第10話 特等貴賓席

「イトコ殿、いいかげん、機嫌を治してはくれないだろうか?」


 鳥の顔を模した美しい仮面をつけた若者が、困惑混じりの声で優しく語りかける。


 バルコニータイプの豪華な特等貴賓席では、ちょっとしたトラブルが発生していた。


 ザルダーズのオーナーと、年配の男性スタッフは心を無にして壁際に控えている。

 雑念と好奇心はきれいさっぱり追い払う。ただし、賓客の求めに即時対応できるよう、全神経を研ぎ澄まして心と身体の準備は怠らない。

 

「嫌ですわ!」


 若者がイトコ殿と呼んでいる少女はふるふると首をふる。

 少女は席を立ち上がり、手すりへと近寄ろうとするが、若者が慌てて少女の手首を掴み、椅子に座り直させる。


「お兄さま、その手を離してくださいまし!」

「いいや。離さないよ。まずは落ち着きなさい。椅子にちゃんと座りなさい。そして、話し合おう」


 優しいが、強い口調でたしなめられた少女はしぶしぶ、椅子に腰掛ける。


「なにか飲み物を頂こうか?」

「いえ、ケッコウです。わたくしは、美味しいオカシでバイシュウされるほど、単純なおこちゃまではありませんよ!」

「…………」


 (元)『黄金に輝く美青年』様は、軽く首を左右に動かすと、長い溜息を吐きだす。


「お兄さま、ここはオークションの舞台から遠すぎます! 椅子に座ってしまうと、全然、見えないではないですか!」

「まあ、ここは貴賓席だからな……」

「オークションの様子が見えないなんて! 貴賓席としては失格です! ここは貴賓席ではありません!」


 『黄金に輝く麗しの女神』様は、プリプリと怒りながら、バッサリとオーナーたちの前でザルダーズ自慢の特等貴賓席を否定する。


「見てください! 舞台にいる人たちの小ささを! あんなに遠かったら、出品物なんて、豆粒ですわ! いえ、粟粒でしょ! どうやって、粟粒の品定めをしろというのですか!」

「事前に目録カタログを見たのではないのか?」

「ええ。じっくり目次から最後の奥付までもらさず目を通しましたが、しょせんは紙媒体。印刷技術での表現には限界があります! ナマで確認してこそ価値があるのです!」


 少女の主張はもっともである。

 貴賓席からでは、遠すぎて出品物は見えないだろう。


 その回避策として、ザルダーズでは、オークションの出品目録カタログを発行し、事前に配布するようにしている。

 オークション参加者はそれを読んで、落札したい品をピックアップするのだ。


 ザルダーズの優秀なオークショニアが監修したカタログには、とても詳しい情報が記載されており、完成度が非常に高いことで有名だった。マニアックな説明が随所にみられ、カタログを蒐集するマニアもいるくらいだ。


 とはいえ、いくら素晴らしいカタログでも、色合いや小さな傷、大きさの感覚、品から漂う魔力やオーラなどは、表記に限界もあり、カタログ情報だけでは齟齬が発生する。

 その解消のために、オークションの1週間前から前日まで、出品物の下見会……いわゆる「プレビュー」と呼ばれる出品物を鑑賞できる機会をザルダーズは設けている。


 『黄金に輝く麗しの女神』様は、プレビューには参加していない。

 プレビューがあること自体を周囲から教えてもらっていないのか、もしくは、気軽に外出できる身分のおひとではないのだろう。


 美しい後見人もプレビューについては黙っていたいのか、触れるどころか全く口にしない。だからこそ、このような言い争いが発生しているのだ。


[『黄金に輝く麗しの女神』様にプレビューの案内は厳禁]


 オーナーはいつ終わるかわからないふたりのやりとりに全神経を集中させながら、心の中にある顧客メモにさらなる情報を書き加える。


「そこまでこだわるのなら、イトコ殿には、なにか欲しいものがあるのかな?」

「今回は特にありません!」

「…………であれば、ここからオークションを愉しめばよいのではないかな?」


 (元)『黄金に輝く美青年』様は、辛抱強く『黄金に輝く麗しの女神』様に語りかける。

 だが、『黄金に輝く麗しの女神』様は納得できないようである。


「お兄さま、このような奥まった辛気臭い場所が、オークション会場の貴賓席なのですか? がっかりです! どうやって、オークションに参加しろと? ここでパドルを上げて、オークショニアさんに気づいてもらえるのですか!」

「彼らはプロだから、心配しなくても大丈夫だよ。コールの声は正しく届くし、パドルも見てくれる。恥ずかしくて大きな声をだしたくないのなら、そこにいる案内人に金額を告げたらよいだけだ」


 女神様はとても怒っている。

 怒っているのだが、お兄さまの怒り方――殺気を孕んだ怒りの波動を容赦なく相手にぶつけてくる怒り方――に比べると、その怒りは随分と可愛らしく、微笑ましいものであった。


「嫌です! わたくし、ものすごくがんばって、コッソリ脱出に成功したんですよ!」

「いや、わたしに見つかっている時点で、それは失敗……」

「お兄さま! わたくしは、オークションのキンチョーカンを、もっと、もっと肌でビシバシ感じたいのです! あの、カンカンっていう、ガベルちゃんの澄んだ音をしっかりと聞きたいのです。ガベルちゃんの活躍をもっと、もっと近くで見たいのです! こんな奥まった貴賓席モドキでおとなしくなんてできません!」


 怒りに震えている少女は、椅子から身を乗り出し、己の後見人をウルウルとした瞳で見上げる。小さな可愛らしい唇をつんと尖らし、赤く染まっている頬を膨らませることも忘れない。

 本人は怒りを体現しているようなのだが……残念ながら、少しも怖くない。


 だが、周囲の者を困惑させるのには、とても効果的な表情だ。


「いや、イトコ殿……貴賓席というのは、奥まった場所に設けるのが一般的なのだが……」

「固定観念に縛られてはだめだと、お兄さまはいつもおっしゃっていますよね? ご自身の発言には責任を持ってください!」

「…………」


 『黄金に輝く麗しの女神』様の主張に、(元)『黄金に輝く美青年』様は言葉を失う。

 最初から勝敗はわかっている。

 (元)『黄金に輝く美青年』様は、絶対に『黄金に輝く麗しの女神』様には勝てないのだ。


 であるならばと、少女の後見人はからめてを使ってきた。

 少女から視線を外すと、(元)『黄金に輝く美青年』様は、壁と一体化していたザルダーズオーナーを真正面からとらえる。


 今まで傍観者に徹していたザルダーズオーナーは、嫌な予感に身を震わせる。


「オーナー、ここは間違いなく貴賓席だ。そうだろう?」


(え…………)


 いきなり若者から声をかけられ、オーナーは面食らう。

 狼狽するオーナを、(元)『黄金に輝く美青年』様が強い視線で睨みつける。


「貴賓席だよな?」


 ほぼ殺気という恐ろしい声音で(元)『黄金に輝く美青年』様は繰り返す。


「違いますよね?」


 すかさず『黄金に輝く麗しの女神』様が言葉をかぶせてきた。


「…………はい。あのぅ…………」

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