独裁の果てに

異端者

『独裁の果てに』本文

 巨大な画面の中では、ひざまずいて許しを請う市民たちが映し出されている。

 大広間の大テーブルに集まり、それを見つめる独裁者とその側近たち。

 銃声が鳴り響き、市民たちは倒れた。地面が赤く染まる。

 独裁者はそれを見て笑い声を上げた。それに続くかのように独裁者への賛辞と笑い声が聞こえた。どれもこれも白々しいのに、彼自身は気付かない。

 この後、彼が言う「愚かな市民」を眺めながらの晩餐会となった。豪華な食事をしながら、反政府主義者たちの亡骸の山を見つめる。それは彼にとっては最高の気分だった。

 彼はこの立場が気に入っていた。彼が死ねといえば死に、誰もが彼に跪く。それを拒否する輩は処分してしまえばいい。

 彼の宮殿は今日も欺瞞ぎまんに満ちた笑いにあふれていた。そして街中では、飢えと寒さで今日も人が死んでいく……。

 そんな状況なのに、彼の周りには異を唱える者は皆無だった。


 彼は晩餐会を終えると、寝室へと戻ろうとした……が、ふと気付いた。

 ポケットに入れていた万年筆が無くなっている。おそらく大広間に落としたのだろうと思って戻ることにした。彼が国の金を食いつぶして手に入れた高級品だ。また手に入れられないこともないが、無くすには惜しい。

「あのことは、話さないでいるだろうな?」

「はい、もちろんですとも!」

 彼が大広間に入ろうとした時にそんな声が聞こえてきた。

 ――「あのこと」だと? まさか……。

 彼が素知らぬ顔で入ると、側近の一人がその配下と話している最中だった。

「おや! 閣下! どうされました?」

 側近はとぼけた様子でそう言った。配下はしゃんと背筋を正す。

「いや、忘れ物をしただけだ……なんでもない」

 彼は自分の座っていた辺りを見ると、すぐにそれは見つかった。

 ひょいと万年筆を拾い上げるとポケットに入れる。

「お前こそ、こんな時間にどうかしたのか?」

「いえいえ、晩酌用のワインを持ってくるように命じていただけです」

 側近は顔色一つ変えずに言った。

 化け狸が。

 彼は心の中でそう毒づいた。この男は自分よりも年老いているが油断はならない。幹部連中の中でも、一番自分を利用して甘い汁を吸っていることを知っていた。

 いっそのこと、ここでクーデターをくわだてたと言って反逆罪にしてしまおうか?

 そうは思ったが、思いとどまる。

 彼がいくら独裁者だといっても、幹部を手に掛けるにはそれなりの理由が必要だ。

 しばらく泳がせておこう。

 そう思うと、彼はその側近に監視を付けることにした。


 やはり、その側近の動きが怪しいという報告が入った。

 度々地下室に出入りしているのが見られたそうだ。

 その地下室は――旧支配者が利用していた物で今は物置のようになっているはずだが……独裁者は妙に好奇心が湧いてきた。

 次にその側近が地下室に向かった時に告げるように監視に伝える。

 その日は、思いの外早く、二日後の晩だった。

 気付かれぬように側近の後を付ける独裁者。本来ならば、もしもの時のことを考えて護衛を付けるべきだったが、好奇心の方が強かった。実を言うと、彼は少しだけ退屈していた。なんでも思い通りになり過ぎたからだ。

 地下室にはいつの間にか重々しい鉄の扉が付けられていた。それを開いて入っていく側近。遅れて独裁者も入った。

 閉める時に大きな音がしたが、幸い側近は奥の所に居るのか気付いて戻ってくる気配はない。

 それにしても薄暗い。円筒形の水槽のようなものが照らし出されているが、目が慣れるには少し時間が掛かった。ようやくはっきりと見え始めた時――

「なんだこれは!?」

 彼は悲鳴を上げていた。

 円筒形の水槽のような物の中に、チューブに繋がれた人が入っている。

 それも知らぬ顔ではない――彼自身の顔だ。

「あ~あ、とうとう見つかっちゃいましたね」

 あの側近が水槽の陰から顔を出した。

「お前は……どういうことだ!? 私の偽物を作って、何を企んでいる!?」

 彼はしどろもどろになって、そう言うのが精一杯だった。

「偽物? 違います。これは本物です……これからのね」

「私のクローンを造って、この国を乗っ取ろうというのか!?」

 それを聞くと、側近はおかしげに笑った。あの大広間では見せなかった、本物の笑いだ。

「おやおや、あなたは勘違いされているようだ」

 そこで一呼吸置く。

「あなただって……偽物ですよ。本物はもう二年も前に死んでいます。……でも、それで私が権力を手放さなければならないと考えたら惜しくなりましてね。だから、こうしてクローンで場を繋ごうと考えた訳ですよ」

 側近は懐から銃を取り出すと彼に向けた。

「ま、失敗作だから二月毎に取り換えなければならないんですがね。記憶を移すのも手間ですし……今回は、それが少し早くなったと思えば――」

 独裁者がきびすを返して逃げようとした瞬間、背後で銃声が響いた。

「追え! 殺して構わん! クローンなどいくらでも作れる!」

 そう怒鳴り声が聞こえると、どこからともなく兵士たちが集まってきた。

 独裁者は半狂乱になりつつもその中の一人からアサルトライフルを取り上げると、乱射しながら逃げ出した。


 宮殿をなんとか脱出した彼だったが、他に行く当てもなかった。

 外は寒く、ひもじかった。ここ十数年、自分の金で物を買う必要などなかったから、財布も持っていなかった。

 彼は当てもなくふらふらとさまよいながら、道行く人に「金を貸してくれ」と頼み始めた。

 そのうち、人が集まってきた。

「おい! こいつあの独裁者じゃないか!?」

「嘘だろ!? 病気静養中だって聞いたぞ!」

「こいつが本物かなんてどうでもいい! やっちまおう!」

 市民たちは怒りと憎しみのこもった目を彼に向けた。

「違う! 私は利用されていたクローンなんだ!」

 彼は必死でそう訴えたが、市民たちは聞かなかった。

 殴る蹴るの暴行が始まる。ご丁寧に棍棒のような鈍器まで用意してくる輩まで居る。

 独裁者は、こうして本当は自分がどれだけ嫌われていたか実感した。

 止まることのない暴行であばらは折れ、額が割れて血が流れだす。それでも止まらない。

 歯は抜け、顎は割れ、もう弁明しようにもふがふがと不明瞭な言葉を繰り返すだけだ。

 こんなことなら、普通に生きて普通に死にたかった――彼はそう思ったが、何もかもが手遅れだった。

 ようやく暴行が治まったのは、彼の瞳孔どうこうが開いてから随分後のことだった。

 原形を留めないぼろきれのようになった彼の亡骸を、市民たちは冷たい目で見降ろしていた。


 国営放送では、病気から復帰したとされる新しいクローンが演説していた。

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