第85話 浦部泰晴

2019年2月27日(水) 東京 <冴木 和馬>

 久しぶりの池袋駅は今日も人で溢れている。高知での生活が長くなると東京へ来た時の人の多さに懐かしさと共に驚きが沸き起こる。こんな中で自分は10年以上働いていたのかと。


 一軒のホテルの前で足を止める。『ホテル・アリア』。池袋にファミリアが3年前にオープンしたシティホテルだ。国内外の観光客をメインターゲットにしたホテルで11階建て。部屋数148。現状でファミリアが管理するホテルの中で八重洲にある『ホテル・セントゥロ』に次いで売上2位だ。


 ロビーに入り受付カウンターに向かうと女性スタッフがこちらへ向かって礼をする。


 「いらっしゃいませ。」

 「支配人の浦部さんをお願いします。冴木が来たと伝えてください。」

 「冴木様でございますね。ご確認させていただきます。そちらにおかけになってお待ちください。お飲み物はいかがいたしましょう?」

 「いえ、結構。」


 ロビーにいくつか用意してあるソファセットに腰掛ける。しばらくすると壮年の男性がこちらへ向かって歩いてくる。このホテルの支配人、浦部泰晴やすはるだ。いつ見ても落ち着いた雰囲気だ。常に落ち着いたその雰囲気は常藤さんと似ている。管理職として活躍する常藤さんとは対照的に浦部さんは現場主義。札幌のホテルの支配人を経てこの池袋の支配人を務めてくれている。


 「冴木さん。ご無沙汰しております。」

 「浦部さん。お久しぶりです。お忙しい時にお時間を取らせます。」

 「いえ、お部屋をご用意しております。会議室もご用意しておりますので、いつでもお声をおかけください。」

 「いや、荷物だけ部屋に運んでおいて貰えますか。浦部さんはそのまま僕と会議室へ。あまり時間を取らせたくありません。」

 「お気遣いありがとうございます。すぐに手配します。お荷物、お預かりいたします。」


 俺の荷物を預かり、後ろに控えていた従業員に荷物を預け何やら伝える。そして、そのまま俺を会議室へと案内してくれる。10人程で一杯になる小さな会議室だが、宿泊客も含めて意外に利用される事は多い。俺と向かい合うように浦部さんが座る。


 「やはり好き放題に動き始めたようですね。」

 「申し訳ありません。浦部さんは何度も指摘してくれていたのに。」

 「いえ、会社への貢献度と彼を役員に任命しない事が他の社員へ与える影響を考えると仕方のない事だったのかも知れません。」


 東城が役員になるかどうかと言う時期に浦部さんは「役員にするべきではない」と個人的にずっと俺に進言し続けてくれていた。しかし、東城の会社内での貢献度を無視する事は出来ず、苦渋の決断で役員入りを決めた。


 「こちらへ来られたと言う事は、以前に話されていた状況になってしまったと言う事でしょうか。」

 「はい。まさか反旗を翻されるとは思っておらず。情けない限りです。」

 「普通ならばこれほど順調に成長している会社に対して敵対行為に出るような役員はそうおりません。無難に眺めていれば今以上に順調に会社としても個人としても経済的成長が望めるにも関わらず、己の出世欲を抑えられず行動を起こしてしまうのがあの阿呆です。」


 浦部さんの言い様に思わず苦笑が漏れる。


 「うちのデポルト・ファミリアの社員もそうですが、良くもまぁ、会社の役員を馬鹿だの阿呆だのと皆歯に衣着せぬ言い様で。」

 「そう表現するしかアレを表すには適当な言葉がありません。私の見立てではアレは『知識はあるが知恵は無い』典型的な頭でっかちな男です。その頭が大きすぎるが故に仕事で結果を残せてしまうから始末が悪い。」

 「それに助けられたのも事実です。しかし、少し権限を与え過ぎたようで。」

 「私へのお話と言うのは?」


 以前から進めていた話を浦部さんにもう一度伝える。この東京も含めた数件のホテルの所有と経営が変わる事も含め、いくつかの報告も伝える。俺の話す態度に浦部さんの表情も次第に硬くなる。さて、どう出るか。


 「では、このアリアはデポルト・ファミリアの経営に変わると言う事ですね。」

 「そうですね。札幌の『ノルテ』も同じです。」

 「私がファミリアで育て上げた物が全てデポルト・ファミリアに横取りされてしまうと。」

 「....そうですね。見方によってはそうなります。」


 その後も今後のデポルト・ファミリアの動きを浦部さんに説明する。浦部さんほどの人ならばホテル事業部の統括部長はもちろん、役員だって十分に努められる人だ。しかし、なぜか彼はずっとその打診を断わり続けて来た。会社としても彼を他社に引き抜かれたり転職される事を恐れて無理に要職に就けるような真似はしなかった。


 しかし、このホテルは数年後には経営する会社が変わる。その事で浦部さんにはきちんと事情を説明しておかなければならない。本人の待遇も変わるのだ。


 「恐らく浦部さんの担当するホテルが変わる事になると思います。ファミリアの管理するホテルのどれか。俺の予想としては恐らく沖縄のリゾートの支配人が一番可能性は高いと考えます。」

 「そうですか。このアリアは誰が支配人を務めるのですか?」

 「恐らくしばらくはファミリアからデポルトへ移る事を了承してくれた経験の長いホテル事業部の社員の誰かにお願いする形にはなると思います。支配人交代は恐らく2年~3年後。それまでには何とか候補者を決めたいと思っています。」


 その言葉を聞きながら浦部さんはジッと考え込む。今度の異動で浦部さんが沖縄のリゾートホテルの支配人になれば、ファミリアのホテル事業部の中では問答無用で現場トップになる。今までは暗黙に浦部さんがトップクラスの指導力と運営力を持っていると思われていたが、会社の序列で言えば八重洲の支配人に次ぐ二番手だった。

 恐らく今回、初めてのリゾートホテル経営で林達は満を持して浦部さんを現場トップへと押し上げるはずだ。そして、数年をかけて何とか上層部へと引き上げられるように説得を続けていくだろう。


 浦部さんは元々は他社の大きなホテルで支配人として働いていた所を中途採用でうちへ来てくれた人だ。やっとそれに報いる事が出来る。

 浦部さんはふと俺を見ながら話し始めた。


 「さて、ファミリアからデポルトへ転職した後の私のポジションはどこになりますか?」


 ....何をいっているんだ、この人は。うちに来るメリットはゼロだ。どう考えたってファミリアでこの先、大きくなっていくホテル事業を支える方が収入としてもやり甲斐としても大きいに決まっている。それを投げ打ってまでうちへ来る理由なんて無いはずだ。


 「浦部さん。何を仰ってるんですか。これからファミリアのホテル事業を支えるべき人が。」

 「では、私はデポルト・ファミリアでは受け入れていただけないと?」

 「そうは言ってません。しかし、どう考えてもこれからリゾートホテルに乗り出していくファミリアには浦部さんの力は必要です。なぜこの選択を?」


 そう聞くと浦部さんはジッと俺の顔を見つめたまま、深くため息をつく。呆れているとも取れるような、諦めとも取れるような、そんな深いため息だった。


 「普段から人の気持ちを重んじて、それを行動の基礎とするあなたほどの方が、我々ホテル事業部で長く勤めいている者の気持ちをご理解いただけていなかった事に非常に驚きを感じています。確かに今、リゾートホテルへの異動はホテル事業部の大きな変革の最前線であり、やり甲斐は大きいでしょう。しかし、まだ何も無い場所から、社員を育て、このホテルをその土地に定着させ、大きくしてきたと言う自負が私にはございます。」

 「はい。」

 「この度の冴木さんの決断も以前にご相談いただいた時に、私は本当に驚きました。あなたの中でファミリアと言うものの大きさを私なりにですが理解出来ているつもりでいたからです。しかし、それを決断しなければならない程、事は急を要するのだとも理解しました。あなたはまだ若い。しかし、この決断を簡単にするような方で無い事は私なりに知っています。だからこそ、この話が来た時に私をデポルト・ファミリアへお誘いいただけるものだとばかり思っていました。それが無かった事がとても残念でなりません。」


 あぁ、自分に反吐が出る。浦部さんにここまで言わせないと気付けなかった事に腹立たしさを超えたものが胸の中にあった。浦部さんはそんな俺を優しい笑顔で見つめ続けている。


 「あなたはそうしてちゃんと気付き、理解してくれます。私や常藤さんが、あなたと仕事を続けたいと思う大きな理由の一つです。この方がこの先、どんな成長を遂げてどんな人物になるのだろうか。それを傍で見ていたい。そう思わせるモノがあなたにはあります。それに一番最初に気付かれたのは、笹見建設の笹見会長だと思います。誰もそれをあなたに話さず今日こんにちまで来たでしょうが、そろそろあなたにもその期待に沿う行動を心掛けていただきたく思い、お話しさせていただきました。」


 恥ずかしさが込み上げる。沢山の人に期待されている事も分っていた。それに応えるべく日々努力を続けているつもりでいた。しかし、どれもこれも「つもりだった」だけで真に理解は出来ていなかった。

 自分の都合の良い様に理解し、自分の都合に合わせて判断していた。その判断に周りが合わせてくれている事を念頭から外していた。


 「ファミリアの中には『冴木和馬が代表取締役を務めているからこそファミリアで働く』と思っている社員はたくさんいます。ですから、恐らくですがあなたが代表取締役と役員の退任を発表されてファミリアを退職されるとなると、少なからずファミリア社内には波風は立つと思います。」

 「....はい。」

 「確かに今の状況はファミリアにとって非常に不味い未来が見えているのかも知れません。そして現状はファミリアの子会社であるデポルト・ファミリアもそれは同じでしょう。しかし、あなたがこの会社を去る事はそれよりも悪い未来を想定してしまう社員がいると言う事実もご理解いただきたい。」


 浦部さんは俺が想定するファミリアとデポルトの未来に、社員達の未来をしっかりと見据えて貰いたいと言っている。会社を残し発展させる事も大事だが、社員達が不安なくこの独立を迎える事が出来る事も重要だと説いてくれている。


 また同じことを繰り返すのか。あの日、あれだけ後悔したくせに。また自分達の事を優先してその行動が周りに起こす影響をしっかりと考えず、誰かを傷付けるのか。何度繰り返す気だ。本当に嫌気がさす。


 「ファミリアは大きくなりました。全ての社員が円満に事態を迎える事は難しいのかも知れません。しかし、一人でも多く納得できる状態で決断を出来るよう気を配っていただきたい。厳しい事だと言う事は分かっています。それでも、どうか。」


 浦部さんは悪者になってくれている。俺に苦言を呈する事で彼の下で、後ろで、働く多くの社員達を守ろうとしてくれている。結局、自分達が何か月もかかって考えた事など浦部さん達からすれば穴だらけの頼りない計画に過ぎなかった。


 「ありがとうございます....浦部さんにこんな事を言わせてしまって、本当に申し訳ありません。」

 「いえ、年長者の小言は時に考え方の力にもなれば、やはり単なる小言の事もあります。」

 「自分がまだまだだと思い知らされます。」

 「だからこそ創業メンバーが知恵を出し合っているのでしょう?だからこそ、常藤さんや私のような外部から来た者がいるのでしょう?そして、笹見会長の様にあなたを見守り続けてくれている人がいるのでしょう?あなたは一人では無い。頼れる同僚・友人、そして社員に恵まれています。どうか一人で思い悩まず、こんな爺でも話し相手にはなれます。」

 「爺にはまだまだ早すぎます。....でも、ありがとうございます。」

 「過ぎた事を申しました。どうか、ご容赦を。」

 「やはりあなたは僕に必要な人です。ありがとうございます。もっと林達と話し合ってみます。また、相談に乗っていただけますか。」


 その言葉を聞いて浦部さんは優しく微笑みながら頷く。俺はそのままジッと頭の中で考えをまとめていく。今、自分の手元にあるカード。それをいかにして切っていくか。そして、今後手に入るであろうカードをどう活かすか。切り方を間違えれば、浦部さんの心配が現実のものになる。

 一つの考えが浮かび、それを浦部さんに相談する。浦部さんは何も口を挟まず、俺の考えを全部聞いた後に、疑問点をいくつか投げてくれる。俺はそれに答える。最後に浦部さんはニッコリと微笑む。


 「やはりあなたが社長に指名された理由が分かりました。畏まりました。私の方ではその方向で動きます。こちらは心配なさらず冴木さんは林常務や高野統括部長と内容を詰めていただければ。」


 浦部さんの力を借りて現場サイドの事は浦部さんに任せた。今までは準備を整えて誰にも気付かれる事無く東城を排除する予定だったが、準備が整ったら全てを公開し真正面から殴り合いに持ち込むことになった。

 それにはまだ協力者が足りない。さて、やる事は増えたが以前に比べれば確実性は上がった気がする。

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