第56話 戻れぬ過去

2018年9月23日(日・祝) BAR『蔵』 <冴木 和馬>

 今日の第5節が終わった事で県2部リーグは折り返しを迎えた。これまでも部員達の打ち上げはその都度行っていたが、今回はチーム運営メンバーにもおつかれの意味を込めて打ち上げを行った。

 メンバー達が気を遣わないように若い者達は居酒屋『鉄』で打ち上げをし、俺達運営や経営陣は同級生の矢口が経営するBAR『蔵』で打ち上げをする事にした。矢口に適当に食事を頼んでおいたが、BARと言う名に似つかわしくない刺身の盛り合わせや鮨・サラダにパスタなど和洋折衷で色々と並んでいた。カウンターを見ると矢口以外にも何人か店員がいた。この店、ワンオペじゃ無かったんだな。


 「じゃあ、まぁ、こっちもそれなりに楽しもう。皆、リーグ折り返しお疲れ様!」


 俺の乾杯の音頭で皆がグラスを持ち上げる。メンバーは真子、常藤夫妻、坂口さん、雪村さん、秋山、有澤、板垣、中堀、司、尾道、大野、五月だ。杉山さんは奥様の手料理&動画チェックの為帰宅し、山下と北川は若手メンバーの引率だ。


 好き好きに食事をしながら、会話が弾む。当然だが皆にはお酒も振る舞われている。飲まないのは俺と部員達だけだ。デポルトの強制ではない食事会ルールだが、基本は『無礼講』である。最低限守るべきマナーさえ守れば普段聞けない事を聞いたり、多少の失礼は目を瞑ると言うのがルールだ。とは言っても、若手メンバーはほぼバリバリの体育会系を経験してきたメンバーばかりで、上下関係はしっかりと骨の髄どころかDNAレベルで叩き込まれているので、あるとすれば普段聞けないプライベートな質問が飛ぶことがあるくらいだ。


 普段は仕事を完璧にこなす秋山と坂口さんが酒に飲まれている。二人で肩を組んで「男欲しいよぉ。結婚したいよぉ。」と少し泣きそうな声で慰め合っている。それを真子が見て爆笑していると言う少しカオスな状況が店の隅にあった。


 俺が常藤さん夫婦と司の4人で話をしていると、その輪にそっと顔を少し赤くした有澤が近付いてくる。どうした?って感じで笑顔を向けると有澤の顔は真剣だった。


 「あの....和馬さん。いえ、冴木さん。私、一度お伺いしたいと思っていた事があるんですが、良いでしょうか?」

 「うん?なんだ?」

 「すごくプライベートな事になると思うんですが、良いですか?」

 「内容を聞いてみなきゃ分からんが、答えれる事ならちゃんと話すよ。」


 怖い前振りだな。有澤が意を決したように質問してきた。


 「冴木さんが及川さんの頼みを聞いた理由です。踏み切った理由を知りたいんです。」

 「親友からの頼み....じゃぁ納得しないのか?」

 「大変失礼な言い方だとは思いますが、いくら親友の頼みとは言え、子会社を作り個人資産を何十億も投資してまでJリーグ入りを目指せるほどの可能性があったとは思えませんでした。あの....すみません!」


 有澤が振り返って後ろで聞いていたサッカー部のメンバーに謝る。いつの間にか全員がこの会話を聞いていた。


 「そして真子さんが選手寮でお話しした内容もお聞きしました。それを聞いて尚の事、どうしてこれだけの大きな決断をされたのか、いえ、出来たのか。ずっと聞きたいと思っていました。」

 「うぅ~ん....そうかぁ。」 


 俺が話すかどうか迷っていると奥の席から真子の声が飛んでくる。


 「聞かれて恥ずかしい話じゃないんだから、話してあげなさいよ。選手や皆の全部を投げ出させて、あなただけ自分の事を話さないのはフェアじゃないわ。」


 手をひらひらさせながら真子が俺に発破をかける。そうだな。確かにフェアじゃない。


 「まぁ、あまり楽しい話じゃないからそのつもりで聞いてくれ。」


 真子と司以外全員が前傾姿勢。いやぁ、そんな風に聞いて貰う話じゃないんだけどなぁ。


 俺は一人っ子で生まれた頃から勉強勉強ばかりの毎日だった。両親ともに学歴主義な考え方で特に母親が酷かった。小学校低学年から塾と習い事、友達と遊んだ記憶なんてほぼ皆無だ。学校が終わる時間には母親が車で下校する俺を待っていて、その車に乗せられて塾へ行くか習い事の教室へ行くか、そんな6年間だった。

 勉強は当然出来た。テストは100点が当たり前。80点代なんて取ろうものならその日の夕食は抜かれる勢いで机に向かわされた。しかし、それがツラいとも思わなかったし、どの家もそうなんだろうと思っていた。


 だから、周りが問題を解けない、分からないって反応をするのが理解出来なかった。いや、前に先生が説明してたじゃないか、それの応用じゃないか。そんな気持ちが当たり前に生まれた。そして一番マズかったのはそれを平気で口にしてしまった事だ。

 当然、嫌われる。いつの間にか自分の周りからは人がいなくなった。あいつと話すと馬鹿にされる、ガリ勉が移ると噂された。家に帰り母親に話しても「小学校を出れば一生会わない人達だから相手にしなければ良い。そんな事より勉強しなさい。」と返事が返って来た。


 俺も無視をする方が楽だった。それに心を揺さぶられるよりもいない者だと思い込めば何の不都合もなかった。そして中学は進学校に進んだ。


 そこで中学2年の時に、司と出会った。


 中学1年でも相変わらずの状況になってしまい、友達はいなかった。さらに不幸なのは進学校だから、小学校の頃よりも周りの人間のプライドが高かった。そんな中で俺みたいな異端児は大いに嫌われた。

 そして、中学2年のクラス替えで司と真子が同じクラスになった。司も真子も1年の時に当然何人も友達が出来ていて、楽しそうにしていた。そんな中で誰も話しかけない俺に違和感を覚えたのかも知れない。司が急に話しかけて来た。


 愛想なく話す俺に全く構う事無く毎日のように話しかけてくる司。若干、迷惑だと思いながらも誰かと話せる事に少し嬉しさも感じていた。そして、いつしか少しづつ話すようになり、その輪の中にはいつの間にか真子も加わっていた。


 「中学3年になるくらいの頃には、二人の事を友達....って呼んでいいのかなぁくらいには仲良くなれてると思ってた。」

 「おっそいにゃぁ!とっくに友達やったわ!」


 司が笑いながら茶々を入れる。俺はすまんすまんと謝って話を続けた。


 その中学は中高一貫教育だったから、高校でも司や真子とは変わらず仲が良かった。しかし、それを母親が良く思わなかった。多少俺の成績が下がった事も原因だったのかも知れない。その頃に初めて母親に手を挙げられた。抵抗する事も考えたが、母親が自分の事を想ってやっているのだと我慢した。


 高校2年のある日、その頃には付き合い始めていた真子と一緒に帰っている所を母親に見られていた。家に帰ると狂ったように怒りながら、「お前の成績が落ちたのはあの女のせいだ!」と酷く俺と真子の事を罵った。「2度と会うな!勉強しろ!お前は超有名大学に入って官僚になるんだ!それがお前の幸せなんだ!」と喚き散らした。傍にいた父親は母親をなだめたが一向に収まる気配は無かった。


 その時間の中で、俺は何かが壊れた感じがした。気付くと俺も汚い言葉で母親を罵っていた。「お前が叶えられなかった夢を俺に背負わせるな!お前のおもちゃじゃない!」そう言って母親に人生で初めて反抗した。

 俺のその言葉に驚きながら母親は「こいつは失敗作だ。こんな子は私の子じゃない。」と口にした。カッとなった俺は


 「捨てれば良いじゃないか。まだ子供も作れる歳だろ。新しい奴隷を作れば良いじゃないか!」


 そう言葉を発した瞬間に父親に横から殴られた。寂しそうな顔で「言い過ぎだ」と俺を抱きしめた。母親は呆然としながら俺に手を差し出して来た。


 そして、「もう一度頑張ろう」と言った手を、、、俺は払い除けた。


 母はそのまま家を出た。



 その2時間後、警察からの連絡で、母が車で事故を起こしたと伝えられた。



 母が乗った車は高知市の北部にある山道のガードレールに猛スピードで突っ込み、そのまま崖を転がり落ちた。即死だったそうだ。


 そこからの事はほとんど覚えてない。葬儀も執り行われたし、火葬場にも行ったんだろうが、ほとんど記憶が無い。ただ覚えているのは、ずっと司と真子が手を握り続けていてくれた事。

 自分のしてしまった事に圧し潰された。俺は母を殺したのだ。その現実に何も手に付かなくなった。学校も休み、部屋に籠った。でも、司がなぜかずっとうちにいた。後から聞くと父親に頭を下げて父親がいない間、家にいさせて欲しいと頼み込んだらしい。それほどまでに俺が何を仕出かすか分からない程、消沈していたんだそうだ。


 期間としては短かったはずだ。たぶん1~2週間くらいだっただろう。俺はやっと泣く事が出来た。司と真子に支えられ、ひたすらに叫ぶように泣き続けた。そして、その時に司から俺の生涯の支えとなる言葉を貰った。


 「お前がおらんなる事は、お前が感じたこのツラさを俺に突き付ける事になるがぞ!?絶対死ぬなよ?」


 こんな思いを司に感じさせたくはない。その一心だった。しばらく保健室授業を許されて何とか学校に戻れた俺は無事に高校を卒業し東京の有名大学に進学出来た。


 その事があったからこそ、俺は司の頼みを断わらなかった。あの時の俺と、チームの事を頼んだ時の司、どちらがツラいとか比べるモノではない。自分の掛替えの無い人から救いを求められたのだ。手を差し伸べるのが当たり前だ。

 もう間違わない。


 「俺の中での人生の判断基準があの高校2年の時に変わったんだ。本当に大事な者の為には自分の状況は省みず手を差し伸べるのが当たり前だって。」


 その判断基準でその後生きられたからこそ今がある。あの時に司の頼みを断わる事は俺の人生の指針に反する。司と真子が繋いでくれた俺の人生を否定する事になる。

 だからこそ受けた。それは誰に咎められようが、決して変わる事無い決断だ。司が助けてくれと言っている。だから助ける。それ以上も以下もない。本当に言ってしまえば司の為でも無かったのかも知れない。俺の為に、俺は司の頼みを断わらなかったのだろう。あの日からの20年近い日々を否定しない為に。


 話し終えると皆黙ったままだった。秋山や質問した有澤、五月までが泣いていた。こうなるから話したくなかったんだ。司も居心地悪そうだ。


 「な?楽しい話じゃなかったろ?」

 「い”べ(いえ)!ぎげでびょがっだでずぅぅ(聞けて良かったですぅぅ)!!」


 有澤は号泣している。静佳(常藤)さんも涙ぐんでいた。


 「まぁ、今は無事に乗り越えてこうやってお前達と夢を追いかけてる次第です。以上っっ!!!」

 「及川君と学校の友人以上の物を感じていたのはこう言う事だったんですね....本当にお辛い事を話していただきありがとうございます。」


 常藤さんにまで頭を下げられる始末だ。中堀と大野が近付いてくる。


 「ずっと感じていた冴木さんの覚悟みたいな物の....原因って言うか....根底みたいな物が知れて良かったです。話してくれてありがとうございました。」

 「やっぱり俺は冴木さんと一緒にJリーグ行きたいです。これからも宜しくお願いします。」


 二人が揃って頭を下げる。五月や尾道だけじゃない、秋山や坂口さん達まで頭を下げている。


 「皆の気持ちは嬉しい。でもな、俺はお前達を絶対にJリーグに連れていく。それは選手としてはチームを離れた尾道達も全員だ。全員でJリーグに行くんだ。それが出来たら.......きっと嬉しいんだろうなぁ。」


 俺の言葉に皆が笑い出す。あれ?言葉が軽い?そう?いやぁ、結構良い事言ったつもりだったんだけど。真子からも「締まらないわねぇ」と呆れられた。


 そんなこんなで打ち上げはお開きとなった。


 ・・・・・・・・・・

打ち上げ後....


 帯屋町のアーケードは日曜の夜と言えど明日も休みと言う事もあり、人で賑わっていた。そんな中を司と真子と3人で歩く。


 「お袋さんの墓参り、毎年来てたんやって?」

 「うん。息子やきね。」

 「孝行もんよ。親父さんは?北海道に行ったって聞いたけど?」


 父親も俺が大学に入るのと同時に勤めていた会社に異動願いを出し、支社のある札幌の営業所の所長になった。社会人になってから聞いた話だが、高知であれ以上暮らす事は気持ちが追い付かなかったらしい。俺が高校卒業するまではと何とか頑張ってくれていたそうだ。

 今は役員として東京にある本社にいるらしいが、北海道に買った父の別荘で会う事がほとんどだった。数年に一度、東京で飯を食う事もあったがなぜかお互いに北海道で会うのとは勝手が違うのか短時間になってしまう。


 「子供らは会えゆぅがか?親父さんに。」

 「あぁ。皆で北海道旅行に行った事もあるし、真子が東京で何度か子供達と一緒に食事にも行ってくれゆぅ。俺がいると気を遣わせるきね。親父にも。」

 「親子やろうが。」

 「まぁ、俺らにはちょうど良い距離間ながよ。」

 「....そっか。」


 言葉に詰まると、不意に真子が俺と司の間に割って入り、二人と手を繋ぐ。


 「懐かしいね!!中学の時みたい!!」

 「だいぶおんちゃんとおばちゃんになったけどねぇ?」


 俺が真子の顔を覗き込むと、膨れっ面で睨み返す。


 「そうやねぇ。和くんもオレもマコも良い歳になりましたぁ!」


 3人で笑いながら歩く。


 「時々3人で食事しようね!皆も子供も抜きで!」

 「そやねぇ。時々は良いかもねぇ。」

 「不良夫婦に巻き込まれゆぅが。怖い怖い。」


 逃げようとする司を追いかけて背中を叩く真子。

 懐かしい光景に少し目の前が歪む。


 俺はアーケードの天井を眺めて、そっと目を閉じる。


 かぁさん、間違えずに生きゆぅよ。


 両手に温もりが戻る。ゆっくりとまた歩き始めた。

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