第46話 誤解と後悔
2018年6月22日(金) 芸西村 畑 <豊川
この所は少しづつ暑さも早まり、畑の作業をするにも億劫な時期に入って来た。どんなに自分に気力があろうとも寄る年波には人は勝てん。年々と日中に動ける時間は少なくなってきた。75歳の体にはこれからの夏の暑さは堪える。
若い
1年ほど前から東京から若い奴らが畑だけでなく家やら元は民宿だった建物を買い漁って住んどるらしい。文江(西村)さんの話では家も綺麗に直して住んで、畑も真面目に作っとると言うとったが、それがどこまで続くもんか。結局、茂やら文江さんらに手伝わせて自分らではどうにも出来んに決まっとる。
トマトの支柱を建てる為にイボ支柱の束を持ち上げようとした時じゃった。急に腰に激痛が走りその場に倒れ込んでしまった。こりゃ、ぎっくり腰か。痛みは激しいが息は出来る。しかし、全くもって身動きが取れん。畑の端っこでうずくまったまま、どうにも出来ずにいる。
その時、畑の傍を白いミニバンが通る。倒れる儂に気付いたのか、運転手が下りて来た。嫌なのに見つかった。ありゃ、東京から来た奴らの一人じゃ。畑の脇を通り、こちらへ近付いてくる。
「おい、爺さん。大丈夫か。立てるか?」
「だっ..大丈夫じゃ。あっち行け。」
「こっちから見たら全然大丈夫そうには見えねぇんだよ。とりあえずこんな日向でうずくまってたら熱中症になるから動かすぞ。痛かったら言えよ。」
若いのは口の利き方も知らんらしい。ぶっきらぼうな態度で儂の傍に座り込むと、ゆっくり儂の脇の下から腕を背中に回しゆっくり儂を立たせようとする。少し痛みは感じるがここでうずくまっていては確かに熱中症の方が怖い。
若いのは儂を畑の脇に流れる用水路の傍の日陰へと連れて行く。そこで儂を木にもたれ掛かるように座らせると車に走って戻る。用水路を流れる水の冷たさが風を気持ちよく感じさせる。
若いのは帰るかと思ったが、車の中からクッションを持ってきて木にもたれ掛かる儂の背中へ当てがおうとする。いらんと言ったが「病人なら黙って座っとけ」と偉そうにクッションを背中にあてた。
それから畑をキョロキョロして儂の方を見る。
「支柱立てるのか。」
「そうじゃ。邪魔やきもう帰れ。これは明日にでも返しに行くきに。」
「....直立で良いんだな?」
支柱の立て方を儂に聞くと儂の返事も待たずにその若いのはトマトの苗木に支柱を立て始めた。バカモン!農業も知らん奴に畑をめちゃくちゃにされてたまるか!止めようと起き上がろうとするが腰の痛みで立てない。
........しかし。若いのが立てている支柱を見ているとしっかり苗木の傍に建て、自分の車から麻紐と農業用鋏を取り出して支柱と補強用の支柱をキツく縛っている。見ている限りは初心者と思えんほど丁寧で早い。
トマトの枝を支柱に充てる時は茎が伸び成長する事を考え軽めに縛っておる。若いのはどんどんと支柱を立てていき、3畝分を2時間ほどで仕上げた。
顔から流れる汗をタオルで拭きながら水筒の水を旨そうに飲む。そして、儂の所へ歩いてくる。
「勝手にやってすまん。でも、そこ腰じゃ無理だろ。違うトコがあるなら腰が良くなってから自分で直してくれ。二度手間になるけどな。どうだ?帰れそうか?」
その言葉に返す言葉が無い。帰れると強がりたいが、この痛みでは歩いて家まで帰るのは難しそうだ。するとまた儂をゆっくりと立ち上がらせて自分の車の方へ連れて行く。
「送るから。」
そう言って助手席に儂を乗せる。若いのは後部座席の椅子をパタンと前に倒し、車の後ろ部分を荷物を載せやすいように広くする。そこへ儂の鍬や道具を詰め込み、車を走らせる。
車の冷房をいじりながら風の出方を手のひらで確認しながら若いのが儂に話しかける。
「寒かったら言ってくれよ。」
「........すまん。助かった。」
「あぁ?良いよ。俺達の方が芸西村に来てよっぽど皆に助けてもらってる。返せるなんて思わねぇがこれくらいはするさ。」
ふん。尤もらしい事を言いおって。しかし、こいつのあの支柱の立て方は初心者には見えなかった。
「実家が農家か何かか?」
「俺か?うちは両親サラリーマンだよ。農業なんてここに来て初めてやった。何だったら野菜がどうやって育ってるかすら知らなかったぐらいだ。」
「それにしちゃ支柱の立て方が様になっとったが?」
「そうか?まぁ、今週は月曜からずっとハウスと路地の畑とでずっと支柱立てまくってたからな。少しは上手くなったのかもな。それに茂さんと強さんに厳しく指導してもらってるかな。」
こいつらが村に来てもうすぐ一年になる。時々、文江さんが教えてくれてたが一生懸命頑張ってると言っていた。自分達の野菜を直売所で売りたいらしい。しかし、直売所の棚を埋められるだけの種類と量が確保出来ておらんから試行錯誤しとると言っていた。
「茂達にはずっと手伝わしておるんか?」
「まぁな。でも、最近は涼しくなった夕方くらいに畑に来て貰って、今日の作業の進み方を見て貰ったり明日手直しするトコを教えてもらったりしてるな。茂さん達も自分の畑があるからホント申し訳ねぇんだけどな。まだ自分らじゃどうしたら良いか分からんからな。」
「地元の年寄りを引っ張り出してこき扱って。都会のもんは礼儀を知らんの。」
儂の嫌味にも男は笑いながら言葉を返す。
「確かになぁ。ホント申し訳ないと思ってるよ。でも、都会っつっても畑で働いてる奴はほとんど高知の生まれだけどな。あんたがうちの畑の近く通る時にでっけぇ声で挨拶する奴いるだろ?あいつぐらいだぞ?都会もんは。」
そう言えば家に戻る途中にこいつらの畑の傍を通るとデカい声で挨拶する若いもんがいた。あいつか。
「それにな。礼儀って言われりゃぁなってねぇかも知れねぇけど、会社としては茂さんトコの皆さんにはちゃんと給料払って教えて貰ってんだぞ?」
「なに?」
「まぁ、金払えば良いって事じゃないけどさ、茂さん達の貴重な経験と知識を教えて貰うんだからタダで搾取しちゃいかんってうちの社長がな。技術指導員って形でパート雇用みたいな感じの雇い方で来て貰って少ない額らしいけど、給料払ってるって言ってたぞ。あんたが泥団子ぶつけた社長だよ。」
気まずくなる。あの時は感情に任せてしまいやり過ぎてしまった。それでこちらも引っ込みがつかなくなった。そんな儂の様子を見て男が鼻で笑う。
「まぁ、社長はもう今は何も気にしてねぇけどな。逆にあんたに泥投げられたからもっと真剣に畑の事に取り組めるようになったって言ってたし。」
話をしているうちに車は気付かないうちに安芸市の方面を走っていた。
「おい!儂の家はこっちやない。送ってもらうがは有難いがどこへ連れてくつもりじゃ。」
「黙って乗ってなさい。」
子供に言い聞かせるように男は儂を黙らせる。車は安芸市にある『安芸鍼灸接骨院』の駐車場についた。助手席から儂を優しく下ろし、自動ドアを入る。
「松村せんせぇ~!!予約無いんだけど、見れますぅぅ~?」
男の大きな声に受付の職員はもとより順番待ちしていた人までこちらをみている。すると奥の処置室のような所から若い白衣の男性が出て来た。
「あれ?馬場君!どうしたの?え?患者さん?」
「たぶんギックリだと思うんだけど、診てもらえねぇかな?」
「いいよ。綾さん!丸椅子持ってきて。馬場君、これに座らせよう。」
松村と呼ばれていた先生が儂を女性職員が持ってきた背もたれの無い柔らかな丸椅子に座らせた。そして儂の前に座り込む男、馬場と言ったか、その男にもたれかかるように指示される。そして先生は儂の後ろに回り込み背中から腰をゆっくり優しく触り始めた。
「痛いと思ったらすぐに行ってください。我慢はしない。お願いします。」
顔は見えないがさっきの優しい口調から真剣な物に変わった。儂は腰を押されながら痛い場所は素直に痛いと言った。
「馬場君、今からマッサージと施術で2時間は欲しいかな。」
「大丈夫です。また迎えに来ますから。帰ろうとしたら柱に括っといてください。」
馬場のその言葉に女性職員が笑う。松村先生も笑いをこらえている。
「爺さん、勝手に帰るんじゃねぇぞ。しっかり診てもらえ。」
馬場はそう言って入り口から出て行った。
・・・・・・・・・・
同日 安芸市 安芸鍼灸接骨院 <豊川 桂三>
先生はゆっくりと腰の状態を診ている。まだ少し痛む。こりゃ長くなるかも知れんなぁ。
「豊川さんは馬場君とは知り合いですか?」
「畑が近いだけで知り合いでも何でもない。」
「そうですかぁ。ちょっと何回か通ってもらう事になりますけど、罹り付けの病院とか接骨院はあります?」
「病気はあき病院に通いゆう。でも、接骨院らぁは罹った事が無い。」
「なるほどぉ。出来れば通ってもらって大丈夫ってなるまでは責任もって診させていただきたいんですが、良いですか?」
「他のトコを知っちゅう訳でも無いき。お願いします。」
「分かりました。ありがとうございます。」
そう言うと先生はまたゆっくりと腰の状態を診ていく。
「先生はあの馬場とか言うもんと知り合いながですか?」
「あっ、馬場君ですか?彼の所属しているサッカーチームのVandits安芸ってチームがあるんですけど、そこの整体とマッサージをさせてもらってるんですよ。」
「あいつは農家じゃないがかね?サッカーしゆうがか?」
「農家もしながらサッカーもしているんです。と言うか、サッカーする為に農家をしているんです。」
どう言う意味だ?そこから先生は馬場の芸西村に来る事になった経緯を話してくれた。なるほど。実業団チームと言う事か。テレビでやってるJリーグとか言うプロになる為に今は社員として稼ぎながらサッカーをしとると。
「その社長はなんであんなに芸西村の家や畑を買い漁りゆうがぜ?」
「僕もそんなに詳しく聞いてる訳ではないですけどね。部員の皆から聞いた話ですが。」
そう言って今度はその会社の事を教えてくれた。買い漁っていると思っていた家や民宿は中を改装し直して、賃貸で貸したり廃業していた民宿をまた再開させたりしているらしい。廃墟となりそうな空き家を有効活用していると言っていた。
「色々と誤解されている事もあるみたいですが、彼らが畑とサッカーに取り組む姿を見ているとそんな風には見えないんですよ。ホント、やんちゃな弟達って感じで付き合わさせてもらってます。」
儂はそれ以上何も言えず、ただ施術に身を預けた。
・・・・・・・・・・
同日 Vandits事務所 <冴木 和馬>
昼過ぎに事務所の電話が鳴る。雪村さんが対応しているが、電話口で「どう言う事ですか?え?整骨院?松村先生の?」と話している。しばらくすると、内線で俺に電話を回してくる。
「馬場君があの泥をぶつけて来たトヨさんってお爺さんがギックリ腰になってたのを見つけて松村先生の安芸鍼灸接骨院に運んだらしくて。手持ちが無いんで診察料を来月の給料から前借出来ないかって。」
雪村さんは困り顔だ。なぜトヨさんって人の診察料を馬場が払う話になってるんだ?とりあえず電話を預かる。
「はい。電話変わった。馬場か?」
「あっ!冴木さん、忙しい時にすみません。あの、ホントに申し訳ないんですけど。診察代貸してもらえないですか?」
「いや、そりゃどうしてそうなったんだ?ギックリ腰の人を運んで、どうして馬場が診察料を払う話になってるんだ?」
電話の向こうで少しの沈黙。馬場は申し訳なさそうに事情を説明する。
「いや、梅林見に行こうと思って車走らせてたら、梅林の通り道にあの爺さんの畑があるんスよ。そしたら、畑で倒れてて。冴木さんとの
きちゃったってお前。可愛く言ってもダメだぞ。まぁ、やった事は褒めてやりたいし、でも確かに人によっては「頼みもせずに病院に連れてこられて放置されて金まで請求された」と言われてもヤだよなぁ。
「馬場。その診察料は会社で払う。もし、トヨさんって人が払うって言うなら払ってもらえば良いし、払わないなら会社が払うから大丈夫だ。気にするな。」
「えっ....良いんですか?すんません。」
「いや、良くやった。そのまま見て見ぬ振りを馬場がするなんて思ってないけど、それでもちゃんと対応してくれて良かった。お前は面倒見良いからな。こう言う時に頼りになる。これからも迷わずそう言った時は助けてやってくれ。」
「うっ........分かりました。ありがとうございます。」
そう言って電話を切った。後で松村先生の所へ電話しておこう。
松村先生はうちのヴァンディッツの試合後や練習後にマッサージや診察をお願いしている鍼灸師の先生だ。無理なトレーニングになっていないか、姿勢や骨格に異常は無いかなどしっかりと診て貰っている。現在は正式にうちのチームの面倒を見てくれている訳では無く、サポートと言う形でお世話になっている。将来的にはドクター登録としてチームに力を貸していただきたい方だ。
でもまぁ、そのトヨさんが危ない事に至らなくて良かった。西村さんには電話しておいた方が良いだろうか。馬場からはその後も報告を貰うようにしておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます