第114話 変えていく者へ
2019年6月30日(日) Vandits field <宗石 詩織>
放送席に私達からは冴木さんがゴール裏で何を話されているかは分からない。でも、静寂に包まれたスタジアムで、私達に僅か聞こえてきた冴木さんの言葉。『誰よりもこいつらをJリーグへ連れて行きたいと思っている』。
その言葉に胸の中は熱い感情で一杯になり、放送席に並ぶ私達は涙を堪えながら配信を続けていました。こんな状況でもしっかりと配信を続けられる阿部さんに頼りっぱなし。
今までに聞いた事の無い盛大なヴァンディッツコールを受けながら冴木さんと選手の皆さんが引き上げていく。このスタジアムの中だけかも知れないけど、それでも冴木さんに対して、Vandits安芸に対して否定的な反応が少なかった事は本当に良かった。ここでサポーターの皆さんに突き放されるような事があったら、選手の皆さん、スタッフの皆さんの今日までの努力が泡となってしまう。
有澤さんが話し始める。
「配信をご覧になっている皆様の中にも様々なご意見や思いがあるでしょう。そう言ったお気持ちを一つ一つしっかりと受け取りながら、我々はこれからも目標に向かって歩んでいくしかありません。この歩みを止める事は何よりもこのチームで全てをかけてくれている選手達の想いを裏切る事になるからです。批判的な意見がある事も承知しております。そう言った意見を排除するのではなく、しっかりと向かい合い目を向けて自分達の立ち位置、歩み方を確認していく。それが大事だと思っております。....さて、本日の配信ゲストのお二人にも聞いてみたいと思います。まずは矢部さん、いかがでしょうか。」
「はい。....メンタルを保つことが非常に難しい中で、勝利を収める事が出来た事はチームとしての成長を感じられると思います。その中でも最近の試合では今年から加入したメンバーの躍進が目立っていると感じます。新たな戦力の台頭に昨シーズンのレギュラーメンバーとの連携、そしてポジション争いと今シーズンも非常に見どころは多いと感じています。選手達からすると外野の声と言うモノは気になってしまう所もあるでしょうが、まずチーム内でしっかりと自分の立ち位置を確保する。それがまずは大事な部分だと思います。」
「そうですね。チームに加入して間もないメンバーも多い中でしっかりと戦力になってチームの戦術の幅を広げてくれていますもんね。怪我で欠場中のメンバーもいる中で本当に素晴らしい活躍ですね。」
「中堀選手や岡田選手が戦列に戻れるとなった時に危機感を感じさせたいと仰っている選手の方もいました。それが良い方向に表れていると思います。」
「なるほどぉ!今後もまだまだ楽しみが多そうですね!さて、姫としてはどう見えてますか?」
いつまで言っても止めてくれないのよね。姫って呼び方。まぁ、配信でもコメント欄でも反響はあるし、東京ではまだ以前のような忙しさは無いけど高知に来れば、いえ、東部に来ると色んな場所で姫って声をかけてもらえるようになった。これは本当に嬉しい事。でも、十代でもない私に姫ってのもなかなか本人の心情としてもツラい所もあるのよね。
「そうですね。今シーズンが始まる時に、新規加入メンバーが多い中でまずはしっかりとチームとして足元を固める事が第一と板垣監督は話されてました。チームとしても東京遠征や練習試合の増加などで新戦力や戦術を試せる場をたくさん作っています。そして何より連戦を経験させる事で、この先の四国リーグやJFLで経験する短期間の連戦へのチームとしての対応にも乗り出しました。その中で一番大事なリーグ戦もここまで負けなしで来れている事は本当に安心出来る材料だと思います。」
「はい。」
ダメ。やっぱりちゃんと話さないと。私の考えを。気持ちを。目を逸らして、見なかった振りして、事が済んだ後に「あんな事もありましたね」なんてしたり顔で会話に参加するなんて出来ない。だって、私は皆さんの家族だもん。
「その中で起こった今回の事で、阿部さんも仰られた通り選手達のメンタル面が非常に心配でした。でも、先週のリーグ戦5節でもそうですし、今日の先ほどの様子を見て、あぁ大丈夫なんだと安心しています。まだチームも会社もこれから色々な目と言葉に晒されると思いますが、彼らがしっかりと勝負の場に臨める環境を、私達が一緒に作っていく。それが非常に大事なんだと今日の試合を見せていただいて気付けました。それはスタッフの皆さんの様子を見てもそうですが、何よりサポーターの皆さんの姿を見て、私も家族の一人としてチームと一緒に歩いて行こうと改めて心に感じました。本当にサポーターの皆さんに感謝しています。」
「はい。非常に心強いですね。」
「はい。冴木さんはどこへ進めば良いのか分からない私達の先頭でずっと道の先を見せてくれていました。冴木さんは運営から離れてはしまいますが、私達とこれからも変わらずヴァンディッツの活躍を祈る家族の一人に変わりはありませんから。」
「そうですね。....ありがとうございます。さて、本日も無事勝利を収めましたVandits安芸は次に7月7日の日曜日のリーグ戦第6節が待っています。7月後半から8月のサマーブレイク前最後の大事な試合になります。ここもしっかり勝利して最高の形で折り返しを迎えたいものです。本日は宗石さん、阿部さん、ありがとうございました。」
「「ありがとうございました。」」
「では、またコンテンツでお会いしましょう。実況は有澤由紀でした。」
配信が終わる。杉山さんのOKの合図が出ると同時に有澤さんが机に顔をうずめて声を殺して泣いていた。私と阿部さんがそんな彼女の背中をそっと包む。阿部さんは優しい声でゆっくりと声をかけ続けている。
「大丈夫....頑張った....強かったよ....届いてるからね。」
本当に有澤さんは強い。この数日間、本当に大変な毎日を乗り越えて今日の配信の臨んでいた。それでもしっかりと配信を乗り切った。彼女の強さが羨ましかった。
・・・・・・・・・・
2019年6月 芸西村 <西村 強>
冴木さんの会社の報道は日が経つにつれてだんだんと収まってきているように思う。オレと親父は事前に冴木さんから事情は聞いていたからそれほどの驚きも無かったけど、農園に関わりない農家の人達はテレビで初めて知ったらしく親父やお袋に「あんな会社と付き合ってて大丈夫?」とか勝手な事を言ってくる人が数人いた。
農園の皆が頑張って畑を作り野菜が採れ始めた頃には、若い担い手が来てくれて助かるみたいな事を井戸端で話していたくせに、事情も知らないニュースを鵜吞みにして好き勝手に世話を焼く。ホントに田舎は閉鎖的だ。
親父も普段は温厚で近所付き合いも良い方なんだけど、今回の事に関しては「うちが世話してる子らを悪く言うな」とそう言った話題になると追い返すように話を切るみたいだ。まぁ、お袋はもう少し付き合いを考えて言ってくれてるようだけど、意味合いは同じだ。オレとしても弟の様に接してきた農園の皆が良く思われないのは聞いていて腹も立つ。それに冴木さんが何かをした訳じゃないんだろ?あれだけ大きい会社にもなればそう言った問題もあったりするんじゃないのか。
今日も相変わらず皆は畑の雑草を抜いたり伸び始めた芽の剪定作業をしたりと忙しそうだ。本当にこの2年で野菜の事をよく勉強してくれている。今は向こうから「こう言う野菜は高知の気候に向かないか」とか「直売所に目新しいモノを置く為にこの野菜にチャレンジしたい」とか個人個人で考えて質問もしてくれている。
オレも最初は自分の畑の片手間での手伝いだったはずが、農園の皆が『勉強』と称してうちの畑を手伝いに来てくれる事もあって、うちは少し畑を広げる事が出来たし、この二年は少し収穫量も増えて助かってる。うちにとっては農園の皆はもう生活に欠かせない存在になっている。
「強。親父は?」
「今は農協に行ってる。草刈り機の紐が残り少なかったから買いに行った。」
トヨさんだ。オレとしては冴木さんの会社の事があった時に真っ先にトヨさんの事を心配していたが、トヨさんは「馬場らぁに聞いたら心配ない言いよったき、そら心配無いがよ。」とあっさり言い切った。
あれだけ最初は毛嫌いしていた相手なのに、いつの間にか信頼出来る間柄になっているんだからホントに農園の皆は、いや、冴木さん達は末恐ろしい。まだまだ手を付け始めたばかりだけど、梅林の方も今まで雑草が伸び放題だった畑をしっかり草刈りして、将来的に人が遊園出来るように樹木に影響ない程度で遊歩道も作るみたいだ。
「トヨさん、梅はどうよ?今年はちょっと成りそうなかえ?」
「まぁ、あいつらが言いゆう梅酒作るばぁは取れるがやないか?新しく植える苗木は少なくても5年は観んと実らぁ成らんろうけんどにゃ。」
なんだかんだ言っても梅の景色を戻したかったんだろうな、トヨさんは。日野さんが亡くなって、トヨさんも体が弱くなって、あんな広大な梅林を維持出来るはずが無かったんだ。広政(日野息子)だって郵便局に勤めながら、休みの日に農家やってたんだ。限界があった。ホントに農園の皆には助けられてる。
「来年はちっとは花も見れるやろうか?」
「まぁ、今までよりはマシな畑になるがやないか。あいつらの頑張り次第よ。」
口ではこんな事言いながら、少し嬉しそうなトヨさんの横顔にまだ先長い春が待ち遠しかった。
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2019年7月初旬 芸西村 <小松
役場の仕事が終わり勉強会に参加するメンバーと家に集まる。僕の家はそれほど広くは無いが、5~6人が寛げるくらいの余裕はある。今日は明日に控えた初めての勉強会に向けて、僕達役場組だけで少しは都市計画の案を出せないかと以前から意見交換をしていた。その纏めをしようと集まった。コンビニやスーパーで買い集めたモノで食事をしながらの打ち合わせだ。
「デポルトさんが考えるような東部地区全体の都市計画は俺達にはまだ想像が付かないから、今までVandits fieldで行われたホームゲームの時に俺達が感じた問題点の解決策を考える形がやっぱりベストだと思うんだ。」
「そうね。他の自治体の事に意見を出しても私達が関われる訳では無いし、その自治体への許可取りや交渉は結局デポルトさんにお願いしなければいけなくなる訳だから、私達が許可取りも含めて動ける芸西村内の事を提案した方があちらとしても動きやすくなると思うの。」
土木環境課から参加してくれている山ノ内と産業振興課の細井さんがまずはどう言う方向性の提案にするかを方向付ける。あまりに広範囲に亘る都市計画案を出しても、こう言った事の経験の少ない僕達の意見はデポルトさんから見れば穴だらけの提案になってしまうだろう。ならば、村の中で収まる計画案をいくつか提案して村内で手が付けやすいものを提案していく方が実現しやすいと考えた。
「やっぱり一番に手を付けたいのは和食駅からスタジアムに向けての観客の動線の拡充ですよね。国道沿いを歩くにしても歩道として独立してない路側帯を歩かせる事になりますし、裏の住宅地を通り抜けるにしても一車線半の広さの道路にあの数の観客が2時間近く往来する事を考えると地元住民の車は一切行き来出来なくなると思いますから間違いなく苦情は出るでしょうね。新たな歩道って言うのは少し現実的では無いですよね。」
高橋さんもどんどんと意見を出してくれる。あの日の冴木さん達との打ち合わせ以来、本当に僕も含めて皆の姿勢は明らかに変わった。ファミリアの事があった後に都市計画の担当の古川さんが我々に話をしに来てくれた時。
「この事で都市計画事業が止まると言う事はありません。参加するしないは皆さんで判断していただいて大丈夫です。でも、私達は以前と変わらず都市計画案の勉強会は行う予定でいます。」
そうしっかりと答えてくれた。その言葉で僕達も覚悟が決まったような所があった。
「歩行者の安全を最優先するなら、和食駅からすぐの国道沿いにある歩道橋を使って早めにスタジアムのある国道北側に歩行者を誘導してしまう方が車の行き来の多い国道での事故やトラブルは避けられると思う。でも、そうなると歩道橋よりも東側にあるコンビニや弁当屋からお客を逃がす形になってしまうし、難しいよな。」
「今ある歩道橋の他にコンビニ側にももう一つ歩道橋を設置してしまう案もあるけど、それも既に工事が始まってる東部道路工事との兼ね合いもあるのよね。ホントに冴木さんが言ってた通り、宿泊施設の売却が決まった段階で冴木さん達と足並み揃えて都市計画案に参加出来ていたら、もう少し可能性は広がってたんでしょうね。」
細井さんの言葉に皆が下を向く。僕達が勉強会へ参加する事をデポルトさんは喜んでくれていたが、やはり遅すぎると誰もが思っていた。
「でも今はとりあえずでも意見を出して、その意見の問題点や穴もしっかりとデポルトさんにも判断して貰って、俺達が勉強会って言うか都市計画事業への関わり方を勉強させてもらわなきゃさ。この先、役場の誰かが賛同して手を貸してくれたとしても何をして良いか分からないじゃ困るだろうし。」
「そうですね。じゃぁ、まずは歩道橋の新設の案と今考え付く観客の誘導路を何パターンか提示してその誘導路沿いの問題点とお勧めみたいなものを取り上げてみましょう。」
全員が地図とノートPCに向かい合う。今日は遅くなりそうだ。それでも何もせず待ち続けるのはもう止めた。僕達の村は僕達が変えていかなきゃ。そんな小さな火が皆の中に生まれているはずだ。
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