第86話 いざ、新天地

2019年2月27日(水) 高知竜馬空港 <伊藤 久志>

 午前中の便で高知竜馬空港へ到着した。久しぶりの高知だ。大阪でプレイしていた期間、高知へ帰る事は無かった。それぐらい自分を追い込んでサッカーをしていた。


 到着ロビーを出ると、板垣監督が立っていた。こちらに手を振る。俺は急いで近付いて挨拶し握手を交わした。


 「高知へようこそ。と言っても、伊藤君は高知出身でしたね。」

 「あっ、あの、監督が迎えに来てくれたんですか?」

 「はい。うちは役職の上下なく出来る人が受け持つのが仕事の基本です。」


 車に案内されながら話を聞くと、当初は社長である冴木社長が迎えに来る予定だったが急遽東京へ行く事になり、監督が来てくれたらしい。社長が選手の迎え?いやいや、そんなの下っ端社員の仕事だろ。どうなってんだ、この会社は。


 駐車場に着くと国産の乗用車に『Vandits安芸』のマグネットとステッカーが貼られていた。ステッカーはリア面に小さめに貼られているが、マグネットは大きめの二枚がサイドに貼られている。

 俺の視線に気づいたのか、監督が説明してくれる。


 「こうやってマグネットやステッカーを張る事で、社用車として登録出来ますから。マグネットだけ剥がせば仕事外で使う時にもそれほどステッカーは目立ちませんので。まぁ、現状この車をあまり私用で使う事は無いんですけどね。」


 車に乗り込み安芸市にある事務所に向けて移動する。数年帰っていないが道中の景色はそれほど変わっておらず、懐かしさを感じる。


 「伊藤君は実家から通われるんですよね?」

 「はい。最初は寮の利用を勧めてもらったんですが、しばらく高知に帰って来てないのもありましたし、親孝行もしばらく出来てないので。」


 少しの恥ずかしさを感じながら話すと、監督は優しく笑う。


 「良い事です。それに安田町から安芸・芸西だと1時間もかかりませんからね。」


 実家から通いたいと言うこちらの希望も何の問題も無く了承してもらい、交通費の話にもなったが、当初安い軽自動車でも購入して足にしようと考えていたが、まさか会社から車を貸与してもらえる事になった。まさに今、監督が運転してくれているこの車が今日から俺の足となる。


 会社からは私用で使っても構わないと言う事になっていて、ガソリン代はカード決済で1ヶ月で使われた金額の3分の1が給料から引かれる事になっている。何もかもが優遇されている状態で迎え入れられた。


 仕事もリサーチ部配属になったが、当然未経験の分野だ。今回のセレクションで入社した中では俺の他にもう一人リサーチ部に配属になったらしいが、それぞれに担当が付いてくれて1年かけて教育担当として指導して貰えるらしい。


 以前にいた大阪のチームではバイトをしながらサッカーをしていた。なので、バイト先も状況によってはすぐにいなくなるかも知れないと思っているから、最低限の仕事しか教えて貰えなかった。

 しかし、デポルト・ファミリアで契約する際に冴木社長から言われた事は「2年の間に担当部署で戦力なれるように努力してくれ。」と言われた。ここまで2度ほどしか話した事は無いが、冴木社長は包み隠さず話すタイプの人だ。俺達新人の教育に力を入れてくれているが、それに甘える事は許さない。しっかり一人立ち出来るように期限を設けられた。


 「監督、社長ってどんな方なんですか?」

 「あっ、今は良いですが、本人の前では肩書呼びは禁止ですよ。うちの会社のルールです。どんな人にも肩書呼びは禁止です。苗字か名前で呼ぶようにしてください。まぁ、僕の場合は監督と呼ばれる事が多いですが、事務所では皆さん苗字で呼んでくれています。」


 それは入社契約の時にもチラッとは聞いたが、形だけのモノだと思っていた。どうやら皆徹底しているらしい。


 「冴木さんですか。そうですね。なかなか捉えどころの無い人ではあるんですが。その辺にいる若手社長くらいのつもりで付き合っていると痛い目をみます。」

 「痛い目?」

 「まぁ、実害は無いでしょうが。自分の未熟さを思い知らされることになります。彼は恐らくこの会社の中で最も会社の為に時間と労力を費やしている人です。私達が見えない場所で分からない時間に、様々な事に注意を払い行動しています。」


 板垣さんの話では、板垣さん自身もこのチームに来るにあたって事前に練習の見学などをしたらしいのだが、その際に冴木さんと話していく中で冴木さんがこのチームにかけているモノの大きさに気付き、チームに対する考え方を改めたそうだ。


 「まぁ、そこの辺りは実際に付き合ってる間に分かって来ると思います。」

 「チームの事について質問しても良いですか?」

 「もちろん。お答え出来ない部分もあると思いますが。」

 「入団前にヴァンディッツの試合はいくつか見させていただきました。今、俺と同じポジションを努めている八木選手や五月選手は、はっきり言ってJFLやJリーグでも結果を残していける選手だと思います。そんな状況でなぜ俺は獲っていただけたのかと。」


 俺の質問に監督はしばらく真顔のまま運転を続ける。すると、コンビニを見つけて駐車場に車を停め店内へと入って行った。再び出て来た監督は店内で淹れてくれるオリジナルのアイスコーヒーを二つ手にしていた。車に乗り込み、それを俺に渡しながら質問に答えてくれた。


 「包み隠さずお話しするなら、あの二人に壁を感じさせて乗り越えるだけの力が欲しかったのが一番の理由です。そして、あなたが応募してくれた時からあなたが出場していた試合2年分は全てチェックさせていただきました。そしてその壁にあなたは相応しいと判断したからです。」

 「俺は当て馬ですか?」

 「あなたが当て馬のまま潰れてしまうような選手なら獲っていません。あなたの成長も十分に感じられたからこその判断です。コーチに嫌われ、レギュラーを望めない中でもあなたは腐らなかった。そして実力で周りを黙らせて出場機会を得た。」

 「....そこまでご存じなんですね。」

 「私もこの会社に来てから知った事ですが、優良企業の渉外調査の能力を馬鹿にしない事です。下手なサッカーチームのスカウト調査よりよっぽど有益な情報を貰えます。」


 監督の話では現在チームのスカウトは専門職がいない為、親会社のファミリアから転職してきた人が渉外調査と称してスカウト調査を行っているそうだ。その方は一切サッカーの専門知識が無いので、人間関係やチーム内の評判や立ち位置などの調査が主らしい。


 「あなたにも当然戦力としてそのポジション争いに勝利して貰うくらいの実力は見せて貰わないと、冴木さんに獲得を進言した私とコーチ陣の面目が保たれません。」


 この監督、物腰は柔らかいが意志がハッキリしていて相手に要求する事もしっかりと突き付ける。話し方の印象に反してなかなかに我の強い監督のようだ。


 「あなたの経験が間違いなくVandits安芸にとって大きなプラスになります。自分達がプロの世界へ飛び込んでいると言う実感を骨身に感じさせるには、その世界に生きているプレイヤーがチームに加わる事が一番効果的です。その意味で伊藤君と岡田君にはチームにもう一段階二段階上のプロ意識を植え付けて貰いたいと考えています。」

 「なかなか難しい依頼ですね。俺自身にプロ意識が備わっているかどうか、自分が一番分かっていないのに。」

 「問題ありません。あなたは今まで通り精進を続けてください。その背中が、行動が、選手達の刺激になるはずです。岡田君の治療も同じです。彼がフィールドに戻ろうとする意識と家族を支えると言うハングリーさ。これは自分で味わいたいと思ってもそうそう味わえるモノではありませんし、味わって貰うには怪我をしないといけませんので、そんな事は推奨出来ません。」


 この人は真剣に話しているのか、冗談なのか分からなくなる時がある。恐らく八割本音残り冗談くらいに考えた方が良さそうだ。


 「俺はこのチームでJリーグに行く事しか考えていません。参加は遅れましたがこの一年半、ずっと考えていましたから。」

 「だから大阪からの慰留を蹴ったんですね。」

 「それも知ってるんですね。」

 「半分は渉外担当の予測、もう半分は私の予想。でなければ、去年の活躍があってJリーグ入りが見えていたチームからの離脱なんて考えられません。」


 ジッと俺を見つめながら、監督は自分の予想を話す。


 「レギュラーで無かったとは言え、昨シーズンたった7試合半の出場にも関わらず、2ゴール6アシストを叩き出したOHを戦力構想から外すようなら大阪SCのコーチ・監督は余程選手を見る目が無いと言う事になります。」

 「確かに引き留められました。」

 「バイトしなくても良いくらいの金額は積んでもらえたでしょうに。ここにくれば労働がセットになった年俸になりますよ。」

 「問題ありません。」


 正直に言えば本当に金ではない。このチームでJリーグへ行く事が最大で絶対の目標なのだ。俺の言葉に監督は小さく笑った。


 「分かりました。まずはレギュラー争いからです。この一年、JFL以上の試合スケジュールで動きます。覚悟しておいてください。」


 そう言って監督は手を差し出す。俺は「望む所です。」と答えて、その手を強く握り返した。


 ・・・・・・・・・・

2019年2月27日(水) 東京 <冴木 和馬>

 浦部さんとの打ち合わせが終わり、本社での細々とした用事が終わると時刻は既に18時を回っていた。まずいな。約束に遅れる。

 本社にいる間は本社付きの運転手が移動をサポートしてくれる。運転手は笹塚駅近く甲州街道沿いに車を停める。


 「本当にこちらで宜しいのですか?」

 「ありがとう。帰りは自分でホテルに戻るから。今日は長い時間申し訳ないね。」

 「いえ、久しぶりに冴木さんとお話出来て嬉しかったです。」

 「ありがとう。後藤君も何か美味しいものでも食べて。」


 そう言って無地のポチ袋を渡す。運転手の後藤が申し訳なさそうに受け取る。俺の運転手を長らく務めてくれていたが、俺が高知に移ってからは他の役員の運転手になっていた。俺は定時(17時半)を超えて運転をお願いした時には必ずこのポチ袋を渡すようにしている。当然、会社からは残業代は出るのだが、それは一ヶ月以上先の話だ。疲れた日くらい何か体に良い物を食べてもらいたい。


 「いつも申し訳ありません。頂戴します。」

 「良いよ。当然だ。明日は11時、ホテルに頼む。」

 「畏まりました。行ってらっしゃいませ。」

 「ありがとう。行ってくる。」


 俺がドアを開けられて乗り降りするのを嫌う事を覚えてくれている。運転席から自動で後部ドアを開け、そのまま見送ってくれる。


 そして俺は近くにある居酒屋に入る。以前は家族で良く来ていた店だ。


 「いらっしゃ....あっ!和くん!いらっしゃい!颯ちゃん奥の座敷!」


 この店の看板娘の友香ちゃんが大きな声で案内してくれる。俺は友香ちゃんと大将に手で挨拶しそのまま店の奥にある座敷席へと向かう。襖を開けると長男の颯一が既に座ってウーロン茶を飲んでいた。


 「すまん。遅れたか?」

 「ううん。大丈夫。いつものメニューとお勧め適当に頼んだけど良かったよね?」


 忙しい俺の為に料理の待ち時間が無いように先に頼んでくれている。こう言った気遣いは間違いなく真子が躾けたものだろう。17歳でなかなか出来る物じゃない。


 「あれ?おばあちゃん達来なかったのか?」

 「久しぶりなんだから二人で話してきなさいって。」

 「そうか。気を遣わせたな。」


 東京で颯一の世話をしてくれている真子のご両親も誘っていたのだが、気を遣われてしまった。確かに高知に行って以来、颯一に会う時はお二人も同席している事が常だった。颯一と二人でゆっくり話す時間も取れていなかった。

 俺が席に落ち着くと友香ちゃんがウーロン茶と共にいくつかの料理を運んできた。俺達は乾杯をして料理を取り分け始めた。


 「テストなんかの結果は知らせてくれてるが、学校はどうだ?」

 「友達もいるし、いじめも無いよ?何が心配?」

 「心配な事が無い親なんていないんだよ。大丈夫と言われると、ホントにそうなのかと疑ってしまうくらい心配なんだ。母さんも俺もな。」

 「ありがとう。でも、ホントに大丈夫。」

 「そうか。」


 定期テストや受験に向けたテストなどの結果はその度に颯一から送られてくる。俺の高校の頃よりも学力は良いようだ。目標としている大学も不安があるとすれば当日の体調くらいだろう。


 「本当にH大で良いのか?もう少しランク上げても良いんじゃないか?」

 「経済や経営の事が現場レベルも含めて手広く学べるのはH大だし、それにいくつか大学並べた時に父さんが勧めてくれたんじゃないか。」

 「まぁ、そうだがあれはまだ高校一年生の頃だったしな。まぁ、お前が決めたんならそれで良いんだが。」


 俺の出身大学を選んでくれた時は顔には出さなかったが、それなりに嬉しかった。しかし、まさか経営者を目指すとは思わなかったが。


 「卒業したら父さんの会社を受けるからね。」


 やはりか。さて、ついに話さなければならなくなったか。


 「それはダメだ。うちには入れないぞ?」


 その言葉に颯一の表情が曇る。


 「いつかは俺の跡を継ぎたいって思ってくれてる事は嬉しい。でもな、いきなりうちへ来るのはダメだ。別の会社に入って他人の釜の飯を食って社会人として揉まれてこい。冴木和馬の息子なんて言う小さい看板が全く通用しない場所で、しっかり冴木颯一の看板を作り上げてからでも遅くない。」

 「そんなの待ってたら父さんが年寄りになるよ。」

 「舐めんな。杖突いてたって他の奴らには負けないくらい会社を大きくしてやるさ。良いか、今からちゃんと自分の進路を考えておけ。うちはダメだ。あと、うちのお世話になってる会社もダメだ。笹見さんトコなんか絶対ダメだ。どうせ愛さんから大学出たらうちに来なさいとか言われてるだろ?」


 その言葉に颯一の眉がピクリと動く。やっぱり。油断も隙も無ぇな、あの人は。まぁ、ほとんど冗談で言ってくれてるんだろうが、この年齢なら冗談に取らない可能性だってある。しっかり釘は指しておかないと。


 「お前が経営者になろうと思ってるなら、これから先でどんなにお前がそれを振り払おうとしても、うちの会社にいる間はずっと社長の息子ってレッテルと色眼鏡が付きまとう。そのレッテルにも色眼鏡にも負けない経験を積んで来い。それが入社条件だ。ちなみにこれは母さんも同じ意見だ。」


 颯一の目にグッと力が入る。さすが俺と真子の子供だ。負けず嫌いの天邪鬼。来るなと言われれば何としてでも。


 「まずは大学入学が最優先だ。初っ端から転ぶなよ?」

 「父さん....受験生にかける言葉じゃないよ。」

 「そんな事で不合格ならハナから無理だ。さぁ、食べよう。」


 二人で大好物のメンチカツに被りついた。

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