第2話 二人の少女
『ラグローの森』と呼ばれる深い森の中。
欝蒼と生い茂る木々の隙間を縫うようにして、二人の少女が歩いている。
「くー。町には、いつ着く……の?」
「どうだろ。あと三時間くらい? わかんないけど」
「と、遠いよ……。少しだけ、休んでいこう……?」
幼い少女が苦しそうに声をあげている。
杖を支えになんとか歩いてはいるが、その足取りはふらふらと危なっかしい。
「えーでも、暗くなる前に町に着いとかないとだし。だからもうちょっとだけ我慢しようよエコ様」
それを適当に宥めるのは、どこか冷めた空気を纏う銀髪の少女だ。
億劫そうに額の汗を拭うあたり、この少女も疲れがないわけでもないのだろう。しかし小さい少女に合わせて歩く速度を緩めるつもりはないらしい。
「おなかも空いた……あたたかい蒸かしイモ、たらふく食べたい……」
「あたしは早くおフロ入りたいなあ。汗かいたし、この森って虫が多いんだよね。まったく、これだからダンジョンは……そりゃあジメジメした洞窟とかよりは全然マシだけどさ」
「くーはシンケイシツ、だね……」
「こういうの、泥遊び大好きなお子様にはまだわかんないかなあ」
緊張感に欠ける、小娘特有の中身の薄い会話。
どこぞの町で平穏に暮らしていそうな普通の少女が、モンスターも出没する森をハイキングでもするような気安さで歩いている。その光景はやはり何とも珍妙だった。
二人の関係もよくわからない。何故か小さい方が『様』付けで呼ばれているようだが、距離間は主従というより姉妹のようでもある。
『えこ、です。こっちはクーリャ。よろしくね……』
とかなんとか。
ヒトの言葉が通じないであろうオークに何故か一応の紹介はしてくれたが。
まずは小さい方。名は『エコ』というらしい。
背丈からして十才くらいだろうか。亜麻色の短い髪は癖っ毛でふわふわ揺れていて、丈の長いローブと長靴の取り合わせが余計に子どもっぽい。しかし木製の杖を支えにして歩く姿は、老練な魔術師のようでもある。
そしてもう一人。名は『クーリャ』。エコは「くー」と呼んでいる。
年は十代半ばくらいか。長くさらさらした銀髪。王都にある学院に通う女学生が着るような黒セーラーに、空色のストール。腰にはしゃらりとチェーンが覗くが、これは小洒落た装飾品などではない。武器であるフレイルの一部であることを身をもって知らされたばかりだ。
全体的に薄く細い、スレンダーな体つきの少女だった。スカートの丈も短めで、すらりと伸ばされた生足の太ももからふくらはぎにかけてのラインが眩しい。
あと五年もすれば、さぞがし食べ頃に――
(いかん)
じゅるりと口から洩れかけた唾液を慌てて拭う。
危うく例の衝動に呑まれるところだった。
「まあ、とにかくさ。町に戻ったら久しぶりにゆっくりしようよ。疲れた甲斐あって、一番の目的はちゃんと達成できたわけだしね」
「うん。オークさんも、ゆっくり休ませてあげたい、です……」
前を歩くエコとクーリャが振り返る。
その視線の先にいるのは、まさに一体のオークだった。
付け加えるなら額には普通のオークにはない角を生やし、結構な額の懸賞金がかけられている。ただ、かつては『ロウギ』という名を持つ戦士だったことは知る由もないだろう。
(まったく、どういうことだ)
何故か先ほど首輪を付けられはしたが、鎖に繋がれているわけでもなく、拘束や捕縛の意図は感じられない。本当にこの二人は何がしたいのか。
結局、オークはなすがままに二人の後を付いていっている次第である。
「オークさん……おだんごも、たくさん作ってあげる……からね?」
「ほらエコ様、ちゃんと前と足元見て歩きなよ。ここ足場が悪いから危ない……」
「え……あっ」
とてーん。
エコが木の根に足をとられてコケた。
「ほらもう。言ってるそばから」
「う……うう…………」
体をむくっと起こし、三角座りになるエコ。
肩をかたかた震わせ、その目は涙で潤んでいた。膝をすりむいたらしい。
「……しょうがないなあ」
クーリャは面倒臭そうに、エコの前で屈む。
そして両手をエコの膝へと近づけた。
「慈愛の天使よ。このアホなちっこいガキンチョに聖なる癒しを――【
クーリャが何かを呟くと、手のひらに淡い光のようなものが生まれる。
それはエコの膝を包み込み――ゆっくりと光が消えると、つるんとしたエコの膝小僧があらわになる。傷口は完全に消失していた。
(……魔術だと?)
自身の魔力を精霊の力と同化させることで、様々な現象を引き起こす――魔術。
中でも傷を癒す魔術といえば、主に教会に使える聖職者が得意とする系統だ。
(そういえば、この娘の服装……)
クーリャが着ている黒セーラー、その胸元にある『翼を纏う十字架』を模したデザインには見覚えがある。この世界で最も広く普及した宗教『聖翼教』のものだ。まだ学生のようだが、聖翼教に通じる何らかの心得があるということか。
「ほい完治。もう大丈夫でしょ?」
「う、うん」
「それじゃあ、行こっか。というか早く行こう。こんなところで夜になっちゃったらサイアクだからね」
「…………」
しかしエコは三角座りのまま立ち上がろうとしない。
怪我は治ったはずなのに、その足はガクガクと小刻みに震えている。
「あー……やっぱもう足が限界かあ。まあ、だいぶ歩いたもんね」
「……ごめん、なさい」
涙目で顔をうつむかせるエコ。
クーリャは「どうしようかなあ」と首を捻っている。休憩に時間を費やすのも避けたいが、エコに無理をして歩かせる気はないといったところか。
確かに、この森は日が暮れると視界が一気に暗くなる。そうなってしまうと人の目で移動することは現実的ではない。朝まで野宿しようにも、夜になると活発になるモンスターがそれを許さないだろう。
そう考えたオークの足は自ずと動いていた。
三角座りするエコの前で立ち止まり、無言で見下ろす。
「え、エコ様!」
クーリャは慌てて腰のフレイルに手をやる。
そこでエコはようやく自分を覆う影に気付いたらしい。
しかし驚く様子もなく、ただ不思議そうに「?」と首を傾げるだけだった。
急に迫ってきたオークに対し、何の警戒も抱いていない。
(……不思議な子どもだな)
オークは心の内で苦笑する。
そしてエコに背中を向け、ゆっくりとその体を屈めた。
「……オークさん?」
エコの声が背中越しに聞こえてくる。
「えこを……おんぶしようと、してくれてる、の……?」
「……グウ」
エコの問いに対し、肯定の意思を返したつもりだった。
言葉の通じるはずのないオークが返事をするのは、おかしいだろうか。
しかし、それを言うなら言葉を通じるはずのないオークに対して言葉を投げかける少女もおかしいことになる。
そんな妙な葛藤を心の内で繰り返していると――ぽすっ。
オークの背中に、小さい少女の重みと感触が伝わってきた。
エコが「おんぶ」を受け入れたのだ。
「えへへ……ありがとう、です。オークさんは、優しい、ね……」
「え、いや。いやいやいや!」
慌てて口を挟んだのはクーリャだった。
「オークってこんな賢い生き物だっけ! なんか気が利きすぎて怖いんだけど!」
「そう……かな? くーは相変わらず、ヘンなこと気にするね……」
「あたしが変なの!? というか汚いし! エコ様、そんなに密着したら駄目だってば! 絶対臭い! 匂いが移る!」
「別に汚くも、臭くもない、よ……?」
「えう……。ま、まあ……エコ様がいいんならいいんだけどさ……」
ともあれ。
足の遅いエコをオークが背負うことで、歩く速度は格段に上がった。
視界を遮る枝場をオークが払いのけながら、森の中を順調に進んでいく。
「ブギッ!」
「グヘヘヘ!」
もちろんモンスターと遭遇することもある。
一行の前に現れたのはウサギのような長い耳とリスのような太い尾を持つ獣『モプリン』と、緑色の肌をした亜人種のモンスター『ゴブリン』だ。
しかしオークが軽く睨みつけると「ヒゲエッ!」「ピギイイッ!」それだけで逃げだした。モンスターは相手の強さに対して敏感だ。敵わない相手と判断すれば、すぐに撤退をはかる。
「へえ、これは楽チンだ」
これにはクーリャも感嘆の声を漏らした。
「格下のモンスターとはいえ、あっさり逃げてくれたよ。このオーク、懸賞金かけられてるだけあって普通のオークよりずっと強いんだ!」
「そう、なの……? すごい、ね……」
「うん。悪くないね。この調子で一気に町まで行っちゃおう!」
「オークさん、よろしくね……!」
とかなんとか、二人は楽しそうに騒いでいるが。
オークは一寸たりとも警戒を緩めることはなかった。
確かに『ラグローの森』には自分より格上のモンスターはいないだろう。
しかし、だからこそ。
「見つけたぞオーク野郎!」
そんなモンスターを狙う輩がいるのだ。
「え、なに?」
クーリャが前方に怪訝な目を向ける。
森の陰から突如として現れたのは三人の男女だった。
待ち構えるように立ちはだかり、もちろん黙って通してくれるはずもない。
奴らの目的は、まさにこのオークの首そのものなのだから
「もう逃がさねェぜ。ブッ潰してやるぜェ!」
「キャハハ! 殺せ殺せえ!」
つまり――冒険者の存在だ。
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