第116話 それぞれの遅い春
2019年7月下旬 Vandits garage <常藤 正昭>
個室会議室で私と板垣監督、そして各部署の部長が勢揃いしています。今日は今後の会社、Vandits安芸の事で皆さんに相談しなければならない事があって、意見を聞きたいと思い集まってもらいました。
「以前からも板垣監督や御岳コーチとはいつにするかと議論を重ねてきましたが、四国リーグでの成績次第、つまりJFLへの昇格が現実味を帯びた時点で八木君・五月君・伊藤君・高瀬君に関してはプロ契約を視野に入れています。あと、岡田君に関しても怪我の具合と試合での内容を見て同時期でのプロ契約を考えています。」
その言葉に皆さんは「来たか」と言うような表情の人が多いです。まぁ、ずっと後回しにし続けてきた話題でしたから、遅かれ早かれきちんと話し合わなければいけない事でした。
「八木君・五月君・高瀬君に関しては各部署でも非常に貴重な戦力だと言う事は承知しています。しかし、チームが今後プロ化の波に乗る時にその先頭に立ってもらうのは、チームでの重要性や結果から考えても伊藤君を含めたこの4名が真っ先に候補に挙がります。その事について板垣監督はどうお考えですか?」
「はい。もちろん企業としての活動があってのクラブですので私達としても理解はしております。しかし、今後クラブが成長し上のカテゴリーに上がるにつれて、これらの選手が他のチームの移籍リストに名前が挙がる事は確実です。その中でチーム立上げの時から言っている移籍の話があった時に当該選手にもしっかりとその話を伝えると言う約束事があります。それは選手に対するチームとしての、そして他チームからの評価をしっかりと選手自身に理解して貰う為だと考えています。そう考えれば主要選手に対してプロ契約を打診する事は、ヴァンディッツとして、デポルト・ファミリアとしてのその選手に対する評価にもなると思います。ですので、強化部とコーチ陣としてはこの話には賛成です。」
ここで秋山くんが手を挙げます。
「正直言って今すぐでは無いと言うのにホッとしてます。今回の4人に関しては営業部所属はいませんが、この会社で部長職以外が全てサッカー部なのはうちの営業部だけです。今シーズンの活躍を見ても飯島君や大西君がその流れの候補に入る日も遠くないと私としては考えています。なので、今後はサッカー部外の社員の充実をお願いする事と、サッカー部のメンバーに対して現段階でプロ契約を望んでいる選手とそうでない選手をしっかりと会社が把握する必要はあるかと思います。」
そうですね。プロ契約を望んでも会社としてはその候補に入らない選手はいるでしょうし、それよりも重要なのはその反対。所謂、会社としてはプロ契約を考えているのに本人はその意思が無いと言う場合です。
そこを把握しておかないと今後社員の補充などを考える事にも差し障ってきます。
ここで今度は板垣監督が手を挙げます。
「一つ、サッカー部からの報告ですが、中堀選手に関しては本人からはっきりとプロ契約の意志は無いと言われています。本人はこのチームのコーチを希望しており、それ以外では社員として働きたいと伝えられています。」
その報告に私も含め皆さんが少しざわつきます。中堀君は確かに将来的には育成・指導や監督業への打診はしてありました。しかし、それは本人が悔いが残らない所まで選手としてやり切ったと思えた時に判断してくれればいいと言う話でした。
「今回の怪我の事もあり今後の事を考えたようです。本人はもちろん納得いくまではプレイする気持ちはあるようですが、それと同じくらいに育成世代の指導やチーム運営・監督業の勉強に興味が湧いているようです。まぁ、入院とリハビリの期間にトレーニングが出来ないのでA級ライセンスの勉強などをしていたのが気持ちの変わるきっかけになったのかも知れません。チームとしてもまだまだ彼には活躍して貰わなければならないと考えていますが、少なくともプロ契約と言う話がもしチーム内で出た場合は私の方で断って貰いたいと頼まれました。」
自分の将来をしっかりと方向付ける。出来るようでなかなか踏み切れる物ではないと思います。特にチームがプロ入りに向けて順調に進んでいる中で、このような判断をするのは難しいでしょう。
しかし、中堀君の中では既に先を見ているのかも知れません。ヴァンディッツがこのまま順調にJFLまたはJリーグ入り出来たとすると、選手と同じように注目を集めるのはそれを導いたコーチ陣です。特に板垣監督はここまで監督経験も無く、初めて監督として率いたチームがヴァンディッツです。新たな指導者を探すチームにとっては魅力的に写るでしょう。
そうなった時にも選手・コーチ共に常に先を考えた対策は練らなければなりません。S級ライセンス取得の為に勉強を続けている板垣監督ですが、有難い事に原田コーチと御岳コーチは共にA級ライセンスを取得されています。JFLまでならば監督の代理を務める事も出来ます。
当初はその役目は中堀君に務めてもらう予定でしたが、ライセンス保持してからの指導期間などの制約もあり、JFL昇格までに間に合わないとなってA級ライセンスを保持している指導者を探していました。原田コーチと御岳コーチには本当に感謝しています。
「中堀君にも当然移籍や引き抜きの話が来ても可笑しくないって事ですよね?」
広報の杉山さんからは選手だけに関わらない心配事の確認もありました。
「そうですね。もちろんその可能性もあります。これに関しては選手同様、当人としっかり普段からコミュニケーションを取って残って貰えるような環境を私達で作っていくしかありません。」
「なるほど。分かりました。」
Vandits安芸はリーグ戦がサマーブレイクに入りました。ここまでの6節全勝で折り返せており、二敗以上しなければ一位が確保出来ます。全勝の場合は第8節まで全勝であれば優勝が確定します。
当然油断は禁物です。この夏の間をどう過ごすかは今シーズンだけでなく、この先サッカー選手として活動する中では毎年の課題となるでしょう。私達も少しでも選手達の助けになれるように環境作りは考えていかなくてはいけません。
・・・・・・・・・・
2019年8月 自宅 <及川 司>
自宅での夕食が終わり食器を無事に洗い終えたオレは手を拭きながら、隣で珈琲を淹れる為のお湯を沸かしている裕子さんに声をかける。
「そう言えば知っちゅう?坂口さんの話。」
裕子さんの眉がピクリと動き薄ぅ~い目をしながらこちらを見る。部署も違い部署間の仕事でもほとんど絡みが無いはずのオレから出た坂口さんの話に何かを怪しんでいるのだろうか?
「違うきね?真子さん情報。」
「真子さん?なにかあったの?」
良かった。疑いは晴れたらしい。二人でポットとカップを手分けして持ち、居間へと移る。会社へ入ったばかりの頃はワンルームの部屋に住んでいたが、給料が上がり裕子さんと付き合い始めた事もあって、状態の良い一軒家を会社に紹介してもらい賃貸で借りた。ちなみに同棲はしていない。
コーヒーを淹れながら話を続ける。
「坂口さんと高瀬........付き合いゆうらしいがよね。」
裕子さんがドリップをしながら動きを止める。お湯は流れ続けていた。「はいはいはいはい!」と傾けていたポットを戻してあげると「あっ!」と現実に戻って来てくれたらしい。
「どこ情報ですかぁ?間違いないんですかぁ?」
あまり信用していないのだろう。思わず敬語が出ている。疑っている時の彼女の癖だ。
「こないだ坂口さん有給取っちょったろ?4連休。」
「あぁ、実家帰るって言ってた。」
「実はさ、高瀬も有給取っちょったがよ。あいつの場合は有休は一日で公休と合わせて二日間やったけど。」
「偶然じゃない?」
「....高瀬のお土産がよ?出陣餅と朱鷺の子ってお菓子やったがよねぇ。まさかの新潟銘菓。」
「あ....坂口さんの実家、新潟....」
「........サッカー部に持ってきたお土産でよ、オレ等バカやき気付かんとでも思ったがやろうか?まぁ、バッチリ山口と雨宮が気付いちょったけど。」
「本人は何て?」
「Jリーグの試合観戦に行っちょったって。」
「あぁ~........」
ですよね?そりゃ、確かに偶然って事もある。新潟にもJリーグ所属のチームはあるから、その試合観戦に行ってたと言われても可笑しくないのかもしれない。しかし、この三年間で有休や長期休暇があっても、実家に帰る以外はまったく高知から出なかった男が、急に新潟に一人旅?無理がある無理がある。観戦旅行なんてそんな言い訳は通用しない。
それに最大の過ちはその七月最終週の週末二日間、確かに新潟の試合はあったが、新潟はアウェイで東京にいた。そう、新潟県でのJリーグの試合は行われていない。
これを調べる時の雨宮のキーボードを打つ手の速かった事。本人のいない場ではあったが、高瀬のクロが完全に確定した瞬間だった。
「え?新潟に行ってたって、ご両親に挨拶とか?」
「いやぁ~....どうやろう?まぁ、いつから付き合いだしたかも分からんし、ホントに付き合ってるかどうかも分からんしね。」
「これ、本人達はまだ気づかれたと思ってないよね?」
「たぶんね。でも、もう遅いと思うで?雨宮と山口が知ったがで?」
「あっ........」
俺の一言で裕子さんが察する。山口と雨宮は高知に来て以降、女子会に参加している真子さん・秋山さん・裕子さんの『ゴシップ大好き三姉妹』の影響をもろに受けており、この手の噂話を他で聞きつけるとすぐに真子さんか秋山さんに話が飛ぶようになっている。裕子さんに話が来なかったのは、恐らくだが自分達が話さなくてもオレから話がいくだろうと考えたんだと思う。
「えっとぉ....責任を感じております。」
「ははは!まぁ、もし気付かれたくなかったんやったら、本人らの不注意やしね。まぁ、それに悪い話じゃないし。」
「そうだよね!良い事だもんね!」
裕子さん、ゴシップ云々に罪悪感でもあるのか、顔が引きつってる。まぁ、本人達ももしかしたら気付いて欲しいのかも知れないしな。こればっかりは言って来るまで待ってやるぐらいしか出来ない。
何よりこの話題で最近沈みがちだった控室の皆が笑顔になれたのも嬉しかった。
・・・・・・・・・・
2019年 8月初旬 <中堀 貴之>
安芸鍼灸接骨院の松村先生と、理学療法士・作業療法士の資格を持ちこの春からVandits安芸のコンディショントレーナーとして採用された白川先生。俺の状態を見ながら二人で話をしている。
「うん。僕としては問題無いと思いますが、普段からトレーニングを見られてるのは白川先生ですから。最終判断はお願いしたいと思っていますが、どうでしょう?」
「そうですね。ここまでのランニングを含めたトレーニングと軽めのダッシュでもその後問題も無いようですし、瞬発系のメニューも状態を見ながら始めても良いと思います。」
それを聞いて思わずホッとしてしまった。それをお二人が見て笑っている。
「待たせてごめんね。常藤さんや監督からも慎重に判断して欲しいと言われてるからね。」
「あっ!すみません!!でも、嬉しいです。」
「松村先生とも言ってたけど、これだけ勤勉な患者さんもなかなかいないからね。どうしても状態が良いと思ったら、個人の判断でトレーニング始めちゃう人も多いから。そう言う意味では安心して診られたよ。」
「ただっっ!!無理だけは禁物だよ!!それは中堀君が一番分かってると思ってるけど。ハムストリングスは癖になる人はなっちゃうものだから。ストレッチ、入念にね。」
「はい。」
俺の返事に松村先生は嬉しそうに頷いている。本当にお二人だけでなく、安芸鍼灸接骨院の他のスタッフの皆さんにも心配をかけてしまった。トレーニングの時はトレーナーさん以外にお二人か安芸鍼灸接骨院のスタッフさんの誰かが必ず付きっ切りで見てくれていた。チームにとっては初めての長期離脱の故障者だっただけに、常藤さんや冴木さんにも本当に心配をかけてしまった。これで少しは安心させられる報告が出来そうだ。
Vandits fieldのマッサージルームを出ると誰もいない控室に、お二人以上に世話になった人が座っていた。
「どうでしたか!?」
「明日から瞬発系のトレーニングをしても良いそうだ。まぁ、変わらず皆さん付きっ切りにはなるんだろうけど。」
「........良かったぁ~。良かったですね。」
「あぁ、色々と助かった。ありがとう、山口。」
「大丈夫です!」
実は山口のサポートは七月中旬のトレーニングが始まる前にもう終わっている。しかしなぜかトレーニングや診察の時間に、山口の時間が空いていると同席する事が多かった。
そりゃ、俺も馬鹿で鈍感では無い。今日までのサポートのある生活の中で山口の気持ちに気付けていない訳じゃない。でも、それをまだ受け止められる気持ちの余裕は無いし、山口自身もそれを望んでいないような気がしていた。いや、俺の勝手な解釈かも知れないが。
「散々世話になってるからな。今日は晩飯奢るよ。」
「えぇ~!良いですよ!!」
「後輩が遠慮するもんじゃねぇ!それに男の一人飯なんて寂しいんだから、付き合ってくれよ。」
精一杯の強がりだ。「お前に感謝してるから一緒に食べよう」なんて五月みたいな事は口が裂けても言えない。山口は嬉しそうに「じゃぁ、ご馳走様です。」とスキップしていた。
そんな光景を後ろでお二人がそっと見ているのは、気にしない振りをしないとやってられない。
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