第1話 回想


「私、結婚するんだ」


会うなり突然の宣言に、私は思わず飲んでたジャスミン茶を吹き出した。


ここは宮益坂方面の昭和臭が漂うリーマンだらけの喫茶店の一角だ。


里和りわちゃんが大学を卒業して出版社で働き始めて二年がとうかと言うころだった。


彼女は小田急線、私は埼京線だったので、私より少し遠い場所に住んでいる里和ちゃんに譲歩して、大抵たいてい会う場所は渋谷界隈かいわいが多かった。


それでも場所がらジャスミン茶がメニューに普通にあったので一も二もなく注文し、最近そのリラックスする香りにハマっていた私が好きな飲み物をひと口飲んだ瞬間だった訳で。


そんな私の反応に、謎のカミングアウトをしてくれたまだ少女のあどけなさを残す相手は、苦笑しながら吹き出したモノを焦っておしぼりでく私を手伝おうと、自分のおしぼりを持って拭こうとしてくれていた。


私は軽くそれを左手で制し、恥ずかしい自分の不始末に更にわちゃわちゃしながら残りを荒々しく拭き去った。


しっかし、いきなり何だよ、このは!


そんな気配など微塵みじんも───と、言うより、そのテの話は滅多にする事はない里和ちゃんなのだが。


もっぱら私と会う時は、「○○○と言う作家の本が面白かった」だの、「△△△主演なのに✕✕✕って映画はイマイチだったね」と観た洋画の話だったり、「今度ラフォーレのバーゲンつき合って」みたいな、多少は近況もぼつぼつ話しはするけど終始こんな調子だった訳で。


基本、文系ヲタの私達だったので、彼女にそんな色恋の気配があったなんて、正直、ちっとも思っていなかった。


それに理想が結構高めの、意識高い系女子だと思っていたし───いや、今思えば、高校の頃ほのかに恋心を抱いていたとおぼしき相手を考えれば……。


とは言え、悲しいほどそんな気配のない朴念仁ぼくねんじんの私には、かなりの青天の霹靂へきれきだったりした。


「……え〜っと、ソレは、どう言うコトかな?」

「どう言うもこう言うも、そのまま」

「イヤ、ソレは判ってるんだけどね?」

「あれ? 香月かづきには言ってなかったっけ?」


ええ、アナタの内地こっちに来てからの色恋のハナシは初めて聞きましたよ。


高校の時だって、渋めのバイプレイヤー俳優さんが素敵、だの、ハリウッド俳優の誰某だれそれが大好き、だのが殆どだったし……まぁ、一度それらしき話は───


私が眉をひそめたまま黙っていると、彼女は自嘲気味じちょうぎみに口を開いた。


「これはね、なの」


えぇえ……?


私が怪訝けげんそうに口を開こうとすると、里和ちゃんがそれを許さぬと言った強い口調でまた言いつのった。


「自分でも判ってる。でも、私が決めた事だから」


えー……私の言おうとした事マジ判ったの?


私が困惑して口をぱくぱくしていると、


「だから、何も言わないで」


彼女は静かに私の言葉を断固拒絶する。

一体何があったと言うのか?




×××××××××××




「えー、香月かづき、まだそんなコト思ってたんだ〜」


不意に頭上から目の前にいたはずの里和ちゃんの声が降ってくる。


何か、微妙にエコーがかってる。


……はっ!?


途端に今まであったはずの世界がぐにゃりと気持ち悪く歪んだ。


そして、足元が消失したかのように真っ暗な、霧に似た闇へ体が吸い込まれてゆく。


所謂いわゆる、垂直落下が始まった。

それも猛スピードの。


いっ、やーーーーーーーーーー!?

怖い恐い怖ぁあぁ〜〜〜いっ……!!


私はフリーフォールが嫌いだ。

かく嫌いだ。

理由などない。

生理的に駄目なのだ。

死ぬほど嫌いだ。

失禁しっきんするんじゃないかと思うほど。


「あら〜、そうだったんだー。ゴメンね〜。でも、もうちょっと頑張ってー」


超のん気そうな里和ちゃんの声が、微塵もそうは思ってなさそうな声音でそう追い打ちをかけてくる。


馬鹿莫迦ばかバカーっ!!


「もうちょっとって、どれ位なのーっ!?」


脳ミソから魂が抜け出る感覚に襲われながら、思わずそう叫ばずにいられない。


耳元をゴウゴウと吹き抜ける強烈な風の音にさいなまれながら。


「もうちょっとは、もうちょっとだよ〜。でも、ココは時間の概念がいねんが人によって変わるからねー。私にはもう少し我慢してとしか言えないかも〜」


相も変わらず日和見ひよりみなほんわかした言動に、流石の私もブチ切れそうになっていた。


どう言うコトだーーーっ!?


その間にも無限地獄にちてゆくかの如く、髪の毛の先から爪先つまさきまで風のラップに押さえつけられてるみたいな苦痛が続く。


底無しの恐怖。

息がまる。


し、しぬ……しぬんだ、きっと……!


「うん、あっちでは死んでる事になってるよ。ごめんね、殺しちゃって〜」


───!!


美麗なエルフに刺された光景が脳裏のうりを過ぎる。


えっ……ソレって!


「もうちょっとで会えるから、心配しないで」


そんな明朗とも言える言葉と共に、いきなりまばゆい光が私の網膜もうまくを焼き、温かいとさえ思えるその輝きが私をふんわりと包み込んだ気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る