第10話 新しい朝

 ――これが夢だという自覚はあった。


 痩せこけた広大な大地で、何者かと対峙している。


 銀色にきらめく刀身の剣。

 翼のようにはためく純白のマント。

 そして幼さを残しながらも強い意思を宿す瞳。


 何者よりも優しく勇敢で――その者は『勇者』などとも呼ばれていた。


「引く気はないんですね」

「無論だ」


 相手の言葉に、こちらもまた強い決意でもって応える。

 手にするのは愛用の得物――十八尺ある漆黒の金砕棒『玄耀』。

 そして相手もまた、神剣と呼ばれる銀の刃を両手で構えた。


「今日こそあなたを倒す。【不落の門】を落としてみせる!」

「望むところだ。全力で挑んでくるがいい!」


 思えば何度この者と刃を交わしただろうか。

 最初は玩具の剣を振り回す童子にしか見えなかったのに、出会う度に強くなり、凄みを増し、今や最強の敵と呼べるまでに成長した。


 愚かな連中に勇者と持て囃され、世界の平和などという絵空事のために戦うような自己犠牲と正義の心に突き動かされるだけの若造といえど、その純粋さと高潔さは敵ながらも称賛に値する。


 しかし、こちらにも戦士として引けない理由があるのだ。


 大地を深く踏みしめ、体内を巡る『氣』を最大限に高めていく。

 勇者の剣にも白い光が収斂する。


「コオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「ハアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 二つの視線が絡み合う。

 言葉は無い。しかし互いに次が最後であることはわかっていた。


「真・アルダーブレイド!」

「地剋万象《天震吼轟》!」


 二人の身命を賭した一撃が交差する。


 そして――




 ここで視界が暗転する。夢が終わったのだ。


 魔王軍七英将の一人にして最強の鬼人。名はロウギ。

 戦いの記憶が夢という形で幾度となく呼び起こされるのは、それがかつての自分にとって最も重要なものであり、また自分が戦士であったことの証でもあった。


 しかし、魔王が勇者に倒されたあの日。

 祝福という名の呪いにより、戦士としてのロウギは死んだ。

 戦う理由を見失い、ただ破壊と蹂躙を渇望するモンスターの衝動は、いずれ戦士としての記憶と誇りすらも呑みこみ、完全に消し去ってしまうのだろう。


 それでも命ある限り朝は訪れる。

 今日もまた――オークとしての一日が始まる。



 ●●●



 次の日、ロウギ達は朝早いうちにゼペルの町を北へと旅立っていた。

 朝日の眩しさに目を覚ましたら横ではエコが寄り添うように寝ており、なんとなくもう一眠りしようとしたらすぐにクーリャが来た。エコの姿を見かけるなり憤慨し、どうやらエコはクーリャが寝ている間に黙って勝手に宿から飛び出してきたらしい。


 そこからはちょっとしたイザコザがあった。

 まずクーリャが怒りのままにエコを叩き起こす。

 怒られたエコが拗ねてしまい、オークの元で不貞寝をし始める。

 それにまた怒ったクーリャが例の衛兵を連れて来てやっぱり危険だからとオークを処分するよう申し入れ、エコもまた引くことなく衛兵とクーリャをぶちのめすようオークへと命令。


 どうしていいかわからず困るオーク。あと巻き込まれた衛兵。

 そうこうしている間にも街道を通る一般人や冒険者が横目でチラチラこちらを見ては「あれ昨日逃げたとかいうオークじゃね?」と囁きはじめ、ここにいてはマズイと朝食をとることもまま出立の運びとなったのだった。


「さてエコ様。次は北にある『エビシラ山脈』を抜けて、『アデア』って町に向かうよ」


 舗装された街道を、北に向かって歩く二人の少女と一体のオーク。

 見渡す限りの草原が続いており、先は見えない。

 普通なら馬車を使ってもおかしくない距離なのは間違いないのだが、それができない事情でもあるのか、二人は徒歩で行くようだった。


「今回はさすがにちょっと遠いからね。途中で野宿するとして、明日の夕方までに町に着けたら御の字ってところかな」


 エコの格好はローブに長靴、木製の杖。腰には小さいポシェット。

 クーリャは聖ラシリス学院の制服である黒セーラーに、小さい鞄を肩にかけている。

 長旅をするにはやけに軽装の二人ではあるが、荷物のほぼ全てはロウギが背負う巨大なバッグの中にあった。遭難に備えて少し多めに用意した水と食料を始め、その他の旅における必需品の数々が詰め込まれている。


 前を並んで歩く二人に続き、ロウギにとってはゆっくりめのペースで街道を進む。今日も快晴に恵まれ、見上げれば青く澄んだ空が広がる。時折吹くそよ風がさらさらと草原を揺らし、体をやさしく撫でていく。悪くない。ちょっとした散歩気分だ。


 なお、このあたりに危険なモンスターはいないらしい。

 街道には簡単な魔除けの結界が張られているらしく、ここに沿って歩く限りはまず安全だろうということだ。


「あ……あそこにモプリンがいるよ……!」


 とか思ってたらエコが街道から外れてたたたーと草原を駆けていった。

 モプリンとはウサギのような耳とリスのような尾を持つ獣型モンスター。名前の由来どおり全体的に丸くもぷもぷしている。あらゆる場所に生息する最もメジャーなモンスターで、総じて温厚な性格をしているため危険は少ないだろう。


「ああ、もうエコ様は。また一人で勝手に……」


 クーリャがため息交じりにエコの背中を見送る。

 そしてこう続けた。


「まあいいや。そのおかげで、あなたと改めて話せるわけだし」

「…………!」

「昨日のことは、あたしの夢じゃないんだよね」


 クーリャはオークへと声をかける。

 言葉が通じているという前提で、返答を求めていることは明らかだった。


「ああ。夢ではない」


 だからロウギも言葉でそう返した。

 草原ではエコが二匹のモプリンと戯れているので聞かれる心配はない。

 クーリャもエコの方へと視線を向けたまま続けた。


「あなたが言った通りだよ。あたし達はいわゆる魔族ってやつ。あたしの場合、普段はこれで隠してるけどね」


 そう口にしながら、首に巻かれたストールをわずかにずらす。

 あらわになる首筋――そこには黒い茨のような紋様が刻まれていた。

 それは魔族の証であり、他の種族より高い魔力の根源であるとも言われている。


「あたし達の旅の目的は、散り散りになった仲間を探すこと。遙か北にある王都『ルーンクレスト』に何人かが隠れ住んでいるって話だから、当面はそこを目指してる」


 ロウギが知りたかったであろう事柄を、クーリャは端的に言ってくる。

 もともと賢く、冷静さも持ち合わせたような少女だった。一晩を経る中で、何らかの気持ちを固めたのだろう。


「一つだけ確認させて。あなたは、あたしたちの敵?」

「…………」

「こうして一緒についてくる間は、味方と思ってもいいんだよね?」

「……ああ。無論だ」


 ロウギもまた端的に返す。

 聡い少女の心の内はまだ読めないが、ロウギも彼女を謀る気はない。


「俺を狙う冒険者も増えてきて、あの森にも居辛くなっていたところだからな。山を抜けるまでは同行させてくれ」

「うん、じゃあそこまでは一緒に連れていってあげる。てか、エコ様が完全にそのつもりになっちゃってるし、ああなったエコ様は何を言ってもきかないから」


 深く肩を落とすクーリャ。

 これまで共に二人で旅を続けてきたであろう、その苦労が少し見えた気がした。


「それに若い女性を襲うオークさんも、エコ様と……あたしにとってはっ! 危険はないようだし」

「む? ああ、そうだな」


 後半がやけに強調されていた意味はわからないが、確かにこの二人ならオークの衝動が暴走することもないだろう。その点はロウギとしても安心だった。


「くー、くー……!」


 そうこうしている間にエコが戻ってくる。

 その手は鮮血に染まっていた。


「か、噛まれた……」

「ちょっ! このアホ!」


 即座に得意の回復魔術を使うクーリャ。

 エコはクーリャに傷を治してもらいながら、ふいっと首を傾ける。


「くー。さっき、オークさんに、なにか話してた……?」

「うぐ」


 どうやら見られていたらしい。

 話の内容までは、さすがに聞こえていなかったようだが。


「えへへへ……くーもオークさんと仲良くなったん、だね……!」


 しかしエコの感性からすれば物言わぬオークに話しかけること自体、なんらおかしいことではないのだろう。そんな感じで勝手に納得してくれた。

 一行はまた街道を北に向かって進む。


「あ。毒々しい色のヘビがいるよ……『アヘンマムシ』だ……」

「それマジで毒持ってるやつだから! 近づいちゃダメ!」

「あそこで走ってるのは『ヘイルウルフ』……っ。おだんご、あげてくる……!」

「ちょい待てってば! エコ様!」


 エコという少女、どうやら大人しい性格をしている割にモンスター相手にはかなり活発になるようだ。

 そんなこんなでたまに横道にそれつつも、北に向かって二時間くらい歩き続けたのだった。

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