第44話 新体制への準備

2018年6月3日(日) Vandits事務所 <冴木 和馬>

 「では、行ってきます。」

 「おう、秋山、雪村さん申し訳ない。運転お願いします。」

 「お任せ下さい。」

 「まぁ、あまり気負わずにしっかり勉強して来てください。」

 「はい!行ってきます。」


 事務所玄関で中堀・秋山・雪村さんを見送る。俺と板垣が見送った。

 明日から始まるJFAのB級コーチ養成講習会の前期日程参加の為、中堀は明日から大阪で行われる講習会に参加する。年末に電話で話したあの後に、B級ライセンスを取得したいと相談され、板垣とも話し合いすぐに講習会の申し込みをした。


 B級ライセンスは高知サッカー協会認定の講習会も開催されており、B級問わずC級・D級も高知で講習会を受ける事が出来る。しかし、B級を高知開催の日程で受けると夕方18時から講習を受けられる事は非常にメリットなのだが、県リーグ開催中の5月から12月までの土・日のほとんどの夕方を講習会に取られる形になる。

 そうなるとせっかく土・日は仕事も無くじっくりと実戦練習が行えるにも関わらずFWレギュラーの中堀が全く参加出来ない形になり、県リーグの開催地によっては講習会に間に合わないので試合メンバーから外すと言う事もあり得た。


 なので、中堀と板垣が話し合いJFAが開催する講習会を受ける事にした。これだと終日講習の二泊~三泊の日程で平日を完全に抑えられてしまうが、同じ5月から12月の講習期間で、JFAの講習会は全部で13日間の日程で済むうえに開催は全て平日だ。試合に出られないと言う事が無くなる。

 当然、仕事を休まなければいけなくなるが、本来の目標である県リーグ突破の先にある四国リーグやJFL昇格を考えれば、中堀のB級・A級取得は最優先目標とも言える。仕事は他の皆でしっかりと穴埋めをする。


 それに伴い、樋口もC級ライセンス取得の為に先月末から講習会を受講している。C級コーチ養成講習会は高知市内で行われており、受講期間は5月から12月と長いが基本的に講習日が月曜の夜間になっており、仕事にも試合にも影響は少ない。この日程が分かった時点で樋口は今年度限定で4月から火曜を公休日とした。


 中堀も樋口も板垣から実技や講義の指導なども受けられる為、たった数ケ月ではあるが準備をして講習に望めているはずだ。無事に受かってくれると良いが。


 「ライセンスの事も進み始めた。しかし実際問題、板垣がS級を受講するまでに中堀のA級取得は間に合うと思うか?」

 「相当厳しいと思います。私もS級を一年でストレートで合格できるとは言えませんが、中堀君がA級ジェネラルを受ける為にはB級取得の後に一年間の指導実績が必要です。それを考えると少なくとも3年かかる計算になります。」

 「そうか。理想だけではどうにもならん事も出て来てるな。それと来年度、新卒社員だけじゃなくチームスタッフの採用も行う事にした。」

 「....思い切りましたね。」

 「県リーグ体制でそこまでと言われるかも知れないが、一番の大口譜代衆から良い返事がいただけた。」


 不思議そうに首を傾げる板垣にそう言う決断に至った理由を説明する。Ytubeで始めたVandits安芸のチャンネル。それがこの二ヶ月ほどで登録者衆が急増している。理由は試験的に始めた試合結果を伝える似非スポーツ番組風のコンテンツだ。協会から許可を得た画像を使って試合を3~5分程度のダイジェストにして、MCが試合内容をナレーションする。

 そして、試合前の試合会場到着シーンや試合後に監督や活躍した選手へのインタビューシーン。それを織り交ぜる事によって10分程度のスポーツ番組のような編集動画を作った。実はインタビューは試合会場での撤収や移動の邪魔にならないように、自分達の事務所や部員寮に戻ってから別に収録している。しかし、インタビューを受ける者の背景には譜代衆の社章やスポンサーロゴを市松模様に配置して持ち運び出来るようにシートタイプで作ったスポンサーボードを使い、見た目だけならJリーグチームの試合後インタビューに見えなくもない。


 こうした動画を作った事が国人衆やファンの方だけでなく、譜代衆の方にも非常に好評だった。ほとんどマスコミに取り上げられる事が無い県2部リーグで自分の会社がスポンサーとして参加していると言う事をアピール出来る場がない。しかし、うちはそれを動画としてチャンネルに出し、譜代衆の方々のアピールの場に少しでも役立てられるようにしている。


 チャンネル登録者数は5210人。ほんの数ケ月前まで1000人を切っていたのだからこれは嬉しい事だ。しかも第1節の動画に関しては1万再生を超えた。これも一つ登録者が増えた要因に繋がっているだろう。

 今はまだMCを正式に決めておらず、ナレーションを入れてくれているのは雪村さんと有澤さんだ。試合部分を有澤さんが、インタビュアーを雪村さんが勤めてくれている。コメント欄を見ると「試合ナレの興奮しても噛まないのも良いが、インタビューの時の落ち着いた雰囲気の声も良い」とチーム以外の部分でも好評なようだ。


 そして話が戻るが、笹見建設の正樹さんから来期の話があり、もし一位で県リーグ1部に昇格出来た場合は当然譜代衆の継続も考えていると、食事の席での話ではあったが嬉しい報告を貰えた。言い方は悪いがそれで来期の活動費の目途も付いた。なので、ここはしっかりとチームとしての体制作りを加速させたいと思った次第だ。


 「それは暗に私にプレッシャーをかけてますか?」


 板垣が苦笑いしながら聞いてくる。


 「試合で選手にあれだけプレッシャーかけてるんだ。監督にプレッシャーかけるのは俺の役目だろ?」

 「そうですね。でも、ありがとうございます。やる気になります。」

 「こちらこそだ。お前たちの活躍があっていただけた話だからな。しっかり掴めるようにお互い油断なく行こう。」

 「はい。」


 ここで俺は以前から気になっていた事を板垣に聞いてみる事にした。それは監督として最も必要となる資質は何かと言う事だ。世界には様々な国があり、その国の中にもたくさんのサッカーチームがあり、当然その数だけ監督は存在する。その中で名将と呼ばれるような監督に共通点はあるのだろうかと思ったんだ。

 板垣は少し悩んで語り始めた。


 「それが名将の条件とは言えないと思いますけど、私としては監督やコーチに最も必要とされる資質は『ビジョンを言語化する能力』だと思います。」


 板垣の説明では、どんなに素晴らしい戦術やフォーメーションの考えやトレーニング方法を知っていても、それを伝える能力が無ければチームにそのビジョンを落とし込む事が出来ない。しかも言葉にしたとしても要領を得ずダラダラと長くなるようではこれも効率的とは言えない。

 専門用語が飛び交い世代が下のカテゴリーには一切理解出来ないような指導でもいけない。要するにいかに『自分の指導するカテゴリーに合わせた指導を効率的・簡略的に言語化するか』と言う事が大事だと板垣は考えているようだ。


 しかし、それもすぐに出来る訳ではない。だから板垣が大切にしているのは普段の何気ない会話なんだと言う。自分の話し方を選手に知ってもらう。逆に選手別にどう言う話し方をすれば聞いて貰いやすいかを観察する。そうやってチーム全体に話す時の話し方と個人個人に指導する時の話し方を分ける。そうやって今は指導しているそうだ。


 当然だが、名選手が名監督かと言う論争はどの競技でも起こる。板垣の考えは「感覚派・天才肌」と言われる選手は監督として大成しづらいと考えているそうだ。そう言った選手が監督になった場合は集客や選手を集めるいわゆる『客寄せパンダ』として監督に据え、優秀なのはコーチ陣、と言う事もあるのだそうだ。

 逆に『理論派』と言われるような選手は自分のプレーを言語化する事に長けているので、選手時代から後進の指導に向いている事が多い。


 なるほど。そう言う見方も出来るのか。やはりこうやって色んな考え方を知るのは良い事だ。板垣が言う事が正解では無いだろうが、考えの一つとして知る事は非常に大事な事だ。『自分はサッカーを知らない』で放置するのではなく、やはり多少でも自分もきちんと知識を得る努力をしなければと改めて感じた。


 ・・・・・・・・・・

2018年6月11日(月) Vandits事務所 <冴木 和馬>

 「冴木さん、こちらが通知になります。」

 「おっ、ありがとう。」


 本社から来た通知書を確認した雪村さんが俺に確認を求める。内容を確認し、事務所にいるメンバーに呼びかける。


 「ほい、皆。作業中だろうけど、ちょっと時間くれぇ。」


 皆が作業を止めてこちらを見る。強化部の部屋にいる板垣と樋口もこちらの部屋へ来る。俺は通知書の内容を全員に伝える。


 「高瀬と青木は外か。まぁ、二人には後から伝えるか。えっと、先月に行った説明会でうちに転属希望を出してくれた有難い新卒社員がいたそうだ。」


 皆が「おぉっ....」とざわめく。喜んでいると言うよりそんなもの好きがいたかと言うような反応だ。おいおい。社長拗ねちゃうぞ?


 「まぁ、皆も知っての通りリサーチ部の高知別班の3人が決まっている。その他に今期の新卒社員の中で5人が転属願を出してくれた。」


 秋山が思わず「5人もっ?」と声を上げて申し訳なさそうに俺に頭を下げる。まぁ、率直な感想だわな。


 「男性3名、女性2名。あとで詳しいプロフィールは紹介するが、全員がヴァンディッツでの活動を希望している。当然だが社員として一般業務も希望してくれた。」


 ワッと沸く。今は一般業務の社員が増えてくれる事は本当に有難い。いくら経験が無くても出来る仕事は山ほどある。本当に人手不足なのだ。


 「板垣、選手としての登録希望は男性2名。他はマネージャーとアナリストとしての加入を希望してる。特に男性のアナリスト希望の社員はTK大学のサッカー部で分析班として4年間活動していたそうだ。」


 板垣と樋口がグッとガッツポーズをする。大学で専門的に学んできている人材がまさか建築・ホテル業の会社に就職するとはな。やはり人材はどこに転がっているか分からんな。


 「女性2名は二人とも学生時代にサッカー部マネージャー経験がある。一人は高校まではプレイヤーとしても活動していたそうだ。」

 「あっ!あの質問してくれた子ですね?」


 中堀が反応する。俺は頷いて言葉を続ける。


 「プレイヤーとしての二人は大学でもサッカー経験があり、一人は兵庫県代表として高校時代にインターハイと選手権に出場したレギュラーメンバーだそうだ。しかし、プロへと言う覚悟が出来ずに大学に進んだが大学ではあまり活躍出来なかったそうだ。」

 「それでも新たにメンバーが入ってくれるのは有難いです。」


 その通りだな。実際樋口がトレーナーとしての役割に没頭出来るようになり、強化部に転属したのもセレクション組が入団してくれたおかげで控え選手を含めて人材が揃い始めたからだ。樋口の中ではしっかりと自分に選手としての区切りを付けられたのだろう。


 「とは言っても、彼らがこちらで生活を始めるのは、個人差はあるが7月中旬以降だ。最終の研修が残ってるからな。」

 「どの部署に配属予定ですか?」

 「別班はそのままリサーチ部。出来ればリサーチ部にあと二人は欲しい所なんだよなぁ。これからは四国の他の県での物件探しも始まるからな。現地に行けるメンバーも考えると5~6名体制にはしたいよな。」


 そうなると新人のほとんどがリサーチ部と言う事になる。しかし、高知入りしたばかりの社員のみでリサーチ部と言うような強引な方法は取らない。自ずとこれまで足りない所に追加していたやり方を見直す必要がある。

 恐らく主任クラスを除いた全員の適正を見定めて配置見直しを行う事になるだろう。それを決定事項としてでは無く、可能性として皆に伝える。少しの驚きはあっただろうが何よりも現場で働いてくれている皆がその必要性を感じていたらしく、配置見直しに関してはそれほど意見は出なかった。


 「農園の方だけど、今まではサッカー部が農園スタッフとして働く事が前提だったが、農園スタッフ専属でアルバイトやパート社員を募集しても良い様に思うんだが皆の意見を聞かせてくれないか?」


 現在農園は当初のスタッフに加えてセレクションで入ってくれたメンバーが全員研修と言う形で農園で働いている。しかし、ビニールハウス設営や梅林と農園の今後の敷地拡大も含めてなし崩しの様にそのまま農園で働かせてしまっている。

 高卒メンバーに関しては農園スタッフとして働いて貰う予定だが、大卒メンバーと大野・五月に関しては当初は事務所スタッフとして働いて貰う予定だった。その事も含めて全部署のスタッフの配置見直しが必要なのだ。


 手狭になっていた事務所も二階の6畳間3部屋が空いた事により、部署ごとに少ないメンバーの部署は二階へ移す事が決まっている。今のところは設計部と広報部だ。基本的にパソコンでの作業が多く、事務所のような電話対応や会議も多いスペースで一緒に作業させている事に申し訳なさもあった。

 これを機に設計や編集など集中をして作業する部署は二階の個室へ移動する事になった。これは皆も賛成してくれ、坂口さんからは本当に感謝された。


 「まぁ、思えばこれだけの人数が働いてて一軒家に押し込むのはそろそろ限界だとは思っていたんだがな。」

 「たった一年も経たずに新しい事務所探しになるんですか?愛着沸いて来てたのになぁ。」


 秋山の意見も尤もだ。皆が高知に来てまだ一年も経っていない。それなのに事務所メンバーは急激に増えた。明らかに20人近い人数がこの一軒家で働くには無理がある。それでなくともあと数ケ月もすれば転属希望の新入社員と別班メンバーが8名も異動してくる。あっ、真子もだな。完全にキャパオーバーだ。


 「まぁ、新事務所はちょっと常藤さんと相談して検討してみるよ。」


 皆も複雑な表情のまま、各作業へと戻っていった。

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