第7話 勇者祭の喧騒の中で

 暴走したオークがゼペルの町を逃走中である。

 その情報は、町の中にある冒険者ギルドにもすぐに伝わったらしい。冒険者と思しき数名が険しい顔で「いたか?」「お前はあっちを探せ」とか言い合っている。ただ騒ぎになることを避けるためか、一般住民にまでは知らされていないようだ。


 ゴーンゴーンと重厚な音が町中に響く。どこの町にもある教会の鐘が、 夕方の十八 時を示しているのだ。勇者祭による町の活気は、まだまだ治まる様子は無い。


 そんな町の中を、クーリャは一人で歩いていた。一緒にいたはずのエコはオークを探すために勝手に走り出してしまい、いつしか見失ってしまった。


(危険種って。なにそれ)


 先ほどの調教師テイマーギルドでの一件を思い返す。

 もちろんクーリャも危険種のことは知っている。しかし危険種であろうがなかろうがモンスターというものは少なからず危険だ。モンスターを仲間にしようとする調教師が、あえてそこを気にしているとは思わなかった。


(ショックだろうなあエコ様……あんなに喜んでたのに)


 エコは今も必死になってオークのことを探しているんだろう。

 オークを探しているという点では冒険者の連中も同じだけど、その意味は全く違う。


 冒険者がオークを探すのは、もちろん討伐するため。

 そこに例えば報酬が欲しいからとか、モンスターを殺すのが楽しいからとか、自分が冒険者だからなんとなくだとか、その程度の理由しかなかったのだとしても。


 そうやって平和は守られていく。

 冒険者の存在こそが今の世界における正義なのだ。


「お嬢ちゃん。どうしたよ、辛気臭い顔して」


 通りを歩くクーリャに、露店にいる若い男から声がかけられる。


「見慣れない髪の色だな。異国の方かい?」

「あ……いえ」

「今は勇者様が魔王を倒したことを記念するお祭りの最中なんだ、そんな顔は似合わないぜ! 良かったらパン、見ていってくれよ。勇者祭限定の特別セール! 安くしとくぜ!」


 クーリャはぺこっと軽く会釈だけ返し、早足でその場を通り過ぎる。

 ストールを口元まで引き上げて、はあと深く息を吐いた。


(勇者様、かあ)


 それはちょうど十年前のこと。

 伝説と呼ばれるには、まだまだ最近の話だ。


 かつて魔王は 『魔族』を率い、他の七つの種族と共に世界の侵略を始めた。

 魔王の軍勢は人々にとって絶望の象徴であり、そんな魔王を倒して世界に平和をもたらした勇者 はまさに英雄そのものだった。その英雄性は今もなお冒険者という形で受け継がれているし、勇者への敬意と感謝を示すための『勇者祭』が毎年この時期に行われている。


 勇者というのは、それほどの存在なのだ――多くの者にとっては。


(……とにかく、あたしたちには仲間が必要だ)


 とは言っても自分達が冒険者を頼るわけにはいかない。

 だからこそ調教師なのだ。

 まあ正直モンスターも仲間としてはどうかと思うけど、冒険者なんかよりは百倍マシだ。


「でも……さすがにあのオークはダメだ。うん」


 だって危険種ということで調教師の認定がされないんじゃあ何の意味もない。

 だから オークはこの町に放置することに決めた。


 もちろんオークもいつかは捕まることだろう。

 その前にエコを見つけ出し、オークの持ち主としての追及がこちらに向くまでにゼペルの町を去る。それがベストだ 。クーリャはそのように思考を巡らせる。


「まあ、どうせエコ様はごねるだろうけど……なんとか宥めないとなあ」


 萎えそうになる気持ちに活を入れ、早足で何度目かの角を曲がる。


 そこ にオークが立っていた。


「ちょっ……むぐう!?」


 声をあげる間もなく、すぐに手で口元を押さえられてしまう。

 クーリャはそのままズルズルと細い通りの奥へと引きずられていく。凄い力だ。なんとか逃れようと必死に暴れるが、クーリャの力で振りほどけるはずもない。

 結局、クーリャは人目のない裏道へと連れ込まれてしまった。


(な、なんなのこいつ……!)


 まさかオークはここで待ち構えいたのか。

 そしてクーリャに会ってからの 動きに迷いも無い。この一連の流れは 若干計画じみているというか、どこか知性が感じられるように見えてしまう。なんというか、明らかにモンスターっぽくない。


 とはいえ、関心している場合じゃないのは確かだ。

 この状況――かなり危険なんじゃないだろうか。


(……ま、まさか)


 オークの特性を改めて思い出し、クーリャはサーッと青ざめる。

 村とかを襲った時、若い女性だけは活きのいいまま残して溢れる性欲の捌け口にする的なあのアレだ。


(えっ……ど、どどう……えええええ)


 こんなところで。

 まさかオークなんかに。

 殺されるよりは。

 でも、そんな。


 突然の事態に頭の処理が追いつかない。

 それなのに体が震え、瞳にはうっすらと涙が浮かんでくる。

 オークがそんな自分の顔を覗き込んでくる。

 ゆっくりと口を開く。


「安心しろ。危害を加えるつもりはない」

「………………え?」


 思わず耳を疑った。

 今、なにか聞こえたような。


 しかし周りには他に誰もおらず、聞き間違いでないのなら。


「しゃっ……ええ? しゃしゃ、しゃべっ……?」

「混乱させてしまったことは詫びよう。だが、どうか落ち着いて聞いてくれ」


 さすがに今度はハッキリと聞こえた。

 目の前のオークから紡がれたのは、明らかにヒトの言葉だった。


「えっと……」


 なにこれ。

 オークがしゃべってる。

 どういうこと?


「……オーク、ですよね?」

「いや。俺はオークではない」

「いやいや。オークにそんなこと言われても」

「む……さて、どうしたものかな」

「知りませんって。ちゃんとしてくださいよ」


 本当になんなんだこのオークは。

 明らかに言葉を話している。

 なのに何を言っているのかが全然わからない 。こわい。


 そこで別の声が届いた。「全然いねえな」「デマじゃねえの?」。おそらくオークを探している冒険者だ。

 こっちに向かってきている――よくわからないけど助かった!

 とにかくこの状況をなんとかして欲しかった。誰でもいい。冒険者に助けられるのはイヤだが、変なオークに絡まれたとなると話は別だ。


 しかしクーリャへの試練はまだ終わらなかった。

 むしろ、さらに驚愕すべき事態が起こる。


「……えっ?」


 オークの全身が突如として淡い光に包まれる。

 光は徐々に強くなり、思わず目を覆うほどの輝きへと変化する。


「――――っ!」


 光が止んだようなので、クーリャはゆっくりと目を開ける。

 ぼやけていた視界が少しずつ鮮明になると――そこには一人の男が立っていた。

 年は三十前後 くらいか。独特なデザインの衣服を纏い、どこか浮世離れした雰囲気を持った長い黒髪の男。


「ふむ。最初からこうするべきだったか」

「えええええええええ」


 早い話――オークがヒトに変化した!


 そこでちょうど二人の冒険者が来る。


「おい、こっちにオークが来なかったか」

「いや。見ていないな」


 オークだった男がそう返すと、冒険者達は「ちっ」「ここもハズレか」と引き返していく。

 ぽかんと呆気にとられるクーリャに向けて男は言う。


「俺の名はロウギ」

「は?」

「魔王軍『七英将』の一人。『鬼人』最強の 戦士だ」

「いやいやいやいや!」


 少女の叫びが人知れず響き渡る。



 ●●●



 一方その頃。


「 くー……オークさん……!」


 エコは迷子になっていた。

 調教師テイマーギルドを飛び出したオークを探していたはずが、いつの間にかクーリャまでいなくなっていた。一体どこに行ってしまったというのか。


「うう……ここ、どこ……?」


 夕方になってさらに騒がしくなった町の中を、エコは一人でとぼとぼ歩く。似たような景色が続いていて、右も左もわからなくなってくる。ヒトのたくさん住む町なのに、これでは『ラグローの森』と変わらない 。


「よう! 小さいお嬢ちゃん!」


 いきなり声をかけられ、エコはびくっとなる。

 元気そうな若い男がニコニコとこっちを見ていた。


「不安そうな顔してどうした! もしかして、はじめてのおつかいか?」

「…………」


 エコは両手で杖をぎゅっと握り、ブンブンと首を振った。

 どうでもいいから話しかけないでほしい。泣きそうだった。

 しかし男はぐいぐいと、さらに距離をつめてくる。


「ほら、元気だせって。特別にタダでゲームさせてあげるから!」

「……げーむ?」


 男はなにかの露店を開いているようだった。

 地面に広げられた布と、そこに並べられた景品らしきモノの数々。

 少し離れたところには、木製のパネルが立てられていた。パネルは九つに区切られていて、その一つ一つには耳が尖ったり角が生えたりした色々な顔が描かれている。


「ああ、そこにある顔は魔王の軍勢に属していた異種族の王たちだよ」

「…………、」


 かつてこの世界を支配していた『魔王』率いる魔族 。

 そんな彼らには、また他の七つの種族が味方した。

 それが俗に言う魔王軍の全容だ。


 だとすると。

 パネルの真ん中にある、鬚を生やした悪そうな顔が 『魔王』だろうか。

 そして、その周りに並ぶ のが魔族に味方した七つの種族の王。いずれも素顔が知られているわけではないから、角や耳の形などの特徴だけを捉えた象徴的なものだろう 。ちなみに残る一つのパネルにはモンスター の代表格である『モプリン』がいる。


「あのパネルに向かって、このボールを投げるんだ」


 男が手のひらサイズのボールをいくつか、エコの前に置く。


「パネルの顔を打ち抜き、落とした数がポイントになる。一つで一ポイント。タテかヨコの三つを落とすと、特別ボーナスでさらに三ポイント。ルールはそれだけ。カンタンだろ? お嬢ちゃんはまだ小さいから、一番前のラインから投げていいからね」

「う……うう……」


 怯えたようなエコを見て、男はさわやかに笑う。


「魔王達が怖いんだな。でも安心しなよ。魔王なら十年前に勇者様に倒された。他の七つの種族の王である『七英将』だって半分は戦いの中で死んだし、生き残った奴も女神ラシリス様の祝福により邪悪な力は浄化されたんだ。今はもう、いないんだよ」


 十年前。それはちょうど十才のエコが生まれた年。

 勇者と魔王にまつわる話については周りの大人達から何度も聞かされたが、それはこの世界一般で知られていることと少し違う。この世界で普通に広まっている勇者と魔王の話を聞くたびに、心がざわざわする。


「見事十ポイント達成した時の景品はこちら。なんと『瓶詰めの妖精』だ! 部屋に飾ってよし、売れば三 万ゴルはくだらない激レアの逸品だ。持って帰ったらお父さんとお母さんも喜ぶぞ~。どうだ、やりたくなっただろう!」


 エコは手にした杖を地面にずぶりと沈ませる。

 そして地面に置かれたボールではなく。


「【奈落の泥団子アビスボール】!」


 浮かび上がらせた泥をボール状にして投げつけた――露店の男に向かって。


「ふべぇっ!?」


 男はドポウッと弾かれ吹っ飛んだ。

 近くの露店に突っ込んでガシャーンとなる。


 すぐにエコはその場からそそくさと立ち去った。

 たくさんの人とすれ違う。その誰もが楽しそうで、平和な町の光景がどこまでも続いている。しかしそれはざわざわと、またエコの心を余計に落ち着かなくさせていくのだ。

 歪んでくる視界をゴシゴシとローブの裾で拭う。


「……ニンゲン共め」


 口から漏らされるのは、怨嗟のような声。


「えこが一人残らず……滅ぼして、やるから…………!」


 それは誰に聞かれることもなく。

 ただ『勇者祭』の喧騒にかき消されていくだけだった。

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