合わせるロウギには、ジュリアスが何を叫んでいるのかが鮮明に理解できる。

 それは概ねこんな感じだった。


「ヌモッ! ヌモッ! ヌモヌモォッ! ヌモオオオオオ!

(あうんっ! いい! もっと強く! ありがとうございます!)」


 確かに喜んでいた――ロウギの解釈が間違いでなければ、だが。

 まあ、言葉の意味は別になんでもいい。

 かすり傷一つで厳しい叱責を受けてはいるものの、三体のコボルトを難なく返り討ちにしたことには違いない。その動きを見てもわかった。相当な実力者だ。


 そしてユザリアという少女もタダ者ではない。

 まだ幼いのに、そのミノタウロスを恐れないどころか完全に手玉に取っている。

 これが『調教師テイマー』か。


「もうやめる、です……! 【奈落の泥団子アビスボール】!」

「だああああ~! それ人に向けて撃ったら駄目なやつ!」


 いつの間にかエコとクーリャがわちゃわちゃと揉み合っている。

 その間に折檻を終えたらしいユザリアは教鞭をハンカチで拭くと、涼しい顔をエコの方に向けた。


「どうして貴方がここにいるのかしら」

「たまたま……通りがかっただけ、だよ……」

「ふうん? まだオークなんかを連れているのね、貴方」


 ユザリアは皮肉めいた嘲笑を浮かべる。


「オークがどういうモンスターか、まだわかっていないのかしら。確かに私や貴方には危険は少ないのかもしれないけど、ギルドマスターのパニーさんとか、一緒にいるそこのお姉さんは……」


 言いながらチラリとクーリャの胸元へ視線を向け、


「……お姉さんの方も、危険はなさそうだけど」

「は? あんた今あたしのどこ見て言った?」

「とにかく多くの人にとっては危険でしかないの。そのオークが何か取り返しのつかないことをしてしまった場合、貴方はどう責任をとるつもりなの?」


 ユザリアはエコへと厳しい口調で言った。

 なおユザリアの発言のどこかが気に触れたらしくキレ気味にフレイルへと手をかけかけていたクーリャについてはロウギが羽交い絞めにして制止している。


「オークさんは、いい子……だよ」

「そう。じゃあ貴方がそのいい子に拘る理由はなんなのかしら。オークのランクはD。同じ亜人種の肉弾系でも、ランクAであるミノタウロスの完全な下位互換じゃない」

「ランクなんか、関係ない……よ」

「調教師が低ランクのモンスターを従えて何の意味があるというの?」

「エコは調教師になんか……なるつもりはない……から」


 子ども二人の間でピリピリした緊張が生まれている。

 エコはオークを庇うべく、弱々しくも必死に主張してくれているようだ。ロウギはクーリャを羽交い絞めにしたままその動向を見守っていると、ミノタウロスのジュリアスが近づいてきた。


「ヌモッ」


 低い声でロウギに向けて唸る。突然のことにクーリャは「えっ」と驚いているが、ロウギにはそれが挨拶の言葉だと理解できた。


「ヌモヌモオ。ヌモヌモヌモ(私はジュリアスと申します。以後お見知りおきを)」

「グウ、グウウウ(ああ、こちらこそ)」


 ロウギもまたモンスターの言語で返す。

 するとミノタウロスのジュリアスは顔を伏せ、申し訳なさそうな仕草を見せた。


「ヌモヌモ、ヌモオ(さきほどは見苦しいところを見せてしまいました)」

「……グウ(……いや)」

「ヌモ、ヌモヌモ(あの程度の数を相手に、傷を負ってしまうなど)」

「…………(…………)」


 少女に嬲られて悦んでいたところは、見苦しいことに含まれないらしい。


「ヌモヌモ、モヌモヌモオ。ヌモヌモオ、ヌモヌモノモ、ヌモヌモヌモヌモヌモヌモ(ちなみに傷を負ったのはわざとです。そうすればユザリア様が私を怒ることは予想できましたからね。私にとっては主に褒められるよりも、叱られることこそが何よりのご褒美なのですよ)」

「グウ、グウウグウ(そうか。やはりお前、タダ者ではないな)」


 なお、モプリンよりも言葉が長く意味もはっきりしているのは、モンスターの中でもそれだけミノタウロスという種の知能が高いからだろう。よりにもよって今回はその内容が少し耳を疑うようなものになってしまっているが。


「なんか会話してる!? きもっ!」


 もちろんクーリャにはモンスターの言葉が理解できない。

 二体のモンスターが顔を合わせて「ヌモヌモ」「グウウ」とか唸り合っているようにしか見えていないだろう。


 ともあれ、せっかくの機会だったのでロウギは調教師ギルドでの一件についての礼をしておいた。彼が止めてくれなければ自分はギルドマスターの女性を襲い、取り返しのつかない事態になっていてもおかしくなかったのだ。


「ヌモヌモ、ヌモ(それは仕方がありませんよ)


 ジュリアスは首を振り、あっさりそんなことを言ってくれる。


「ヌモヌモヌモ、ヌモヌモヌモオ、ヌモ(それだけあのニンゲン種の女性が魅力的だった。そういうことでしょう?)」

「グウ……(まあ……な)」


 確かにあのパニーというギルドマスターは、なかなかにものがあった。

 もちろん暴走したのはオークとしての衝動があったからだが、ロウギとしても二度見くらいはしてしまった可能性は十分にある。鬼人という種族の女性は線の細い身体をしているので、あのような肉付きをした女性は希少なのだ。


「ヌモヌモ、ヌモヌモヌモヌモヌモ(わかります。私も時おり、ユザリア様に襲い掛かってしまいたくなるものですから)」

「…………(…………)」

「ヌモヌモヌモ、ヌモヌモヌモヌモヌモ、ヌモオ(しかしそれはまだ早計というもの。私の望みはユザリア様が私より強くなり、襲い掛かろうとした私を力でねじ伏せ上下関係を骨の髄まで叩きこまれることにありますから……それまでは見守らなくてはなりません。それもまた、私の騎士としての本懐です)」

「グウ(そうか)」


 それにしても長い。

 ここまで長ったらしいモンスターの言葉を翻訳したのははじめてだ。

 話が一段落すると、クーリャが近づいて来た。こわごわとロウギに聞いてくる。


「ねえ、さっきから気になってたんだけど。もしかして会話してる?」

「ああ。俺はモンスターの言葉がわかるからな」

「そうなの!? それで何を話してたの?」

「……真面目な話だ」

「ふうん……」


 クーリャが疑わしい目を向けてくる。

 しかし残念ながら会話の内容は伝えるに値するものではないのであった。

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