第88話 司令塔として
2019年3月17日(日) 高知市内某グラウンド <板垣 信也>
今日は開幕前3連戦の初戦。K大学サッカー部との練習試合です。K大学サッカー部は前年度県1部リーグで2位の強豪チーム。今の自分達の実力を試すのには絶好の相手と言えます。
今回のスタメンには伊藤君の名前が並びます。八木君・伊藤君でOHを努め、及川君・古川君がボランチ、SHには高瀬君と馬場君。DFラインはCBに大西君、SBに和瀧君と岸本君を起用しました。最近、岸本君の粘り強い守備が芽を出し始めたので、この練習試合で実戦経験を積みます。
GKは和田君。FWは幡君のワントップで様子を見ます。FWに関しては状況によってどんどん変えていくつもりでいます。
この練習試合は非公開で行われるはずでしたが、やはりどこからか聞きつけたのか20人程のヴァンディッツサポーターさんが観戦に来てくれました。非公開と言う事を理解してくれてか、鳴り物を使わず拍手と声援のみで応援してくれるようです。
試合開始。今回は八木君が司令塔を努めます。K大にもヴァンディッツが県2部を全勝で上がって来た事は知られているのか、昨年度のレギュラーメンバーが顔を揃えていました。こちらとしては有難い限りです。
八木君は前半から様子を見る事無く、どんどんとサイドや幡君にボールを供給します。少しパスの質感が変わった気がします。やはり試合形式の練習で伊藤君と争わせたのは正解だったようです。
DFラインは県2部一年間を通して連携が向上し、K大の突破を許しません。そこは大西君と及川君の意思の疎通が今まで以上に出来ているのもあるのでしょう。
両チーム得点の無いまま向かえた前半35分の事でした。サイドを駆け上がる高瀬君へ八木君が早いパスを出しますが繋がらず、ボールがラインを割ります。そして、そのタイミングでK大が選手交代をしようとした時でした。
まさか伊藤君が八木君に近付き、頭を叩いたのです。驚いてる八木君に伊藤君がユニフォームの胸ぐらを掴み、何か一言二言呟きます。八木君が見るからに落ち込んでいるのが分かります。しかし、伊藤君は八木君の両肩に手を置き、何かを言い聞かせるように真剣に話しています。すると、八木君は深く頭を下げ謝っているようでした。そして、最後は笑顔で八木君の胸にポンと拳を当ててポジションに戻っていきました。
一体、何があったのでしょう?
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<伊藤 久志>
八木の出したボールは上手く幡へと通るが、そこには相手DF二人が待ち構えていて幡は結局バックパスしか選択肢が無かった。パスの供給先としては良かったかもしれないが、幡が相手DFを一人振り切れそうだった。それを待ってからのパス出しでも遅くなかったように思う。
八木はあの日以降、練習中に様々な事を試しだした。そして事ある度に俺と岡田さん、及川さんに質問攻めをしてくる。プライドを捨てて必死になっている。そう言う奴は嫌いじゃない。でも、俺も岡田さんも及川さんも1から10まで全てを教えてやるつもりはない。自分で解決策を何度も試さなければ試合中の動きの中で、自分でそれを発想する事が出来なくなる。
俺もDFラインの突破を狙うがなかなか厳しい。K大は守備重視のチームだとは聞いていたが、DFの強さだけならJFLでも勝負出来そうだ。
そんな時だった。相手DFが前掛かりになりそうなタイミングで高瀬がワンテンポ遅らせてサイドを上がる。中央に集まりかけたDFを逆サイドの馬場と二人で左右に散らそうとしている。良い発想だ。
しかし、八木はまさかいつものタイミングで高瀬にパスを出した。当然、高瀬はそのボールに間に合わずボールはサイドラインを割った。
あの馬鹿がっ!!俺は八木に近寄り、後ろから思いっきり平手で頭を叩いた。驚いて振り返る八木の胸ぐらを掴む。
「お前が何かをやろうとしてトライしてる姿勢は買う。しかし、お前だけの独りよがりなサッカーをするなら五月にポジションを譲れ!他のメンバーの動きが頭からすっぽ抜けるほど冷静さを失ってるのなら、試合では使えないぞ!?」
俺の言葉にハッとした顔をする八木。気付けているだけこいつには伸びしろがある。さて、凹んだまま試合に戻す訳にはいかない。俺は八木の両肩に優しく両手を置く。
「良いか。お前が相手を切り崩す方法はパスだけなのか?考えろ。相手が守る時にこちらが出せる手札を増やすんだ。相手が守備の選択肢を迷う時間を作るんだよ。パスだけがお前の持ち味じゃないだろ。考えろ。」
すると八木は体を90度に折り、俺に「ありがとうございます」と頭を下げた。大丈夫。まだ前半だ。やれるさ。俺は頭を上げた八木の胸に拳をポンと当てる。すると八木は力強く頷いた。
さぁ、本領発揮してくれよ。
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<八木 和信>
くそっ!俺は何を焦ってるんだ!2部リーグの試合で馬場さんに冷静になれと言われた時と同じことをしてる。
落ち着け。相手の攻撃はしっかりカット出来てる。今は落ち着いて相手の守備の綻びを作る事が先決だ。伊藤さんに喝を入れて貰わなきゃマジで交代させられてたかもっス。
幡さんにチラッとハンドサインを出す。『シュート狙う コース作ろう』そのサインを理解した幡さんは大きく何度も変則のリズムで手を叩きながら、周りを鼓舞する。この変則に思える手拍子がサイドの選手へのハンドサインになっている。
サイドの二人と伊藤さんも了解の意味を示す二拍子の手拍子で声掛けをしている。
相手の攻撃をしっかりと打ち切り、最終ラインからゆっくりと押し上げていく。そして及川さんからフリーの俺にボールが通る。前を向き、幡さんとサイドの二人をチラッと見る。幡さんは大きな声を上げて手を上げながら最終ラインの突破を何度も試みる。サイドは内側に切り込む姿勢を見せる。
その時だ!幡さんが「今っ!!」とデカい声を出しながら、右サイドから切り込もうとする。その動きに合わせてCBが必死に幡さんを追った。その瞬間、ゴール中央にスペースが出来た。そこへチョンと軽くボールを出すと他の相手DFが釣られてこちらに向かってくる。
俺はそのボールを効き足の左で思いっきり振り抜いた!ボールはゴールマウス左隅へ向かうが、GKの見事な横っ飛び、ワンハンドでゴール外へと追いやられ、コーナーキックとなった。
くそっ!上手くゴールは狙えてたのに!そう思っていると後ろから思いっきり肩を組まれる。伊藤さんだ。
「良し良し!!!ナイスシュートだ!!ガンガン狙ってけ!相手のDF対応出来てないぞ!!」
伊藤さんが無遠慮にデカい声で叫ぶ。相手DF達が悔しそうにこちらを見ている。そうか。相手ディフェンス陣にシュート狙いを意識づけてるのか。くそ、また勉強になった。
見てろ、こんなもんじゃねぇからな。
・・・・・・・・・・
<及川 司>
前半終了間際のコーナーキックでエリア外で待っていたオレにコーナーからショートパスを受け取った高瀬が低く速いパスを出して、それをミドルで狙った球が相手DFの足に当たってコースが変わりそのままゴールに転がり込んだ。
狙いは違うが1点は1点。まずは先制点でチーム全体が精神的に落ち着きを取り戻す。相手ボールから再開するが、そのまま前半終了。良い形で前半を終えられた。
監督が後半からの修正点をボードを使って説明する。幡からナカに交代して高さを意識させる攻めも加える。オレは岸本の横に座り声をかける。
「岸本、我慢強くディフェンス出来てるぞ。その調子で集中切らすなよ。」
「はいっ!」
「ホント、頼もしくなったよ。」
オレの言葉に大西も同意する。岸本は嬉しそうに左手を右こぶしでバンバン叩く。オレは岸本の頭をガシガシ撫でてやり、給水している伊藤の隣に立つ。
「すまん。お前一人に任せてしもうて。」
「何言いゆうがですか。及川さんがDFを見てくれゆうき、こっちはこっちで好き勝手が出来るがです。遠慮せんとガンガン言うてください。」
伊藤は八木達若手にとっては非常に厳しい人物に見えるだろうが、本質は馬場に似ている。世話焼きで心配性。そして何よりチームの為に行動出来る。だからこそ、八木からポジションを奪う事ももちろんだが、八木を育てる事がこの先のヴァンディッツにとってどれだけ大きなファクターになるかが分かっている。
本当に貴重な人材が来てくれた。さすがはJFLで何年も揉まれていただけはあるのか。今まではオレとナカがチーム全体に目を配り、アドバイスや叱咤をしてきた。しかし、伊藤と岡田が入ってくれた事で八木・五月はもちろんだが、DFラインなどの指導もコーチと共に彼らが受け持ってくれた。
オレとナカは少し肩の荷が下り、自分達の技術向上とポジションの理解を深める事に時間を費やす事が出来るようになった。これも二人が来てくれた事で出来るようになったのだ。本当に有難い。
DFラインもしっかり統率出来ている。さて、相手のDFをどう攻略するか。見せてもらうぞ、八木。
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<板垣 信也>
無事に試合は3対0で勝利。後半から中堀君と高瀬君を使った高さのあるゴール前での空中戦に加え、八木君と伊藤君がドリブル突破を何度も試みるなど、前半とは全く毛色を変えた攻めでK大の守備を一辺倒にさせなかった事が逆に相手の混乱を生み、中堀君のヘッドと馬場君からのグラウンダークロスを合わせるだけのタッチで伊藤君が見事にゴールを決めました。
試合終了後の相手チームの指導者の激高ぶりと相手選手の悔しがり方から相当この試合に重きを置いてくれていた事がうかがい知れ、うちとしても大きな収穫ある試合となりました。
観戦に来てくれた方にはいつもよりは短い時間でしたが、お見送りタイムも設けて交流の時間を作りました。私からすると伊藤君などはサポーターとの交流は大丈夫だろうかと心配していましたが、そこはやはりJFLで活動していただけありちゃんと笑顔で握手やサイン・写真などに応えていました。
今シーズンから今までの様に冴木さんや常藤さん達が揃って試合会場に顔を出してくれる事は少なくなっていきます。それぞれが会社とチームの発展の為にそれぞれの場所で努力を続けています。それを選手達も分かっているからこそ、良い報告をしたいと試合にも以前より良い精神状態で臨めているように思います。
この日も帰りのバスでは皆が冴木さんに勝利の報告が出来る事を喜んでいました。事務所に着くと県外に仕事に出ていた冴木さんや本陣の指導に行っていた常藤さん達が事務所に戻っていました。
部員達はいつも事務所で解散となり、それぞれが芸西村や安芸市の自宅へと帰っていきます。しかし、今日は全員が事務所の皆さんに今日の試合結果を報告したいとゾロゾロ入っていきます。
私達の姿を見つけた雪村さんや常藤さんがお疲れ様と声をかけてくれます。結果は部員達の表情を見ればバレバレです。すると事務所奥から冴木さんが歩いてきました。皆、パブロフの犬状態。冴木さんからの言葉を待っています。
「皆、お疲れ!って、結果は聞かなくともその顔見れば丸わかりだな。ありがとう。後で広報部の動画はしっかり確認させてもらうが、板垣からざっくり話は聞こうか。」
私が試合の流れと得点シーン、危なかったシーンを冴木さんに説明します。冴木さんは真剣な顔で聞き、選手一人一人と握手をし、それぞれに言葉を掛けます。以前の十数名の所帯ではありません。30人近いメンバー一人一人に言葉をかけていくのです。こう言った所が皆が冴木さんに結果を伝えたいと思わせる所なのでしょう。
・・・・・・・・・・
同日 Vandits garage <冴木 和馬>
板垣から試合の内容をざっくりではあるが聞く。前半はかなり苦戦したようだ。やはり1部の上位チームともなれば、こちらのデータさえあればしっかり対応してくるのだろう。話を聞くに、伊藤の加入がチームに大きな影響を与えてくれているようだ。
選手一人一人に声をかける。他の皆は常藤さんや運営スタッフと雑談しつつ、俺との握手を待っている。変な話だがちょっとしたアイドルになった気分で恥ずかしい。
しかし、どんなにチームが大きくなろうとこれだけは怠らないと決めている。彼らへの感謝を忘れれば、あっという間に俺達運営との連携は溝を生みかねない。サッカー部がいるから運営が頑張れる。逆も然り。それをしっかりとお互いが認識しなければいけない。
伊藤と握手をする。こんな事の経験が無いのか少し戸惑っている。俺は小さく笑いながら伊藤と会話をする。
「世話をかけているようだな。伊藤の機転で冷静さを取り戻したと聞いた。やはり加入して貰ってよかったよ。」
「ありがとうございます。最低限の役割だと思ってます。」
「最低限で点まで取ってくれるならこの先も活躍は期待できそうだな。シーズン終わる頃にはレギュラー安定メンバーとなってるかな?」
伊藤がニヤリと笑う。
「煽りますね。」
「これくらいの活躍じゃ満足出来ないだろ?こちらの想像を超えてってくれよ。」
「適宜、努力します。」
「はははっ!期待してるよ。」
伊藤の肩をポンポンと叩き、渦中の八木に声をかける。少し落ち込んでるのか?表情が沈んでいるように見える。
「どうした?八木らしくも無い。凹んでるのか。」
「今日の試合はチームに迷惑かけたんです。まだまだだって思い知らされたっス。」
「そうか。成長出来る可能性を見つけられて良かったじゃないか。」
「でも....」
やはりこいつはまだまだ精神的に強くなって貰わないと。こんな事で凹んでるようじゃこの先、立ち上げれない程の結果を突きつけられた時に使い物にならないようでは困る。
「八木、去年のシーズンでも話しただろ。目標を間違えるなよ。全ての試合を満足いく内容で終えるなんてエゴだぞ?それよりもしっかり結果を出せている事を評価しろ。その中で自分の修正点を次回までにシーズン終わるまでに対策出来るように努力すれば良い。お前の、チームの目標は何だ?」
「四国リーグへ昇格する事。Jリーグへ行く事っス。」
「分かってるじゃないか。伊藤や岡田、そして皆からどんどん学べ。お前が成長する事がチームが成長する事だと信じて、日々努力してくれ。俺達もお前達に置いてかれないように努力する。」
八木はしっかりと頭を下げる。俺は八木の背中をポンポンと叩いて次の選手への向かった。岡田だ。
試合には帯同しなくても良いと板垣は伝えたそうだが、バスに空きがあるならぜひ連れて行って欲しいと頼まれたそうだ。やはり責任感が強い。
「療養中にチーム帯同ご苦労様。ヒヤヒヤしただろ?」
俺が苦笑いしながら手を差し伸べると、岡田も同じように苦笑しながら握手を返してくる。
「本格的にコーチと一緒に若手の指導なんて初めての経験なんで、これが母性本能かってくらいドキドキしながら観てました。」
その言葉に思わず大笑いしてしまった。なかなかユニークな男のようだ。
「あっ、妻の採用。本当にありがとうございました。」
「何を言ってる。たった一週間だが問題なく働いてくれてる。子供さんも安芸市の幼稚園だから送り迎えも不自由無いみたいで良かった。こちらは助かってるよ。」
「そう言っていただけると。」
すると岡田の奥さんの有美子さんが隣にスッと表れて夫婦でお礼を言われた。
「有美子さん。何かあれば本当に気兼ねなく提案して欲しい。君の提案がこの先の育児中・妊娠中の社員達の助けになるかも知れない。俺達でも色々調べてはいるけど、やっぱり実際にその状況にある人から聞く話が一番リアルだから。」
「ありがとうございます。そうします。」
二人と握手をし、残りの選手とも言葉を交わしていく。それぞれに伝えたい事があるらしく、会場に行けていない事が申し訳なくなる。
しかし、本音を言えば夜に試合動画をゆっくり食事しながら、拓斗と見れるのも楽しみの一つでもある。
とりあえず初戦はしっかり取った。チームの成長を感じた一戦だった。
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