#7 断罪の刃

「さぁて、狩りを始めるか。ジタバタするなよ」


 剣を見せ付けながら、ザッキスがにじり寄る。

 聖騎士という清廉な肩書きには似つかわしくない、どす黒く腐った眼をしていた。

 例えるなら、眼前のカエルをどうなぶろうか思案する蛇の眼、とでも言おうか。


 死ぬ事自体は怖くない。

 どうせあの世界で、私の人生は最初から終わっていたのだ。

 例え死刑になったとしても、仕方の無い事と諦めてもいた。

 だが、死刑になる事と、訳も分からず集団で暴力を振るわれて殺される事では、全く意味が異なる。


 恐怖が体を動かした。

 ザッキスの顔面を狙って椅子の残骸を投げ付けるが、ひょいと避けられてしまった。


「ほらほら、ちゃんと狙って投げなよ」


 圧倒的弱者が見せる必死の抵抗を易々と挫いて心を折る、その過程をザッキスは楽しんでいる。

 殺される恐怖よりも嫌悪の方が徐々に増してきたが、椅子の残骸はもう無くなってしまった。


「どうした、もう終わりか? もう少し頑張ってくれないと張り合いが――」


 手首を掴まれてぐいと引っ張られた瞬間、反射的にもう一方の手でベッドの横にあったポットを掴み、顔面へと投げ付けた。


「ぶが……ッ!?」


 もう抵抗は無いものと油断し切っていたザッキスの不快な顔面へ、陶製のポットが直撃、破片と共に中に入っていた湯が弾ける。


「ぐぁなああああああッ、あ、熱いィ……ッ!!」


 熱湯と呼べる程ではなかったが、顔面に浴びせられれば軽い火傷を負って怯む程度には、湯の温度は高かったようだ。

 だが、当然ながらその程度で彼が倒れるはずも無く、むしろ火に油だった。


「き、貴様……このザッキスに向かって、よくも……よくもやってくれたなあ……ッ!!」


 他人を見下し侮辱するのが好きな者は、自分がそれをされると烈火の如く怒る。


「いい気になるなよな、このアバズレがッ!!」


 怒り狂ったザッキスが私の黒髪を無造作に掴み、そのまま絨毯の上に引き倒した。

 女相手でも手加減や容赦が全く無い。


「微塵の魔力も持たない虫ケラのメスの分際で、この私の顔に火傷を負わせるとは……身の程をわきまえろッ!」


 倒れ込んだ私の腹に、甲冑の足が蹴りを入れる。

 突き破られるのではないかという、容赦の無い痛みと衝撃に絶叫、昔の記憶が頭と体にフラッシュバックした。


「貴様をぶっ殺した後の汚い死体は、バラバラに刻んで犬に喰わせてやる! 最後は犬のクソになって地べたに撒かれて消えやがれッ!」


 端麗な容姿と聖騎士の身分には相応しくない下品な罵倒と、何度目かも分からない蹴りを浴びせられた所で、ザッキスの肩を掴んで制止する者が居た。


「ザッキス殿、やり過ぎです。討つべき相手だとしても、丸腰の女性に対して侮辱や過剰な暴力を加えるなど、誇り高き聖騎士の振る舞いではない……!」


 無抵抗のままなぶられる私を見かねたラウルが声を荒らげたが、ザッキスは鬱陶しそうにフンと鼻を鳴らして、


「おいおいラウル君、一体何を言ってるのかな? 実の両親と神に仕える者を手に掛けた極悪人だぞ。そんな輩には徹底的に、無慈悲に制裁を加えてこそ聖騎士の振る舞いだろう?」


 同じ年頃の聖騎士でも、ラウルとザッキスは性格や信条は随分異なるようだ。

 だが、こうして暗殺の現場に来ている以上、ラウルに助けを求めても無駄だろう。


 私の味方は一人も居ない。

 前の世界でも、この世界でも。


「もういい、ザッキス君。早く終わらせたまえ」


 ゼルレーク聖騎士団長が命じるが、ラウルと違って私を気遣った訳ではなく、単にこれ以上余計な時間を掛けてはいられないというだけのようだ。


「承知しました、閣下」


 隠し通路があるこの部屋に案内した時点で、彼らが私を処分する気でいたのは間違い無い。

 それに、この聖騎士達は私が元の世界で犯した罪を知っている。


 だとすると、これはテルサの意向なのだろうか。

 私の事が赦せなくて、殺害するよう依頼したのだろうか。

 それとも、私から余計な情報が漏れない為に、私の存在そのものを疎ましく思った栄耀教会が決めた事なのだろうか。


 倒れた私の体を踏み付けて逃げられないよう固定、ザッキスが剣を掲げる。


「悪く思うなよ。これが報いだ」

「報い……」


 確かに私は三人の命を奪ってしまった。

 否、それ以前の出来事を考えれば四人になるのだろう。


 私にも言い分はあるが、私の行為が四人もの命を奪ってしまった、その事実に変わりは無い。


 この世の全ては因果応報。

 命には命を以て報いるのが自然な道理。


 それでも――

 それでも、せめて――


 せめて一日だけでも、自由になりたかった。

 束縛される事無く、平穏に生きたかった。

 奪われる事無く、静かに生きたかった。


 誰かに愛されたかった。

 誰かを愛したかった。

 人並みの幸せを手に入れたかった。


 私のような呪われた女には、それすらも傲慢だと、強欲だと、運命は言っているのか。


 テルサの言った通り、世界を渡れど、罪は永久に消えないと言うのか。

 闇に生き、闇に死ねと言うのか。


 その通りだと言わんばかりに、夜空の満月が、流れる雲に覆われていく様子が見えた。


 あれは私だ。

 私の命の輝きも、ああやって今から消されてしまうのだ。


 月明かりが消えて、室内は闇に閉ざされた。

 絶望の闇だ。


「――死ね」


 私もまぶたを閉じた直後、断罪の刃が振り下ろされる音が、小さく鼓膜を打った。

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