第9話 調教師への道は遠く 

 クーリャがずっと探していたエコが来た。

 しかし当のエコは剣を抜いた二人の衛兵を見るなり、瞳を潤ませる。

 そしてオークに駆け寄り、がばっと庇うようにしがみついた。


「や、やめて……オークさんを、ころさないで……!」

「お、おい。どくんだ! 危ないだろう!」

「なにもあぶなくない、よ……! オークさんはなにも悪いことしない……! 疲れてて、お腹が空いてるだけだ、から……えこがちゃんと面倒を見る、から……!」


 泣きながら必死に訴えるエコ。

 普通ならその理屈が通じるはずもないのだが、しかし子どもの必死の訴えには何かしら心にのしかかるものがあったのだろう。二人の衛兵は「どうするよ」「さすがに、なあ」と戸惑いを見せている。


 クーリャはその隙を逃さなかった。


「あの。お二人って、確か町の検問であたし達を通してくれた衛兵さんですよね」

「それは……まあ、そうだが」

「このオーク、検問では大人しかったでしょ? 臆病で、人畜無害だっていうのは本当なんです。だから、どうかここは見逃がしてくれませんか?」

「いや……しかし、なあ」


 難色を示す衛兵。

 しかしクーリャはさらに詰め寄る。


「もしオークが捕まっちゃったら、原因の追及はされますよね。あたし達は当然として、追及は検問でオークを通したお二人にもいくと思いますよ。まさかオークがモンスターの中でも『危険種』だってこと、知らなかったわけじゃないですよね?」

「うぐ……」

「大事になる前に逃げてくれた方が、色々とウヤムヤにできそうですけど」


 二人の衛兵は顔を見合わせる。

 そして言った。


「何も見なかったことにしてやる から、早く外に逃がしてきなさい」



 ●●●



 その日の夜遅く 。

 エコとクーリャはまた調教師テイマーギルドを訪れていた。

 クーリャはギルド備え付けの小冊子をペラペラめくりながら、エコに向けて言う。


「ねえ、エコ様。何度も言うようだけどさ。残念ながらオークは危険種で、調教するのが難しいわけじゃない? だからさ、他のモンスターにしようよ」


 小冊子にはゼペル周辺に生息するモンスターの情報が記されている。捕獲の難度や扱いやすさ等に重点が置かれていて、調教師向けの内容になっているようだ。


「調教師の認定が受けられないんじゃ、話にならないでしょ」


 エコはすっと目をそらす。

 そして先ほどカウンターで購入したニンジンのジュースをちうちう吸いながら、


「えこはべつに、調教師になんか、ならなくてもいい……」

「はあ? 今さら何言ってんの、仲間は必要でしょ。旅の途中でこれまで以上に強いモンスターが出るダンジョンを通ることだってあるし、他にどんな危険があるかわからない。でも……あたしたちが冒険者を雇ったり。仲間にすることはできない。できないの」

「……(ちうちう)」

「理由は……言わなくても、わかるよね?」


 二人は冒険者に守られる立場ではなく。

 むしろ冒険者に狙われる側の存在だから。


「べつに調教師なんかにならなくても、オークさんを連れることはできる、よ」

「それはそうかもだけど……でもオークは駄目なの! オークなんか連れてたら悪目立ちするだけで、良いことなんか一つもないでしょ! なんでわかってくれないかなあ!」

「くーも、あのオークさんが、危険だと思ってる……?」

「え……そ、それは」


 なんとも返答に困る問いだった。

 オークは危険種というくらいだし、危険といえば危険なのだろう。

 しかし、あの『角付きのオーク』で考えてみればどうだろうか。


 言葉を理解すること。

 ヒトとしての理性を持つこと。

 元七英将で、鬼人の戦士を名乗っていたこと。

 あのオークについて、危険種とかいう枠を超越した色々なものを知ってしまった。


「あ~。やっぱりキミたちだあ。来てたんだねえ」


 そこで二人にふわふわした声がかけられる。

 ギルドマスターのパニーだった。別の仕事があったのか先ほどはカウンターにいなかった彼女だが、どうやら戻ってきたらしい。


「今日は大変だったねえ。キミたちにケガとかはなかった?」

「は、はい。だいじょうぶです……」


 正面に座るエコはそっぽ を向いている。

 こうなるとクーリャがパニーの相手をするしかない。


「あのオーク君は? 町の外に逃げたって聞いたけど」

「あたしたちが捕まえた『ラグローの森』にでも帰ったんじゃないですかね」

「そっかあ。まあ、みんなが無事でよかったよお」


 ぺかーと安心しきった笑顔を見せるパニー。

 クーリャも一応言うべきと思っていたことを言っておく。


「あの……ご迷惑をおかけしました」

「全然大丈夫だよお。ぶっちゃけ調教師業界では割とよくあることだし」

「そうなんですか? でも……」


 あの時のパニーや周りの反応からして、『危険種』をギルドに連れ込まれた例は今までになかったはずだ。ギルドの中では調教師の申請を拒否されても当然なだけの暴走を例のオークはしてしまったし、町に逃げてからも一歩間違えれば大惨事になってもおかしくなかった。


 それでも本当に、二人やオークのことまで気にかけているのだとすれば。

 本質的にエコと同じタイプなのかもしれない。

 このパニーという人物、もしかしたら調教師という連中そのものが。


「ねえ、キミキミ。パートナーはどうするのお? やっぱり初心者にはモプリンがオススメだよお。ちっちゃくてカワイイし、最初は強くないぶん育て甲斐があるからねえ。何を隠そう、こう見えてわたしは調教師のセカイだと最強のモプリンつかいって呼ばれてるんだあ」

「ぷぎっ♪」


 パニーがエコに声をかけている。

 いつの間にか、その足元にはパートナーらしき金色のモプリンもいた。


「い、 いいから……は、話しかけ 、ないで……」

「エコ様。迷惑をかけたのはこっちなんだから、謝らないと」

「別にいいよお。小さい調教師さんは大歓迎だからねえ」


 ぺかー、と眩いばかりの笑顔で言うパニー。小さいエコに視線を合わせるためか、膝に両手をついての前屈みで声をかけている。そんなパニーの頭の下で何かがもぷもぷ揺れている。何かと思えば胸だった。大きい。すごい。


(うぐ……っ)


 思わず目を逸らしてしまった。

 胸の大きさで見てられなくなるとか生まれて初めてのことだった。

 ふと、クーリャの頭の隅である言葉がリフレインする。


 ――お前? ないない。

 ――十六というのは本当か? それにしては身体が貧相過ぎるように思うが。


 ほんの一時間ほど前に、ある男に言われたことだ。


「…………」


 クーリャは視線を落とし、自分の胸元を見る。

 胸元というかスカートと膝がフルに見えた。遮るものがなにもないからだ。

 クーリャは表情を消して言う。


「あの。そういえば調教師って小さい子が多いって言ってましたよね」

「え? うん、そうだよお!」


 パニーが太陽の笑みで相槌を打つ。

 しかしクーリャは冷え切った目でギルドの中を見回しながら、


「本当ですか? その割にこのギルド、オッサン率が異様に高いように見えるんですけど」


 最初にここを訪れた時の光景を思い出す。偉そうな幼女が一人いたくらいで、他は全てオッサンだった。そして今も三人の調教師がテーブルについているけど、それも全てオッサン。隣の席に座ってるオッサンなんか、さっきからパニーの胸元をチラチラと何度も見てる。

 パニーは苦笑いと共に首を傾げながら、


「……実はゼペルのギルドに関してはそうなんだよねえ。本当だったら、色んな年齢層の調教師がいる方がいいんだろうけど……なんでなんだろうねえ?」

「は? 二十歳過ぎの年増が何の恥じらいもなくデカい乳晒してるからでしょうが」

「えっ」

「それくらいわかれよ 」


 クーリャはガタンと席を立つ。


「……ああ、もういいや。今日は疲れたし。さっさと宿屋行こ、エコ様」

「うん」


 エコもそれに続き、こうして二人は調教師ギルドを後にした。


「えええ~……?」


 一人その場に取り残されるパニー。

 ギルド側からすれば最後の最後まで何がしたいのかよくわからない傍迷惑な二人組なのだった。



 ●●●



 太陽は完全に沈み、夜が訪れた。

 モンスターや旅人の姿はなく、ゼペルの町の外には静かな草原が広がっている。

 そんな中、一体のオーク――ロウギが町を囲う外壁にもたれかかっていた。


「…………」


 思えば今日は本当に嵐のような一日だった。

 無論、その主な原因と言えば。


(エコ。そしてクーリャか)


 あの二人に出会ってから、いつもの日常は崩れた。

 暗い森で目を覚ましては 無為な時間を過ごし、たまに冒険者に狙われては己 がオークである事実を思い出す。縋るように自分の名を心の内で呟き、オークとしての衝動に呑まれまいと葛藤 する。

 オークに身を堕としてからは、ただ毎日がその繰り返しだった。


「グゥ…………」


 二人に付けられた首輪にそっと触れる。

 これにオークを拘束するような力は無い。鎖で繋がれているわけでもないので、また『ラグローの森』に帰ることだってできる。


 今日二人はゼペルの宿に泊まるらしく、明日の朝までここで待つように言われたわけだが。

 明日も――自分はあの二人の少女と共にいることになるのか。


 本当にいつ以来だろうか。

 こうして、次の日のことに思考を巡らせるのは。


「オークさん……まだ、起きて……る?」


 そよ風に消えてしまいそうなくらい密やかな声。

 星明かりに映る小さい影――それはエコだった。


(なっ……どうして、この子がここに?)


 いつものローブと杖。

 そして折りたたまれた厚い布のようなものは――毛布。

 それをふわりと、外壁にもたれかかるオークへとかけた。


「えへへへ……今日は冷えるから……ね」


 言いながら、エコはオークの隣に座る。

 そしてオークへと寄り添うように、その小さい体を預けた。

 まさか――ここで一緒に寝るつもりだというのか。


 確かに今日は少し冷える。オークという種は特段寒さに強いわけでもなく、『ラグローの森』でも寒い夜は岩陰や洞窟の中で眠ることもあった。

 それでも、エコのような子どもよりは寒さに対する耐性も慣れもある。


「……すぅ」


 しかしそのことを言葉で伝えるわけにもいかず、エコは早くも寝息をたてていた。

 今日はほぼ一日中『ラグローの森』を歩いていたようだし、町でも色々あったせいでロクに休んでいないはずだ。よほど疲れていたのだろう。


「オークさん……無事で、よかった ……」

「…………、」


 寝言、だろうか。

 それからはエコの口より言葉が紡がれることはなく、ただ安らかな寝息を繰り返している。

 横にオークがいるというのに、なんの警戒もなく、安心しきった表情で。


(本当になんなんだろうな、この子は)


 しかし小さい少女の温かい感触や、近くで聞こえる息づかいが落ち着くのも確かなようで。


「…………グウ」


 やがてオークも静かな眠りへと落ちていた。

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