第69話 県2部リーグ 第9節
2018年12月9日(日) 春野陸上競技場 球技場 <大野 慎一>
【高知県社会人サッカーリーグ2部 第9節 対 スタット土佐】
高知市の春野陸上競技場にある球技場で行われる県2部リーグの第9節。Vandits安芸は前節の勝利の後、別会場を観戦していたスタッフの塩川君から須崎クラブさんが負けた事が伝えられ、その時点でVandits安芸の来季の県1部リーグ昇格が決定しました。
しかし、当然お祝いなどはリーグ終了まで行わず、ホームページやSNSでの通知もしませんでした。なのでサポーターの方々の中では「昇格を決めたはずなのにチームからリリースが無いって事はまだ確定ではないのだろうか」と言う戸惑いの呟きなんかもあったそうです。
県リーグや協会からお知らせがあれば良かったのだが、はっきり言ってそんな気の効いた記事やお知らせをあげてくれるような協会のHPではないんです。全てが終わってから結果だけ端的にお知らせするくらいしかしてもらえないそうです。1節毎の結果すら載せてはもらえないし、優勝して昇格したとしてもどれくらいの成績だったかも書いてくれないらしい。「県2部は〇〇チームが優勝し1部への昇格を決めました。」くらいの内容になるだろうとの事でした。
しかし、今日のピッチサイドと観客席はいつもと違っていました。うちのチームの応援席がいつも以上に人数が多い事もそうですが、ピッチサイドにプレスの腕章を付けたカメラマンさんが2名もいます。一緒に抱えているバッグには「高知新聞」の文字が入っていました。もう一人は「高知テレビ」の腕章でした。初めて取材媒体が入ってくれた。
それを知ったメンバーはもちろん運営スタッフも喜んでいます。しかし、それ以上に俺が気合が入ったのは、相手チームとヴァンディッツの応援席の間に俺が以前所属していた「ウェーブオーシャン」のチームメイト達が観戦に来ていた事だ。来季、うちが1部昇格を決めた事でウェーブオーシャンとは対戦する事になる。
以前に戦った時には辛くも勝利したが、それからウェーブオーシャンも相当気合を入れて練習を積んでいるらしく、今年は1部で2位の成績を維持しているらしい。
不甲斐ない試合は見せられない。今日はボランチが及川さん一人。俺と五月君で中盤(OH)を務める。そして驚きの起用なのは左右のサイドハーフ。左を八木君が、右を幡君が起用されています。
「今日はしっかりと連携を意識していきましょう。攻め急ぐ必要は一切ありません。それよりも連係ミスでボールを失う事を悪と考えてください。」
監督が皆に声をかける。それぞれにポジションの近い選手と動きの確認や相手の予想フォーメーションを見ながら最終確認をします。
「今日はなかなかお客様も入ってくれてるみたいだ。優勝チームとして恥ずかしくない、そして来季に期待の持てる試合をしましょう!さぁ、いってらっしゃい!!」
いつも通りの冴木さんの無茶ぶりの檄が飛ぶ。でも、メンバーの中では「今日はどんな言葉をかけてくれるのか」って言うのが、意外に楽しみになっている。
中堀さんの合図をきっかけに全員がピッチに出ていく。通路の向こうからいつものうちのチャントが聞こえる。
あぁ、「いつもの」になってきたんだな。俺の中でも、このチームが。
・・・・・・・・・・
試合中 <冴木 和馬>
試合は問題なく進んでいく。前半25分で既に2得点。今日は中盤でもう少し手間取るかと思ったが、いよいよ2部では実力的に突出してきてしまっているのだろう。
今日は試合会場には常藤さんと雪村さんは残念ながら来れていない。いよいよ宿泊施設営業に向けた新人アルバイトやパートの方達の研修がスタートしたからだ。研修生の中にはダブルワークの方もいる為、今後は日曜日は基本的に研修で時間を取られる事になるだろう。
ヴァンディッツがJリーグに行く事が最大の目標ではあるのだが、それの為に様々に達成しなければならない他の目標があり、その為にヴァンディッツの活動に参加出来ないスタッフが出てくる事も今後は増えるだろう。
しかしそれは非常に喜ばしい事であり、会社や組織としての成長が見られるからこそだと思っている。恐らく、これからの更なる激動の2年を越えれば、四国リーグまたはJFLに加盟しているチームの中では他の追随を許さないほどの地盤を持ったチームへと成長出来るはずだ。その為の準備期間。全員がそれぞれの持ち場で最大限のパフォーマンスを発揮する時だ。
「こんにちわ。」
突如、掛けられた声の方向を見ると上本さんだった。いつもの黒のキャップで表情は晴れやかだ。
「ご無沙汰しております。横、どうですか?」
「じゃぁ、お邪魔しようか。」
自分の隣の席が空いていたので上本さんと一緒に観戦する事にした。
「ここまで強いとは。正直言ってもうすこし苦戦もあるかと思っていたんだがね。」
「本当に頑張ってくれています。今は逆に運営スタッフがプレッシャーを貰ってますよ。」
「はははっ!そうかね。しかし、気持ちは分からなくはない。選手の頑張りに会社が負ける訳にはいかないな。」
「そう言えば、来年からリーグ開始ですね。おめでとうございます。」
「ありがとう。君達にやる気を分けて貰っている。」
上本食品は来季から四国でラグビー部を所有する5つの会社と合同でラグビーの私設リーグ『雷神リーグ』を創設し運営する事になった。今まで実業団チーム創設に頑なに反対の立場であった上本食品の参戦に社内では相当驚かれたようだ。
「まさかデポルト・ファミリアさんに力を貸していただけるとは思わなかった。本当に感謝しております。」
上本さんが頭を下げる。デポルト・ファミリアは上本食品のラグビーチーム『アンゲルン高知』と相互スポンサー契約を結んだ。しかし、対外的には金額は公表していない。実際は上本食品からは200万円。デポルト・ファミリアからは700万円の支援が約束されている。
ラグビーリーグの創設が現実的になった時に、上本さんに個人的に食事に誘われて相談を受けた。スポーツチームの運営にはこちらには少し経験がある。うちが持っているくらいの知識で良いのならいくらでも協力は惜しまない。
その中で上本さんから「ようやく企業として君達を応援できる状態になれた。ぜひ譜代衆として応援させて欲しい。」と声をかけていただけた。そこで常藤さんが提案したのが、相互スポンサー契約だった。
まだ実業団スポーツチームとして走り始めたばかりの2企業が手を取り合い、高知のスポーツ文化の発展に寄与していく。アピールとして企業単体で広報を行うよりも遥かにマスコミや広告媒体は取扱いやすくなる。
「お互いにプラスになれる事です。私共は上本さんの個人的協力もあって、ようやく軌道に乗れました。今度はこちらが共に力を振るう番ですよ。」
「本当にありがとう。」
「それよりも噂は本当なんですか。」
「あぁ、その事か。今、交渉のテーブルを整えている所だ。しかし、この手の交渉は全く経験が無くてね。どうしなければいけないのかも分からず、事態だけが進んでしまわないかと危惧している。」
「お節介かも知れませんが、その手の交渉に強い人物はご紹介出来ます。」
「ホントかね!?....いや、すまん。しかし、ぜひお願いしたい。藁にもすがる状態なんだよ。今。」
噂と言うのはチーム発足に伴い、アンゲルン高知にラグビー元日本代表であり、ベテランスクラムハーフの「金宮 正人」選手の契約が控えているとの噂があった。金宮選手は35歳のベテラン選手。一昨年からの度重なる怪我でトップリーグでの出場機会が大きく減っており、それ以来日本代表への招集も無い状態だった。
しかし今回、四国に出来る予定の雷神リーグに以前から興味がある様なSNSでの書き込みが目立ち、そのおかげで雷神リーグには企業スポンサーが予想以上に集まったと聞いた。
どうやら金宮選手の奥様が高知出身らしく、トップリーグで活躍の場が無いのなら新設のリーグに求めても良いのではないかと話をしたらしい。
そうなれば当然、リーグ加盟チームは金宮選手含めたトップリーグで活躍する選手へのスカウトを開始したのだが、今までそう言った事をしてきていない上本食品は他チームに経験面で大きく後れを取っている。
とは言え、こちらからお手伝いしましょうか等と声をかける訳にもいかず、事態を見つめる事しか出来なかった。今日お会い出来て、必ずお声がけしようと思っていた事がスカウトや選手契約に強い方の紹介だった。実は、常藤静佳弁護士だ。
彼女は40代の時に野球選手の契約問題で一度スポーツ選手契約の場に立った事があり、その時に当事者の選手に非常の感謝された経験からスポーツ代理人やプロスポーツ契約の事について10年以上勉強を続けられている。
今、Vandits安芸の選手契約面でもリーガルチェックで関わってもらっており、今後訪れるプロ契約に関してもJFAに認可を貰い代理人契約をする予定だ。
「すぐにこちらからご連絡差し上げられるようにします。常藤静佳さんと仰る弁護士の方です。非常に経験豊富な方なのでご安心ください。」
「そうか....はぁ~..そうか。いやぁ、一つ心配事が無くなりそうで安心した。金宮選手とは一度お会いする事はあったんだが、契約面に関しては次回に、となって会う日取りも決まっているんだが、こちらの準備が何に手を付ければ良いかも分からなかったんだ。本当に助かった。冴木君、ありがとう。」
「いえ、お力になれたなら嬉しいです。リーグ開始は来年の冬と聞きました。ラグビーは冬のスポーツなんですね。」
「私もそれを知って驚いたくらいだが、四国で冬のスポーツが流行ってくれると助かる。高知で盛んな野球はやはり夏と言うイメージが強すぎるからね。他のスポーツが露出の減る冬場に地元で実業団とは言え、スポーツ観戦が出来るのは大きいと思うんだよ。」
確かに。高校野球は夏の甲子園・冬の選抜などと言われるが、実際には選抜大会は3月・4月に行われており、11月12月等にスポーツのイベントは少ない。サッカーの天皇杯決勝などがあるが、これもサッカー好きでも無ければなかなか会場に足を運んでまでは見る事は無いだろう。
高知でのスポーツ文化の発展とスポーツ観戦の日常化を目標としている部分は上本食品さんとも考えが一致している。サッカーが補えない部分をラグビーで、その逆も然り。
「恐らく長い闘いになると思います。しかし、自分達のチームから日本代表やラグビー界・サッカー界を代表するような選手が生まれてくれて、それが地域の盛り上がりに寄与できる。夢物語ですが、今はそれが僕の目標です。」
「そうだね。私の夢でもあるのかも知れない。私は今まで自分達の勝手な思いで社員達を振り回す、ましてや生活を脅かすような事は決してあってはならないと思っていた。しかし、今回のチーム設立を社員の皆が本当に喜んでくれていた事に、私は何をしていたのだろうと。」
「私達も同じです。チームを作る、軌道に乗せると言う事は簡単ではありません。それにはしっかりとした企業・組織母体が無ければ舟はすぐに沈んでしまいます。そう言った意味で、上本さんはしっかりとチームを数年、数十年漕ぎ続けるだけの母体を作られた。だからこそ今、漕ぎ始めようとした時に社員の皆さんは喜んでくれているんだと思います。これが、ボロボロのままならばきっと反対意見で社内は大変な事になっていたでしょう。」
「....そうだな。うん。ありがとう。」
「開幕戦、楽しみにしています。」
お互いに握手をしようとすると、突如ワッと起きた声援に驚きグラウンドを見ると、幡がガッツポーズをしながらゴールパフォーマンスをしていた。俺と上本さんは苦笑いをしながら、目の前の戦いに集中した。
・・・・・・・・・・
同日 Vandits field内 宿泊施設 <常藤 正昭>
私と雪村くん、山口くんが施設と民宿で働く事が決まっているアルバイトスタッフの皆さんの前に並びます。男女年齢層も広く、中には接客業をするのが初めてと言う方もいらっしゃいます。
今回の接客指導に我々は非常に悩みました。と言うのも雪村くんも私も今までにスタッフ指導は行った事がありますが、それは全て『社員』指導なのです。アルバイトで採用された方への指導は今回が初めてでした。
しかし、その悩みは和馬さんと真子さんの一言で一気に吹き飛びました。
「悩む必要なんて皆無だ。社員と同じように、ホテルに立たせても恥ずかしくないスタッフに育て上げてくれ。」
「アルバイトだからここまで、社員だから全て叩き込むなんて考えないの。お客様には社員・アルバイトなんて関係ないんだから。」
やはり創業期を乗り越えられたお二人は考えがはっきりしています。その言葉で私と雪村さんの方向性は決まりました。
「皆さんの接客指導と職場の管理を務めます。施設管理部部長の雪村裕子です。宜しくお願い致します。」
雪村くんがしっかりと腰を折り、綺麗な最敬礼のお辞儀をします。その雰囲気に少しダラ気た雰囲気のあったホールの空気がピンッと張り詰めます。私も挨拶します。
「デポルト・ファミリアの運営統括部長の常藤正昭と申します。これより2ヶ月の期間で皆様には、当社の社員研修と同じ内容の研修に臨んでいただきます。我々と致しましては、皆さまが研修を終えた後は全国にある我が社のホテルに送り出されても恥ずかしくないレベルにまで研修させていただくつもりです。」
「大変申し訳ありませんが、付いて行けない・自分には無理だと判断された方はお気になさらず私共に申し出てください。その方は、大変申し訳ありませんが不採用となります。当然ではございますが、その日までのお給料はお支払い致します。」
更に空気が硬くなります。我々の隣にいる山口くんからも緊張感が伝わってきます。他の施設管理部のメンバーは全員がサッカー部員です。今日の初日に参加出来たのはマネージャー登録の彼女だけでした。
申し訳ありません。貧乏くじだと思ってお付き合いください。
「時折、こう言った施設では利用者の方に対して、砕けた口調で接客される、タメ口と申しましょうか、そのような態度で接客される方をお見掛けします。しかし、我々の施設ではそのような態度は一切許しません。気さくな接客と馴れ馴れしい接客は違います。基本をしっかりと体に入れているからこそ、気さくな接客が出来るのだと考えます。」
「それでは、挨拶から始めましょう。」
静かなホールに「おはようございます」の大きな合唱が響き渡ります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます