第4話 『角付きのオーク』
オークを討伐するべく挑んできた冒険者パーティ『ヘルズベア』。
最初に殴りかかってきた大柄の冒険者――レイターに向けてオークが拳を放つ。
「ごぺえっ!?」
――ドシュン!
レイターの全身が「く」の字に曲がってぶっ飛んだ。
超高速で『ラグローの森』の中を飛んでいくレイターは途中で頭をガンと樹の幹にぶつけるとそれを支点に高速でスピン。ギュルギュルと枝や葉を撒き散らしながら森の中をさらに突き進んでいく。
「「なあっ!」」
残る二人の冒険者――アンガスとミュッセが慌てて振り返る。
しかしどこまで飛んでいったのか、レイターの姿はもう完全に森の彼方へと消えてしまっていた。
数秒の沈黙。
やがて二人はカタカタとぎこちない動きでこちらに首を向ける。
「や、やるじゃねえか……だがな!」
次に動いたのは無精鬚の剣士、アンガスだ。
鞘から素早く剣を抜いて重心を下げる。
「五つ星冒険者の俺を舐めるなよ! オーク野郎なんざ、これまで百体は倒してきたんだからなあ!」
「え……五つ星? まじで!?」
驚くクーリャをよそに、アンガスは剣を両手で構えて跳躍。
ビュオオオウと疾風の如き速さでオークへと剣を振り下ろす。
「ハア! 疾風流迅剣!」
「…………」
それをオークはパシッと左手で掴む。
「なにい!」
「ガアッ」
そして残る右手をアッパー気味に突き上げた。
「どへあっ!」
アンガスがズポーンと真上に打ち上げられる。天に昇るアンガスの肉体が天井のように生い茂っていた緑に穴を穿ち、青い空が見えた。落ちてくる様子はない。とはいえ、そのうち広いこの森のどこかに落ちてくるだろう。
(しまった……)
アンガスが消えた先を見上げながらオークは気付く。
エコにまだ何も言われていないのに攻撃してしまった。
剣士が放った一撃があまりに貧弱過ぎたせいだ。
思い浮かぶのは、やはりかつての同朋。
仮に獣人最強の剣士――全盛期の『零剣』が相手なら、オークに堕ちた今の自分など刃を認識するまでもなく両腕くらいは砂より細かく切り刻まれ風と共に消えていただろう。
しかしそれに比べると五つ星冒険者の剣は一太刀があまりに遅い。思わずキャッチしたテンポのままつい殴り返してしまった。
「ひ、ひいい……っ」
こうして三人いた冒険者は緑髪の女、ミュッセだけとなった。
ミュッセは慌てて至近距離からの矢を放つ。
「…………」
しかしそれはオークの肉体にバユッと弾かれてしまう。
「な、なんで!? さっきは刺さったのに! なんで! なんで!」
手を震わせながらも必死に何度も矢を放つ。
しかしその全てがオークに傷一つ残さず地に落ちていく。
目の前に立つオークの圧力に、とうとうミュッセはぼすんと尻もちをついた。
「たたっ、助けてえ! はらませられるうう!」
「はら……ませ……?」
叫びをあげるミュッセ。
そこで聞きなれない言葉に首を傾げたのはエコだ。
「くー。はらませって……なに……?」
「……そういえば聞いたことあるような。オークって、村とかを襲った時にも若い女だけは残して、その、あんな感じのことしちゃうんだっけ」
「くー」
「だからはらますってのは、ええと……と、とにかくとんでもないことだよ!」
ミュッセは腰を抜かしたまま必死に後ずさる。
その表情は完全な恐怖に歪んでいた。
無力なニンゲンが、モンスターを見る目そのものだ。
「……くーは、たまによくわからないこと……言うね」
「エコ様みたいなお子様にはチョット難しいことなの!」
「でも、いいこと思いついた……よ。このニンゲンは……オークさんに肉と骨をぐちゃぐちゃに潰してもらおう。いいお団子ができそう、だよ……」
「エコ様こそたまにおかしいこというよね……てかこわ……」
エコとクーリャは平和そうに話をしている。
しかしその言葉の内容までは、オークには届いていなかった。
オークの瞳にもまた、ミュッセの全身が映っている。
外套から晒された細く色艶の良い手足。腰のくびれ。衣服を押し上げる胸。鎖骨や首筋のライン。その顔立ちや表情全てにおいて。
エコやクーリャにはない、大人の女特有の確かな色気があった。
――ドクン。
オークの中で何かが脈打つ。
(駄目だ。これ以上は……!)
寸でのところで視線を逸らし、どうにか理性を保とうとする。
フウ、フウ、と呼吸を荒げるオーク。
その間にどうにか立ちあがったミュッセは、「ひいいい!」と悲鳴をあげながら死に物狂いで逃げていった。
「あ……逃げちゃった、よ……お肉が……」
エコは残念そうにそれを見送る。
何故残念そうなのかはわからないが、これで三人の冒険者は全て追い払った。
もう大丈夫だろう。
クーリャが驚いた声をあげる。
「というかなにこのオーク! ムチャクチャ強くない!?」
「うん……さすがオークさん、だね……」
「いやそういうことじゃなくて! だってさっきの冒険者、本当に五つ星だったら結構強いはずだよ! 強さ的には確かランクCに相当で、オークはDかEだよね!」
「強いから、懸賞金がかかってる……くーが言ってたこと、だよ……?」
「それでもオークの次元を超え過ぎというか……」
そこでクーリャが声をトーンを落とす。
不思議そうにするエコを前に小さくぶつぶつと言う。
「それに、なんかヘンじゃない? これだけ強いのに最初は冒険者から逃げ回ってたし。逃げた奴も、追おうとはしなかったよね」
「めいれい? すれば……追いかけてくれたの、かな……お肉……」
「どうだろう。そうかもしれないし、そういうことでもないような……?」
少しして、クーリャは深く考えるのをやめたようだった。
エコの頭にぽんと手を置く。
「まあなんでもいっか。とにかくちゃんと調教しなよ、エコ様」
「う、うん」
●●●
冒険者達を退けた一行は、ようやく『ラグローの森』を抜けた。
視界には青い空と広い草原が広がり、その中を長い街道がぐねぐねと伸びている。その遠く先、広大な草原の中に外壁に覆われた一帯がある。そこがエコとクーリャが目指していたらしい『ゼペル』という町である。
「やっと着いた……もう、くたくた……」
「うん、よくがんばったねエコ様。えらいえらい」
町が目の前だからか、森を抜けた途端に二人の足取りも軽くなったように見える。気持ちの方もさぞかし緩み切っていることだろう。
(…………)
一方、オークの心は深く沈んでいた。
先ほどの三人組の冒険者。その最後の一人――ミュッセという女と向き合った時のことが今も澱のように頭に残っている。
不覚にも欲情してしまった。
すぐにでも襲いかかり、本能の赴くままに無茶苦茶にしてやりたくなるくらいに。
(やはり……逃れることはできないか)
若い女性を前にすると顔を見せる――忌まわしきオークの衝動。
そして他の冒険者との戦闘も、もう少し時間をかけていたらどうなっていたことか。相手を攻撃しようとする行為もまた、モンスターとしての衝動を呼び起こす切欠となる。
やはり冒険者を相手にすると、自分が肉体だけではなく、心までモンスターに堕ちてしまったのだという事実を突きつけられてしまう。
だからこそ戦いたくなかったのだ。
そんな気持ちを抱えながら街道を進むと、やがて町の入口へと辿り着く。
モンスターなどの襲撃に備えた外壁には門が設えられ、そこに二人の屈強そうな衛兵が立っている。町の中に入るには、彼等による検問を突破しなければならない。
無論、オークがここを通り抜けることは無いだろう。もしオークのようなモンスターが平和な町の中に入ろうものなら、大騒ぎになる。
クーリャが衛兵に向けて言う。
「えっと。大人一人、子ども一人。あとオーク一体で」
オークは「は?」となった。オーク一体て。
オークが町の中に入れるわけ――
「ふむ。どうぞ、通られよ」
なんでだ。
二人の衛兵は道を開け、エコとクーリャは自然な足取りでその間を通っていく。
意味がわからなかった。この町はオークというモンスターを通したところで、何の問題はないとでも思っているのか。そんなはずがない。
町の中にはオークの理性を狂わせるような存在、つまり若い女性がたくさんいる。
正気を保てるはずが無い――このままでは町は大惨事になる!
「オークさん、どうしたの……? こっち、だよ……」
「そんなとこ立ってたら邪魔でしょ。早くしなよ」
しかし流れに逆らうことままならず。
オークは二人の少女と共に町の中へと入って行った。
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