第100話 たまにはこうして....
2019年4月30日(火・祝) ホテル・トーレ <市川 亮>
体を引きずるようにベッドに倒れ込み、洗い上がりの新しいシーツの香りを胸一杯に吸い込む。
「市川さん、監督がマッサージを部屋で受けられるようにしてるから、そのまま出かけずにいてくれって。」
「....ありがとう。でも、出かける元気、無い。」
融けそうな体を必死に半身起こし同部屋の寺田君に返事をする。寺田君は僕の様子を見て苦笑いしていた。
「ホント、三日間3試合がこんなにキツイとは思わなかった....」
「今日の前半終わるまで出ずっぱりやったもんね。ほんのこて凄か。」
今年のセレクションで加入した寺田君とは年齢も近くポジションも同じと言う事で練習中は先輩後輩関係で敬語だしお互いに君付け・さん付けで呼び合うけど、プライベートでは砕けて話せる良い関係だ。
生まれてから大学卒業までずっと鹿児島で過ごした寺田君は時々薩摩弁が出る。本人は恥ずかしそうだが、僕としては全国から集まってるチームなんだよなと実感出来るし、それに少し可愛らしさもある。
「何言ってんの。明日は寺田君スタメンだよ?しかも埼玉県1部。」
「うん。そうだよね。」
二人でゴロゴロしていると部屋をノックする音が聞こえる。寺田君が対応してくれるとチームが依頼してくれていた接骨院スタッフさんが原田コーチと来てくれていた。
僕が起き上がって挨拶しようとすると原田コーチがそれを止める。
「構わん構わん。そのまま寝転がっとけ。お願いします。」
「はい。じゃあ、始めていきますねぇ。」
体のがっしりとした方でゆっくりと僕の体を按摩していく。普通に雑談をしている中でも「こういうストレッチが効果的ですよ」とか「この筋肉、痛めやすいと思うのでトレーニングの時に気を付けてください」などちょこちょこアドバイスをくれる。
お話を聞くと柔道整復師と鍼灸師・按摩マッサージ指圧師の資格を持ってらっしゃって、この道20年の大ベテランさんだった。ゆっくりとそれでいてしっかりとしたマッサージで僕はだんだんと意識を手放していった。
・・・・・・・・・・
同日 ホテル・トーレ <板垣 信也>
少し遅めの昼食を済ませ、これから試合後のミーティングに入ります。ホテルでは基本3食用意していただいていますが、宴会場にビュッフェ形式で用意されている為、朝と昼は全員参加ですが夜に関しては外に食べに出たい選手もいると思い自由としています。
体のケアを終えて非常に美味しい昼食をいただき、少し集中力が下がりそうな選手達にしっかりと頭を切り替える為にミーティングを行います。ミーティングさえ終われば明日の朝までは自由行動です。
「第3戦、お疲れさまでした。無事に勝利出来て嬉しく思います。この試合は攻撃陣守備陣共に非常に実りある一戦になったと感じています。」
選手達の表情にも明るさがありました。試合は6対0。相手に全くサッカーをさせる事無く試合を終えました。中盤だけでなく前線からの守備意識が強く、飯島君と五月君が積極的に相手の最終ラインにプレッシャーを掛けに行き、連係ミスを誘い続けました。八木君・馬場君・飯島君の連携が面白いようにハマり、前半だけで4得点。相手の気持ちを挫くだけの結果を残せました。
動画で確認しながら褒めるべき所、気を付けるべき所をしっかりと全員で共有します。そして、明日の最終戦のスタメンを発表します。
「明日のスタメンはここまでの3戦、フルとは言わなくても3戦とも出場してくれた選手は外す事にしました。さすがに4戦連続は集中力の維持とそれに伴う怪我の心配があります。出たいと思ってくれていた選手には申し訳ありませんが、チームを想って堪えてくださいね?」
そう言ってわざとらしく飯島君を見ると、「はっ..はい!」と図星を突かれたような返事になり他のメンバーが大笑いしています。
「さて、切り替えてメンバーを発表します。GK金子君。CB寺田君、中村君。この試合は4バックで行きますが、万が一の事態に備えて市川君も準備はしておいてください。」
「「「はい。」」」
「続いてSBは青木君と成田君。岸本君はお休みですが、同じく準備だけはしておいてください。DH河合君。SHアラン君、松尾君。河合君と松尾君に関してはアラン君と現メンバーの中で最も意思の疎通が取れているのでこのメンバーにしました。OHは五月君。このポジションに関しては申し訳ありません。二人しかいませんから八木君も当然準備をお願いします。最後にFW、鈴木君、古賀君。沖君は後半から行きます。」
「「「「「はい。」」」」」
明日の試合は埼玉県1部所属のチーム。GKの金子君は練習試合で対戦経験が何度もあり、HPで確認した所メンバーもほぼ変わっていないとの事。森君と二人で相手への対策を説明してくれます。それぞれが自分のポジションでの対策を頭に入れながら、明日の最終戦へのモチベーションを作ります。
「この東京遠征で私は結果は求めないと言いました。皆さんの経験とアピールの場としてくださいと。しかし、皆さんは自分達のアピールもしながら、しっかりと結果も見せてくれました。こうなったら明日もしっかりと結果を求めていきましょう。高知で待っている皆さんに最高の報告をしましょう。」
「「「「「応ッッッッ!!」」」」」
良い状態です。すると、思わぬ訪問者が訪れました。
なぜあなたがここに居るのですか....
・・・・・・・・・・
<成田 雅也>
明日のスタメン起用が決まりテンションが上がる。そうは言っても岸本さんが3戦共出場していたので、起用はほぼ決まっていたんだけど。
監督の言葉に大きく応える。
すると入口からホテルスタッフの方の案内で誰かが入って来る。高齢の方だけど。
なぜか皆さんが一斉に立ち上がってその方に大きな声で挨拶する!僕も反射で立ち上がり挨拶した。誰なんだ?一体。
「いやぁ、ミーティング中にすまんな。東京で遠征をしていると知ってはいたが、なかなか時間が取れんでな。お邪魔させてもらった。」
「笹見会長、ご無沙汰しております。」
監督が頭を下げる。笹見会長??.............もしかして、....いや、もしかしなくても譜代衆の笹見建設の会長さんって事??
急に緊張が沸き上がって来る。そりゃ、皆立ち上がる訳だ。ヴァンディッツとスポンサー契約している最大手であり、冴木さんの一番の理解者だと及川さんに教えて貰った。
「今日の夕食じゃがな。ホテルに牛肉と豚肉の良いのを入れさせてもらったからの。ぜひ英気を養う手助けになればとな。明日の最終戦は観戦に行けそうじゃからな。楽しみにしておくわぃ。」
「「「「「ありがとうございます!ごちそうさまです!!」」」」」
その後は選手一人一人と挨拶しながら声をかけてくれる。でも、大スポンサーの会長って感じじゃなくて、ホントにサッカーが好きなお爺ちゃんって感じの方だ。八木さんや馬場さんなんかは凄く砕けた感じで話してて、監督たちはヒヤヒヤしてるっぽいけど、会長ご本人は凄く嬉しそうだ。
僕の前に来て会長が手を差し出す。握手をさせてもらうと凄く分厚い手だった。これが一代で大企業を立ち上げた人の手か。そう思いながら挨拶をさせてもらう。
「2月のセレクションで加入させていただきました。SBの成田雅也と言います。宜しくお願いします。」
「笹見じゃ。君の事は覚えとるぞ。大評定祭の高校生選抜で出場しとっただろ?ほれ、幡がコテンパンにやられたあの。」
そう言いながら会長が皆の方を向くと笑いと苦笑いが混ざる。会長は凄く楽しそうだ。そんな時、八木さんが会長に声をかけました。
「徳蔵さん!成田、覚えといてください。絶対将来、ヴァンディッツを背負う男になりますから。青田買いしといてくださいね。」
「ほぉ!!!そうか。楽しみにさせてもらおう。成田君、励めよ?」
「はいっっ!!ありがとうございます。」
会長はそう言って僕の肩をポンポンと叩いて次の岸本さんと話し始めた。緊張した。でも、八木さんが会長に僕の事を薦めてくれた時に、メンバーの誰からも冗談と受け取る様な笑いが起きなかった。
期待してもらっている。何か腹の奥がグッと熱くなるのを感じた。
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同日午後 浅草 <水守 莉子>
ミーティングが終わると兄は「体を休めるからリコは自由にして良いよ」と言ってくれました。基本的に兄の通訳として帯同しているので、自由な時間は無いんです。でも、兄もさすがに三日目になって、1戦目は出場機会はありませんでしたが、2戦目3戦目と出場して少し疲れがきているみたい。
自由と言われてもどうしようかなと思っていると大野さんから「もし疲れてなければ浅草近辺を見て回りたいんだけど、案内で一緒に来てくれないか」と誘われました。馬場さんと飯島さんも一緒みたいです。どうしようかなと迷っていると馬場さんが、
「どこか美味しいスイーツか和菓子の店を教えてよ。奢るから。」
と私が行きやすいように言ってくれます。兄に一応報告すると、逆に大野さん達にお礼を言っていました。私が自由が無い事を知っていてくれたみたい。もしかしたら兄から大野さん達にお願いしてくれてたのかな?
私は卒業した短大が東京の千代田区で浅草からもそんなに遠くなかったので、友達と浅草には何度も遊びに来ていました。
ホテルを出てどこに行きたいかを皆さんに聞くと「THE浅草って所で大丈夫だよ」と言ってくれて、とりあえずは浅草寺に向かいました。さすがにGW中と言う事もあり、観光客でごった返していました。
皆さん、「スゲェなぁ」と驚きながら雷門を見て仲見世を見ようと中に入ろうとした時に観光客と思われる海外の女性二人組に声を掛けられました。どうやら人力車に乗りたいらしいのですが、人力車を運転される方(
話されているのは英語でした。
『どうやったら乗れるのかしら?』
『少し待っててください。私が聞いてきます。』
何台か並んでいる人力車の中で優しそうな車夫さんに声をかけました。普通に声をかけてもらって乗る事も出来るし、確実なのは予約して貰えば英語の話せる車夫で希望のコースが回れるとの事でした。彼女たちにそれを伝えます。
『ありがとう!本当に助かったわ。今から電話して明日の予約が取れるかどうか確認してみるわ。』
『良かった。日本を楽しんでください。』
『ありがとう!あなた英語上手ね?』
『ありがとうございます。母が大学で外国語と日本語の教授をやってるんです。』
『そうなのね!でも、あなたが話せるのはあなたの努力よ。本当にありがとう!ねぇ、一緒に写真を撮っても構わない?』
『もちろん!あっ、一緒に回っている友達がいるんですが、その方達も一緒でも構わない?』
『もちろんよ!!』
そう言って皆さんで写真を撮ります。メンバーの皆さんは少し緊張されてましたが、お二人は嬉しそうでした。
『年齢が離れてるみたいだけど、友達なの?』
『兄がサッカーチームに所属してて私は通訳として働いてるの。』
『すごいわねっ!!頑張って!!』
『ありがとう!写真大事にして。いつかこの人達がプロ選手としてテレビに映る日が来ると思うから。』
そう返すと女性たちは嬉しそうに『楽しみにしてるわ』と言ってお礼を言われ別れました。皆さんが話しかけてくれます。
「やっぱ凄いな。東京は。ってか、水守さんが凄いよ。やっぱり通訳してるだけあるね。」
「いえ、彼女たちもこちらに合わせて綺麗な英語を使ってくれてましたから。たぶん地元で話してるような砕けた方言なんかを出されたら分からなくなってたと思います。」
「へぇ~、外国語にも方言ってあるんだ?」
「方言って言うか訛りみたいな感じですね。全部の言語にある訳じゃないですけど。」
そう言いながら仲見世に入っていきます。皆さん色々と目移りしてますが、さすがそこは社会人。皆さん財布の紐は固いです。お寺にお参りしようと歩いていると大野さんを見失いました。あれっと思いながら周りを見渡しますが、馬場さんが大丈夫だよと先を促します。
境内の本堂前にある
「常香炉の煙は自分で焚いた線香の煙じゃないと御利益無いって聞いた事があってさ。」
「そうなんですね。初めて聞きました。」
「よく体にかけるとその部分の治りが早くなるとか言われてるけど、元々はこの煙を神様に届ける為に焚いてるらしい。まぁ、願掛けだね。」
大野さん博識だなぁと思ってみていると、馬場さんが教えてくれました。
「大野さん、生粋の寺院・仏閣マニアだから。水守が付いて来てくれてるから抑えてるだろうけど、俺達だけだったら観光ガイドばりに説明が始まってたと思うぞ。」
馬場さんの言葉に大野さんの顔が一気に赤くなります。可愛らしい人だなぁ。線香を皆で分けて焚き、常香炉の中へ差しました。煙を全身にかけて本堂へ向かいます。
お参りをして私お勧めの甘味処へと向かう為、来た道を引き返す形で歩いていきます。その道すがら大野さんに質問してみました。
「大野さん、私、浅草寺って来た事はあっても全然知らなくて。どう言う歴史があるんですか?」
私の質問に大野さんは良いの?みたいな顔で私と馬場さん達を見ています。私が「お願いします」と言うと嬉しそうに説明を始めてくれました。それでもかなり簡略化して分かりやすく話してくれてるのが分かります。
信仰の対象であった事はそうなんだろうけど、こんな風に観光地化したのは江戸時代ぐらいからと聞いてびっくりしました。近代に入ってからだと思っていたからです。大野さんの話では近隣の方にお寺の清掃をしてもらう代わりに境内での商店を開く許可を与えたのが仲見世の始まりだそうです。
そこから他のお店が集まるようになり、大道芸の人や見世物をする人が集まり、その方達が商売をさせてもらうお礼に浅草寺に寄付をすると言う流れが浅草寺の維持を助けたんだそうです。
勉強になりながらお勧めの甘味処に到着しました。ここは浅草でも老舗の甘味処であわぜんざいが有名ですが、私は小さな三食団子の乗った和風のパフェを頼みました。皆さんもあんみつや善哉などを頼まれて、聞くと全員が甘いもの好きで浅草で甘いものを食べるのが遠征の楽しみだったみたいです。
もう少し食べたいねとなり、併設している和菓子店でどら焼きをいくつか買い、頬張りながらホテルに戻ります。その途中で飯島さんが、
「今日は会長からお肉いただいちゃってますからねぇ。和菓子も美味しかったけど、お肉用の胃袋も開けとかないと!」
と嬉しそうに話すのを見て皆で「そうだね」と笑いながら歩きます。
皆さんともコミュニケーションが取れて、しかもパフェとどら焼きまでご馳走になって、お仕事で東京に来たのに楽しい事ばっかり!
部屋に戻りしばらくすると兄が尋ねてきました。手に何かの紙袋を下げていました。
『オオノが案内をしてくれたお礼だってさ。自分で渡すのは照れ臭かったみたいだ。』
そう言って私にそれを手渡します。中を空けるとトンボ玉のストラップでした。凄く可愛らしいトンボ玉。嬉しいなぁ。
トンボ玉はヴァンディッツカラーの緑があしらわれていました。
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