第89話 大きくなれば新たな種が

2019年3月22日(金) Vandits garage <冴木 和馬>

 今日は事務所の会議室に俺・常藤さん・板垣・御岳さん・コーチの原田が集まり、昨日の21日祝日に行われた練習試合の第2戦の試合動画を見ていた。相手は去年2部で対戦したFC宿毛さんだ。FC宿毛は昨年度は二位の成績で入れ替え戦に敗れ1部昇格を逃した。今年はかなり危機感を感じているようだった。


 試合はこちらは前回の試合から中三日と言う事もあり、メンバーを大きく入れ替えていた。

 GKは新加入の金子。東京都の3部リーグのチームでプレイしていたそうだが、より地域リーグやJFLに近いチームを探した結果、うちのセレクションをうけてくれたようだ。これもまた選手の生き方。

 DFラインのCBは市川、SBを青木と新加入の成田。あの室戸高校の高校生だ。既に卒業式は済ませてあるので、何の憂いも無く試合に出られる。

 MFはDHに大野と新加入の河合。SHにこれも新加入の松尾とアラン。OHは五月。FWは飯島と古賀。


 結果から言えば、ズタボロだ。それはそうだ。スタメンの半分が新加入メンバーなのだ。しかも相手は1部の経験もあり、去年度もヴァンディッツ次ぐ2位でシーズンを終えたチームだ。


 素人目でも分かるほど中盤が連携が取れていない。こうやってみるとレギュラーメンバーと言われる八木や司達の連携がいかに時間をかけて熟練させてきたかが分かる。

 試合の動画を視終えて常藤さんが口を開く。


 「1対3。非公開で練習試合とは言え、初めての負けですか。」

 「これだけ新戦力だらけの試合でFC宿毛さん相手に結果出されたら、それこそ漫画の世界だろ。まぁ、こんなもんだろうなって感想だが、板垣や御岳さん、原田の感想を聞こうか。」


 常藤さんと俺の会話を聞いて、それぞれが感想を述べる。まずは板垣だ。


 「正直言ってFC宿毛さんには非常に失礼な試合になってしまった感は否めません。試合後にしっかりとお話はさせていただきましたが、逆に『これだけのメンバーが増えたんですね。また対戦出来るようにすぐに昇格しますから。』と相手の意気を上げてしまったようで。こちらとしても出場した選手達は初めての負けと言う事がかなり大きな事と捉えてしまっています。」


 続いては御岳さん。この人だけは俺をオーナーと呼ぶことを止めない。だから、もう諦めた。こんな所で頑固爺さんを出されるとは思わなかった。


 「オーナーの仰る通り、このメンバーならばこの結果は仕方がないとも言える。ただ問題点だらけと言う訳でも無い。市川のCBとしての視野は広がっとるし指示も的確になって来た。後は選手ごとに指示の出し方を変えられるようになりゃあ、更に連携は望めそうだな。そして、新加入で言えばSBの成田とDHの河合。この二人に関してはこの一年、集中して指導出来れば来年には確実に控えメンバーには名前を入れられる成長が望めそうですな。」

 「なるほど。新たな可能性が見えたのは嬉しいですね。原田。他には?」

 「はい。一番の大問題で早急に何か対策を練らないとと言うのは、『アランの言葉の問題』です。」


 原田がそれを言うと板垣も御岳さんも下を向く。なるほど。


 「練習や実生活でもアランとのコミュニケーションが取れないって事か。」

 「我々がもう少し外国語が堪能であれば良かったのですが、板垣さんも英語は日常会話は問題ないですが、難しい戦術指導の場合の英語までは難しいようですし、僕と御岳さんは全く。」

 「儂に英語を求められても困るぞ。」

 「それは大丈夫です。普段はどうしてるんだ。」

 「妹さんが時間が空いてる時には練習を見に来てくれて通訳をしてくれています。妹さんが来てくれた時にはそれなりに意思の疎通は出来るので、練習は捗るのですが彼女もアルバイトしてますので。毎回と言う訳にもいかず。」


 うん?アルバイト?


 「妹さんはオランダの高校を卒業した後、母親から離れて一人暮らししながら日本の短大を卒業したんだったよな?」

 「そうですね。現在、就職するかどうか悩んでいるようで。」

 「その悩みの一端がアランって事だな。」

 「....はい。」


 さて、どうしたものか。その時、常藤さんがある提案をしてくれます。


 「うちのお得意の荒業あらわざ、妹さんをうちで雇いますか?」


 全員が常藤さんを見る。しかし、常藤さんは事も無さそうに説明する。


 「広報部に雇います。今後、ヴァンディッツがJFL、Jリーグを目指していく中で海外の選手が加入する事は容易に予想出来ます。あの年齢で英語・フランス語・オランダ語が堪能で、勉強次第では他の言語も習得出来る可能性はあります。」

 「なるほど。通訳として雇うと言う事か。」

 「はい。しばらくは板垣さんと行動を共にしていただき、サッカーの専門的な用語を上手く日本語から外国語へ変換できるようにサッカーを勉強していただく。まぁ、本人から承諾を得られればの話ですが。」

 「そうだな。相手は20代に入ったばかりの女性だ。仕事でもプライベートでも兄とべったりってのは嫌がるかもしれない。親御さんはもう日本に住んでるのか?」


 板垣に聞くと、両親は南国市に住んでいるとの事だった。


 「って事は、妹さんは南国から練習見学に来てくれてるって事か。」

 「そうなります。ごめんなはり線で通ってくれているようです。」


 そりゃ、何とかしてやらないと。良く今まで問題が起こらなかったな。


 「分かった。常藤さんの案を検討しよう。今日、杉さんと北川が戻り次第会議。とりあえずアランには黙っておこう。個人の問題だ。成人してるとは言え、ご両親への連絡はどうするか....」

 「とりあえず妹さんご本人に話してみるのはどうでしょう?妹さんが練習を見に来てくれた時点で私か和馬さんに連絡をいただき、練習場で提案してみる。反応によってご両親やアランに報告するかどうかを決める。」

 「........うん。そうしましょう。」


 とりあえずはアランの言葉問題は妹さん次第と言う事になった。今後の事も考えて外国語が堪能な人を雇う事も考え無いとなぁ。いや、雪村くんだったり真子だったり堪能な人はいるんだけど、もう別部署で要職に就いちゃってるからなぁ。


 「試合は練習試合に関してはやっぱり控えだったり控え外のメンバーに経験を積ませる事も目的の一つだろうから、そこの判断は現場に任せるよ。今回は試合間隔が短いからメンバー総入れ替えだったけど、今後の事も考えて連戦の経験も積ませたいね。」

 「はい。広報部と常に連絡を取りながら練習試合の相手をピックアップして貰ってます。この一年と来年の二年間しか時間はありません。何とか連戦に耐えうるだけのチームを作り上げます。」

 「すまんな。小さな事でも良い。何かあれば報告してくれ。じゃあ、これで終わろう。」


 チームが大きくなれば新たな問題が顔を出す。順調なんてとてもでは無いが言えないな。皆の頑張りに応えないと。


 ・・・・・・・・・・

2019年3月28日(木) Vandits garage <常藤 正昭>

 今日はVandits安芸所属のアラン・水守君の妹さんである水守莉子さんとの面談の予定です。和馬さんは残念ながら東京出張中ですが、十分に私との話し合いをして雇用するかどうかの最終判断は任せていただいています。


 時間になり莉子さんが事務所にいらっしゃいました。ご一緒に来られたのはお母さまでしょうか。お二人に有澤くんと共に挨拶に向かいます。


 「お忙しい中、弊社にお越しいただきありがとうございます。Vandits安芸の運営をしておりますデポルト・ファミリアの運営統括部長の常藤正昭と申します。」

 「同じくデポルト・ファミリア広報部の有澤由紀と申します。」

 「兄がお世話になっております。水守莉子と申します。今日はお時間いただいてありがとうございます。」

 「いえいえ。お願いしたのはこちらですから。お気になさらず。」

 「水守莉子の母の水守周子と申します。この度は有難いお話をいただき、本当にありがとうございます。」

 「いえいえ、そちらもしっかりと条件などを見ていただいてからご判断ください。とりあえずこちらの席へどうぞ。」


 お二人をロビーの応接ソファにご案内します。すかさず坂口さんがお二人に飲み物の希望を聞いてくださいます。遠慮されていましたが、「私達も飲みたいので」とお声がけすると紅茶とオレンジジュースを頼まれました。

 飲み物が到着し、やっと話が始められます。


 「練習場でVandits安芸の監督の板垣からお話があったかと思いますが、水守さんに我が社で通訳と広報部勤務として働いていただきたいと言うお願いです。」

 「はい。」

 「非常に情けない事ですが、お兄さんであるアラン君の練習時の通訳をまさか莉子さんにお願いしていると言う状況を我々も先日知りまして。本当に申し訳ありません。そして、アラン君との意思の疎通の問題を棚上げしていた事も非常に申し訳なく思っております。」

 「いえ!私は練習を見せていただくのも、兄が楽しそうにサッカーしているのを見るのも楽しいので。」

 「そうは言っても貴重なお時間を何度も頂戴していたのは事実です。周子さん、誠に申し訳ありません。」

 「謝罪の言葉、ありがとうございます。本人が楽しんでいたので親である私達もあまり気にしていなかったのですが、常藤さんからお話をいただいた時に企業として考えれば冷や汗の出る状況だった事を理解しました。本当に申し訳ありません。」


 周子さんの言葉に莉子さんは不思議そうに私と周子さんを見ています。周子さんがその辺りは説明してくれるようです。


 「莉子。楽しいからと言って夕方から夜間にかけてまだ二十歳になったばかりの子が南国から芸西まで電車で通って、しかも駅から自宅、駅からスタジアムまでは徒歩だったって言うじゃない。私達家族なら良い大人なんだから気を付ければ大丈夫よで済むでしょうけど、常藤さん達チームを運営されてる方々からすると、選手の家族が、しかも女性が、一人で真っ暗な芸西村を歩いてる状況は肝が凍り付くような状況なのよ。もしもの事があったら常藤さん達に大変なご迷惑をかけることになっていたのよ?」


 周子さんが莉子さんの目をじっと見て説明してくれます。段々と事情が飲み込めてきたのか莉子さんが神妙な顔つきへと変わっていきます。そして我々に向き合い頭を下げました。


 「本当にごめんなさい!無自覚でした!」

 「いえいえ。お兄さんを思えばこその行動でしょう。しかし、我々も気付けなかった事は事実です。とりあえず今日までは何も起こらなかった事に胸を撫でおろし、今日から対策を練りましょう。と、言う中での莉子さんを雇用させていただきたいと言う話になる訳です。」

 「「はい。」」


 私達は事情を説明します。現在、莉子さんが練習を観に来たりする事に強制感は無く、本人もお兄さんが心配だからと仰っていただけたので、しばらくの間、アラン君が片言でもチームメイト達とコミュニケーションが取れるようになるまでは専属の通訳として練習に参加していただき、それ以外の時間は広報部で勤務していただきたいと言う希望を伝えました。

 広報部では海外のお客様に対する対応。そこに関しては状況によっては優先的に雪村くんや和馬さんにお願いする事になるでしょうが、そのお仕事をしていただきたいと言うお願い。


 しかし、莉子さんは何か不安があるようです。


 「不安..ですか。何でしょう。しっかりクリアにしておきましょう。」

 「あの....兄が通訳が必要なくなると、私も必要なくなりますよね。」


 その言葉を聞いた瞬間、私と有澤さんは顔を見合って思わず笑ってしまいました。それは周子さんも同じようです。いや、しかし不安になる理由は分かります。


 「アラン君の通訳として雇用するとお話したのがいけませんでしたね。いえ、アラン君が話せるようになったからと言ってあなたのお仕事が無くなる訳ではありません。」

 「....そうなんですか?」


 莉子さんは可愛らしいきょとんとした顔で聞いています。しっかりと説明します。アラン君の通訳以外にも海外選手との契約があった場合に、莉子さんが話せる語学圏の選手だった場合は同じように通訳をお願いするでしょうし、チームが上のカテゴリーに行けば行くだけ海外の企業や選手、関係者とのコミュニケーションは増えます。

 そして何より本人が望むのであれば、アラン君の通訳が一切いらないと判断すればホテル事業部で働いていただく事も出来ます。東京のホテル・アリアなどは英語・スペイン語・中国語・韓国語は毎日のように飛び交います。そこで語学を磨く事も出来ます。


 そう言った可能性を私が説明すると彼女の表情も明るくなります。うちで長い期間働ける可能性が見えたのかも知れません。


 「なので、安心して下さい。さて、これが雇用条件になります。莉子さんの場合は少し特殊になりますので、給料が二つに分かれています。お支払いするのはデポルト・ファミリアですが、こちらの特別給と技能給に関してはVandits安芸からの給与になります。まぁ、財布は同じなんですが。」


 雇用条件を見ていた周子さんがうんうんと頷いています。莉子さんは少し驚いているようです。


 「あの、良いんでしょうか。短大卒の新卒社員のお給料にしては....」

 「今、私どもの会社では単独で自由に動ける通訳さんは喉から手が出るくらい欲しい人材です。しかも、今後も様々な分野で活躍の場はあるでしょう。莉子さん本人のやる気にもよりますが、話せる語学が増えればそれだけ活躍の場は増える担当です。これでも高知と言う土地柄、東京に比べれば少ないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。」


 それを聞いて莉子さんはもう一度雇用条件を頭から最後まで読み直します。良い性格です。これから選手の契約の場にも同席するような事もあるでしょう。その時に選手が読み零した条件をしっかり伝えられる注意力は必要です。


 「あの....宜しくお願いします。」

 「良かった。ありがとうございます。」


 我々は莉子さん周子さんと握手を交わします。勤務は4月1日から。南国市の御実家から通われる事になりました。


 「莉子さん、自動車免許はお持ちですか?」

 「はい。あります。バイクでしたら持っています。」

 「お母さま、社用車の貸与は構いませんか?」

 「それは有難いですが大丈夫なんでしょうか?」

 「もちろん注意していただいて乗っていただきたいですが、それは貸与している全社員に言える事ですので。それに保険面はどの状況でも無制限にかけておりますので。ご安心ください。」


 莉子さんにはうちの軽ワゴンの社用車を貸与する事になりました。これで夜間の練習の参加も少しは不安が解消されます。


 「アラン君にはこの話はしておりませんので、本人には莉子さんかご家族からお話してあげてください。いくらご家族とは言え、成人した一社会人の家族関係にこちらから気を利かせるのも可笑しいかと思いまして。」

 「ありがとうございます。今晩、話します。」


 その場でお母様が保証人となり、しっかりと社用車の契約と雇用契約に莉子さんのサインをいただきました。心強い通訳を迎え入れる事が出来ました。

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