第3話 豪奢な玄関ホール

 若者は豪奢な玄関ホールの様子をひとおり眺め終えると、出迎えのために整列していたオークションスタッフに視線を向ける。

 黒い衣装をまとったベテランスタッフたちが全員同じ角度で、深々とお辞儀をしていた。


「急なことで迷惑をかけるが……今日は世話になる」


 若者の凛とした声に、さらにお辞儀の角度が深くなった。


「本日はようこそおいでくださぁ……い……ま……し……た……」


 お辞儀を終え、ゆっくりとした動作で顔を上げたザルダーズオーナーの柔和な顔が、驚愕に凍りつく。


「ぁ…………」

「どうした?」


 若者の問いかけに、初老のオーナーは一瞬で動揺を押し殺すと、目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。


「い、いえ……。し、失礼いたしました。わたくしザルダーズの責任者を務めさせていただいております。『黄金に輝く麗しの女神』様ならびに『黄金に輝くび……』せ……」

「よろしく頼むぞ」


 若者が己の人差し指を口元にあてたのをみて、オークションオーナーは慌てて口を閉じる。


 金髪の若者は音もなくオークションオーナーとの距離を一気に縮めると、彼の耳元で、彼にしか聞こえない声でそっと囁く。


「オーナー……先々月、わたしがここにいたことは、彼女だけには話さないでくれるかな?」


 小さな声なのに、それはオーナーの魂を深々と抉る強さがあった。


「きみの代で、ザルダーズの歴史を終わらせたくないだろ? それに、天寿を全うしたいとは思わないか?」

「…………!」


 オーナーの息がひゅうっと、乾いた音をたてる。無音の悲鳴というものがあるものなのだ、と、この年になってオーナーは初めて知る。


「ちゃんと五体満足な状態で、親類縁者に見守られながらベッドの中で死にたいとは思わないかい? 墓標だけで、棺桶の中は空っぽなんて嫌だよね?」


 春の穏やかな風のように、口調はとてもまろやかで柔らかい。だが、若者の涼しい瞳には、猛禽類を思わせるような鋭い光が宿っている。


 ザルダーズのオーナーはぶるりと身を震わせると、目だけを上下に動かして「承知いたしました」と返答する。

 オーナーの返事に満足した若者の顔に、妖しくも美しい笑みが浮かんだ。


 オーナーと若者のやりとりを、『黄金に輝く麗しの女神』様と呼ばれた少女は、不思議そうな顔をしながら見比べている。

 もちろん、彼女の耳には若者の声は聞こえていない。


「お兄さま、どうかなさいました? なにをお話しになったの?」

「なんでもないよ。ちょっとした『つまらない手違い』があったが、それもたった今、解決した。イトコ殿が心を痛めるようなことはなにもないよ」

「それならよいのですが……。お兄さまはときどき、無茶をなさるので、わたくし、少し心配ですの。オーナーを困らせたりしてません?」

「するわけがないじゃないか……」


 オークション関係者からは『黄金に輝く美青年』様と呼ばれていた若者は、不安そうにしている『黄金に輝く麗しの女神』様の背中を安心させるかのように軽く撫でる。

 こうして仲睦まじくよりそうふたりの姿は、一枚の絵のように美しく、照明を極限までに落とした暗い室内の中でもひときわ輝いてみえた。


 徹底的に教育されていたオークションスタッフも……そして、オーナーも立場とルールを忘れて、その美しい典雅な姿にただ魅入ってしまう。


 特別料金が必要な賓客ルートでのオークション参加を申し込んだのは若者――『黄金に輝く美青年』様――の方だったのだが、オーナーは密かに安堵のため息をついた。

 若者の意図は……おそらく、可愛がっている少女を衆人の前に晒したくない……という私的なことなのだろうが、その判断はザルダーズ側としてもありがたかった。


 もし、このふたりが……『黄金に輝く美青年』様が『黄金に輝く麗しの女神』様をエスコートして、一般参加者として会場に登場したら、先月以上の大騒ぎになってしまうだろう。


 オークションどころではなくなる。

 次回以降も……できれば、この先ずっと、衆人とは隔離された貴賓席での参加を、こちらの方からお願いしたいくらいであった。

 なんなら一室、確保しておいてもよい。

 

 この賓客ルートでオークションに参加するには、表向きには、事前予約が必要とされている。

 だが、ザルダーズのオークションの参加者には色々と事情があり、当日、あるいは、オークション開始直前に貴賓席の使用を求める参加者も多く、ザルダーズもそれを許している。


 参加者の『欲しい』という想いを叶えるのがザルダーズの理念である。

 多少の無理があっても、少しばかり道理に外れていたとしても、ザルダーズのオークションへの参加を許された者の『望み』を汲み取り、『欲望』を叶えられてこそ、ザルダーズのタッフを名乗る資格があるのだ。


 その『望み』の中に、己の素性を知られたくないとする者が多い。

 落札品の盗難防止や、トラブルの回避、オークションに参加するには身分が高すぎる……など理由は様々だ。


 ザルダーズオーナーであっても、オークション参加者の身分を詮索することは禁止されている。


 参加者が望めば、己の素性を伏せた状態でのオークション参加も可能だ。

 その場合、今までの上得意が所持している特殊な紹介状が必要となる。

 ふたりともその紹介状からの参加だ。


 貴賓席の利用予約時も『黄金に輝く美青年』様は素性を明かさなかったので、この時点でようやく、ザルダーズオーナーは、『黄金に輝く美青年』様は『黄金に輝く麗しの女神』様の後継者であり、「お兄さま」と呼ぶ人物であると知ったのである。


(とにかく、スタッフに『黄金に輝く美青年』という呼称は使用禁止と通達徹底しなければ!)


[『黄金に輝く美青年』呼称は使用禁止]


 百戦錬磨のザルダーズオーナーは、心の中にある顧客メモにしっかりとそのことを書き記す。赤字で重要と書き込みを入れたいくらいだ。

 記すだけではなく、すぐにでも実行しなければならない。

 特に、オークショニアには、『黄金に輝く美青年』フレーズは絶対禁止を徹底しておかなければならないだろう。


 ふたりのやりとりが落ち着くのを見計らって、オーナーが声をかける。

 決して、こちら側からふたりに次の行動を促してはならない。


 ふたりが希望する時間の流れで貴賓席に案内し、ふたりが着席してからオークションを開始させるのだ。


「『黄金に輝く麗しの女神』様、そして……後見人の美しい御方は、わたくしがご案内させていただきます」


 賓客対応のスタッフにしかわからないボディサインを密かに送りつづけながら、オーナーはふたりに向かって再びお辞儀をする。


 他のスタッフもオーナーにならって、深々と頭をさげる。


 賓客対応のスタッフは、とても優秀だ。

 直前まで準備にてんてこ舞いだったのはおくびにもださない。

 ひたすら待たされたとしても、その不満は表情にはにじませない。


 さらに、オーナーの指示で、接待ランクが急遽、最上級に変更されたのだが、そのあせりは一切、表にはださない。

 タイミングを見計らって、ひとり、ふたりとスタッフがホールから姿を消していくのだが、それを悟られないよう、スタッフは連携プレイでカバーするのだ。

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