第15話 処女航海

2017年7月9日(日) 高知 BAR『蔵』 <冴木 和馬>

 芸西村と安芸市、他にも安芸郡内で良い候補地があれば休耕地のレンタルを自治体もしくは畑の所有者にもちかける。そこで様々な野菜の栽培を行い、芸西村の買収予定の施設近くに直販所を作る。一企業の直販所だ。将来的には近隣住民からの持ち込みも受け入れられたらとは思うが、そこまでは今は考えていない。


 芸西村を横断する国道55号線沿いに潰れたコンビニエンスストアの跡地がある。そこを直販所の予定地に考えている。

 これを急に考えたのも事業部で話し合っている時に実業団チームとして運営していく事を前提とするのであれば、チームメンバーは全員うちの関連施設で働かせる必要があるのではないかと言う、めちゃくちゃ基本的な指摘があったからだ。


 社会人リーグ参戦時は何となくで誤魔化せるかも知れないが地域リーグやJFLとなってくるとさすがに実業団チームなのに所属選手が外部の企業で働いているなんて言うのは許されない。であるならば、まずは現状で関連施設で働かせられるだけ働かせようと言う事になり考えていた所に思いついたのが農園経営だった。

 宿泊施設を買い取り、そこでの食事に使う野菜を栽培する中で外部にも売る。そして畑で作業する。これで相当人数をうちで雇える事になる。

 いやぁ、当初の思っている以上に予算が飛んでいく。


 それは高瀬にもまだ説明していなかったので、高瀬は良い案だと頷いていた。


 「まぁ、現状としては宿泊施設の職員、事務所スタッフ、農園作業員、直売所職員って感じだが、宿泊施設も直売所も改修と売り出す野菜が出来ない事には動けないから、一年目は実質全員が畑を耕してもらう事になる。」


 あまりにざっくりとした説明にはなってしまったが、司から「全員がとりあえずは仕事に就けると思って良いのか」と言う質問にも、種類に拘らないならこちらで準備出来ると答えた。


 あとはここでは話せないが、リサーチ部から貰った資料で安芸郡を中心に調べたリノベ候補として挙げられた物件は、リノベ売却用物件の候補が38軒。リノベ経営再建宿泊物件の候補が8軒と報告があった。この中から販売5軒、経営再生は2軒ほどに絞り最終候補を出す。なお、リサーチ部からは現地に入らせてもらえるなら売却登録されていないような物件を直接所有者に交渉も出来るので候補はもう少し増えると言われた。

 リサーチ部としても提案して断られ続けた四国への初進出だ。力は入っているのだろう。リノベ部からも人材貸しますよと内密に提案があったほどだ。


 話を終えると明日も仕事なので司と大西は帰した。その途端、高瀬は急に緊張し始めたようだ。まぁ、自分も事業部に所属しているとはいえ、最高決定権のある二人と飲みながらこの先の事業について話しているのだ。普通は緊張するか。


 7月末にもう一度、今度は芸西村と安芸市を視察に来ると高瀬に告げる。その時にはメンバーの何人かは安芸市へ生活を移してもらう予定だ。高瀬の緊張も不安も飲み込みながら、ゆっくりと夜は更けていった。


  ・・・・・・・・・・

2017年7月18日(火) (株)ファミリア <北川 広貴>

 スポーツ事業部に完全に異動してから三週間近く、僕のメインの仕事としては杉山さんと共にサッカーチームのメディアアピールとサポーター獲得の為の企画を考えながら、宿泊施設のコンセプトを坂口さんと一緒に考える事だった。

 今までシステムのメンテナンスやセキュリティのチェックがメインだった僕が広報や設計・ブランディングの仕事をするなんて思わなかった。絶対に向いてないと最初は少し気が乗らなかったが、初めてやってみるとすごく興味深い分野だった。

 杉山さんは「人はどうなると笑うのか」「興味を引く為のテロップや構図、カメラの動かし方」など、今までテレビで見ていても気にしていなかった事に法則があるって事を分かりやすく教えてくれた。状況によっては紙媒体でアピールするべき案件や動画で惹きつけるべき案件など、何から何まで動画の方が良いと言う訳でも無いと言うのも興味深かった。

 坂口さんは経営統括部から来られたと聞いていたのに、すごく設計やブランディングの事に詳しく、聞くと入社したての頃は設計希望でリノベ部にいたそうだ。その後3年前に経営統括部に移ったのだそうだ。坂口さんもお客様が施設に入って来た時の視線の動きや動線に合わせた設計の提案だったり、逆にこちらが無理やりお客様の視線を誘導するような設計やインテリアの使い方など、聞いているだけで勉強になる事ばかりだった。


 今日は杉山さんと宿泊施設の候補になっている香南市野市町の小さなアパートのリノベーションを試作していた。リノベーション後は野市町から北にある土佐山田町には公立大学があり、そこへ通う学生向けの賃貸アパートとして経営しようと考えている。築21年のアパートで二階建て、部屋数8。リノベーション後は賃料・管理費込みで55,000円から60,000円で貸し出す予定だ。周りの住宅事情からすると少し高めにはなるがリノベーションしたての物件ならば人は入ってくれそうだ。


 すると冴木さんが部屋に入って来る。「お疲れ様ぁ~。」と今日も明るく笑顔で入って来た。ホントに一緒に仕事をさせてもらうまでは絶対に仕事に厳しい人だと思っていた。大学三年でこの仕事を始め、16年でここまで大きな会社に成長させたメンバーの一人で代表取締役をメンバー全員の推薦で引き受けた人らしい。そんな人なら絶対に仕事にシビアな人だと思っていたが、判断が早く相手の意図を汲むのが上手いがそれ以外はホントに気の良いお兄さんだ。

 話を良く聞いてくれて冗談を言うのが好き。女性に弱く、後輩には優しい。およそ自分の持つ経営者像には当てはまらない人だ。しかし、何度か目撃しているがいざ判断の場となると恐ろしいほどの理解力と先見の明と判断力を発揮する。それを周りに説明する時のプレゼン力と言うか話術も凄い。


 事業部の仮部屋の奥にある会議テーブルから冴木さんが「手が空いた奴から集まって~」と声が掛かる。僕と坂口さんは部屋の奥に置かれた衝立の向こうの円形の会議テーブルに集まる。他のメンバーもぞろぞろと集まった。

 常藤さんと雪村さんは別件で外出しているらしいが、要件は話してあるそうだ。

 冴木さんが地図を広げながら皆に説明する。地図は高知県東部を記した物と安芸市・芸西村をそれぞれ記した物の3枚を用意していた。


 「えっと、皆に発表。事務所、決まりました。」


 端的に話す冴木さんに皆が「おぉ~」と拍手する。冴木さんは気まずそうに話を続ける。


 「皆待たせてごめんなぁ。とりあえず事務所って言うか一軒家を借りました。」


 ほら、また面白い事始めてる。こう言う想像付かない事をさらりとやってくる冴木さんが最近楽しく思えて来た。さぁ、次は何をしてくれるんだろうって。


 「一軒家ですか?」


 坂口さんの質問に冴木さんは飄々と答える。


 「そうそう、結構綺麗な一軒家が貸しに出ててさ、しかもめちゃ安いの。ボロいマンションの一室を借りるくらいなら一軒家なら隣と上下を気にしなくて済むし。これ、内見で撮らせてもらった写真ね。」


 10枚ほどの写真と間取り図を見せてくれる。いや、めちゃ綺麗だ。しかも二階建てで二階は3部屋もある。秋山さんが間取り図を見ながら冴木さんに質問する。


 「見た感じリフォームされて間もない感じですけど、良くこんな物件が借りられましたね。」

 「家主さんが息子夫婦の為にリフォームしたんだが、海外転勤が決まり住む話が流れて売ろうかなぁって思ってる時に、うちのリサーチ部が借りるのは無理ですか?って問い合わせたら、売るのがもったいなくなったんじゃない?貸してくれる運びになった訳です。」

 「うわぁ、強運!!」


 皆で笑う。ホント強運だわ。そして冴木さんが僕と高瀬君を見ながら言う。


 「北川と高瀬は住みたかったらここの二階で済んでも良いぞ。常藤さんと同居だけどな。」


 え?同居?


 「でも、家賃タダだぞ。」

 「住みます!」


 高瀬君の返事は早い。いくら上司と同居とは言えど家賃タダは魅力だ。


 「OK。常藤さんには伝えとくな。現地に行ったら家主さんにも挨拶しといてくれな。」


 やばい!乗り遅れる!


 「あの!冴木さん、僕も住みたいんですけど。」

 「良いぞ、どっちか1人なんて言ってないだろ?三部屋あるんだから、3人で暮らしてくれた方が会社的には助かるからな。まぁ男同士仲良くやってくれ。」


 ここで一つ不思議に思った事があった。冴木さんに質問する。


 「男同士って杉山さんは別で済むんですか?」

 「なんだ?杉山さんと暮らしたいのか?そりゃ無理だなぁ!」

 「違います!!!」


 ホントにちょくちょくこうやって僕達若手をからかう。まぁ、いじめとかパワハラみたいな感じは一切ないし場も和むから良いんだけど。


 「ははは、杉山さんは結婚されてて今回の異動で奥様も一緒に高知で住まれる事になったんだよ。だから別で物件をもう探されてるんだ。」


 それを聞いて杉山さんを見ると照れながら事の経緯を説明していた。今回の転属の話を奥様にした所、奥様は生粋の日本史マニアらしく「高知で一緒に住みたい、会社に交渉して」と言い出したんだそうだ。冴木さんに相談したら二つ返事でOKとなり、物件を探すのも杉山さんと奥さんで探していいとなったんだそうだ。

 ちなみに常藤さんも結婚されてるが、こちらは単身赴任だそうだ。


 「女性陣はすまんがもう少しだけ待ってくれ。今候補の物件を雪村君が内見に行ってくれてる。さすがに女性が住む物件をおっさん二人で決めた日にゃ分かってないとか何とか批難轟々になりそうだからな。」


 女性陣も分かってるじゃないですかとばかりに笑って応える。ホントに結成してたった一ヶ月なのにこのチームはホントに風通しが良い。


 「契約が住んだ物件からネットとかCS放送の工事に入ってもらって、それが終われば住めるようになるから、パソコンなんかが運び込まれたらすぐに移ってくれてもいいけど、事前にいつ移るって全員に報告だけは忘れずに。」


 冴木さんの言葉に皆が笑う。


 「あと、サッカー部の皆が住む物件も日本家屋の二階建て一戸建てを一軒、すぐ近くにあった使われてない民宿を一軒購入して今すでにリフォームに入ってる。それと芸西村の休耕地のレンタルは無事に契約は終了してる。今、メーカーと相談して機械類を何買うか相談中だ。何作るか決めないと何が必要かも分からんしな。でも、いよいよ動き始めるぞ。」


 冴木さんのその言葉に皆の顔がワクワクしてる。しかし、仕事が早い。こないだサッカー部のメンバーと常藤さんたちが初対面したばっかりだって聞いてたのに。それにサッカー部全員が会社を辞めるのは12月ごろの予定だったはずだ。まぁ、リフォーム考えたら購入は早い方が良いのか。

 もうこれからはデスクの上での作業だけでは無い。人に会い、土にまみれ、走り回って、チームと言う生き物を育て羽ばたかせていく。こんなワクワクが味わえるなんて数か月前には考えもしなかった。

 サッカー部の人達と会うのも楽しみだ。高瀬君の話ではホントに気が良い人ばかりでサッカーしたくてしたくて仕方ない人ばっかりなんだそうだ。

 少しでも自分も力になれるように良い企画考えないと!


  ・・・・・・・・・・

同日 東京 車内 <冴木 和馬>

 「無事に事務所の契約は終了しました。芸西村の方の部員の皆さんが済む為の物件のリフォームも見学させてもらい差し入れもしておきました。」


 雪村さんの電話での報告に胸をなでおろす。


 「ありがとうございます。女性陣の物件は見つかりましたか?」

 「はい。安芸市にある単身者向けの綺麗な三階建てアパートが綺麗に縦並びで空いていたのでそこにしました。どの部屋に誰が住むかはこれから電話で戦争します。」


 二人で笑う。確かにそりゃ大変だ。雪村さんが話を切り替える。


 「社長、大丈夫でしょうか?予定の資金をかなり上回って投入しています。五年と言わず3年で10億なんて使い果たす勢いですよ。」


 雪村さんが社長と敢えて呼ぶときは本当に真面目に話している時だ。


 「ですね。その事は役員からも指摘されてます。まぁ、個人資産なのでそれほどは干渉してきませんが、まさか社長が責任取って会社辞めた挙句に自己破産は無いだろうなと何度も確認されましたよ。」

 「このままだと笑えませんよ?」


 そうだよなぁ。いやぁ、金が無いあの時も大変だったけど、金があってやる事たくさんあるのも大変だなぁ。


 「最悪は従業員持株制度で僕の所有株を従業員に流しますよ。」

 「会社の重要事項の決定権、無くなりますよ。」

 「真子の分は残しますし、もしホントに持株流さなきゃいけなくなる時は事業が完全に失敗した時です。その時にはもう社長の席もありませんから。」

 「そこまでして叶えなければいけないご友人の夢なんですか。」


 少し言葉に詰まる。しかし、気持ちは何も変わらない。


 「学生の頃、学校に居場所のなかった俺を俺でいさせてくれたのはあいつのおかげです。なら俺の力であいつにしてやれる事は全てやってあげたい。それは誰かに指図される事じゃないんです。自分で、勝手に、やると決めたんです。........まぁ、周り巻き込んじゃってますけど。」


 雪村さんが笑う声が聞こえる。


 「皆、巻き込まれに来たんですよ。冴木さんの恩返しに。私もです。」

 「ありがとうございます。必ず成功させます。......いえ、違いますね。成功させましょう。」

 「はい。では。」


 電話が切れる。シートに深く背を預ける。もう戻れない。戻る気も無いが。動き出した物に推進力と安定性を持たせるのは大変だ。さぁ、走り出そう。

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