午前10時、あの店で

 午前9時

 慶彦は起き、リビングへと足を運ぶ。

 ガチャとドアを開け、洗面所へと向かう。

「おはよう慶彦。早起きだね」

「おはよう。まぁな」

 ん?

 慶彦は違和感を感じる。確か親は両親とも今は海外で仕事をしているはずである。悲しいことに今は1人で過ごしているはず……。

 そう思い声のした方を振り返る。

「ああ、そうだった」

 そこにはソファに座っている深淵がいた。その深淵がペットボトルのお茶を片手にこちらを見ていたのだ。

 そういえばそうだったな。

 今日の深夜に起こった出来事。それは深淵との出会い。そして唐突な契約。厳密に言えば契約はまだお試し期間の段階だが、今の時点で深淵はまだお試し期間のことを覚えているのかは謎である。

 未だぼんやりとする頭で慶彦は朝の支度を済ませに、止めた足を再び動かす。

 バシャ! と顔を洗い、冷たさを感じて一気に覚醒する。

「さて、と」

 慶彦は顔を拭き、リビングへと向かう。

 本来ならば適当に朝ご飯を済ませて趣味に没頭するなり、出掛けに行くなりとする慶彦だったが、今回は違う。

 今は自分1人ではないのだ。それ故に気遣いというものを働かせなければいけない。それに今は春休みということもあり、ここで生活習慣を少し改善しようと思ったのだ。

「なあ、お前って何か食いたいものあるか?」

「………」

 昨日の深夜から慶彦が点けてやったTVを眺めている深淵。

 どうやらTVに集中しすぎて慶彦の声が聞こえていないようである。

「おーい」

 慶彦は深淵の目の前に行き、アピールをする。

「ん? 慶彦、どうしたの?」

 深淵の視界に入り、慶彦の存在を認識する。

 さっきは俺より先に挨拶してたのによく分からんなこいつ。などの内心で呟き、慶彦は朝ご飯についての質問をする。

「私は食べなくても大丈夫だよ」

「へ?」

「気持ちだけもらっとくね。ありがと」

 優しい顔で言われ、慶彦は困惑する。

 本当にいらないのかよ。そんな疑問が頭に浮かぶ。

「本当にいらないのか?」

「大丈夫! 私は食べない、飲まない、寝ないでも生きていけるんだよ!」

 堂々と深淵の口からとんでもないパワーワードが飛び出す。

「まじで言ってるの? それ」

「人間との違いってやつだよ」

 誇らしげに胸を張る深淵。

 深淵の低身長な体のどこにそれほどまでのパワーやエネルギーがあるのか。慶彦は、理由を考えても結局分からず、もう深淵だからの1文でこの手のことは片付けることにした。

「本当に凄いな。お前」

 一周回って驚かなくなる慶彦。深淵も深淵だが、慶彦も慶彦で馴染むのが早いのだった。

 何食おうかなと悩みながら慶彦はキッチンに向かう。

 すると、深淵が慶彦についてくる。

「それにしてもてれび? ってすごいね! あんなの私初めて見たよ!」

「科学の力ってやつだな」

 やっぱり朝はパンにしようと内心で考えながら慶彦はなんとなくで返事をする。

「黒い画面が色とりどりになって、しかも声が聞こえる! 世界の出来事がたくさん知れるし、お笑いもある! すごすぎるよ!」

 半ば興奮気味の深淵。そのテンションに慶彦は少々ついていけず、引き気味になる。朝1番なのも影響していた。

「そんなに熱くなるなって」

 慶彦は深淵を鎮めようとする。

 雑に扱われて深淵は癪に障ったのか、慶彦の前に立つ。

「本当にすごいんだって! 聞いてる!?」

 慶彦は深淵の気持ちに今更になって気付く。深淵はただただ純粋に話を聞いて欲しかっただけなのだ。

 慶彦の前に立つ深淵の表情。それは怒り顔半分、寂しい顔半分だった。それが今の深淵の心情をはっきりと表していた。

 機嫌を損ねると何が起こるか分からない。ただでさえ飛んだり浮いたりしていたのである。機嫌を損ねた時は一体何が起こるのか、それが怖くなり慶彦は話を聞いてやることにする。

「悪い、ちゃんと聞く。んでどうしたんだ?」

 話を聞いてくれると分かり、深淵は顔を明るくする。

 慶彦はキッチンで朝ご飯の準備をしながら深淵の話を聞いてやる。

「ちゃんと人が動いてるんだよ! なんか音楽も出てるし、場所も気付いたら変わってる!」

 はしゃいでTVの感想を伝える深淵。

 慶彦がこんな熱心にTVのすごさを伝えてくる相手に会ったのは、深淵が初めてである。まるで妹ができたような気分になる慶彦。ここまで人懐っこい性格の奴に会うのも、慶彦にとってはこれまた初めてであった。

 朝からハイテンションの深淵と上手い具合に雑談をし、料理を開始する。

 フライパンに混ぜ合わせた卵を入れ、適当に焼いていく。ちなみに、卵は2個分使っている。

「慶彦が寝てる間もずっと動いてたんだよ! あの黒いの!」

「まぁ、機械だしな」

 菜箸で適度に卵を動かしながら慶彦は深淵と話をする。

「機械!? 機械って人が操作して動かすんじゃないの!?」

「リモコン押したろ? ほら、人が操作してる」

「そうじゃなくて! えっとほら……ね!」

 上手い例えが思い付かない様子の深淵。

 だが、機械は人が操作すると知っているのに懐中電灯は知らなかった辺り、一体どの時代を主に生きていたんだ? と不思議に思う慶彦。この深淵という存在もまた、深淵という言葉に相応しいほどの闇の深いキャラクターなのだろうか。

 右側のコンロでやはり食べたいと思い、追加でベーコンを焼き始める。これは4枚である。

 ベーコンを入れたタイミングで、慶彦はパンをトーストにかける。これは2枚である。

「とにかくすごい!」

「それはよく分かったよ」

 TV、後でちゃんと見てみよと思う慶彦。深淵があれだけ凄いと言っているので、改めて見ると少しだけ見方が変わるかもしれない。そんなことを思いながら卵を焼いていく。もちろん、ベーコンも忘れていない。

「本当? てれ………いい匂いがしてきた」

 慶彦が焼いている卵にベーコン。焼いていく内にそれらが香ばしい匂いを漂わせ始めたのだ。

 美味しそうに焼かれていく卵とベーコンを見つめ始める深淵。

「やっぱ食べたいだろ」

「うっ…………うん」

 図星をつかれ、泣く泣く深淵は肯定する。食欲には逆らえなかったようである。

「安心しろ。お前の分もちゃんとある」

「ホント!? ありがと慶彦、私嬉しいよ!」

 急に笑顔になる深淵。そういえば、と慶彦は思う。

 あんな山にいて、いつも何を食べて暮らしていたのか、と。


 本日の朝ご飯、食パンに卵とベーコンを乗っけたやつ。

 安直かつ楽な料理だが、これが意外と上手い。その為慶彦はよく好んでこれを作るのである。

「いただきまーす、と」

 雑に食前の挨拶をして、パンを口に運ぶ。相変わらず安定のおいしさだな、と安心する慶彦。

 その隣では恐る恐る口に運ぶ深淵。

 サクッとパンの角が噛まれ、いい音がなる。深淵は咀嚼し、まるで目を光らせるかのように興奮する。

「おへひーよ! ほぉれ!」

「ちゃんと食ってから話せよ」

 口の中でパンの味を堪能し、深淵は感想を告げる。

「おいしい!」

「だろうな」



 朝ご飯を食べ終わり、壁に掛けてある時計を見る。

 午前10時

 だいたいの店が開店し始める時間帯である。

 そして、慶彦は今の時間を見て焦る。そう、今日は欲しいプラモの再販日なのだ。

「やべっ」

 大急ぎで皿を水につけ、自室にあるクローゼットから服を取り出し、着替えを始める。

 適当に脱いだ服を置き、まぁいいかと財布だけを持って玄関へと走る。

「やけに急いでどうしたの?」

 深淵がすれ違いざまに質問してくる。

 慶彦は玄関へと早足で向かいながら返答する。

「これから買い物に行く。大急ぎだ」

「買い物、私も行っていい? 新しい物がたくさんあって楽しそうだから!」

 慶彦は悩む。最悪の場合足手まといになるが、なぜだか連れて行った方がいい気がするのだ。なんというか、後が面倒くさくなる気がした。ただそれだけである。

「遅れるなよ」

 それだけ行って靴を履き、ドアを開ける。

 青空がさんさんとこの街を照らし、今日という日の朝を告げていた。

 深淵も外に出る。

 ポケットに常備している鍵をかけ、早速プラモ屋に向う。

 ここから走って約800m先にあるプラモ屋。開店したばかりである。急げばまだ欲しいプラモが売っている可能性は十二分にあった。

 マンションの階段を降りていき、エントランスを出る。

「今日もいい天気だね」

 呑気に天気の話をする深淵。結構全力で走っているのに余裕そうな辺り、やはり人間とは違うんだな、と密かに思う慶彦。

「明日もいい天気だといいな」

 息も絶え絶えに慶彦は深淵と会話する。

「そうだね。あっ、でもたまには雨もいいね」

「雨はごめんだな」

 傘をさして出掛け行くの面倒くさいから、というのは言わないでおいた。疲れるからである。

 男女2人、全力疾走で向う場所はプラモ屋。はたから見れば、それは仲良くマラソンの練習でもする兄妹に見えた。

「初めてが多くて楽しいね! 慶彦!」

「そりゃお前だけだ」



 数分後、ようやく目的地に着く。

 息を整えながら店のドアを開け、目的の品が置かれているだろう棚を見に行く。

「すごいね、慶彦。ボロボロの戦車があるよ」

 ミリタリー系のプラモが置かれた棚。そこのショーケースに入っている汚れ塗装を施された戦車を見て、深淵は声を上げる。

「お前戦車は知ってるんだな」

「流石に知ってるよ。皆あれでドンパチやってたよね」

「いつの時代だよ、それ」

 なんとなく、平和な今に生まれて良かったと思う慶彦。実物の戦車なんて見たことがない慶彦にとっては、明確な戦車の運用方法なぞ想像出来なかった。

 新発売と再販の商品が一緒に置かれている棚。ようやくそこに辿り着き欲しい物があるかどうか確認する。

 今回慶彦が欲しいプラモデル。100/1サイズ、スカイルーラー。それは人気なロボットアニメに出てくるメカである。というか、慶彦はそのアニメに出てくるメカのプラモしか基本的には買わない。

「う〜ん、ない」

 結論、なかった。

 ネットで調べた所、どうやらそのプラモはなかなかに人気のプラモで、再販しても即完売が当たり前らしかったのだ。

 棚の端に山積みになって置かれている新発売のプラモ。それを見て悲しくなってから、深淵に帰ることを伝える為、深淵を探す。

「どこ行ったんだ? あいつ」

 ただでさえ不思議な人間である。それに会ってまだ半日である。行動が予測出来るはずがなく、深淵を探すのに手間取る。

 色々なコーナーの棚を巡回し、ようやく見つける。

 深淵のいた場所。そこは様々なプラモの作例が展示されているショーケースが並んでいる場所であった。そこにはモデラーの方々が丹精込めて仕上げたプラモがたくさん並んでいた。

 その中にあるプラモの1つ。それを深淵は熱心に眺めていた。

「よっ」

 とりあえずで声をかけ、慶彦も深淵の眺めているプラモを眺める。

 それは、あの棚に山積みにされていた悲しき不人気メカのプラモであった。ちなみに、名前はユージュアリー。今回発売されたのは専用ミサイル装備型である。

 深淵はそのプラモをキラキラと輝く目で見つめる。

 細部に至るまで丁寧に施された塗装に、機体への傷や汚れの表現。どこをとっても、まさに見事であった。

「慶彦、私あれ欲しい」

 そう言って眺めていたプラモ、ユージュアリーを指し示す。

 流石に展示されている作例のプラモは買えないので、慶彦はその旨を伝え

「俺が塗装してやるから、それで我慢しろ」

 そう言って、またあの棚に戻る。

 カッコいい塗装されたプラモ達を見て、慶彦は創作意欲が掻き立てられていたのだ。

「慶彦もあれ作れるの?」

 棚に向かいながら、深淵は慶彦に質問をする。

「作れるっていうか、なんというか」

 上手い言葉が見つからず、慶彦は

「まあ見れば分かるよ。」

 保険として、多分と付け加えて、深淵へと返事とする。

 山積みのプラモ。その中から1つを手に取り、値段を確認する。

 1900円。割引でそれが1700円になっていた。

 どれだけ人気ないんだよこいつ、と思いながらレジに持っていく。

「それがあの飾ってあったやつ?」

「そう、んでこれを改造したのが、お前の見てたやつ」

「あれ改造してあったんだ……」

 改造されていた事実を今になって知る深淵。

 初見じゃ分からないよな、と過去の自分と照らし合わせる慶彦。慶彦も最初は塗装品を見て、それが買ったら手に入ると思っていたのだ。

 レジに着き、会計を頼む。

「おっちゃん、頼むよ」

「ちょっと待ってくれ。あと少しなんだ」

 このおっちゃんはいつもこんなのだな、と慶彦は思う。毎度毎度会計を頼む度に、塗装しながら仕事をしていたり、プラモの改造をしながら仕事をしていたり。この雑な仕事も、個人経営の店だからこそ出来ることである。

 慶彦はレジの奥を覗く。そこには、ピンセットを使ってパーツをはめているおっちゃんの姿があった。

 おっちゃんは筋肉質の体格がいい系な人間なので、この光景はなかなかにシュールであった。

 プルプルと指を震わせながらパーツをはめるおっちゃん。慎重に、ゆっくりとパーツを優しくはめ

「よし! やっと出来た!」

 心の底から喜ぶ。ようやく地獄から解き放たれたというような表情。不器用なおっちゃんのことなので、きっとはめるのに相当な時間をかけたのだろう。

「良かったな、おっちゃん」

「ああ、辛い戦いだった……」

 まるで懐かしむように天井を見上げるおっちゃん。

 いつも通りの喜怒哀楽が激しいおっちゃんである。

「終わって良かったな。じゃあ会計頼むよ」

 いつもならおっちゃんと多少の雑談をするが、今日は早く家でプラモを作りたい気分だったので、催促をする慶彦。

「はいよ、えっ〜と……おっ! 遂に買うのかこいつ!」

 おっちゃんは嬉しそうな声を出す。

 どうやらこの様子だと在庫が有りすぎて困っていたようである。割引価格だった理由も、なんとなくそれが伺えた。

「1700円な。いや、オマケでもう100円、安くしてやるよ」

「お、太っ腹だなおっちゃん。ありがとう」

 俺は財布から1600円取り出し、手渡す。

「ちょうどだな。ほら、レシート」

 さっとレシートを作り、慶彦に渡すおっちゃん。プラモももちろん忘れてはいない。

「たまには展示用持ってきてくれよ」

「……そのうち持ってくるよ」

 そう言って店を出る。

「あの坊主にも、春が来たのかぁ」

 その声が慶彦に聞かれることはなかった。



 ガチャとドアを開け、家に入る。

「帰宅!」

 深淵が変わらずのハイテンションで家に入っていく。

「手は洗っとけよー」

「はいはい、潔癖症ね」

 本日2度目の会話をして、慶彦も手を洗いに行く。

 するとすれ違いざまに深淵が急いでリビングへと向かっていった。

 何急いでるんだ? と思いながら慶彦も手を洗う。

 と、慶彦は家の中から何か音が聞こえるのを感じた。人の喋り声である。

 慶彦は嫌な予感がした。今日、急いで家を出た慶彦。それ故に室内の確認をしっかりとしなかった。

 まさかと思い、慶彦は急いで手を洗い、うがいをしてリビングに向かう。

 そこには……。

 リモコン片手にあたふたしている深淵がいた。

 今日の深夜、慶彦は寝る直前に深淵とこんな会話をしていた。

「いいか、このボタンを押すと電源が切れるから、使わない時とか家を出る時とかは、絶対にこのボタンを押すんだぞ」

「分かった、この赤いボタンね」

「そうだ、忘れるなよ。………絶対だぞ!」

 という会話を、慶彦と深淵は深夜にしていた。

 あっ……というような表情をする深淵。

「えっ〜とね。急いでたから……ね。仕方ないね」

「言い訳だろ!」

 騒がしい2人の昼。家に来て早々、深淵は当分の間TV使用禁止になった。

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