第16話 謝罪

2017年8月2日(水) 高知県安芸郡芸西村 <常藤 正昭>

 準備期間が終わり事業部の立ち上げメンバー全員が無事に安芸市に入る事が出来ました。冴木さんも今日から三日ほどの予定で高知で色々と走り回る予定です。


 ずっと準備を重ね進めて来た本拠地づくりもまずはスタートラインが見え始めました。事務所を構え、サッカーチームの選手たちの住居も購入しリフォームに入りました。

 リノベーション販売を行う物件も既に契約は終了し、ファミリアでお世話になっている施工会社に来週から複数物件一気に改修に入ってもらう事も決まっています。

 選手たちと共に始める農園の候補地も決まり、本日役所の職員と共に現地の視察をする予定です。「長い事、休耕地だったので覚悟して見に来てください」と脅されています。買収予定の宿泊施設は先月末、村議会で緊急動議として話し合われ、若手議員が売却路線で猛プッシュし賛成多数で購入者の公募を行う事が決まりました。後は値段と公募期間ですね。


 事務所の二階にある自室で準備を終えドアを開けると既に一階から高瀬君の話し声が聞こえてきました。彼の声は元気で良く通る。フィールドではきっと良い効果を発揮出来るはずです。

 一階の会議スペースと言う名のダイニングには高瀬君と北川君、そして雪村くんと秋山くんが既に集まっていました。


 「おはようございます。皆さん、早いですね。それに北川君は今日は帯同メンバーでは無いですからゆっくりしてくれて良いんですよ。」

 「今日、杉山さんからもう一回、動画編集のレクチャー受けようと思って。何人か出来るようになれば杉山さんの負担も減らせるだろうし。」


 本当に努力家です。北川君は。最初はあまりアピールの上手くない社員で、この先大丈夫かと思いましたが、冴木さんの提案通り杉山君・坂口くんと組ませたのが良かったのかも知れません。さすがは冴木さんと言ったところですね。


 雪村くんが紅茶を淹れてくれました。ホントにこの事業部にはもったいない程の気が付く人材です。私も見習わねばなりません。

 紅茶を飲みながら出発の時間までゆっくりしていると玄関のベルが鳴り、冴木さんの「おはよう~」の声と共に足音が近づいてきました。


 「おぉ!皆、早い。俺もホテル早めに出たんだけどな。まぁ揃ってるなら良いか。」


 冴木さんは安芸市内のホテルに宿泊しています。最初はこの家のリビングのソファで寝るとおっしゃっていましたが、メンバー全員からさすがに止めてくださいと懇願し、渋々ホテルを予約されていました。


 「少し早いけど向かおうか。向こうも役所だから早く来てる可能性があるからな。」


 今日の畑の視察には、冴木さん・私・雪村くん・秋山くん・高瀬君の五人で向かいます。車は冴木さんの車に男性陣が同乗し、雪村くんは秋山くんの車で二人で向かう事となりました。

 現地までは車で余裕を持って30分程度。国道沿いを芸西村に入り、そこから道を北に入ると一気に左右が田畑に囲まれた道が広がっています。高知県東部は高知市から東に向かい、南国市を越えたあたりから風景に田畑が多くなってきます。さすがは農業推進が盛んな県だけありますね。

 予定地近くで道が広くなっている場所に白い軽自動車が停まっており、そこに首からタグをぶら下げた役所の職員らしき男性と女性が立っていました。


 私達も同じ場所に車を停め、皆で職員のお二人に挨拶をします。非常に恐縮した様子でしたが、冴木さんのいつものテンションと少し方言を交えた立ち話数分でお二人とも緊張は取れたようでした。職員の方のお名前は男性が小松さんで、女性は高橋さんとおっしゃるそうです。

 小松さんと冴木さんが話しながら、予定地に向かいます。高橋さんには女性陣がしっかりついてフォローの会話も忘れません。このあたりはこの一ヶ月で鍛えられているようです。


 「いやぁ、東京の会社から畑のレンタルなんて問い合わせがあった時は、産業振興課の皆もびっくりしたがですよ。レンタルなんて言うて別の建物が急に建つがやないかとか言い出す人もおるくらいで。」

 「ははは、それは驚かせてしもうたですねぇ。申し訳ありません。今回うちの会社で四国でも事業展開しようって事で、今まで手を出せなかった農園経営に踏み切る事になったがですよ。そしたら芸西村さんが自治体で畑借りれるって言うき、そりゃぜひ話聞いて貰おうってすぐに電話したがです。」


 小松さんは笑顔で恐縮しきりですが、緊張した様子はなさそうですね。こちらに対する印象も悪くはないようです。


 「いや、それは送っていただいた農園の計画書見せていただいて、もう全員が大丈夫やろうって思ってますき。まさかあんなちゃんとした計画書がいただけるとは思ってなくて、さすがは東京の会社やねぇって皆で言うたがですよ。」

 「ご心配とかを払拭してもらうには丁寧に説明させていただくしかないですから。でも無事に貸していただけて良かった。順調に栽培出来るようなら数年したら追加で借りる計画もありますんで。そん時もまたお世話になると思います。」


 冴木さんと小松さんがお互いにお辞儀しながら笑っています。この人のこの会話術はずっと一緒に仕事をしていますが到底私には出来ません。彼だけの強みと言って良いと思います。だからこそ、部下に対応させるのではなく社長自らが対応する。そうすれば相手もトップと話している事で決断に間を挟む必要が無く、タイムロスが少なく済みます。非常に効率的です。


 そんな事を話している間に予定地に着きました。すると作業服姿のお爺さんが一人待っていてくれていました。小松さんと高橋さんが紹介してくれたましたが、このあたりに住んでいる畑に詳しい人らしく、冴木さんが言うには農園を担当するメンバーの畑を耕したり栽培する指導に暇な時に来ていただけるのだそうです。

 名前は西村茂さんと言い72歳だそうですが、足腰もしっかりしておられ全くそんなお歳には見えない人でした。

 冴木さんが深く頭を下げると、皆がそれに倣います。それを見た西村さんが笑いながら冴木さんの肩をポンポンと叩きました。


 「そんなんされたら、うちら年寄りはビックリすらぁよ。自分とこの畑しかしやぁせんき、ちょっとばぁ畑教える事ぁかまんき、なんちゃぁ気ぃ遣わんと言うてきぃや。」

 「ありがとうございます。農業の素人が集まりますき、見ておれんような事もあるかと思いますけんど、どうか長い目で見ちゃって下さい。でも、叱る時にはガッツリ叱っちゃって下さい。」

 「はいはい。任いちょきや。一緒にやりよったら五年もしたらまともに出来るようにならぁよ。それまでは辛抱じゃ。」

 「はい。言い聞かせます。」


 それを聞いた西村さんは優しそうな笑顔でうんうんと頷かれています。良い方に知り合えたようです。大切なお付き合いになると思います。


 すると道の奥から農耕トラクターがゆっくりと走って来ました。乗っているのは西村さんほどの年齢の男性です。トラクターが近付いた時に職員のお二人と西村さんが声をかけ私達を紹介してくれました。

 しかし、その男性はトラクターこそ停めたのですが、こちらは一切見る事無く道の向こうを見て話を聞いている風もない。顔もしかめたまま。

 様子を見た西村さんが「トヨさん」と呼ばれている男性に強めに声をかけました。


 「東京から使ぅてない畑で野菜作りに来てくれたがやと!ご近所になるがやき、なんか物いうちょきや。」

 

 そう言われたトヨさんは睨むように冴木さんを見る。冴木さんは感情を表に出さないようにトヨさんの目をみて挨拶されました。


 「東京から来ました冴木と申します。今回、こちらの畑をお借りして....」

 「何が借りるじゃッッ!!まともに畑も出来んもんがわざわざこんな田舎に来るはずが無いろうが!役所はホンマにアホばっかりじゃ!」


 捲し立てるように冴木さんに言葉を浴びせました。


 「おまんらの話は聞いちゅうぞ!畑だけやない。この辺の家じゃ旅館じゃ言うて買占めゆうらしいやいか!!挙句の果てには運動公園の宿泊所も買うって聞いたぞ!」

 「それは....」


 と冴木さんと小松さんが説明しようとするが聞き耳を持ちません。完全にこちらは都会から来た悪者として印象付けられているようです。


 「田舎もんやきと思うて、あっちもこっちも安ぅ買い叩いて!おまんらがやりゆうことは山賊と一緒じゃっ!!!!」

 「大変申し訳ございません。」


 そう言って深く深く頭を下げる冴木さん。全員が頭を下げる。

 するとトヨさんはトラクターに付いていた泥の塊を冴木さんに向けて投げ付けました!

 ベチャッと言う音と共に冴木さんのスーツにべっとりと泥が付く。西村さんが「トヨさん!」と窘められましたが、フンッと鼻息荒く聞いていない様子。


 私の隣で高瀬君の体温が上がっている雰囲気がします。しかし、行動は起こしません。なぜなら冴木さんから『何もするな!絶対に動くな!』と言わんばかりの迫力が背中越しに伝わって来ていました。全員が頭を下げたまま一言も発する事無く冴木さんの発言を待ち続けます。

 蝉の声だけが広い畑に響き渡っていました。


 するとトヨさんの方がその雰囲気に居づらくなったのか、そのままトラクターを走らせて行ってしまいました。冴木さんは一度頭を上げ、トラクターの走り去る方向にもう一度深く頭を下げられます。

 そして職員さん達と西村さんに向き合って謝罪されました。


 「私達が来てしまったばかりに地元の方に混乱を招いてしまい、誠に申し訳ありません。」

 「何を言いゆう。トヨさんは気難しい人やけんど、話したら分かる男やき。ちゃんと儂が話ししちょかぁよ。」


 西村さんのその気持ちを冴木さんは有難く受け取りながらもお断りしました。


 「これは私達がしっかりと時間をかけてご説明させていただき、ご理解いただく事が一番だと思っております。ご心配とご迷惑をおかけしますが、どうか畑の使用はさせていただけないでしょうか?」


 それを聞いた職員の高橋さんは慌てて言葉を返されます。


 「契約ではしっかりと冴木さん達にお貸しする事になってますので問題ありません。どうぞご利用ください。」

 「有難うございます。しかし、契約があるからと言う事だけでご納得いただけるとは思っておりませんので、今後も丁寧に使わせていただいている中で誤解を解いていただけるように努力します。」


 冴木さんの態度に職員達も何も言えなくなっています。すると西村さんが冴木さんのスーツに付いた泥を自分の首にかかったタオルで払い落してくれています。


 「そればぁ覚悟があるんやったら、ちゃんとやりよったら気持ちは伝わるもんよ。儂はもうトヨさんには何も言わんき、冴木さんの思うようにやってみぃや。儂はちゃぁんと見よっちゃうきね。」


 優しい笑顔に冴木さんが腰を折り、声を震わせながら礼を言い頭を下げる。

 今日はこれでと言う話になり、帰りは私の運転で安芸市の事務所へと向かいました。さすがに車の中は静かです。高瀬君はずっと何かを堪えているようだ。

 すると不意に冴木さんが高瀬君に声をかけました。


 「良いか。高瀬。その気持ちを、憤りを、堪えて表に出さない方法を身に付けろ。その感情が相手の気持ちを更に硬化させる事もある。営業職として、成長しろ。」

 「はい....申し訳ありません。」


 高瀬君の感情がスッと収まる雰囲気がありました。助手席で目を瞑り何度も深呼吸をする高瀬君。それを背中に感じながら冴木さんが笑う。


 「そうだそうだ。そうやって大げさでも良いから始めてみろ。」


 また沈黙。すると冴木さんが独り言のように呟きました。


 「良いか。あの声を忘れるな。俺たちがやってる事が全部地元の人の為になってるなんて勘違いをするな。そして、サッカー部のメンバーには俺からも話をするが、高瀬からも常藤さんから機会がある毎に言い聞かせてください。」


 少し間が開く。


 「ただ土と向き合え。ただ空と向き合え。ひたすらに人と向き合え。そこでしか信頼は生まれずその先にしか成功は無い。」

 「「はい。」」


 私達が返事をすると、「すみません。カッコつけました。」と笑い声。いつもの冴木さんに戻っていました。

 事務所に着くとすぐに雪村さんが冴木さんのジャケットを預り、近くのクリーニング店へと車を走らせてくれました。冴木さんを含め、他のメンバーは会議スペースに腰掛け、高瀬君が皆の分の珈琲と私の紅茶を淹れてくれます。

 誰も何も話さず、ぼぉっと窓の外に流れる伊尾木川を見ています。雪村くんが戻りました。雪村くんは自分で珈琲を淹れ、同じく席に着く。何も話さない。

 すると秋山くんが肩を震わせながらボソッと呟きました。


 「悔しい....」


 雪村くんも肩を震わせていました。冴木さんは何も言わない。秋山くんのその想いもここにいる皆が感じています。今日まで全員で準備して、練り直して、また準備して。何度も何度も繰り返し、そうやって高知までやってきました。

 しかし私達は歓迎されていなかった。それはあの人だけなのかも知れない。しかし、私達が地元の方への説明を怠った事実もあるのです。それが分かったから悔しいのです。こんな簡単な事を目の前の仕事に忙殺され、見逃しました。

 冴木さんが窓の外を見たまま皆に語り掛けます。


 「皆、この気持ちを忘れずにいような。」


 返事はありません。ですが、誰もが心に刻ました。もう同じ失敗はしない。ひたすらに人と向き合う。私も皆と同じく心に刻みました。

 すると、冴木さんが「よし!!」と膝を叩いて私達の方に振り向きました。そして私を見て宣言します。


 「決まりました!!」

 「何がですか?」


 思わずだが当然聞き返してしまいます。


 「このプロジェクトとサッカーチームの名前です。今日の事を忘れないように。」


 また急にこんな事を言い始める冴木さん。しかし、確かにチーム名もプロジェクト名も決まっていませんでした。ずっとスポーツ事業としか言ってきていません。


 「何にするんですか?」


 目を真っ赤にした雪村さんが笑顔で尋ねます。冴木さんは近くにあったチラシの裏に満面の笑みで大きくマジックで書き始めました。


 「Vandits(ヴァンディッツ)安芸!正式な綴りはBandit'sなんですけど勝利を奪いに行くって意味でこっちの綴りにします。」


 皆がチラシの裏の文字を見る。力強い文字でした。高瀬君が尋ねます。


 「Bandit'sの意味は何なんですか?」


 冴木さんは笑顔で応えました。


 「盗賊とか追いはぎとか言う意味だけど、よく使われる言葉は........山賊。」


 冴木さんの決意を感じました。これ以上に無いチーム名だと思いました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る