第115話 求める人

2019年7月 Vandits garage <山口 葵>

 午前中で仕事が終了し、今日は女子部のミーティングが午後から入っています。社員として働いている私と美咲(渡邉)が原田コーチとのミーティングに参加します。

 来月に予定されている女子部の初めてのセレクション。その参加者が絞られたのでそのプロフィールを私達にも見せていただける事になりました。


 参加者は全部で22名。最年少は規定の最年少でもある中学3年生が4名。最年長は22歳の大学4年生が3名。殆どが来年度に高校・大学・新社会人に臨む卒業年代の人でした。ポジションはDFが最も多く8名、GK3名、MF6名、FW5名でした。私と美咲はタブレット端末でデータ化された参加者のプロフィールを見ています。


 全国大会出場経験者は2名のうちレギュラーだった人が1名。その他の参加者は全国大会経験は無く、学校としても強豪校として名前を聞いた事は無い学校名ばかりでした。

 しかし、私の持論ですが女子選手に関しては高校卒業くらいまでは全国大会経験や強豪校出身と言うのはほとんど関係ないと言えます。と言うのも、女子サッカー自体が代表クラスや欧州女子リーグレベルにまで上がらないと、パスやドリブルなどの個人技での活躍と言うのは少ないと言えるからです。それよりはチーム戦術の理解度や適応力の高さなどが必要とされる事が多いと感じます。


 なので、今回のセレクションでもボールタッチやパス技術はもちろん一番の注目点になるのですが、どちらかと言えばヴァンディッツ女子部のサッカーに上手く適応出来る選手がどれだけ来てくれるかと言うのが心配な部分です。


 「でも、一番サッカー歴が短い子でも中学3年生で5年ですか。たしか書類審査で落としたのは10名くらいなんですよね?」

 「そうだな。今回に関しては中学3年時点で2年、高校卒業時点で4年以下のサッカー歴の子に関しては申し訳ないが書類の時点で落とさせてもらってる。」


 チームとしては出来れば全員の能力を直接見たいのですが、県外からの参加者も多いので宿泊施設の確保や、男子のセレクションとは違い女子の場合は気遣う部分も多いので極力少ない人数での実施になりました。

 そこで原田コーチが一枚のプロフィールを紙で見せてくれました。


 「これ、急遽参加って言うか、ほぼ加入が確定してる選手だ。本人と今の所属チームから移籍したいと打診があった。これに関しては向こうから加入の為の条件はこれと言って無い。社員待遇の加入で構わないと言って来てる。」


 そんな人がいるの?そう思いながら資料を覗き込み、私は動きが止まりました。いえ、私だけではありません。美咲も驚いた表情で私とプロフィールを交互に見ています。

 プロフィールには『井上 優』の名前がありました。藤枝女子時代のチームメイト。高校卒業と共にその当時のなでしこリーグ1部に所属していた三重上野FCに加入し現在も在籍しているGKです。高校時代には選手権とインターハイを優勝して、優は世代別代表のGKとしても1年半活動していました。

 三重上野ではなかなか第一GKのポジションを掴めなかったようですが、昨シーズンの開幕からレギュラーとなると前シーズンで2部に降格してしまったチームを一年で1部へ復帰させる活躍をして2部のベスト11にも選ばれた選手です。


 「そんなっ!どうして優が!?1部に上がれて今年も良い調子で来てるのに。」


 信じられませんでした。やっと掴んだレギュラーポジションとなでしこ1部の待遇を捨てて新規立ち上げチームに加入するような選手では無いんです。


 「チームからの説明を聞いても、本人の強い意志としか答えてくれない。恐らくチームからも相当強い慰留があったんだろうが、本人が首を縦に振らなかったらしい。」


 私は原田コーチと美咲に断りを入れて、席を立ちすぐにスマホで優の携帯番号を探します。しばらくコール音が流れた後に「....もしもし。」と優の声が聞こえた。


 「もしもし!あたし!どう言う事!?」

 「久しぶりに電話かけてきたかと思ったらご挨拶ね。葵。」

 「今、うちのコーチから聞いたわ!どう言う事!?」

 「どう言う事って移籍したいって気持ちを伝えてチームに了承して貰っただけよ。まぁ、そちらからまだOKは貰えてないみたいだけど。」

 「まだ選手すら揃ってないチームよ?気は確かッ!?」


 電話口の向こうで小さく笑っている。明るい性格なのに試合中はいつでも冷静、チームを後ろから常に勇気付けてくれる存在だった優。やっと選手として活躍出来始めた所なのに。


 「私が上野を選んで、葵が大学を選んだ時に言ったよね?何年先になるか分からないけど、もう一回同じチームでサッカーするんだからねって。」


 胸の奥が痛くなる。忘れてない。怪我が原因で大学に進みサッカーからも離れるとチームメイトに報告した時、一番怒って一番心配してくれたのが優だった。怒られて当然なんです。同じ福井県の小学校で、優をサッカーに誘ったのは私でした。小学校の頃から身長も高かった優を誰もやりたがらなかったGKに誘ったら笑顔で良いよと言ってくれて、それ以来の付き合い。中学も、そして藤枝女子からのスカウトも私と一緒なら行きますと答えて、他の学校からも誘いが来ていた私は嬉しくて藤枝を選びました。


 泣きながら私の胸を叩き、「あんたが誘ったのに!何で諦めるの!?」と怒られた。でも、最後には街の小さな商店街チームでも日本代表でも良い。もう一回一緒にサッカーやるんだからね!辞めちゃダメだからね!と何度も涙ながらに訴えられました。その事があって私は大学でも腐る事無く復帰を目指してリハビリを続けられました。


 でも、完全な復帰が卒業までに間に合わず、一般企業への就職を考えた時にスポーツ事業を展開していたファミリアへの就職を決めました。今は男子サッカー部だけだけど、もしかしたら女子サッカー部の創設もあるのではと言う浅はかな希望は物の見事に成就する形となりました。


 恐らく優もその後を気にしてくれていたのでしょう。そんな時にセレクションの事を知って移籍を申し出たのかも知れません。


 「まさか加入を検討されるなんて思ってなかったから、ちょっと驚いてるのよね。もしかして葵が断ってる訳じゃないわよね?」

 「....そんな事、ある訳無いでしょ。今聞いたんだから。ホントに良いの?一年や二年は目立った活躍なんて出来ないよ?」

 「関係ない。私は葵とサッカーしたくて続けてるの。どんな場所でも葵とサッカー出来るなら私には関係ないの。お願い。葵ともう一度サッカーをさせて。」


 何て答えればいいの?今の私より日本の女子サッカー界にとっては絶対にエリート街道でプレイし続けて欲しい選手であるはずの優は、本人がそれを望んでいないんです。彼女にとってサッカーとは、あの小学校の時に校庭で男子も混ざって朝から夕方まで飽きもせず練習していた頃とずっと何も変わってないんです。


 「分かった。うちの運営とコーチには話しとく。ありがとう。」

 「なんで?お礼を言うのは私よ。ちゃんと怪我治して帰って来てくれてありがとう。もう一回、今度こそ日本代表目指そうね。葵ならA代表も大丈夫。それとチームでもプロリーグ目指そうね。出来る事は何でもするから。」


 私は電話を切り席に戻りました。原田コーチは私の返事を待っているようでした。


 「優は....井上選手はどんな条件でも構わないと、このチームでサッカーがしたいと希望してます。運営とコーチの方で問題が無ければ加入に向けて交渉をしていただけたらと。」

 「こちらは願っても無い選手なんだ。ただ、常藤さんも板垣さんも御岳さんも、山口の反応を気にしてた。山口自身は構わないんだな?」


 優しいチーム。私なんて気にせずに有力な選手が移籍を希望してるんだから契約してしまえば良いのに。真っ先に私の事を気にかけてくれる。


 「はい。私としても知り得る中で一番信頼がおけるGKです。ぜひ加入に向けて交渉していただければと思います。」

 「分かった。本人はセレクションにも参加したいとは言っているが、御岳さんとも話をして形だけの参加になる予定だ。契約は出来る限り早く済ませる。」

 「よろしくお願いします。」


 私達のチームに大きな、大きな頼れる存在が加入してくれそうです。


 ・・・・・・・・・・

2019年7月 Vandits garage <雪村 裕子>

 五月君と司さんと一緒に今日は事務所で作業です。それぞれが担当を持ち、なかなか以前の様に顔を突き合わせて話をする時間が無くなっていました。今日はお互いが担当する宿泊施設の状況や今後の事などを話し合っています。


 「本陣含む宿泊施設全体で報道以降にキャンセルされた件数は3件ですが、その後空いた部屋にすぐ予約は埋まりました。報道の影響があるとも無いとも言えない感じですね。」


 五月君が困った表情で報告してくれました。確かに報道があってから、宿泊施設の方にもご予約をいただいているお客様から問い合わせは何度か頂きましたが、そのほとんどは「急遽、休業とかにはならないですよね?」と言う確認でした。

 御予約のキャンセルもありましたが、有難い事に今、うちの宿泊施設の週末の予約はほぼ満室状態なので、キャンセルが入るとすぐに次の御予約がいただけるような事が多くなっています。


 「従業員の皆さんも今の所動揺なく働いて貰えてます。個人の胸の内までは分かりませんが、明らかに態度に出ているような感じは見受けられません。」


 司さんは宿泊施設で働いてくれている従業員の皆さんの様子を伝えてくれました。こちらも報道以後、退職や休職の申請は無く皆さん今の所問題なく働いていただけているように思います。


 司「奈半利町で開業予定の宿泊施設も候補の物件は3件まで絞り込めていますが、これに関しては物件によって宿泊人数の上限が大きく変わりますので、設計部の方とも打ち合わせしながら最終候補を決めたいと思っています。」

 雪「そうですね。一番小さい物件で平屋作りで4室。大きな物件だと20部屋もありますから、物件のコンセプトもかなり違いが生まれますね。」

 司「はい。しかも大きい物件に関しては廃業したスーパーの跡地ですので、今までのような古民家をリノベーションするのとは少しテイストが違います。なので、そう言った物件、今までのような古民家風では無いホテルのような物も取り扱うのかと言う事も含めて話し合いは必要だと思います。」

 五「でも、冴木さんの所有するホテルが県外とは言え、今後はデポルトの管理になるんですよね?なら、高知にもそう言ったホテルの管理があっても良いとは思うんですけど。」


 確かに。でも、ホテルと古民家施設とでは建設・リノベーションの費用はもちろん、その後の管理の費用も桁が変わってきます。今のデポルトにそこまで勝負する体力があるのかどうかも総合的に判断しなくてはいけません。やはり運営部にも入って貰って打ち合わせをする必要がありそうです。


 「分かりました。とりあえず現状の管理物件には報道の影響は見られないと言う見解で良いと思います。ただ、賃貸物件の入居者の皆様には今後も少し気を配り続けましょう。特に野市町の物件は何軒かもうすぐ更新が控えていますので。」


 報道の事があったからとは言え、賃貸物件に入居されている方から契約の見直しや引っ越しなどの報告はあるとは思えません。会社の中でも事を重大視し過ぎているかもとの意見もありましたが、施設管理部に関しては気をつけすぎるくらいにしておいて丁度良いと考えています。

 気が緩むと言う事は無いでしょうが、新規社員が合流してまだ数ケ月。立ち上げメンバーや長く部署で働いてくれている社員と新規社員の間で、認識の齟齬が生まれる事があってはいけません。それもあって各部署では頻繁に会議・打ち合わせを部署の垣根を越えて行い、全員が会社の今の立ち位置を共有出来るようにしています。


 特にアルバイトスタッフやパートタイマーの所謂、非正規雇用のスタッフが多い施設管理部ではそう言った人たちにきちんと説明をしていなかった為に、勝手な憶測が広まりそれがお客様に伝わってしまうような懸念もあります。

 今後は芸西村での宿泊施設の数を増やす事と、それに付随する店舗や商店などの誘致、出来ればそう言った商売に興味がある方が移住者として来ていただけるとうちの会社としてもサポートしやすかったりはするのですが、こればっかりはもう運でしかありませんので気長に待つしかないのでしょう。当然、広報活動は継続していきますが。


 先の長い不安を少しずつでも払拭していけるように今は踏ん張りどころです。

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