2019年オフ編
第78話 オフでも大忙し①
2019年1月21日(日) 東京 笹見建設 <板垣 信也>
今日は県2部リーグが無事に終わり1部への昇格を決められたことを報告する為のスポンサー様廻りです。今回はチームから私と及川君・中堀君が、運営スタッフの冴木さんと常藤さんに同行しています。
私も東京に来た事が無い訳では無いですが、このような大企業のオフィスにお邪魔するのは初めての経験です。中堀君は以前にファミリアの東京本社に行った事があるそうですが、目の前に聳え立つ笹見建設さんのビルはそれよりも大きいと言っています。
応接室に通していただき、笹見さんを待ちます。ガチガチに緊張している我々と同じように冴木さんも緊張しているように見えました。
「冴木さんや常藤さんは笹見さんとお付き合いが長いとお伺いしましたが、それでも緊張されるんですか?」
「俺達にとってはいつまで経っても経済界の大先輩でうちの会社を助けてくれた大恩人だ。緊張は抜けないよ。まぁ、俺が良く言うのは会うたびに成績表を付けられてる気分になる感じかな。」
なるほど。分かる気がします。一度、笹見徳蔵さんとはお会いしましたが、何か内から溢れ出るものを感じました。
ドアのノックと共に笹見さんがお見えになりました。社長の正樹さん、奥様の愛さん、そして徳蔵さん。起立して迎え、お三方が座られてもこちらは着席しません。冴木さんが口火を切ります。
「お忙しい中でお時間をいただきまして、ありがとうございます。昨年度からご支援いただいておりますVandits安芸が無事に高知県2部リーグを優勝し、来期より1部リーグへの挑戦が決まりました。これには笹見建設様の御支援のおかげと感謝しております。本日は監督の板垣、キャプテンの中堀、そして及川と共にご報告させていただきたくお時間をいただきました。誠にありがとうございます。」
「Vandits安芸監督の板垣信也でございます。あついご支援ありがとうございます。無事に2部を突破出来ました。来季もご期待に沿えるよう努力してまいります。」
「Vandits安芸の中堀貴之です。笹見建設様にはご支援以外にも試合での応援や大評定祭にもお越しいただき感謝しております。メンバー一同、来期もご期待に沿えるよう頑張ります。」
「笹見正樹様、愛様とは初めてお目にかかります。及川司と申します。ご支援本当にありがとうございます。来季も皆さんに楽しんでいただけるよう努力してまいります。」
一通りの紹介を終えると正樹さんがこちらをちらりと見ながら、急な話を振ってきました。
「わざわざ東京に出向いていただいての報告、本当に嬉しいよ。さて、さっそくだが冴木君、常藤さん、来期の支援額が決定しました。」
え?いきなりそんな話をするんですか?
・・・・・・・・・・
<冴木 和馬>
正樹さん、相変わらずだ。ゆっくりと談笑したいから仕事の話はとっとと終わらせる。徳蔵さんの血を濃く継いでいると思わされるのはこう言った所だ。
「はい。」
「来期は1億5000万。いかがでしょう?」
「ありがとうございます。大事に使わせていただきます。」
「宜しいのですか?今期は2億でしたよ。減少した訳ですが。」
「正樹さん、相変わらずですね。昨年の2億円は1年5ヶ月の支援期間で2億円のご支援でした。そう考えれば来期の1億5000万円は十二分過ぎるほどのご提案です。ありがとうございます。」
その言葉に正樹さんも愛さんもニッコリ笑う。そして徳蔵さんは高笑いだ。
「さて、坊。来季以降の展望を聞こう。」
「はい。板垣より説明させていただきます。」
板垣が来シーズン以降のVandits安芸の計画を話していく。2月に第二回となるセレクションが行われ、そこで8名程度の加入を考えている事。そして、いよいよプロ経験者、またはJFL経験者のスカウトを開始する事を告げた。
「ほう、と言う事はヴァンディッツの初のプロ契約は外部の人間と言う事になるか。」
「いえ、それは冴木オーナーともお話しさせていただき、来期中に八木和信選手と五月淳也選手、そして及川司選手との基本契約の見直しを計画しております。」
その言葉に座っていた中堀と司が驚いて俺を見る。
「及川君は知らなかったようだが?」
「はい。同級生からちょっとしたサプライズです。」
「はっはっは。どうしてこの3名かな?」
板垣が説明する。八木は文句無しに見直しを考えた。県2部にいる時点でJFLチームから声が掛かるのだ。今後はどこのチームから声が掛かるか分からない。その意味も込めて本人にはしっかりと判断するように言ってある。五月も同じくだ。来季からユース指導に入ってくれる御岳さん判断で、早い段階でのプロ契約を薦められた。しっかりと手綱を付けておくべきだと。しかし、現段階ではプロ契約では無く報酬の見直しと言う事になった。
そして司に関しては八木と五月、そして御岳さんからも絶対だと言われた。サポーター心理を理解して発表するべきだと。まぁ、ここでそこまでは説明出来ないが。
「なるほど。八木君はすでに他から声が掛かっているんですね。良く引き留めてくれました。彼の活躍はもう少し長くVandits安芸で観たいですからね。」
「マネーゲームになれば対抗出来ない部分が出てくるかも知れませんが、今は本人もうちでJリーグ入りを強く望んでくれていますので。」
「及川君。責任が増しますね。」
「はい。有難く思っています。」
「お体に無理はありませんか?怪我だけはお気を付けください。」
愛さんの言葉に司は深く礼をする。
「ありがとうございます。怪我が付いて回る仕事ではありますが、チームに迷惑をかける事の無いように充分気をつけます。」
「他に報告する事はあるかい?」
「では、こちらが今年度の予想収支報告書になります。」
「良いんですか?見ても。」
「今期だけです。来期からは見せません。」
正樹さんも愛さんも徳蔵さんも大笑いしてくれる。隣で常藤さんの引きつっている顔が目に浮かぶ。
「たった一年半でこれだけの成長率。やはり君はファミリアに残るべきだよ。」
....やはり知っている。社内ですら機密事項なのになぜ。
「ありがとうございます。しかし、決めた事ですので。」
「まぁ、そこに関しては僕らが口を挟むべきでは無いからね。しかし、これからはファミリアさんとのお付き合いはもう少しドライになっていきそうだね。このままホテル事業が好調ならば良いんだけど。」
「私判断ですが、この5年少しお見苦しい姿を見せるかも知れませんが、それを過ぎれば間違いなく今以上に伸びます。」
「君と常藤君、そして設計士の真子君が離れるのにかい?」
「はい。問題ありません。」
「それだけの人材は揃っていると?」
「はい。断言出来ます。」
正樹さんがふぅっと息を吐く。すると、まるで凶器を向けられているような鋭い眼でこちらを凝視する。
「....その5年の間に、その邪魔な虫は、退治できるんだな?」
空気が冷える。今日のファミリアを支え続けてくれた笹見建設として、ファミリアの現状は決して看過できるモノではないだろう。「俺達が目をかけていたにも関わらず、この醜態はどういう事だ」と言いたいのだ。
「はい。私の経営者生命をかけても、確実に。」
「....分かった。その言葉を信じて、今後もファミリアとの取引は続けましょう。父さん、良いですね?」
「お前がそう考えるなら構わん。儂はすぐに切れと言うたんじゃがの。坊に会ってから決めると言うもんじゃからな。」
「....ありがとうございます。」
背中から一気に汗が噴き出すのを感じた。言葉一つ間違えれば、ファミリアの最大協力者・功労者を失う所だった。ここを出たらすぐに林に連絡して、笹見建設に挨拶に来させなければ。
「さて、板垣監督。現状のメンバーでどこまで勝負出来ると踏んでいますか?」
「はい。正直に申し上げれば四国リーグ上位の力は十分にあります。あとは時の運もありますので。」
「そうですか。じゃあ、来期はまだ楽しませてもらえそうですね。」
「努力します。」
「しかし、早くあのスタジアムで公式戦をやりたいですね。この間のイベントの興奮が私も愛もまだ冷めていなくてね。何度もYtubeチャンネルで動画を見させてもらったよ。」
「ありがとうございます。」
「今後はシオン....ゴホンッ、宗石さんはチャンネルへの出演はあるのかい?」
「はい。現状としては県リーグの試合を放映出来ませんので、振り返り番組のような形でうちの有澤と共にお互いの部屋にお邪魔したみたいな演出で、トーク番組をしてもらう予定ではいます。」
「それ、良いわ!楽しみ。」
「ありがとうございます。」
「坊、宗石さんは夏からうちのCMに出てもらう話をメールで彼女の事務所に先日送った。来週にも打ち合わせになっとる。少しでも復帰の役に立てればとな。」
まさか!!!笹見建設のCMは全国規模で日曜の昼間や平日ゴールデンタイムなど、その露出は大きい。しかも、長年CMキャラクターを務めていたのは大女優の大場京子だったはずだ。
正樹さんが事の経緯を説明してくれる。
「大場さんから頭を下げられてね。どうか彼女を使ってやって欲しいと。聞く所によると同じ事務所だったそうだね。あの訴訟になった芸能事務所で。非常に目を掛けていたそうだ。」
「そうでしたか。喜ぶと思います。」
「まぁ、拘束期間は三日ほどだからね。ヴァンディッツにも迷惑はかけずに済みそうだ。」
そう言って正樹さんが笑う。俺達は苦笑いしか出来ない。やはり敵わない相手だ。
「来期の楽しみが沢山教えて貰えた所で、これ。」
そう言って何かをメモされた名刺を渡される。
「すぐ近くにある父さんたち経営者の老人達が通ってるステーキハウスを予約してる。みんなで好きなだけ食べてってくれ。とりあえず会計が5万以下だったら、来期以降の契約は無いと思ってくれ。それぐらいたらふく食べて帰ってくれよ。まぁ、そう言った場所で顔を覚えてもらう事も経営者としての仕事だ。」
全く。何もかにも敵わない。全員でお礼を言い、面談は終了した。
でもね、正樹さん。さすがにこの緊張の後の超高級ステーキは全員全く味を感じませんでしたよ。
・・・・・・・・・・
2019年1月30日(水) Vandits garage <山口 葵>
仕事終わりに冴木さんにコミュニティスペースに呼ばれました。テーブルには冴木さんと板垣さんがいらっしゃいます。この数時間後には練習なのに、監督が事務所にいるなんて珍しい。
「お疲れ様です。お待たせしました。」
「練習前に済まないな。俺がちょっと練習に顔出せそうにないからこの時間になった。」
「いえ、そんなちょくちょく練習に顔出してくれるオーナーなんて聞いた事ないです。」
「そうか?まぁ、それは良いとして山口にお願いがあるんだ。」
お願い?指示でも命令でも無く、お願い?怖いなぁ。なんだろう?
続きの言葉は板垣さんがくれました。
「セレクションで高校生2名、社会人1名。ジュニアユース希望で中学3年生が3名。現在、うちの下部組織または育成機関に入団希望の女性プレイヤーの数です。」
え?女性?嘘!?女の子が入団するかも知れないの??あれ?でも....
「え?セレクションって可笑しくないですか?うちには女子チーム無いし、ユース世代の育成機関も無いのに。」
「家族の事情でサッカーは続けたいが、東部地域で女子選手が現役を続けられる学校が少ないそうだ。まぁ、仕方ないさ。男子ですら合同チームで出てるんだから。それに中学までは男女合同で試合に出れるけど、高校世代は無理だからな。それで、練習場所とクオリティを求めて、うち、って事らしい。」
「えっと....それは分かりましたけど、私が呼ばれた理由は?」
「人数が足りてないからすぐにって訳にはいかないが、女子チームの運営を視野に入れて練習を始める。しかし、練習はジュニアユース・安芸高校サッカー部と一緒に行う事。それは指導者の兼ね合いもあっての事だ。2年を目途にチーム化する。どうする?選手登録するか?」
えっと....あまりにも急展開過ぎて頭が追い付かないです。そこから冴木さんと板垣さんが事情を丁寧に説明してくれました。ジュニアユースに入団希望の子達は、以前からサッカースクールに参加していた子達なので、おそらく入団希望は来るだろうとの当初からの予想だったそうです。
冴木さんとしては私にその3人の実力を見て貰って、女性プレイヤー目線での指導も勉強して欲しいと思っていたそうです。しかし、そこで追い風になったのが先日の大評定祭でした。あれを見た高校生が、及川さんの高校生との試合後のインタビューに感動し、女性プレイヤーでも高知県東部で現役を続ける方法を探った結果、「Vandits安芸のセレクションをダメ元で受けてみよう」となったそうです。応募の時点で蹴られれば、女子選手は求めてないと分かると思ったのでしょう。
「山口には今、施設管理部に所属して貰いながら、ヴァンディッツのマネージャーとしての活動と並行して練習へも参加して貰ってる。はっきり言ってメンバーを含めても一番忙しいのが山口だ。どうする?女性プレイヤーとしてVandits安芸の将来出来る女子チームに参加するか?」
「お願いします。」
「即答だな。大丈夫か?」
「今年一年はヴァンディッツのマネージャー業との兼務をさせていただきたいですが、少しづつ女子チームへシフトさせていただけたら有難いです。」
「そうか。分かった。板垣もそれで良いか?」
「はい。また御岳さんとも話し合いの機会を作るからそのつもりでいてください。」
「分かりました。あの、お気遣いいただきありがとうございました。」
「何言ってるんだ。高校ベスト11の実力を無駄にしたくないだけだ。」
知っていてくれたんだ。履歴書にも書いてないし、プロから誘いを受けた時も断りまくって、安定職の為に大学を選んだのに。
思いがけず訪れた女子チーム設立の話に私の周りは俄かに騒がしくなりそうな雰囲気でした。
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