第26話 初めての実り

2017年12月8日(金) Vandits選手寮・民家 <冴木 和馬>

 沈黙が居間を包む。選手たちにとってはそれほどの衝撃だった。当事者の二人はそれ以上だろう。俺達運営陣は二人の判断をゆっくり待つ。しかし、監督が優しく二人に語り掛ける。


 「今すぐの答えを出す事が無理な事は分かっています。どうか納得できるまで悩んでください。どうしても受け入れられない時はきちんと話してください。新たな方針も考えますので。」


 そして樋口の顔を見て話しだす。


 「樋口君には最終的にB級コーチとB級フィジカルフィットネスコーチのライセンスに挑戦して貰いたいと思っています。君の大学で学びこのチームで実践し続けてくれたトレーニングの知識と経験をチームに活かさない理由はありません。」


 樋口が頷く。握りしめている手に力が入っているのが分かる。


 「B級フィジカルを取る為にはB級コーチの資格が必要です。しかし、フィジカルコーチのライセンスとB級コーチライセンスに関してはA級のように指導経験は必要ありません。そう言った事も判断の要素として知っておいてください。」


 俺から追加できる話をしておく。


 「中堀、樋口には納得出来るまで悩んで結論を出して欲しい。チームの為ではなく自分のサッカー人生の為に答えを出して欲しい。ただ、もし強化部を務めてくれる時は、もちろんだが資格獲得に必要な費用やその受講期間でチームを離れる間の給与もちゃんと保証する。チームの為に取ってもらうんだからな。これは中堀と樋口だけに限らない。これから皆それぞれに判断・決断しなきゃいけない時が何度も訪れる。だからもう一回皆には言っておく。悩んでいい。時間をかけて良い。そしていつでも相談に乗るから。自分だけで解決出来ない時はいつでも相談してくれ。」


 何人かが頭を下げる。今日の所はここで運営陣は引く事にした。選手同士での話し合いも必要だろう。


 車に向かう中で監督が俺に「助けていただいて申し訳ありません」と頭を下げる。俺は監督の肩を力強く抱く。


 「覚悟を決めよう。俺達は動き出した。もう戻る事は許されない。」


 隣で大きく頷く顔があった。


  ・・・・・・・・・・

2017年12月12日(火) Vandits事務所 <冴木 和馬>

 板垣が監督に就任して以来、うちの事務所の一階にあった6畳の洋室の空き部屋はVandits強化部の部屋となった。と言っても強化部は現状は板垣一人なので机とホワイトボード、パソコンが持ち込まれているくらいだ。

 その部屋で来季から参加する社会人県2部リーグの他のチームの動画を何とか手に入れられる物を集めて、板垣が分析してくれている。2部は問題なく突破してほしいがしっかりとした対策あってこそだ。パソコンの画面をのぞき込む板垣に部屋の入り口から声をかける。


 「中堀からまだ返事は無いか?」

 「ありません。練習でも少し迷いを感じます。本人の中でまだ踏ん切りが付かないのかも知れませんね。」

 「そうか....」

 「恐らく樋口君はフィジカルコーチの話は受けてくれると思います。」


 樋口は自分のサッカー選手としての実力を把握出来ているのだろう。県リーグではまだ通用するだろうが、その上のカテゴリーでは厳しいと言う事を。


 「樋口は納得出来てるんだろうか。」

 「それは私にも分かりません。しかし、もし選手として残りたいと言われたとしても私は彼の決断を尊重してあげたいと思います。」

 「そうだな。....で?分析は順調かい?」


 話しながらも手を止めない板垣に作業の進捗を窺う。板垣は困ったようなジェスチャーでお道化ながら話す。


 「相手が分かってもやはり人の足りない事には変わりありませんので。現状は選手への負担が大きいですね。」

 「趣味のチームでは無いから、気軽にホームページで選手募集とも謳えない。プロ契約なら集まる人もいるのかも知れないが、県2部でプロ契約はいささかやり過ぎな気もして。」

 「それは間違いないですね。1年2年後にそう言った選手の契約があるならまだ納得は出来ますが、チームとして公式戦1戦もしてないのにプロ契約選手がいるって言うのは少し違和感は覚えます。」


 元プロやJFLでプレイしていた選手をプロ契約で引っ張るならまだ分かる。しかし、そもそもがそんな選手がうちのチームに加入してくれるなんて事があり得ない。今はやはり板垣の伝手に頼りつつ、会社として採用出来る人材から経験者を探すしかないのだろう。


 「冴木オーナー。うちのチームとして使える資金はどれだけ残っていますか?」

 「オーナーは止めなさいってば。まぁ今、すぐに使いたいと言うのであれば出せる金額は7500万くらいまでなら大丈夫だ。」


 俺の言葉に板垣の動きが止まり、パソコンを観ていた目がゆっくりとこちらを見る。動揺しているのが見える。


 「なっ....7500万と仰いましたか?750万の間違いではなく?」

 「言い間違いでも聞き間違いでもなく、7500万だ。そう言えば板垣には話して無かったな。すまん。監督として知っておかなければいけなかったのに、中堀と樋口の事で忘れていた。うちのチームが自由に出来るって訳ではないが、スポンサー企業と個人スポンサーからいただいているスポンサー収入は、2億9532万円だ。」


 しっかりとチーム現状を伝えるが、板垣は戸惑ったままだ。


 「ちょ....ちょっと待ってください。スポンサー収入およそ3億ってもうJ3クラスの広告収入ですよ!?」

 「何を驚いてる。当たり前だろう。うちとしても企業としての土台があるんだ。そこを信用していただいたり、長いお付き合いの中で力を貸していただいたりしてる企業さんがメインだ。譜代衆が2億9500万。国人衆が32万円だ。企業5社、国人衆21人。21人中8人はうちの会社の関係者でその中の三人はうちの息子と妻だ。」


 ちなみにこの数字には俺の負担出来る金額は入っていない。

 それを聞き、さらに頭を抱えている板垣。まぁ、予想よりは多かっただろうな。当然。


 「まさかです。いや、さすがの営業能力と言うんでしょうか。スポンサー活動を始められて三ヶ月経っていないとお聞きしました。それでこの成果ですか。」

 「まぁ、笹見さんの協力が無ければ9532万だがな。まぁ、それでも俺達にとっては嬉しすぎる成果だよ。まだまだ頑張ってもらってる。」

 「そうですか....」

 「このスポンサー収入は再来年の3月までの支援だ。チームとして公式戦に出ていないのにも関わらず支援していただいてるからな。今年の10月から2019年3月までのスポンサー登録として資金を出していただいてる。」

 「では、一年半の活動資金と言う事ですね。」


 簡単に言えばそうだが、2019年でどれだけのスポンサーが付いてくださるかも予想が付かない。なのである程度は繰越出来るようにしておきたい。それを含めてのチーム強化費にかけられる金額はざっくり7500万と言う計算になった。


 「うちの場合は会社の人件費をスポンサー収入で払っていない。きちんと会社の収益の中から払ってる。と言っても現状ギリ赤字だけどな。そして東京本社からのメンバーは本社が人件費はみてくれている。なのでスポンサー収入で支払われている人件費は板垣の給料だけって事になるんだ。いつかは全員をクラブチームの社員として、その給料をここから支払いたいと思ってる。」

 「今のスポンサー収入でも十分に賄えるとは思いますが....それならばセレクションをしてみるのはいかがでしょう?」


 セレクション?よくハイブランドの展示会などでは聞いた事があるワードだが、サッカーでもセレクションってあるのか。まぁ、選考とか選択の意味だからいわゆるオーディションのようなものだと予想は付くんだが。


 「どういった形で行うんだ?」


 板垣の説明ではセレクションはプロのユースチームや若い世代行われる事が多いが、JFLや大学などでも極稀には行われているらしい。

 内容はチームによって様々だが、二日間の日程で行われる事が多く、初日に練習会と呼ばれるチームの練習に参加して実際に練習強度などを体感して、チームの目指す方針や戦術がが自分に合っているかや、監督や選手達との相性などを見るんだそうだ。そして二日目に試合形式で選考会を行う。

 参加費を取るセレクションもあるそうだが、うちは取れないだろう。社会人でしかもリーグの実績も無い、二日間日程となれば参加者はほぼ県内か四国内になるのではないかと言う板垣の予想だ。出来れば長くチームにいてもらいたいので30歳以下、出来るなら25歳以下で募集はかけたいとの事だった。


 「分かった。常藤さんと話して詳細を詰めてくれ。俺は明日から東京だから、帰った時にとりあえず決まってる事を報告してくれ。常藤さぁ~ん。」


 会議スペースの常藤さんを呼び、板垣とミーティングを始める。常藤さんはセレクションと言う言葉にウキウキしていた。分かる!ゲームにもスカウト機能あったもんね。しかし、期待しすぎると参加者全く来ない事も有り得るからなぁ。まぁ、しっかり広報活動しましょう。


 二人を部屋に残して外に行こうとすると、なぜか事務所にいる八木に引き留められる。顔が真剣だ。


 「どうした?」

 「見ていただきたい物があります!!」


 会議スペースに連れていかれる。そこには杉山さんと雪村さん、高瀬に大西、北川、山下がいた。


 「八木!畑は?」

 「しっかり朝からやってたッスよぉ。今日は....ふふふ。これをお持ちしたんです!」


 そう言って俺の足元に大きめの段ボールを置く。中を空けると白菜が入っていた。もしかして....


 「これ、うちの畑で採れたやつか!?」

 「はい!!ちょっと形は小さいっスけど、西村さんから鍋にしたら甘くて旨いって聞いたから、今日の皆の晩御飯に食べて貰いたくて。冴木さんも今日は高知にいるって聞いてたんで、収穫したやつのなかで一番良い奴持ってきました!!」


 皆が「おぉ~~!!」と歓声を上げながらそれぞれスマホを取り出し白菜を撮影する。強化部の部屋から常藤さんと板垣も何事かとやってきて、事情を聞いた常藤さんは満面の笑顔で白菜を手に取り、ポンポンと叩いていた。


 「いやぁ!嬉しいなぁ!ありがとうな。今日はこりゃ鍋にしなきゃもったいないな。でも、結構な数が採れたんじゃないか?」

 「そうなんですよ。何日も置けるものじゃないって西村さんに聞いて。たぶん今日と明日で50くらいは採れそうだから皆で二日間食べても4つか5つが限界だろうから、どうしようか迷ってたら西村さんの奥さんが漬物にしたら?って言ってくれて。」


 なるほど!そうすれば保存期間はあるし、直販所でも売れる種類が増えるな。


 「今、望月さんと尾道さんが習いに行ってくれてます。何人も押しかけたらご迷惑だから。冴木さん、漬物って売れますかね?」

 「何言ってんだ。全国の道の駅で売られてる地元のおばあさん達が漬けた漬物の人気を知らんのか。これは良い売り方を忘れてたな。」

 「そっかぁ。奥さんは漬物なら大根でもキュウリでも何でもいけるから覚えておくと良いって。大根もあと一週間くらいで収穫出来そうです。」


 八木はニコニコしながら報告してくれる。やはり手を掛けたものが形になるって嬉しいよな。


 「八木、白菜まだあるか?」

 「ありますよ。今回漬けるのは10個くらいにしようって後は県内組の選手の家族に送ろうって話になってます。」

 「そうか。直販所もいよいよ手を付けないといけないな。忙しくなるな。八木、白菜4つ用意しといてくれ。俺が東京に送るから。」

 「あっ!ご家族にですか?」

 「それもあるけど本社にな。世話になってるし、あっ!笹見さんトコにも送るか。じゃあ。7つ用意しといてくれ。」


 八木は早速用意しようと事務所を出ていった。皆は夕食何鍋にするかで既に盛り上がっている。はいはい、仕事しなさい!仕事を!

 でも、少しやる気出たな。頑張るぞ!


  ・・・・・・・・・・

2017年12月15日(金) (株)ファミリア 会議室 <冴木 和馬>

 今月の方針会議が終わる。最近はオンラインで参加していたので、本社で会議に参加したのは久しぶりだった。会議の後、創業メンバーの林に部屋に呼ばれる。部屋の前に着くと入り口に車いすの男性とそれを押す男性がいた。同じ創業メンバーの須田と高野だった。


 「お前達も呼ばれたのか?」

 「俺たちがお前を呼んで、林が場所を貸してくれたんだよ。」


 高野が答える。須田はジッと俺を見つめている。いつもながら物静かな男だ。


 須田 朋彦ともひこ。同じ創業メンバー役員でシステムやリサーチの部門トップを務めている。言わば、北川君が本社にいた時の統括責任者だ。高校時代の事故で下半身麻痺となり、それ以来車いす生活を強いる。大学は俺とは別だったが林と高校時代の同級生で、大学に行く以外は家に引き籠っていた。林との縁があり俺達の会社を本当に陰ながら助け続けてくれている。


 「トモ。元気だったか?」

 「相談が無い。聞いてない。会いに来ないから死んだかと思ってたぞ。」


 視線を俺に向けず拗ねたように話す。トモは俺と真子、林には少し心を開いてくれている。たぶんスポーツ事業が忙しすぎて、以前は二ヶ月に一度くらいは一緒に会社で食事をしていたが、それが半年近く出来ていないので不機嫌なんだろう。


 「ごめん....今日は時間あるか?話が終わったら食事行こう。」

 「それで僕の機嫌は取れないぞ?」

 「分かってる。しばらく行けなかったから、食事したいだけだ。」


 そう言うとトモは視線を逸らしたままだが少しはにかむような表情をした。少し機嫌を直してくれたらしい。

 車いすの押し手を変わり、3人で林の部屋に入る。役員の部屋は基本的にソファは使わない。それは何よりトモが会議しやすいようにチェアタイプの腰高の机にしているからだ。

 トモをテーブルに押していき、その隣の椅子に腰かける。林が俺を見ながら肩を叩く。


 「おかえり。なかなか会えなくて電話ばかりだから、顔を忘れそうになってたよ。それくらい今まではしょっちゅう顔を合わせてたって事だね。」

 「トモにも叱られたトコだ。ホントすまん。」


 林が笑う。トモは「そうだぞ」とまだヘソを曲げている。この雰囲気は学生の頃から変わらない。高野が俺に分厚いの資料を渡す。

 それを見ると今年就職活動でファミリアに来た学生たちの履歴書とエントリーシートだった。

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