第58話 過去の落日(県2部リーグ 第6節)

2018年10月14日(日) 須崎市 横浪運動広場 <雪村 裕子>

【高知県社会人サッカーリーグ2部 第6節 対 黒潮クラブ】

 今日は県リーグの第6節です。芸西村・安芸市を出発する時点では少し曇り空だったのですが、須崎市に着く頃には今にも降り出しそうな空模様になっていました。

 今回はお天気の事もあったのでしょう。観戦希望の方も少なかったので、観光バスでは無くマイクロバスをレンタルして試合会場への送迎をしました。私は和馬さんの車で真子さん・拓斗君と共に移動していましたが、その途中で和馬さんが急遽ホームセンターに寄り、ポンチョ型のレインコートを大量に買い始めました。


 「チラッと観戦ツアーの皆さんの荷物を見たが、傘を持ってる人が多かった。ポンチョ型のレインコートなら足元は少し濡れるかも知れないが、傘をさす鬱陶しさよりは観戦しやすいだろう。」


 観戦していただける皆さんに無償で配るようです。こう言った心遣いが出来るのが和馬さんの行動力の凄い所ですが、ご本人は「今日だけにしないとずっと買い続けなきゃいけなくなるからな。」と、照れた様子で仰っていました。


 拓斗君からもチームのレインコート作成の提案がありました。年間の降水量が多い高知県だからこそ一考の余地はありそうです。和馬さんも「国人衆様の貴重なご意見だ。参考にさせてもらおう。」と困り顔です。さっそく杉山さんと有澤さんにDMを送り、明日にでも打ち合わせをしましょうと打診しました。


 やはり会場に着く頃には雨がパラつき始めました。職員で手分けしてレインコートを配ります。皆さん「傘あるわよ?」「どうして?」ってお声をいただきますが、傘を差しての観覧はスポーツ観戦のマナーとしてはあまり宜しくない事をお伝えして、もし傘を差したい方は応援列の一番後ろに回っていただくか、後ろで応援されている方にご配慮いただけるようお願いしました。


 そうお願いすると大体の方は快くポンチョレインコートを受け取っていただけます。「そう言うマナーもあるのねぇ」と言っていただけたりもしますが、一応心遣いの部分であるので絶対ではない事はお伝えしておきます。


 高知は10月でもまだ少し残暑が残りますが、さすがに雨がパラつくと若干の寒さを感じます。アップをしていた選手達の中には慌ててユニフォームの下に体のラインにピッタリとした長袖のスポーツシャツ(コンプレッションウェアやトレーニングウェアと呼ばれているんだそうです)を着込んでいる様子が見られました。


 ほぼ試合前の準備が終わりホッとしていると、私達の応援の輪にも相手チームの応援の輪にも加わっていない観客の方が数名、視界の端に移りました。

 その中の二人を見た時、私は目が奪われてしまいました。なぜ、彼女がここにいるの....


 それは高校・大学時代の後輩でアイドル・女優として活躍『宗石詩織』(芸名:木崎きさき汐里しおり)でした。


 私は徳島の出身ですが、親の仕事の都合で中学で東京に引っ越しました。転校した中学で彼女の姉と同級生になった言う事もあり、彼女の事は知っていましたが高校で姉から初めて紹介されたされた時には、もう彼女は所謂『時の人』になっていました。

 同級生の姉からは妹が中学の時に芸能事務所にスカウトされたとは聞いていましたが、まさかアイドルとしてデビューし瞬く間にスターダムを駆け上がるとは家族ですら思っていなかったそうです。


 私達の高校には芸能クラスと言う特別クラスがあり、そこは芸能活動をする子達が集められていました。私達一般クラスからすれば、まさに今の流行がそこに集まっているようなクラスです。もちろん、中にはまだほとんど名の売れていない子もいましたが、私達からすれば芸能人と言う事に変わりはありません。


 しかし、詩織を学校で見る事はほとんどなく、周りの子達も木崎汐里がこの学校にいるのは知ってるが、ほとんど見た事が無いと言うのが現実でした。売れっ子の彼女が学校に来るのは、一ヶ月に三日あるかどうか。それでも時間外に補講や課題をクリアして私と同じ大学に入学したと連絡を貰った時には、「本当に頑張ったね」と二人で電話口で泣いた事を覚えています。


 高校3年の頃から詩織はアイドルから段々とお芝居の方向へ仕事をシフトさせ、大学2年の頃にはもう女優と言われるようになっていました。物静かで清楚なイメージで売り出されていた木崎汐里は、普段は明るい話好きな女子大生でした。

 何かあれば私に電話をくれて「こんな仕事があって~」とか「こんな有名人に会った!」とか騒いでいたかと思えば、「台詞が覚えられないぃ」とか「お姉ちゃんと喧嘩した」とホントに喜怒哀楽旺盛な内容でした。


 そんな女優として頂点が見えて来ていた詩織を不幸が襲い続けます。所属事務所の社長が詩織を含めた複数の所属タレントや俳優の給料を中抜きし、税金を誤魔化していた事でその被害者から訴訟を起こされました。当然、詩織も訴訟を起こしましたが、所属事務所は倒産。担当してくれていたマネージャーと二人で個人事務所を起こした矢先に新たな不幸が訪れました。


 あるドラマの打ち上げで数名の俳優や芸能人とカラオケに行った写真を、さも男性芸能人と二人で飲み歩いていたかのように芸能誌に掲載されたのです。詩織はマネージャーと共にドラマの打ち上げであると言うコメントを出しますが、撮られた相手が不味かった。そのタレントはドラマにもちょくちょく出るバラエティタレントで、自分が出ているバラエティ番組でその事を面白可笑しく盛って喋りました。

 相手は大手芸能事務所。こちらは立ち上げたばかりの個人事務所。どちらの発言が大きく取り上げられるかは明白でした。何度も否定するコメントを出しますが、バラエティ番組もネット社会も面白い方へと興味は流れ、事実ではない事ばかりが膨らんでいきました。


 気付いた時には詩織は心を壊しかけていたのです。本当なら訴訟を起こしたいマネージャーでしたが、詩織がそれに耐えられるだけの心をもう持ち合わせていませんでした。


 そして、ひっそりと休業宣言をし、仕事を一切しなくなりました。その時のコメントの中で私が印象に残っている一文。

 「本当の真実を、真実だと信じ続けてくれているあなたの為に、私は私であり続ける事を誓います。だから、あなたも周りに流される事無く、私が戻って来られるその日まで信じて待っていてください。」


 あの日から4年が経っていました。その詩織がなぜ高知に。なぜヴァンディッツの試合に。私は震える自分の腕にグッと力を入れて彼女がいる応援席へと近付いていきました。そして、その小さな背中に勇気を出して小さな声で話しかけます。


 「........詩織?」


 後ろを振り返った彼女はすごく驚いた表情で、でもすぐに子供が泣きだすのを我慢しているようにクシャっと顔を歪め、私の胸に飛び込んできました。私と彼女の傘がぶつかり、地面へと落ちます。

 私はトートバックに突っ込んでいたうちのチームの試作タオルマフラーで彼女の頭を隠します。そして、彼女と彼女と共に観戦していた私より年上に見える女性に言いました。


 「ここでは不味いから私達の車に移動しましょう?」


 連れの女性が真剣な表情で頷き、すぐに私の異変に気付いた和馬さんが近付いてきて車のキーを貸してくれました。私に何も聞きません。「事後報告で良いよ」と言う事でしょう。助かります。


 広いボックスカーの後部座席の三列目シートに彼女と女性を座らせて、私は二列目に座りました。そして、何も言わず彼女が泣き止むのを待ち続けました。


 スモークフィルムの貼られた少し薄暗い社内に外から試合開始のホイッスルが聞こえました。


 ・・・・・・・・・・

同日 車内 <雪村 裕子>

 「....裕子ちゃん、ごめんなさい。これ、洗って返すね。」


 泣き止んだ詩織の震える声は精一杯の強がりに聞こえました。


 「いつでも良いよ。試合始まっちゃったね。どっちの応援?」

 「....ヴァンディッツ。実はお姉ちゃんから裕子ちゃんがこのチームで働いてるって聞いて........ずっと会いたかったのに、連絡しなくてごめんなさい。」

 「....良いよ。会いに来てくれたじゃない。だから、もう良いの。」


 詩織は泣き出しそうな顔をタオルマフラーに押し付けて、必死に我慢していました。すると女性が私に頭を下げました。


 「宗石詩織の担当マネージャーをしております水木真知子と申します。雪村さんのお話は宗石から何度も聞いておりました。一度もご挨拶出来ず、このような形となりまして申し訳ありません。」

 「いえ、状況が状況でしたので。デポルト・ファミリア施設管理部・広報部の雪村裕子と申します。このような場所で名刺をお渡しして申し訳ありません。」

 「いえ、そんな。」


 そう言って私は水木さんと名刺交換をしました。チラッと名刺を見るとそこには「芸能事務所ファクトファミリー」とありました。真実の家族と訳するのか、家族の真実と訳するのか。


 「大変失礼な事をお聞きしますが、マネージャーを担当と言う事は、芸能活動を継続されていたと言う事ですか?」

 「はい。今は本名で活動していますが、本人が大学時代に英語とフランス語の勉強を頑張ってくれていたので、海外から日本に来られているご家族の子供さん達を集めた絵本の読み聞かせ教室や、今は絵本の英語・日本語翻訳のお仕事もちらほらいただけている状態です。」

 「そうですか。詩織、英語そんなに話せたなんて聞いてないよ?」


 なるべく明るく振る舞います。泣きべそで詩織が笑います。


 「だって、絶対裕子ちゃんの方が喋れると思ってたんだもん。自分で自信が持てるまでは黙ってた。」

 「そっか。お仕事に出来てるんだもん。頑張ったね。」


 詩織が涙を溜めて頷きます。


 「私に会いに来てくれたのは、どうして?」

 「裕子ちゃんが高知に行ったのをお姉ちゃんから聞いて、チームが立ち上がったくらいの時だったと思う。それで興味が湧いて。、私、女優の仕事を休んでからずっと勉強の合間にスポーツをテレビで観るのにハマっちゃって。一番見てたのがサッカーだったの。」

 「推しチームはあるの?」

 「好きなのは東京FC。練習場が自宅から近かったのもあったんだけど。でも、今はヴァンディッツが大好き。興味を持ったのはもちろん裕子ちゃんきっかけだけど、Ytubeチャンネルとか見ててホントに好きになっちゃって。」


 そこにはいつもの話好きな詩織がいました。


 「それで、どうしても試合が観たくなって。真知子さんに無理を言って高知に来させてもらったの。そんなに仕事も忙しい訳じゃないし。」

 「それでも、一応スケジュール調整はしたんですけどぉ?」


 水木さんが詩織にちょっと絡む。


 「分かってますぅぅ!感謝してますぅぅ。」


 そう言ってほっぺをぷくっと膨らませて拗ねる詩織。それを見て私と水木さんは顔を見合わせて笑いました。詩織も「えへへ」と照れ笑いしています。


 「そっか。会えて良かったわ。もしかしたら来シーズンからは私も現地応援出来なくなる可能性があったから。」

 「そうなの?」

 「今ね、私達の会社で民宿や宿泊施設の営業開始が迫ってて、その担当部署の主任なの。だから、営業が始まったら毎試合は観に来れなくなると思うのよ。ホントに運が良かったわ。」


 そして、話の核心に私は迫る事にしました。


 「で、試合を観たいはずなのにここで私と話してるって事は、本当は他にも話したい事があるんでしょ?」


 そう切り出すと詩織も水木さんも表情が硬くなった。やっぱりただ試合を観に来たと言う訳ではないと思っていた。


 「....私、もう一度芸能のお仕事がしたくて。」

 「大丈夫なの?」

 「分からないけど。でも、諦めたくなくて........私を信じてくれてる人がたくさんいるから。」


 そう言って詩織はちらりと水木さんを見ました。そうか。ずっと付いて来てくれている水木さんの為にも復帰したいのね。


 「うん。詩織に覚悟があるなら私も応援する。でも、それとここに来た事と何か関係があるの?」


 すると、水木さんが私に頭を下げる。


 「このような形でお願いするのは大変失礼で順番が違う事も重々承知しております。ですが!どうか....宗石がお手伝い出来るようなお仕事がVandits安芸さんでございませんでしょうかと言うお願いに来させていただいた次第です。」


 私の頭の中が一気に仕事モードに切り替わります。こればっかりはたった3年間とは言え、トップクラスにプライベートと仕事の線引きを完璧にこなす方のサポートをさせていただいた経験が活きています。


 「そう言うお話でしたら、ここではお返事は出来かねます。後日、改めましてご連絡をいただけますでしょうか。」

 「もちろんでございます。このような形でのご挨拶となり大変申し訳ありません。こちら、宜しければお受け取り下さい。」


 そう言って水木さんがA5サイズの小さくはあるが手が込んで作られている冊子のような本を渡していただきました。中を見ると、詩織の『木崎汐里』としての活動と、現在の宗石詩織としての活動をまとめた物でした。


 「こちらはプロフィールブックと言って、私共がお仕事のお願いをする際にお相手に読んでいただいて、宗石がどういった人物かを知っていただける物となっております。」

 「わざわざありがとうございます。参考にさせていただきます。」


 すると窓の外からコンコンとノックされる音が車内に響きました。窓ガラスの向こうに和馬さんがいました。ドアを開けて、私だけが出ます。


 「すまん。さすがに気になってな。」

 「いえ、申し訳ありません。使わせていただいて。」

 「近くに個室を構えられそうなレストランがあるらしい。送っていこうか。」


 私は迷いました。しかし、ちゃんとお話を聞いていただく必要があると私の中で判断しました。


 「実は和馬さんにも聞いていただきたいお話があるんです。出来れば、真子さんもご一緒に。」

 「....分かった。拓斗は常藤さんにお願いして来よう。真子を連れてくるから車で待っててくれ。皆でレストランで話そう。腹も減っただろ。」


 そう言って和馬さんはグラウンドに走っていきました。一番のトップがこれだけ気が利いて走り回られると私達も大変です。

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