第60話 昔の自分。今の自分。
2018年10月17日(水) Vanditsグラウンド <中堀 貴之>
今日はついに初めての芸西村の専用グラウンドでの初練習日だ。朝の仕事の時点からサッカー部メンバーはテンションが高かった。さっき望月にも聞いたが、農園メンバーは更に高くて、仕事中やかましくてたまらなかったそうだ。
そうなってしまう理由は分かる。これだけの環境を整えてくれて、やっとそこで活動出来るようになったんだ。俺達ベテラン勢でも胸は熱くなる。
更衣室も今まで学生時代を含めて使ってきたどの競技場の更衣室よりも綺麗だった
四角い部屋にわざと半円形にロッカーが設置されていて、各ロッカーの上にはヴァンディッツカラーで背番号が割り振られていた。完全な個人用ロッカー。当然鍵などがある訳ではないので、貴重品等は別の鍵付きのロッカーに預けて、サポートの山口さんや雨宮さんが練習終了まで管理してくれる。
いつもならダラダラと着替え始めるメンバーも、今日は我先にとグラウンドに出ていく。更衣室からグラウンドへ続く廊下の向こうから、八木の大声が聞こえる。
「うわぁぁぁ!芝、綺麗だなぁぁぁぁぁぁ!!!」
グラウンドに出ると全体が夕陽に照らされて、事前に東部園芸緑地さんが散水してくれている芝のグラウンドはキラキラと輝いて見えた。
体の中の熱がグッと上がる感覚だ。ここが自分達のホームグラウンドになる。
「すげぇなぁ!これをたった2年で用意したんだぜ。冴木さん。」
「もちろん皆の力もあってだろうけど、マジでうちの会社の仕事の速さは異常だよな。」
皆が口々に褒めてるんだか、貶してるんだかの感想を投げる。そんな皆に頭上から不意に声がかかる。
「なら、別に練習を他でしてくれても良いんだぞ?」
聞きなれた声に皆が一斉に振り返り見上げた先には、和馬さんと常藤さん達がメイン観客席に立っていた。
「冗談っっ!!冗談っスよぉ!やだなぁ!」
「まぁ、良いさ。皆に紹介する人がいる。全員いるかぁ?」
皆が冴木さんの前に集まると雪村さんと一緒に座っていた女性二人が立ち上がる。するとメンバーが一気に色めきだった。
「うわっっ!!!木崎汐里ちゃんだ!!」
「シオンっ!!俺、超ファンだったんだよ!!」
俺も驚いてはいるが、ご本人の前でファンだったはないだろう。木崎さんが隣の女性と共にお辞儀する。
「11月よりうちのYtubeチャンネルのメインキャストを務めてくれる。旧芸名は木崎汐里さん。今は宗石詩織と言う本名で活動されてる。」
「「「マジかよぉぉぉ!!!!よっしゃぁぁぁぁぁ!!!」」」
皆が一斉に腕を振り上げ歓喜の雄叫びを挙げる!おい、さっきのグラウンド見た時よりテンション上がってるじゃないか。でも、凄い人が起用されたな。
すると、和馬さんが皆を落ち着かせて話を続ける。
「八木、彼女を知ってるのか?」
「....その言い方は和馬さんは知らないんスね。マジでどんなプライベート過ごせば木崎汐里知らずに今日まで生きてこれたんだか知りたいっスよ。」
「それほどって事は、彼女が活動しなくなった理由も知っている上で喜んでるって事だな。」
観客席にいる木崎さん、いや宗石さんの表情が曇る。しかし、八木の言葉はやはり斜め45度以上に尖った方向から飛んで来る。八木はポカンとした表情で答える。
「え?シオンがそんな事する訳ないじゃないっスか。あの当時だって本人が何度も否定してたっスよ。俺らファンは信じてましたから。でも、続けられないって思うくらい傷付いてたんだろうし、それに対して「帰って来てくれ」って言うのはファンじゃない気がしてて。それに待っててほしいってシオンも言ってくれてましたから。」
「そこまでのファンか。」
「ヴァンディッツ内に結構いるっスよ。はい!挙手!」
そう言うとちらほらと手が挙がる八木と同じテンションで手を挙げているのは和瀧・五月、そして山口さんだった。俺は隣にいた山口さんに声をかける。
「山口さんもファンなの?」
「はいっっ!アイドルの頃からお母さんと一緒にライブにも行きましたし、女優さんになられてから出演された『森のパン屋さん』ってインディーズの映画のロケがうちの地元だったんです!!毎日お邪魔にならない距離で撮影見てましたっ!!」
宗石さんが山口さんにお辞儀をすると、今にも倒れそうなほど奇声に近い歓声をあげながら山口さんは手を振っている。また、和馬さんが静める。
「まぁ、そう言う事で木崎汐里名義では無く、宗石詩織さんとして新たに芸能活動を続けられる事になった。今までも少しお仕事はされてたんだが、人前に出る仕事はヴァンディッツでの仕事が復帰初になる。」
皆と共に大きく拍手する。宗石さんは緊張した様子ながらも嬉しそうにお辞儀していた。
「当然、周りから様々な声が聞こえるようになるだろう。しかし、俺はお前達がそんな声に流されないと信じてる。過剰に庇う必要は無いが、紳士たる行動を頼むぞ。」
「「「「はいっっ!!!」」」」
そしてまた八木だ。
「ヴァンディッツでお仕事して貰えるって事は和馬さん含めて、常藤さんや杉さんの判断はOKって事なんですよね?親が大丈夫って言ってるなら、俺らは信じるだけっス。」
「まったく。お前の性格にはホントに助けられるよ。そう言う事だ。俺達運営部の判断としては、お前達と同様に宗石さん、そしてマネージャーの水木さんと家族になれるようにこれから関係を作っていくだけだ。」
再び拍手が起こる。
「これからは皆の練習を見学に来たり、話を聞いたりする機会もあると思うが、当然ではあるがっっ!!彼女は仕事として皆の話を聞きに来てる。皆もプロフェッショナルとしての意識をもって対応してくれ。」
暗に口説くなよ・弁えろと言う事だろう。何人かの若手は顔が引きつっている。馬鹿が。お前達に振り向く訳ないだろう。これからまた芸能界に戻る人なのに。
「まぁ、そう言う事だから。練習始めてくれ!!」
上がりきったテンションのまま、グラウンド初練習が開始された。
・・・・・・・・・・
同日 Vanditsグラウンド <宗石 詩織>
「どうですか?緊張少しは解けました?」
和馬さんが私達に笑顔で振り向く。サッカー部の皆さんへの紹介が終わり、今は皆さんの練習をピッチ横まで下りて来て見学させてもらっている。
「はい!少し。」
「基本的に単純で馬鹿な奴らですから、失礼な発言もあるかも知れませんが聞き流してやってください。彼らも成長している途中なんです。」
「はい!」
さっきまでの興奮は何だったのかってくらい、皆さん真剣に練習してる。私が練習への集中のお邪魔になるんじゃないかとか思ってたけど、恥ずかしいくらいの勘違いだったなぁ。皆さんがサッカーに向き合われてる真剣さを知れた。
練習を見ていて少し気になった事があった。和馬さんに質問してみよう。
「あの、古賀選手がさっきから最終ライン抜けてのボールに対してワンタッチでの練習ばかり繰り返してるんですけど、あれは今後ワンタッチプレイヤーに成長させたいって事なんでしょうか。」
私の質問に和馬さんは近くで練習を見守っていた板垣監督に近寄り、何か耳打ちしていた。すると監督さんと共に私の近くまで来てくれた。
「そう言う事は監督に聞くのが一番です。質問応えてくれるってさ。」
「そうですね。古賀君はそのスピードから今までいた大学クラスの試合ではボールを足元に納めても相手に対応出来るだけの時間を作れました。しかし、今後はその所謂『ボールを捏ねる』時間が致命傷になる場面が増えるはずです。ですから、彼にはいかにワンタッチで行動を起こせるかと言う選択肢を増やす意味でもこの練習に集中させています。」
「同じスピード重視の幡選手とは違うプレイスタイルを目指すと言う事ですか?」
幡選手は古賀選手とは違いトップスピードでは古賀選手に劣るけど、自分のドリブルでも突破が可能なスピードタイプの選手だと思う。私の質問に監督さんも和馬さんも驚いてる。たった三日間ではあったけど、裕子ちゃんが用意してくれたヴァンディッツの試合や練習の動画は時間が許す限り見ていたんだもん。何の知識も無い、お飾りにはなりたくない。
「そう言う事ですね。同じプレイスタイルならば私としては幡君を選びます。決定機に対する圧倒的な経験値の差がありますから。そこは今後の活躍次第とも言えますが、安定感・決定力と言う部分ではまだまだ幡君が頭一つ抜けてます。だからこそ、古賀君には違うプレイスタイルの頂点を目指してもらいたいと思っています。....それにあのプレイスタイルの方が彼の素質には合っていると思っています。」
「ありがとうございます。」
私は手に持っていたボイスレコーダーのスイッチを切る。水木さんが昨日買って来てくれた物。取材するなら必要だと渡された。監督さんが笑顔で話してくれる。
「サッカー、お好きなんですね。」
「まだ見始めて5年です。でも、大好きです。」
「好きである事が一番重要です。何事も。」
「はい。」
皆さんが短い休憩に入る。その時でも、給水品がらそれぞれがプレイの確認や連携の修正をメンバー同士で話している。ホントに練習前とのギャップが凄いなぁ。
「イッチィさん(市川)、もっとガツガツいっても良いっスよ。あれじゃ圧力は感じないっス。もう少しコース切る動きを見せられる方が怖さ感じます。」
「了解。」
「馬場、今の感じのクロスはそろそろ相手もイメージ付いて来たと思うから、低くて速いボールも織り交ぜるようにしよう。でも、精度はかなり安定して来てるから。続けていこう。」
「オッス。」
監督さんはこう言う時にアドバイス出さないんだ。選手に任せてる感じがあるなぁ。中堀選手・八木選手・五月選手・大西選手が各ポジション毎に修正をかけてて及川選手が全体をまとめてる感じかな?
「でも、何よりこのグラウンド走りやすいなぁ!さいっこうだわ!!」
馬場選手が大きな声で楽しそうに話す。皆さんも笑顔で同意している。確かに凄く綺麗だし、良いグラウンドに見えるなぁ。裕子ちゃんが言うには春野陸上競技場のメイングラウンドか球技場くらいじゃないとしっかり手入れされた芝グラウンドに出会える事が稀なんだって。
そりゃ管理抜群でしかも初プレイとなれば最高に決まってるよね。
その後はセットプレイの約束事を確認しながら修正する練習で終了した。時間は19時。早い様に感じるけど、メンバーの半分以上の人は朝4時から起きて畑で働いた後だって聞いた。当然明日もその時間から仕事なんだろう。事務所メンバーの人はもう少し遅いらしいけど、及川さんの話では農園メンバーと違って仕事中に体を鍛えられないから、早起きして走り込みやトレーニングをしているんだって。
練習後、私達はメンバーの皆さんよりも先に失礼する事にした。和馬さんや裕子ちゃんと話しながら駐車場まで向かう。そこで和馬さんから私の以前の活動に関しての話題を振られた。
「いやぁ、メンバーの反応を見てると本当に宗石さんがどれだけ凄い俳優さんだったかってのが分かりますね。」
「いえ!そんな....」
「俺ももう少し世間の流行りを勉強しなきゃなぁ。」
裕子ちゃんや常藤さんが苦笑いしてる。和馬さんの良さは完璧に見えてそう言う抜けてる所がある部分だと思うんだけど。ご本人にはとても言えないけど。
「アナウンスレッスンはどうですか?」
「感情を込めているようで込めずに原稿を読む難しさを思い知らされてます。本当に良い経験をさせていただいてます。」
「さっそくですが、宗石さんのうちでの初仕事が決まりました。」
胸がドクンと大きく脈打つのを感じる。隣にいる水木さんもすぐにタブレットを取り出した。こんなに早くお仕事をいただけるなんて思ってなかった。もっとレッスンを積んでからって思ってた。
「12月23日の祝日日曜にこのグラウンドでVandits安芸として初めてのファン感謝イベントを行います。もちろんグラウンドのこけら落しの試合も行います。そこで、宗石さんにはうちの有澤と一緒にイベントMCを務めていただきます。」
「....はい。ありがとうございます!」
私の緊張した顔を見て和馬さんが小さく笑います。
「緊張するなは無理でしょうけど、有澤もいますし、アナウンスレッスンしてくれてる阿部さんもアシスタントMCとして入ってくれますから。安心して臨んでください。」
「ありがとうございます。心強いです。」
アナウンスレッスンをしてくれている阿部先生は高知テレビで15年アナウンサーを務められていた。結婚を機に職場を退職されて、今はフリーで活動されていると聞いていた。阿部先生が傍にいてくれるのは本当に心強い。
「11月初旬からイベントの広報活動が始まります。うちとしてはあなたの名前は大きくは打ち出しませんが、本名を知っているファンの方が殺到する可能性も無いとは言えません。当日は相当警備を厳重にしてますので。」
「はい。申し訳ありません。」
「謝られる事では無いですよ。本当に金儲けを考えるなら『木崎汐里がヴァンディッツにやってくる!』と銘打って入場料取ってイベントをするんです。でも、大事なのは譜代衆と国人衆の皆さん、そしてサポーターと応援してくれる地元の方に喜んでもらえるイベントにする事です。」
「....はいっ!」
「しっかりお手伝いしていただきますから。一緒に頑張りましょう!」
和馬さんが私に握手を求めてくれる。しっかりとした手が力強く私の震える手を握り返してくれる。それから常藤さんや裕子ちゃんも私と水木さんと順番に握手を交わす。
久しぶりの大きなお仕事。失敗は出来ない。
「でも、シオンですか。まさに宗石さんとファンの繋がりにぴったりですね。」
力の入っていた私に和馬さんが笑顔で話す。その言葉に裕子ちゃんが反応した。
「ピッタリってどう言う意味ですか?」
「ファンからすれば片仮名のシオンと漢字の紫苑、どちらの意味合いで捉えているかは分からないけど。」
「片仮名?漢字....ですか?」
「常藤さん、分かりますか?」
「なるほど。片仮名のシオンは聖書で『心清き人』と言う意味で使われる事が多かったと記憶しています。漢字の紫苑はキク科の植物ですね。花言葉は確か『追想』や『あなたを忘れない』。そして........『遠くにある人を想う』。」
キュッと心が痛くなる。知らなかったそんな意味があったなんて。こじ付けって言われるかも知れないけど、今の私には嬉しい言葉だった。込み上げる感情を必死に抑える。裕子ちゃんと水木さんが優しく背中を撫でてくれる。
「うちのメンバーにとってはあなたが休んでいた間も、ずっとあなたはあなたであり続けたんでしょう。どこで何をしていても自分達が信じている。まさに『遠くにある人を想う』ですね。」
「はい........大切にします。」
固まりかけていた私の緊張と心がゆっくり解けていく感覚がしていた。
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