第47話 新拠点の状況
2018年6月27日(水) 安芸市某所 <冴木 和馬>
常藤さん、雪村さんと車から降りる。ここは安芸市中心部の西側。県立あき病院の南。国道55号線沿いにある店舗跡だ。新事務所の移転先を検討しているが、安芸市内の事務所物件で不動産会社に賃貸または売却で登録されている物件は1件も無かった。
さて、どうしたものかと悩んでいた時に頼りになったのが、普段から営業廻りをしている皆だった。車で回っている中で空き店舗や使われていない工場跡、またはテナントが入っていないビルなどをピックアップしてもらって、その持ち主や管理会社に手当たり次第に連絡していた。
その中で元はゲーム販売を行っていた店舗が今は借り手がおらず、空き店舗となっていた。店舗前の駐車場だけでも30台分ほどある。何だったらここに直売所を作ったらどうだろうとも思ったが、ここは目の前がホームセンターな上に国道が一車線づつなので反対車線側から車が入ろうとすれば、簡単に渋滞になるだろう。
「冴木さん!お待たせしました!」
そう言って近付いてくるのはここの内見を世話してくれた安芸市役所の職員さん。もちろん市役所として仲介してくれた訳では無く、ここの地主さんをこの方がご存じで西村さんとお知り合いだったと言う流れで紹介していただけた。
なので、この方は地主さんから鍵をお預かりして内見を世話してくれるだけの為に仕事終わりにこうしてやってきてくれた。
「お仕事忙しいのに申し訳ありません。」
「いえいえ!大した用やないですから。どうぞ。すぐに開けますので。」
大きなシャッターを3枚開けると自動ドアが付いたガラス窓の入り口が顔を出す。
中に入らせてもらう。幸運にも電気は通してくれていた。中は店舗時代の物なのか棚什器がいくつも置きっぱなしになっており、恐らく買取や精算の為のカウンターと思われる場所や天井にはどのジャンルのゲームがあるか案内している看板もそのままだった。
「すみません。以前の借主さんがそのままにしていって。その代わり出られる時に手間賃は頂いたみたいですけど。」
「かなり広いですね。相当大きなゲーム屋だったんですね。」
「いえ、借主さんも持て余してたみたいです。なのでこの入り口側の方にカウンターや什器を集中させて陳列して、奥の三分の一は使われてなかったみたいですよ。」
なるほど。たしかにこれは持て余すだろうな。一般的な地方スーバーのバックグラウンドが無い販売用面積くらいは軽くありそうだ。うちが事務所として使うにしても持て余しそうだなぁ。
俺と常藤さんが職員さんと話している間に、許可を貰っている雪村さんが建物の外観・内装など様々な場所を写真に撮っていく。
「それで、この広さでお家賃はどれくらいになるんでしょうか?」
「このくらいです。」
そう言って職員さんが資料を見せてくれる。恐らく地主さんと話し合って決めてくれた家賃なのかどう考えても安い。今の一軒家事務所の7~8倍くらいの広さがあるのに、家賃だけで言えば2.5倍ほどだ。
「冗談で言ってないですよね?」
「この広さでここへ入ってくれるような大きな企業を見つけようと思うと、たぶん何年も待つ事になるだろうから、それなら借りてくれる可能性がある方に安く貸し出す方が建物も放置して痛ませるよりは良いだろうと。」
「なるほど。確かにご尤も。」
この賃料は魅力的だが、うちもしっかりと使い方を考えないとスペースを無駄にする事になりそうだ。
「雪村さん、動画もお願い出来る?」
「もう撮ってあります。」
さすがだなぁ。しかし、これはたしかに広いなぁ。魅力的だ。
今、事務所の候補となっているのは3件。
この店舗のすぐ近くにある5階建てのテナントビル。一階に美容室、五階にアトリエカフェが入っているが、二階から四階までを借りる事が出来る。3つのフロアを合わせた広さは今の事務所の倍くらい。賃料は3フロア合わせて今の4倍ほど。今がどれほど安く貸していただいているかが分かる。
もう一件は国道から北へ2kmほど入った所にある元は製材所の事務所だった建物だ。広さも賃料も申し分無いが、こちらはかなり痛みも激しく、事務所として使う為にはかなりの手直しが必要となりそうな物件だ。
さて、どうするか。オシャレなテナントビルだがフロアが分かれている上に上下を別テナントさんに挟まれていて少しお高め。安く広いが手直しで相当な金額がかかりそうな物件。そして安いが広すぎる上に店舗跡なので何も仕切りも壁も無く、ガランとしたワンフロアな物件。
とりあえずは一度持ち帰って設計部や他の社員の意見も聞きながら早めに決断しよう。何とか年内には新事務所に移動したい。
・・・・・・・・・・
2018年6月29日(金) Vandits事務所 <常藤 正昭>
今日の午後からは事務所スタッフで取引先や先約が入っていない人は参加して欲しいと呼びかけていた不定期会議。通称「和馬さん相談会」です。
会議の内容と言いますか、和馬さんの皆への相談内容は当然「新事務所の移転先」です。3軒まで絞った最終候補を皆さんで意見を出し合って判断しようと言う事になりました。ちなみに社長である冴木さんは真子さんが正式に事務所に勤務し始めた今週から皆で「和馬さん」と呼ぶ事になりました。紛らわしいですからね。
会議のメンバーは、和馬さん、私、雪村さん、秋山くん、坂口さん、杉山さん、大西君、高瀬君、そして真子さんです。
雪村さんが撮ってくれた写真と動画を社内共有ファイルに挙げて、各個人ノートPCで確認します。決めていく内容はほぼ「どう改装するか」と言う内容です。
真子さんがまず手を挙げました。
「新人でいきなり発言させて貰って申し訳ないけど、この材木会社の事務所は外装も含めて直そうと思ったら、このゲーム店舗ならガラリと新しく建物が出来るくらい費用が必要になると思うわ。国道から2kmも離れている立地条件でそこまで費用かけて手直しする必要があるかしら。」
坂口さんもその意見に同意します。
「私もそう思います。それに相当工期かかりますよ?お金も時間もかかって助かるのは家賃だけって言うのは安物買いの何とかって奴だと思います。」
「なるほどぉ。設計部からはそう言う判断だけど皆の判断はどうかな?」
秋山くんが手を挙げます。営業部としての意見を提案します。
「今は私達がお客様の所へお伺いして打ち合わせや営業をさせていただく事が多いですが、今後はお客様がうちのオフィスへ来ていただいて打ち合わせや商談させていただく時の事も考えていく必要があると思います。そう言った意味ではこのテナントビルは圧倒的に駐車場が足りません。ビルの前にある駐車場は先に契約されているテナントさんが契約されていますから、うちが駐車場を契約するとなると離れた場所に構える必要が出てきます。」
「そうだな。まぁ、そう言った意味では一択って事になってしまうんだな。じゃぁ、ゲームショップを借りるとしてこの広さをどう扱うかって事なんだけど。」
そこは皆の希望を詰め込む形になりそうです。とりあえずはどんどんと意見を出してもらいます。
「とりあえずは各部署でしっかりと部屋を構えたいですよね?」
「え?本社みたいにワンフロアスタイルでも良くないですか?」
「そうは言っても設計や広報の編集班は落ち着いた場所で作業したいだろ?」
色々と皆さんの意見や希望が飛び交います。それを真子さんはメモしていました。そしてその横で坂口さんがざっくりとした平面図を書いています。さすがは師弟関係。今は会社の役職としては坂口さんが上司ですが、二人とも肩書は全く気にしていません。真子さんがデポルト所属となると正式に挨拶に来た日に坂口さんは皆の前で深々と礼をして、「もう一度私の設計を鍛え直してください」と頼み込みました。
それ以来、真子さんは坂口さんの助手として付きっ切りです。真子さん自身も現場はしばらく離れていましたから、坂口さんにアドバイスを貰いながら現場感覚を取り戻している最中です。
「各部署の部屋と作業スペース、会議室に応対スペース。こうなってくると意外に使う面積は多いんだな。しかし、せっかくのワンフロアオフィスが壁だらけになるのもなぁ。」
確かに。和馬さんのその意見には私も同感です。せっかく天井も高く広さのある空間を壁や衝立を立てて閉塞感を持たせてしまうのは、少しもったいない気もします。少し私も提案してみましょう。
「今、皆さんの話を聞いてると設計と編集のスペースは会議のスペースとは一番離れた場所に作って、そこのスペースだけ部屋のように改築するのはいかがでしょう。先程、秋山くんも提案してくれたように、今後来社してくださる取引先の皆さんが入っていただいた瞬間にワッと思っていただけるような空間を目指してもいいのでは?」
私の提案に秋山くんや雪村さんは手を叩いて喜んでくれていますが、坂口さんと真子さんの表情が厳しくなりました。「面倒な事を言うなぁ」くらいな感じでしょうか。しかし、そこはうちの設計士2トップですので、見事な設計提案を期待しましょう。
しばらくすると坂口さんが和馬さんに、
「設計の期限はいつまでですか?」
「まぁ、一ヶ月は大丈夫だよ。常藤さんや高瀬たちが部屋を借りてくれたおかげで少し余裕は出来たから。でも、狭いのは変わりないからね。前みたいにサッカー部のメンバーがここに来てビデオ見るとかはもう無理だね。」
「分かりました。真子さん、行きましょう。」
坂口さんと真子さんはさっそく設計に入るのか二人で二階の設計部の部屋へ上がっていった。それを高瀬君が追いかけて行った。
「よし、じゃあそれぞれの物件の持ち主にお返事をお願いして良いかい?雪村さん。」
「畏まりました。」
皆さんもそれぞれの作業に戻っていきます。
「和馬さん、明日の準備ですが曽根さんからはOKのお返事いただきました。」
「了解です。じゃあ、朝の畑の作業が終わってシャワー浴びたら全員で向かいましょう。出来る限り短時間で終わらせるようにしましょう。」
「畏まりました。尚の事、曽根さんにご連絡入れておきます。」
明日が楽しみです。
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2018年6月30日(土) 芸西村宿泊施設 工事現場 <冴木 和馬>
芸西村の宿泊施設にサッカー部全員を引き連れて現場見学をさせていただく。今日は土曜日だが、スタジアムの施設工事は今日はお休みなのでご迷惑をかけずに済む。俺達の目の前にあるのはスタジアム外からピッチに繋がる業者車両用のゲートだ。ゲートが開くまでは中が見えない。
薄い鉄製の観音開きの大きなゲートの板にはローラーが付いていて、見た目よりも軽い力で開いた。俺と常藤さんがゲートを空けると、部員達から歓声が響いた。
ゲートの先には青々とした芝が広がっていた。部員達が雪崩れ込もうとする背中に大声で注意する。
「一歩でも芝に入ったら来月から半年は給料無いと思えよ!」
全員の足がピタリと止まる。良いダッシュ&ストップだ。するとゲートの奥、グラウンドの手前で二人の男性が笑っている。一人は常藤さんよりも年上の男性。グラウンドの施工をしてくれた東部園芸緑地の社長、曽根晃一さんだ。もう一人は施工リーダーの平清一さんだ。平さんはまだ20代だと聞いている。
「曽根さん。お忙しい時にお時間いただきありがとうございます。部員共々見学をしに来させていただきました。」
「冴木さん、ようこそ!ってのも可笑しいか。良ぅ来ていただけました。スニーカーで走らなければ芝に上がっていただいても問題ありませんのでゆっくり見てください。」
「皆!挨拶!!」
「「「「お世話になります!!」」」」
「元気良いですね。どうぞ。見てください。」
そう言ってグラウンドに案内してくれる。グラウンドの芝はストライプ模様にデザインされていて本当に今日の青空に映えるほどに青々としている。
芝の刈り方は色々と監督と話し合いがあったが、曽根さんや平さんとも何度も話し合いを重ねてストライプ模様にした。と言うのも一番芝が美しく見えるのもあるが、来期からここで試合をする時にストライプだと審判がオフサイドの判定をする時に、この芝の模様が判断の基準になる事もあるのだそうだ。それを聞いた瞬間にストライプに決まった。
選手達は芝には入らず、グラウンド脇にしゃがみ込んで手で芝を味わっていた。
「さっき、曽根さんも仰ってたがグラウンド入っても良いんだぞ?」
そう言うと八木が振り返って答える。
「昨日、皆で話し合ったんスけど、やっぱり一番最初は練習始めで皆一緒にスパイクで乗っかりたいって話になって。今日は我慢っス。」
そう言うと曽根さんが大笑いする。
「嬉しいにゃぁ。確かに乗っていいとは言うたけど、一応はまだ養生期間やからな。助かるわ。ちなみに今どうなっちゅうがやったかな?平。」
「はい。今はまだ少し長めに芝を設定しています。今後Jリーグ既定のグラウンドにする為にこれから1ヶ月ほどかけて調整していきます。その後、皆さんに練習していただいて、このチームの理想の芝の長さを見つけていく予定です。」
なるほど。そこの所は完全に専門的な部分なのでうちはお任せするより他ない。しかし、お話を聞いているとやはり庭園や植物園をメインに今までお仕事されていた事もあるのか、東部園芸緑地さんの考えとしてはいかに「芝にストレスをかけずに一年間管理するか」を考えているようで、状況によってはもう一面作っている人工芝のサッカー場で練習をしてもらいメインスタジアムは養生期間を取り入れる事も考えているようだ。
何はともあれ、部員達の子供のような笑顔に俺達と曽根さん達はお互いに笑顔で握手した。
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