第20話 託された未来
2017年9月4日(月) 焼き鳥屋『鉄』2階 <中堀 貴之>
事の発端は9月に入って間もなくサッカー部の樋口が退職願を上司に提出し、人事部からの呼び出しがあった事が発端だった。真面目な勤務態度の樋口が急に退職願を出した事に上司が驚き、すぐに人事部に相談したらしい。
退職理由を聞かれ、仕事は嫌いではないがサッカー部の八木が自分の夢を追いかけてサッカーでプロになりたいと退職したのを見て、自分も大学の頃に思い描いていたスポーツトレーニングの専門職に就きたいと思ったと話した。
話自体に違和感は無いし疑われないと思ったのだが、その話をあの小谷達がその日のうちに聞きつけた。樋口に確認しにわざわざ部署まで訪れ、どこの会社を受けるつもりなんだとか、どうしてこの2ヶ月で何人もサッカー部が辞めてるんだ、あの居酒屋にいた男のせいだろうと問い詰めたそうだ。
しかし、樋口はのらりくらりとはぐらかし、とりあえずはその場は何事もなく治まった。しかし、昨日の練習を小谷に突き止められ、辞めたはずの八木や知らない男(高瀬)まで参加してるので、これは新しいサッカーチームを作る為に全員が辞めるはずだと社長に告げ口をしたらしい。
聞いた社長は最初は激怒したらしいが、会長に相談した後はなぜかトーンダウンし司さんが呼ばれた時には「辞めたい奴は有休を使い切ってから辞めてくれ。後で有休も使わせずに辞めさせられたと労働基準局に駆けこまれたくないからな。」と言ったらしい。
司さんから終業後に呼び出しがかかり、今会社に在籍している10名全員が『鉄』に集まった。冴木さんから適当に注文して先に飯食ってろと電話を貰ったので、皆で遠慮せず頼み食事をしていたが、何となく皆、空元気だった。
冴木さんと常藤さんが到着する。退職している部員と高瀬君に関しては事前に説明しているから、今回は遠慮させたと説明してくれた。
冴木さんと常藤さんの隣を俺と司さんで挟む。冴木さんが笑顔で皆に話す。
「おいおい、暗いなぁ。そんな顔して飯食ってたら大将に怒られるぞ!」
冴木さんは明るく茶化すが、皆は今後の事が心配でそれどころではない。樋口が冴木さんに謝罪するが冴木さんは一切気にしていない。
「何で謝る?会社を辞めたいから退職願を出して、それが受理されて有給消化の期限が決まって退職日も決まってから起こった事だろ?樋口が謝る所あるか?」
「でも、僕が上手く小谷さんの追及をかわせてたらこんな事には....」
落ち込む樋口に冴木さんが呆れた顔で慰める。
「小谷って奴の事を全て知ってる訳じゃないが、あぁ言う話も聞かずに独断専行で行動起こしちゃうような奴は、自分の妄想を事実と思い込む事が多いんだよ。気にするだけ損だ。」
樋口は「はい」と返事をするが、落ち込んだままだ。冴木さんが続ける。
「とりあえず皆にも言っとく。社長が全員辞めて構わない、有休を使い切って辞めろと言ってくれてるならそうしろ。社長に報告する必要は無い。直属の上司か人事部と話して退職日を決めて一筆書いて貰え。それで話は無かった事に出来なくなるから。良いな。余計な事考えずに辞める時期が社長のおかげで早まったって喜んどけ。」
皆は納得半分だが頷き、食事を再開する。冴木さんは常藤さんは部員たちに色々と話しかけ、練習の進み具合や要望は無いか等、いつも通り明るく会話していた。
1時間ほどで冴木さんは俺達を常藤さんに任せ店を出る事になった。帰り際に俺に「切り替えてチームの事、しっかり頼むぞ」と肩を叩いてくれた。
・・・・・・・・・
同日 市内 某オーセンティックBAR <
今日はそのまま帰宅する気にはならず、車を秘書に預け一人行きつけのBARで飲んで帰る事にした。
まさかサッカー部員全員が退職する事になるとは。会社としても重要な人材もいたのだが、こうなってしまっては仕方がない。
私の周りをうるさく付いて回る小谷から話があった時には、怒りに震え会長である父に相談したが「やる気のない社員はいらん。また育てれば良い」と切り捨てられた。
入社したばかりの社員ならいざ知らず、中には10年以上働いて管理職も務めてくれている及川や尾道などもいた。彼らの代わりなどすぐに見つかる訳がない。父にとっては今、大事なのはラグビー部で会社はお前が何とかしろと言う事なのだろう。
こうなったのは父の独断が原因だと言うのに。
私は会社の中に実業団チームを置くのは入社当初から反対だった。会社自体も全国へ展開する事無く高知でしっかりとした地盤を築いて社員達の生活を守る。そういった考えになったのも原因は父だった。
父が社長を務めていた時代に、社会人野球部のチームを都市対抗野球で優勝できるようなチームにして、自分の会社からプロ野球選手を輩出したいと言う夢があったがそれが大失敗したからだ。
高知には社会人野球チームを持つ企業は多く、早起き野球などで趣味で集まったチームともリーグ戦を組むほどチーム数は溢れていた。会社が野球部に投資した資金があの当時のまだ小さな会社には相当に痛手だった。当時、平社員だった私は野球部にも所属していたが、あまりに強すぎる社長の期待に私も含め部員たちも辟易していたのが本音だった。
チームはそこそこの強さではあったが、所詮は『そこそこ』なのだ。都市対抗野球の全国大会など程遠く、四国の一次予選にすら出場は叶わなかった。
そして、野球部に費やした赤字が会社を圧迫させ始めた頃に社長を引き継いだ。それからの年月は会社を立て直す事だけに必死になった。父がつぎ込んだ金で唯一役に立ったのは、全ての運動部を福利厚生の為だけの練習チームに戻した後の練習場所が確保出来た事だけだった。
どんなに社員から要望が出ようと説得されようと、私は実業団チーム化を頑として受け付けなかった。それがいつか会社を圧迫し、そのチームに関係のない社員達の生活にまで影響が出かけた事を見て来たからだ。
そして、運動部の経費が劇的に減少し、会社も順調に成長し始め、県外に加工工場を持てるまでになった。
しかし、サッカー部に所属する選手たちは私の元を、いや、会社を去った。そこまでプロになりたかったのだろうか。私の青春時代とは違う。今や吐いて捨てるほどいるサッカー選手の中で、プロとしてサッカーの報酬だけで生活出来ているのはほんの一握りだろう。そんなリスクある生活に、社長と社員として少しでも関わった社員達が陥るような事はあってほしくない。
だが、彼らはそれでも判断し、退社の道を選んだ。私は間違っているのだろうか。
こんな気分の日は飲んでも酔えない。さぁ、あと一杯飲んだら帰ろう。
すると、今しがた入って来た客が私の席と一席挟んだ隣へ座る。なぜ、この男がここにいるのだ。
「はじめまして。この度はご迷惑をおかけする事になり申し訳ありません。」
なるほど。そう言う事か。
「うちの社員に色々と吹き込んだのは君か。まさかこんな田舎のBARで今をときめく実業家殿にお会いできるとは思わなかったよ。冴木和馬さん。」
「知っていただけて光栄です。」
「これでも経営者の端くれでね。」
マスターが冴木君と私の前にグラスを置く。乾杯はない。お互いがグラスに口を付ける。
「若い者の夢を利用して金儲けか。東京の男はやる事が非情だな。」
「これでも高知生まれでして。高校卒業までは高知にいたんですよ。あなたの事も子供ながらに応援してました。あの、甲子園。」
ふん。嫌な事を思い出させる。
「で、どうやって彼らを騙したのかね?」
冴木君は私と彼の間にある椅子にそっと何かの資料を置いた。
「このような場所で持ち出すモノではないですが、どうか。」
私はそれを取り、中を読む。そこには彼が立ち上げようとしているサッカーチーム、いや、サッカーから始まるスポーツ事業と移住事業の概要が書かれていた。私は思わず読み入ってしまう。こんな事が可能なのか。
そして、その資料の中にあった一文。
【プロ選手を目指し、夢半ばで諦めざるを得ない選手のセカンドキャリア支援】
「出来るのかね。彼らの人生を背負うのだぞ。」
「それは上本さんも同じではないですか?親族でずっと背負い続けていらっしゃる。僕なんてまだ16年です。」
「私は彼らに好きにしろと言った側だ。その後彼らがどういう行動を取ろうと文句は言うつもりもないし邪魔もしない。」
「はい。」
彼は残りの酒を煽り、会計を済ませる。そして私に深く頭を下げ立ち去ろうとした。思わず声をかけてしまった。
「彼らを最後まで頼みます。」
冴木君は決意の籠った声で私に応え、店を出た。
「いつかあなたの判断が英断であったと言える日が来ます。そうして見せます。」
さて、見届けさせてもらおう。私は少し笑みを浮かべてグラスを傾けた。
・・・・・・・・・・
2017年9月15日(金) 車内 <及川 司>
仕事終わりに練習場所に向かう車の中、オレは少しホッとしていた。社長から呼び出されたあの日から会社から事情を聞かれたり引き留められたりする事はなく、順調に全員の退職日が決定した。
有休消化で休みに入る部員もいたが、中には有休が無い者もいた。しかし会社側から「こちらの事情で辞めさせるのだから、当然解雇予告手当は出します。」と連絡があったらしい。そして有休を持たない者は即日全員が退職となった。
オレと尾道は課長を務めていた事もあり、会社に要望を出して引き継ぎの期間だけ出社の許可をもらった。そして本日が最終日だったのだが、会社を出る際に廊下で社長から声をかけられた。
何か嫌味でも言われるのだろうかと構えていたが、社長は終始笑顔で今まで勤めた事への感謝を話してくれた。
「何かあれば私に相談しなさい。その何かの力になれると良いんだが。」
心強い言葉を貰った。
・・・・・・・・・・
2017年10月2日(月) Vandits事務所 <冴木 和馬>
今日の事務所は人で込み合い賑やかだ。いつもの事務所メンバーに加えてサッカー部のメンバーも全員集合している。総勢22名。
会議スペースだけでなくダイニングの方も含めて1階は一部屋扱いだ。
皆が談笑している所にパンッと手を叩きこちらに視線を集める。
「はい。おはよう!」
「「「おはようございます。」」」
皆が今日と言う日を待ちわびていた。その気持ちが表情に溢れている。それを感じられている俺も素直に嬉しかった。俺はちらりと司を見て、皆へと話を始めた。
「今日からやっと当初予定していた全員が集まり、チームとしての正式な活動が始まる。」
皆から拍手。部員たちは「やった!」と感情を爆発させる。落ち着かせて話を続ける。
「4月のあの日に司から貰った電話から始まった。半年。早かったのかな。たぶん普通に考えれば準備としては相当早いんだろうな。それもこれもここに集まってくれた皆一人一人の努力のおかげだ。」
再び拍手が起こる。
「今日、初めて全員が集まれた。まぁ、まずは俺と常藤さん以外のメンバーの自己紹介をしていこう。皆所属してる部署も言うようにしてくれ。」
そうして自己紹介が始まる。今まで何となくで仕事を分担していたが、正式なスタートと共にしっかりと担当を決める事にした。それ以外の仕事に関しては全員で話し合いながら取り組むと言う決まり事。
総務・事業管理には雪村さんと樋口。と言っているがサッカー部の皆は雪村さんを「雪村姉さん」と呼び、練習にもちょくちょく顔を出して差し入れしながら皆の体調やチーム管理をしてくれているので、やはりマネージャーと言うのがぴったりかもしれない。
設計・リノベーション部門を担当するのは、坂口さんと中堀、そして入船だ。部長は坂口さんが勤める。現状、一番仕事が多いのはこの部署だろう。今は事業の屋台骨となっている。
営業・施設運営部門を担当するのは、秋山・高瀬・大西・古川・青木、そして司だ。この部署は人数が多いが、今後宿泊施設の買収がきまり、改修が終わればこの施設運営部門が実際にスタッフとして施設に入り、管理・運営する。そして、高知県東部で数件管理しているアパートなどの管理もこの部署だ。なので現状ここも人は足りていない。部長は秋山。本人は初めての管理職でやる気に満ちている。
そして農園管理・運営部門。本当ならこの部門は施設運営と同じなのだが、農園の作物管理や作付けスケジュールなどは、ある意味特殊なので部門として独立する事にした。責任者は望月と和瀧が二人で一人分、だが事実上は外部の西村さんと言っても過言ではない。頼りっぱなしだ。望月も和瀧も時間がある時には西村さんの畑の手伝いもしながら、勉強させてもらっている。担当は八木・馬場・尾道・幡の6名だが、何せ畑の面積が広いので、何かと言えば他の部署のメンバーで時間が有る者は手伝いに行っている。
広報・システム管理・技術部門の部長は杉山さん。これはもう文句無しの人事。と言うか杉山さん以上に広報・企画の面で秀でている人は現状居ない。担当は北川・山下。そして雪村さんが兼務している。まぁ簡単に言えば企画や管理をするのが男性陣で表に出るのが女性陣だ。男尊女卑だのその逆だのと言われそうだが、適材適所にしたらそうなったのだから仕方がない。
リサーチ部は本社の別働チームが担当してくれている。俺と常藤さん、雪村さんはメンバーと面識はあるが、他のメンバーはまだ会った事がない。事務所が本格始動し始めたので、一度頃合いをみて高知に来てもらう予定だ。
マーケティング・ブランディングに関しては、東京組で勤める事にした。
とりあえず人材は足りない。雇いたくても金が無い。いや、金は多少あるのだが、この先に大きな出費を控えているので抑えておいた方が良い。皆には迷惑をかけるなぁ。
自己紹介が済んだ所で、皆へと話しておく事がある。大切な事だ。
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