第117話 彼女の悩みとオープン

2019年8月 Vandits field <中嶋 由衣>

 Vandits fieldの敷地内には外壁沿いをぐるっと回るようにランニングコースが作られています。駐車場からスタジアム外周を経て、宿泊施設前の分かれ道を坂の方へ上がっていきます。200mほどの坂道の上には野球場がありそこで折り返します。宿泊施設前の分かれ道で、来た道とは違う道へ行くと陣内食事処が構えられる為の広場スペースなどを通ってスタート地点の駐車場に戻ります。

 一周1.2kmほどの距離をトレーニングの無い日の夕方4周走ります。自宅周りは毎朝2km走るようにしています。


 私は美咲先輩や茜先輩のようにサッカーで全国大会に出た事も無ければ、公式戦すらまともに出場出来た事はありません。中学の時は男子に交じって出場も出来ていましたが、高校に入ってからは練習しかしてこなかった2年間でした。


 Vandits安芸の女子部に加入出来て、お仕事もアルバイトですが農園のお手伝いもさせていただけるようになり、少しお小遣いも増えました。原田コーチと御岳コーチ、そしてVandits安芸の選手の皆さんが安芸高校サッカー部とVandits安芸のジュニアユースチームの指導に来ていただけるおかげで、私達女子部も一緒に指導していただけますし、何よりミニゲームや練習試合ですが試合を経験出来る事が本当に嬉しいんです。


 今日は未成年組は男女共に休養日です。学校が終わり、そのまま電車でVandits fieldまで来てランニングをしています。走り終えたのはもうすぐ夜の7時になるところでした。駐車場で汗を拭っていると、宿泊施設や体育館がある階段から誰かが下りてくるのが見えました。

 及川選手でした!普段は練習の時しかお見掛けしないので、こんな所で会えるとは思わず緊張してきました。及川さんも私に気付いたみたいです。


 「あれ?女子部の中嶋さんやんか!こんな時間にどうした?」

 「あっ....ランニングコースでランニングを....」


 私の名前を知ってくれている!及川さんはまだ女子部の指導ではお世話になった事がありません。まさか知ってくれてたなんて。及川さんが社員の雪村さんとお付き合いしている事は葵先輩から聞いていて、馴れ初めも女子部の中では、羨ましい!ロマンチック!としょっちゅう話題に上がるくらいです。


 「偉いなぁ。休みやろ?今日。親御さん迎えに来てくれるが?」

 「いえ、電車で帰ります。」

 「えっ!?いかんいかん!送るき、乗りや。」

 「いえ!そんな!悪いです!」


 車で送ってくれると言ってくれましたが、駅まではそんなに遠くないしそれに汗もかいてるし....


 「高校生を夜間に一人で帰らせたなんて常藤さんに知られたら怒られるき。」


 及川さんは笑顔でそう言ってくれます。あまりお断りするのも悪いなと思い、少し待っていただいて着替えだけ済ませて及川さんの車に乗り込みました。


 「失礼します。あっ、良い香り。」


 及川さんの車は黒のボックスカーで中はすごく良い匂いがしました。私が思わずつぶやくと及川さんは照れたように教えてくれました。


 「オレはこう言うのうといんやけどね。雪村さんが好きながよ。この匂い。」

 「そうなんですねぇ♪良いですね。この香り。」


 匂いって言ってしまう所が何かおじさんっぽいけど、雪村さんが好きになるのが分かるくらい、及川さんの照れた顔が年上の方なんですけど可愛く見えました。


 家までの時間で及川さんと話をしました。


 「トレーニングしたい気持ちは分かるけど、休養日は休養日でしっかり休んどかんと疲労って意外に体に蓄積するで?若くても。」

 「........」

 「何か、あった?」


 私は自分の不安を及川さんに聞いて貰う事にしました。


 「私、不安で。葵先輩も美咲先輩も学生時代は全国で活躍してて、一緒に練習してても私達が足を引っ張ってるの、分かるんです。だから、チームが出来たとしても勝てないんじゃないかって。」


 及川さんは真剣な顔で前を向いて運転していました。安芸市にある会社の事務所の駐車場に車を停めると私の方を向いて応えてくれました。


 「不安な気持ちは分かる。山口や渡邉に比べて中嶋さんは試合経験も少ないきね。でもね、不安な気持ちはあって良い。でも、勝てないって気持ちは持っちゃダメ。特に、対戦相手が決まった後はね。」

 「はい..」

 「まぁ、そう言う事もこれから指導して貰えると思うけど、メンタルの部分に関してはどうしても指導だけでどうにかなるもんでもないしね。」

 「失礼な事を言ってしまうかも知れませんが、良いですか?」

 「良いよ。ドンとこい。」


 及川さんが胸を叩き、思わず笑ってしまいました。


 「及川さんはプロになるって決めて、このチーム作って、今まで不安じゃなかったですか?無理かもって思いませんでしたか?」

 「うぅ~ん....思わんかったって言うたら嘘になるけど、それ以上に、いや、なんて言うがやろ、オレ以上にオレの事を信じてくれちゅう奴らがおるきよ。そいつらの信頼は裏切れんかなって。」


 及川さんの顔は何か、嬉しそうな寂しそうな、複雑な表情に見えました。


 「チームを止めた望月はオレがチームを作るなら一緒に会社辞めるって言って前の会社を辞めた。八木はプロになれる才能があるのに、オレ達とサッカーしたいって言ってこのチームに入ってくれた。」

 「はい。」

 「そして何より、オレを信じて馬鹿みたいに金かけて会社作って、チーム作って、会社とチーム守る為に自分の今までの社会人としての成功を全部投げ打った友達がおるがよ。そんなんされたら、止めるって言えんやん?」

 「....はい。」


 冴木さんの事だと分かりました。私は数回しかお見掛けした事は無いですし、ご挨拶くらいしかした事は無いですが、皆さんからお話を聞いていてもすごく良い社長さんだったと聞いています。今は農園のお手伝いをされてると聞きました。


 「中嶋さんにも中嶋さんの事を応援してくれてる人はおるやろ?頑張りよぉくらいじゃなくて、プロになれるよ!って信じてくれゆう人。」

 「はい。妹が、いつもお姉ちゃんは絶対にプロになれる、私も追いかけるって言ってくれてるんです。妹、来年ジュニアユース受けたいみたいで。」

 「じゃあ、中嶋さんもオレと一緒や。裏切れんやろ?妹さんの気持ち。」


 そっか。誰かが信じてくれてるから頑張れるのか。そうだよね。何か自分の不安ばっかりで一杯になってた。


 「ありがとうございます。何かちょっとすっきりしました。」

 「そっか、それなら良かっ..」コンコンッ!


 急なノックに二人でビクッとするとこちらを向いている及川さんの向こう側のガラスに葵先輩と雪村さんが。

 ゆっくりと窓ガラスをスライドさせると葵先輩がニヤリと笑っています。


 「まさか会社の駐車場で未成年と浮気とは。及川さんも隅に置けませんねぇ。」

 「馬鹿。スタジアムの周りでランニングしよったき、送っていくついでに相談に乗りよっただけ。」

 「ホントですかぁ?」

 「やましい気持ちがあるなら、わざわざ事務所の駐車場なんか来るか。」

 「あれ?やましい気持ちがある時があるみたいな言い方して..痛ッッ!!」

 「いい加減にしなさい。」


 ふざけている葵先輩の頭を後ろから雪村さんが小突きます。葵先輩が舌を出してお二人に謝っています。私も思わず笑ってしまいました。


 「二人とも送るから乗りや。」

 「やったぁ!由衣のおかげぇ!でも、あんまり遅くに一人でトレーニングはダメよ。それに今日は休養日でしょ!?」

 「はい。及川さんに注意されたトコです。」

 「そっか。で、悩みって何?」

 「大丈夫です。解決....するものじゃないかも知れないですけど、ちょっと光が見えたので。」


 私の言葉に不思議そうな顔をする葵先輩とにっこり笑う及川さん。「何の話だったんですか?」と及川さんに聞き続ける葵先輩を後部座席でなだめ続ける雪村さん。皆さんの雰囲気が凄く素敵で、楽しそうでした。

 私もこんな会社で働いてみたいなと初めて思った日でした。


 ・・・・・・・・・・

2019年8月 芸西村 村内 <和瀧 登>

 広い店内では1時間後に迫ったオープンに向けて、従業員の皆で最後の確認をしていました。値札・商品の陳列・レジの打ち方から接客の流れ、カフェスペースでも最後の確認をしているようです。


 ついに待ちに待ったデポルト・ファミリアの直売所『えんがわ』のオープンの日です。店名は皆で相当悩みました。ファミリアの管理するホテルやアパート等はほぼ横文字の名前なので当初は店名も横文字で考えましたが、やはり地元の人に覚えてもらいやすい名前をと言う事で『えんがわ』となりました。


 この名前を付けるきっかけになったのは茂さんのお宅で皆で昼休憩をしている時に近所の農家さんが自分の畑で採れた野菜を茂さんにお裾分けに来て、茂さんの奥さんの文江さんがおかずをお返しに渡していた時に縁側でやりとりしていたのを思い出した望月さんが提案してくれました。


 僕達と地元の方、そして観光で来られた方と地元の方、もちろん地元の方同士が縁側に座ってお話するようにこのお店で楽しんで貰いたいと思っています。


 このオープンに合わせて路地の畑とハウスで収穫時期を調整しながら作付けして、間に合わなかった野菜もありますが、うちの農園だけで14種類。茂さんのお宅とトヨさん、日野さんのお宅から6種類の野菜と新鮮な卵も納品されて店内に所狭しと並んでいます。

 販売スペースは初年度に関しては野菜オンリーになりますが、来年に向けて加工品の販売も視野に入れています。漬物や梅干し、地元の豆腐屋さんにも10月から納品していただけるお約束になっています。


 二階のカフェスペース『engawa』では朝はモーニング、昼は3種類のランチを出す予定です。お客様の入り具合を見てメニューなどは考えていこうとなっています。雪村さんや常藤さんなどホテル事業も携わっていた皆さんのおかげで、コーヒーや紅茶、日本茶などはそこら辺の喫茶店やカフェにも負けないクオリティと種類を取り揃えました。この為にバリスタ経験のあるスタッフも雇い入れ、本格的なエスプレッソマシーンも投入しています。


 これは冴木さんが運営にいた時から決まっていた事ですが、基本的には『えんがわ』は水曜~日曜の朝8時~18時までの営業で、『engawa』は全日(朝8時から15時営業)が水曜日~金曜、土・日の営業はランチ営業(11時~13時まで)のみとなっています。

 これに関しても最初からガッツリと営業をしてもスタッフが対応しきれないだろうし、慣れて来てお客様が多いようなら将来的に営業日を増やしたり時間を長くすれば良いと言う事で落ち着きました。


 一階の将来的に加工品が販売されるスペースには、今のところはVandits安芸のグッズショップが期間限定で出店しています。ここでオープン記念で発売されるのは昨日Vandits安芸の公式HPで発表されたばかりのチームマスコット『せんじゅ丸』のステッカーとキーホルダー、そしてフェイスタオルです。


 最初はご当地では有名な戦国武将の安芸国虎から「くにとら」と言う名前にしようとしたのですが、お店の名前やらお酒の名前やら国虎と言う名前が使われている物が意外に高知県東部には溢れていて、珍しさが無いと言う事で安芸国虎の長男の幼名『千寿丸』から名付けました。

 総髪の可愛い三頭身キャラクターで一年以上かけて有澤さんが考えた渾身の作品です。これで冴木さん・常藤さんからGOサインが出た時に思わず有澤さんが涙を流した事は事務所でも話題になりました。


 とりあえず今年度に関しては『えんがわ』内のグッズショップのみの限定販売として、来年度から公式ネットストアでの販売も開始します。最初は限定デザインなどで売り出してはどうかと言う意見もありましたが、冴木さんの


 「その限定が手に入らなかった方の事を考えると安易に限定デザインに頼るのは止めた方が良い。今はまだ小さな市場規模だけど、J入りした後には転売目的の買い占めなんかで手に入らない人が続出してもこちらも悲しくなる。余程の事が無い限り、基本Vandits安芸グッズで限定品は作らないようにしよう」


と言う意見に皆が納得し、今後は先行販売はあっても限定販売は行わない事が基本となりました。


 今日は販売スタッフは午前と午後で6名ずつの交代制。カフェスペースもシフト制で常時ホール7名、キッチン3名以上が常駐するようになっています。ちなみにカフェスペースは満席で28名座る事が出来ます。


 さて、そろそろ時間です。入口前では40人程のお客様が既に並んでくれています。この後入り口前の駐車場兼広場で短いオープンイベントをしてから開店となります。農園部に所属しているメンバーは作業着姿で常藤さんや真子さんと共にお客様を迎えます。


 「いよいよっスね!!!」

 「そうだね。待ちに待ってたからね。」


 八木が嬉しそうに話しかけてくれる。皆、今日の日を楽しみに準備を進めてきました。

 さぁ、お客様をお迎えしましょう。

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